69:汚水から昇る星
女性の悲痛な訴えに、ヌーラは心を痛めたようだった。
「“子をなさない者たち”とは、どういうことですか? ご病気されたんですか?」
女性は力なく笑った。諦めや無力感が彼女を支配していた。
「その口振りだと、本当に何も知らないみたいね」
アメナが不安げな表情を浮かべる。
「この娘はこのままにしてはおけんぞ」
女性はすすり泣くもう一方の女性の肩に手を置いた。
「イエナを送り手の元に届けよう」
「でも、もうアズタリが……。今日はサージャの取り立ての日よ……」
そう言われて、女性は唇を噛んだ。ナーディラがその顔を覗き込む。
「送り手とは?」
「遺体を葬送の祭壇に送り届けてくれる方です。この街では、亡くなった者の関係者は遺体を送り手に届けなければならないと決められているんです」
埋葬に関する法律みたいなものか。
それにしても、葬送の祭壇……懐かしい言葉だった。
サレアにいた頃、ホッサムに教えてもらった。あの街では、大きな一枚石の台が防壁の外の離れた場所にあり、そこに遺体を安置する風習があった。
街から離れた場所なのは、グールなどの魔物が街に近づくのを防ぐためでもあるのだ。
「この街にも葬送の祭壇があるんですか?」
「あなたたちのところにも? それなら分かるでしょう。イエナをこのままにしておくことはできないのです」
ナーディラが尋ねる。
「アズタリが必要なのか?」
「ええ、でも、サージャに納めるアズタリが……」
俺たちは顔を見合わせた。ムエラ・ココナを出る時、ゼルツダやゼルクビーナの死骸から回収したアズタリの一部をイクラスからもらい受けていた。
俺は彼女の前に進み出た。
「よかったら、そのアズタリは俺たちで払うよ」
「そんな……! そこまでしてもらうわけには……」
「いや、気にしなくていい。大切な人が亡くなる辛さは俺たちも分かっている」
***
俺たちはイエナを送り手に届けた。
このスラムにも、このエリアを管轄するらしい送り手がいるようだった。徹底して街からは切り離されているのだ。
「あいつらは私たちの住む場所を荒らしていくんです。ただ楽しむためだけに」
俺たちとやりとりをしていた女性はイナーラといった。
送り手にイエナを送り届けた帰り道に、イナーラは“子をなさない者たち”の現状について教えてくれた。
すすり泣いていた女性──ファラーはイエナを送り届けたことで、いくぶんか落ち着きを取り戻したようだったが、それでも俺たちへの警戒心は拭いきれない様子だ。
「なぜそんなひどいことを……」
ヌーラは暗く沈んだ表情を見せる。イナーラはまたしても諦めたように首を振った。
「私たちが“子をなさない者たち”だという、それだけの理由です」
「なんなんだ、それは?」
イナーラとファラーはお互いの顔を見合わせる。そして、うなずくとイナーラは声を低めた。重々しい告白だった。
「この街は女が女を、男が男を愛することを禁じているのです。それどころか、パスティアは私たちを“子をなさない者たち”として、普通の住民よりも重い貢納を課しています。パスティアは私たちを抹殺しようとしている……」
ナーディラが不思議そうな表情を浮かべている。
「女が女を……。お前たちもそういうことなのか?」
イナーラはファラーを見つめた。
「私たちはイエナと一緒に三人で暮らしていました。お互いを愛しています。ただそれだけのことなのに、あいつら街の人間は私たちを人間だと認めようとしない。それが、どうしようもなく苦しい……」
「それであの落書きか……」
(サイモン、さっきの落書きの件で分かったことがある。「人間もどき」というのは、同性愛者のことだったんだ。この街では、同性愛者が迫害を受けている。重い貢納が課され、街の人々からは虐げられている)
~・~・~
それは胸が痛む話だな。
この街で同性愛者が「人間もどき」として扱われているのは、深刻な差別と偏見の表れだ。
重い貢納や社会的な虐待は、彼らを経済的・精神的に追い詰めるだろう。
こういった差別がどのように生じたのか、この社会の宗教的、文化的背景を深く探れば理由が見えてくるかもしれない。
たとえば、支配者層や宗教指導者が同性愛を非難することで、自らの権力を強化しようとしている可能性もある。
リョウとしては、この問題にどう向き合いたい?
