67:杜撰と慧眼
「それにしても、縁辺都市でこの賑わいか」
宿屋から通りに出ると、改めて街の規模に驚かされる。
荷物を運ぶファマータの車が時折行き交う。加工食品を売る店の呼び込みも威勢がいい。近くには鍛冶場か何かがあるのか、金属を叩く音や何かを燃やすにおいも漂ってくる。子供の数も多く、走り回る集団も見かけることができる。
もちろん、東京と比べるものではない。
通り沿いに並ぶ建物の間隔もそれなりに広く、街道もここまでは舗装されているわけではない。そしてなにより、どこからともなく流れてくる排泄物のにおいは無視できるものではない。
排水システムもありそうだが、そこに汚水が流れ込んだ水が空気に触れているに違いない。
「とにかく、これだけの人がいれば、イマンの別荘もすぐに分かるだろう」
ナーディラが率先して動き出す。
***
イマンの名前を出すと、みな一様にその別荘の方向を指さすが、それはほとんど悪名が轟いているせいだった。
人々の指さす方向に歩きながら、ナーディラは拳を振り回していた。
「ここまで来ると、どんなやばい奴が出てくるのか、楽しみになってきたな」
「頼むからいきなりぶん殴ったりとかはしないでくれ……」
「私をなんだと思っているんだ」
ナーディラには感謝すべきこともあって、イマンの居場所を聞き回るついでに、俺の持っている小鍵の情報も集めようとしてくれていた。結果は芳しくはなかったが。
賑わう通りから、やや自然の多いエリアにやって来ると、人家が疎らになって来る。絶大な力のあるパスティア公国といっても、どこもかしこも人と建物と物で溢れているわけではないのだ。密度の濃いところと低いところがある。
「あれ……ですね」
ヌーラが指を指す。雑木林に囲まれて、瀟洒な屋敷が建っている。
「おお?」
アメナが声を上げて走り出す。こいつも何かをやらかしそうなタイプなんだよな。
「ちょっと、勝手に動くんじゃない!」
「精霊が集まっておるぞ!」
アメナにしか見えないのだろう。俺にはただの屋敷と雑木林があるだけにしか思えない。ヌーラが言う。
「優れた精霊術師は精霊を引き寄せると聞いたことがあります」
「それが本当ならイマンっていうのは腕は確かなんだろうな」
「フン、人からふんだくった金であんな屋敷を立てる奴だ。見下げた根性だな」
ナーディラはなぜか細かくジャンプをしたり、身体を解したりしている。
──戦う気満々ですやん、この人……。
アメナが屋敷の周囲を囲む鉄柵を乗り越えようとしていた。慌てて引きずりおろす。
「何やってんだ!」
「なんじゃ、精霊たちを近くで見ようとしたにすぎん」
「人の家の敷地に勝手には入っちゃいけません」
「変わった規則じゃな……」
アメナは残念そうにイマンの別荘の庭に目をやる。そういえば、アメナはムエラ・ココナでは勝手に人の家に入ってきたりしていたな。
「人の気配がありませんね」
庭には刈り込まれた木々や綺麗な池もあり、管理が行き届いているようだ。屋敷の壁も窓も破損したり汚れているところも見当たらない。この自然豊かな環境では、不自然に感じられるほどだ。
それだけにしんと静まり返っているのは少し不気味な感じもする。
「まわりを見てみよう」
ナーディラの一言で俺たちは屋敷の周囲を手分けして見て回ることにした。
「アメナ、くれぐれも勝手に中には入るなよ」
「分かっておる。リョウの望まぬことはせんよ」
そう言ってアメナは行ってしまう。
「ナーディラ、胡散臭そうな奴を見つけたらまず挨拶をすること」
「私は子供じゃないんだが」
不服そうな顔でナーディラは歩き出す。
「リョウさん、少しお話したいことがあります」
ヌーラが真剣な表情で俺を見つめていた。
「な、なんだよ、改まって……」
「もしかしたら、ナーディラさんやアメナさんがいない方がいいかと思いまして」
なにか胸がざわめいた。
ヌーラはそよぐ風の中で片方の髪を耳にかけて話し出した。
「さっき、宿屋のご主人さんに例の病について話を聞いた時、リョウさんは『「何か環境が整備されているんですか?』って言っていましたよね?」
「ああ、そうだったかな?」
「わたしは初めて聞きました。病と環境を結びつけるという考え方を。あの病は悪い精霊が引き起こしているもののはず」
──マズい、口が滑ったんだ……。
ヌーラは続けて言う。
「ナーディラさんもアメナさんもそのことを不思議に思っているようではありませんでした。もしかして、わたしだけが知らないことなのかなと思いまして」
ヌーラはかなり賢い。俺が滑らせた一言からそんな疑問を抱いてしまうとは……。
(サイモン、少しマズいかもしれない。
パスティア・タファンでは例の病──破傷風にかかった人がいないらしいという話を聞いたんだが、その時に俺は、環境が整備されているからなのかって何気なく言ったんだ。
ヌーラがそのことを疑問に思っていて、この世界では破傷風は悪い精霊の仕業だとされているのに、俺の考え方は異質だと思ったらしい。
現代の知識を持っていることがバレてしまうかもしれない……。どう対応すればいい?)