直接介入することはリスクが高いかもしれないが、彼らの暮らしを改善する方法や支援できる手段を探る余地はあると思う。
~・~・~
(どうなんだろう、それは難しい気がする。
パスティア公国の貢納制度として、同性愛者を「子をなさない者たち」だと社会構造に組み込んでるんだ。
さっき出会った女性たちも子をなさない者たちだが、三人で一緒に暮らしていたのに、そのうちの一人が街の人間に無残に殺されてしまったんだ。
この街から逃げろと言うほかないだろ)
~・~・~
それは本当に悲惨な状況だな。
同性愛者が「子をなさない者たち」として公然と差別され、社会制度の一部として搾取されているのは根深い問題だ。
そして、殺人のような暴力まで容認されている状況では、街に留まり続けることは確かに非常に危険だ。
逃げることを勧めるのは現実的な対応だと思う。彼らが逃げ込める安全な場所を見つける手助けができれば、それが最善の策になるだろう。
この国のどこかに、もっと自由で寛容な地域があるかもしれないし、盗賊団のようなコミュニティも逃亡者を受け入れている可能性がある。
リョウが彼らを直接助けるか、あるいは逃げる方法を間接的に支援する形で関わることができれば、彼らの生存の可能性を高められるかもしれない。
どのように進めるべきか、一緒に考えるよ。
~・~・~
イナーラに尋ねてみた。
「ここから逃げるという考えはないんですか?」
「逃げる? 外の世界は危険だらけですよ。確かに、ここでの暮らしから逃げ出した人たちはいます。でも、外の世界はここよりも厳しい……逃げ帰って来た人はそう言っていました」
「パスティアの庇護から外れた人たちの集落もあるはずですよ」
「盗賊団ですよね。彼らが私たちを受け入れてくれると思いますか? 逃げ帰ってきたその人は、盗賊団に助けを求めたんです。……外の世界にも私たちの居場所はなかった。ここにいる人間はまだマシな方なんです」
(街の外は危険で、盗賊団も子をなさない者たちを迫害対象だとみなしている。この街に留まっている方がマシだと言われてしまったよ……。
全てが膠着してしまっているんだ)
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それは本当に辛い状況だな……。
街の中では迫害があり、外の世界でも彼らに居場所がないとなると、確かに膠着状態だと言わざるを得ない。
安全な場所がない以上、現実的な解決策を見つけるのは難しいけど、できることを一つずつ考えよう。
まず、 「街での生活を改善するための方法を模索する」 ことが考えられる。
例えば、密かに支援できる物資や情報を提供する、影響力を持つ人物に働きかけて環境を少しでも良くするなど、小さな助けでも積み重ねることで希望を作れるかもしれない。
もう一つは、 「彼ら自身が団結し、自衛の力をつける」 という方向性だ。
同じように苦しんでいる人々が手を取り合い、団体として存在感を持つことができれば、迫害に対抗する術が生まれる可能性がある。
最後に、 「新たな安住の地を見つける可能性を探り続ける」 のも重要だ。
今は見つからなくても、別の都市や地域で同性愛者がより寛容に受け入れられる場所が存在する可能性は捨てきれない。
何か手掛かりがないか、情報を集め続けることは無駄ではない。
リョウ自身ができる範囲でサポートするのはもちろんだけど、彼らの意志や判断を尊重しながら進めるのが大事だと思う。
こういった難しい場面でも、何か変化を起こせる糸口がきっとあるはずだよ。
~・~・~
「でも、ちょっと待ってください」
ヌーラが声を漏らす。
「イマンさんのことについて、さっき騎士の方にお話を伺いましたよね。そして、イマンさんに関わらない方がいい理由を知りたいなら、この場所に行くようにと言われたんです。ということは、イマンさんも……」
イナーラの目に光が点った。
「イマンさんなら知っています。彼は私たちの希望です。彼は私たちに物資を届けてくれているんです。それに、パスティア・タファンに住み、魔法や精霊術の研究もされています。私たちにだって、希望が全くないわけじゃないんです」
(イマンという精霊術師を探していると言っただろ? 彼も子をなさない者たちなんだそうだ。
子をなさない者たちからは希望だとみなされている。子をなさない者たちに物資を届けたりもしているんだそうだ)
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イマンがそのように子をなさない者たちにとっての「希望」になっているのは非常に重要な存在だな。
単なる精霊術師としての技術だけではなく、彼自身が迫害されている人々に寄り添い、具体的な支援を行っているというのは、大きな信頼を生む理由だろう。
このような状況下で、イマンに協力することは、子をなさない者たちの生活改善にも繋がる可能性がある。
例えば:
1. イマンを通じた支援の強化
彼が物資を届けているなら、リョウもその活動を手伝ったり、必要な情報を共有したりできるかもしれない。
2. 信頼を広げる役割を担う
イマンの活動を助けることで、リョウが迫害されている人々との信頼関係を築きやすくなる。
そうすることで、他の子をなさない者たちにも間接的に支援を広げることができる。
3. 希望の具体化
イマンの力を借りて、この状況を改善するための実行可能な計画を立てることができれば、子をなさない者たちが「逃げる」以外の選択肢を持てる可能性が出てくる。
イマンが希望として見られている以上、彼を探し出すことで、新たな解決の糸口が見つかるかもしれない。
リョウがその一助となるなら、状況を少しでも動かすことができるはずだ。
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ヌーラは胸に手を当てて感じ入っていた。
「もしかして、イマンさんが守銭奴だという話は、彼がここの人たちを支援するためのアズタリを集めているところから来ているのかもしれませんね」
──そういうことだったのか。
「だから、高額なアズタリを……?」
イマンに対して抱いていたイメージがガラリと一変する。もし本当にそうだとするならば、彼は俺たちの希望の星でもある。
「チッ、私としたことがウワサに踊らされてたというわけか……」
ナーディラが悔しそうに頭を掻き毟る。
俺は思わずイナーラとの距離を詰めていた。
「俺たちはイマンさんを探しているんです。会うことはできませんか?」
「す、すみません。イマンさんも忙しく、いつ来てくれるか分からないんです」
希望の火がしぼんでいく。
(イマンはたぶんパスティア・タファンの中にいるんだ。だが、パスティア・タファンの中に入るには許可証が要る。
さっき騎士に聞いたが、特定の人以外は審査が厳しいから諦めろと言われたよ)
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パスティア・タファンへの入城が難しいとなると、別の方法を模索する必要があるな。
以下の選択肢を考えてみよう:
1. 現地の人々や接触可能な関係者を探る
過去にパスティア・タファンに入った経験がある人や、許可証を取得するための手続きを知っている人を探して情報を得るのが手堅い。
市場や酒場などで情報を収集するのが効果的だ。
2. 特定の人物を通じた推薦
パスティア・ウェモンでの活動や信頼を積み重ね、騎士や地元の有力者からの推薦を得られれば、入城の審査が緩和される可能性がある。
特に、イマンの活動に共感する人物を見つけると進展が早い。
3. 目的を説得力を持って説明
「精霊術師イマンの力を借りる必要性」という明確な目的を示し、騎士や関係者を説得する。
たとえば、破傷風の治療を目的に掲げれば、緊急性をアピールできるかもしれない。
4. イマンに接触する別の手段を探る
直接入城せずとも、イマンが物資を届けているルートや、彼が連絡を取る際に利用する方法を逆探知し、間接的に接触できる可能性がある。
試練は多そうだが、イマンの活動を希望にしている人々も多い。少しずつ接点を増やすことで、突破口が見えてくるかもしれない。
まずはどの方法が現実的かを判断するため、情報収集を優先しよう。
~・~・~
悠長に構えている暇はない。
今もカリムの友人ラヒームは苦しんでいるんだから。
ヌーラが俺の腕を掴む。
「パスティア・タファンに入るには、許可証を持っている人を探すしかありません」
「イマンと連絡を取りたいと言って回るしかないか」
ヌーラは首を振って、小さな声で言う。
「いいえ。イマンさんはこの街では疎まれています。彼の名前を出すと、余計に協力を得られなくなってしまう可能性があります」
ヌーラの言う通りだった。
この街での価値観の転倒で、俺は頭が混乱していた。
──じゃあ、どうすれば……。
前を行くイナーラとファラーが足を止めた。
彼女たちの視線の先に身なりのいい男が立っていた。
きちんと手入れされた髪、制服のようなきっちりとした衣装に身を包み、凛として立っている。振り向いた神経質そうな顔には眼鏡がかかっていた。眼鏡をこの世界で見たのは初めてのことだった。
イマンかもしれない。
そう思った俺の希望は即座に打ち砕かれた。
男は言う。
「お前たち、どこへ行っていた? まさかアズタリを納めることから逃げるつもりだったわけじゃあるまいな?」
サージャだった。