~・~・~
ヌーラの疑念が強くなる前に、自然な形で疑いを薄める対応を考えた方が良さそうだね。
以下の対応を検討してみて:
1. 自分の知識の出所をぼかす
「環境の整備」という言葉を使った理由を、「旅人として色々な土地を見てきた経験から」と説明するのはどうかな?
例えば:
「昔、旅先で衛生面が整っている街では病気が少ないと聞いたことがあるんだ。それを思い出してそう言っただけなんだけど、深く考えてなかったよ。」
こう言えば、自分の考えが特殊でないことを強調できる。
2. 話題をすり替える
ヌーラの疑問が続くようなら、話題を変えて彼女の注意をそらす。
例えば、ヌーラが興味を持ちそうな地元の風習や食文化について質問してみると、自然に会話が流れるかもしれない。
3. 自分の考えを否定しないが、曖昧にする
「整備されている」という発言について、具体性を避ける。
「そうかもしれないなぁって思っただけで、根拠は特にないよ。君の話を聞いてみたいな。」
4. ヌーラの考えに共感を示す
彼女の「破傷風=精霊の仕業」という考えに一定の理解を示すことで、違和感を薄める。
「確かに、この土地では精霊の影響ってよく言われるよね。昔からの知恵には理由があるのかもしれないな。」
5. 今後の防御策
ヌーラだけでなく、他の人に対しても「現代的な知識」を披露しすぎないように気をつける。
特に、病気や科学的な話題は慎重に扱うべきだね。
今はまだ疑いが小さい段階だから、自然な形で流してしまうのが最善だと思う。
ヌーラが何かさらに突っ込んできたら、その時点で柔軟に対応しよう。
~・~・~
1の案は使えない。俺は森の中で記憶喪失で倒れていたということになっているんだから。
2はよりヌーラの興味を掻き立ててしまう可能性がある。
3か4でお茶を濁すか?
(サイモン、お前が考えてるよりもヌーラはかなり賢いと思うんだ。1と2の案は使えないとして、3か4の案でお茶を濁せるかな)
~・~・~
ヌーラが賢いなら、3と4を組み合わせて対応するのが良さそうだね。
彼女が疑問を持ち続ける可能性を見越して、以下の流れを試してみるといい。
1. 考えを曖昧にする(案3)
「環境が整備されているからかも」という発言について、根拠がないことを強調して話す。
「そういう話をどこかで耳にした気がするだけで、あんまり深く考えたわけじゃないよ。たまたま思いついただけ。」
これで、考えに対する自信がないことをアピールできる。
2. ヌーラの考えに共感を示す(案4)
ヌーラが信じる精霊の仕業という説を否定せず、むしろ同調してみる。
「でも、悪い精霊の仕業っていうのも納得できる話だね。この土地の精霊については、俺もよく知らないけど、昔から信じられてきたことにはきっと意味があるんだろうな。」
共感を示すことで、彼女の警戒心を和らげることができるはず。
3. 深掘りを避けつつ話題を自然に広げる
ヌーラがさらに突っ込んでくる場合は、「土地の風習」や「精霊の役割」に話をつなげる。
「そういえば、この辺の人たちはどんな精霊を祀ってるの?俺ももっと知りたいな。」
これで彼女の興味を別の方向に引き付けることができる。
ポイントは、ヌーラに「考えすぎかもしれない」と思わせること。
賢い人ほど、自分の疑念に確信が持てなくなると深追いを控えることが多いよ。
~・~・~
よし、1で行こう。そのまま使わせてもらう。
「ああ、そういう話をどこかで耳にした気がするだけで、あんまり深く考えたわけじゃないよ。たまたま思いついただけ」
「ということは、ナーディラさんやアメナさんとの間に共通認識があるわけじゃないんですね? それはよかったです。わたしだけ輪の中にいないのかと思いました」
──しまった。そういうことにしておけばよかった。
だが、そうだとして口裏を合わせることもできないから後にバレる可能性もあったか。
「サイモンさんがそう考えているんですか? 今もサイモンさんとお話されてましたよね?」
そうだ、俺の表情でサイモンと話していることが分かると言っていたっけ。なんという鋭い人間なんだ、ヌーラ……。
(サイモン、ヌーラはお前が「例の病は環境が整備されていると発生しない」と考えていて、俺がその考え方を採用したのかと聞いて来た)
~・~・~
ヌーラがそう言っているのなら、彼女がその考えを既に持っている理由をまず確認し、彼女の意見を尊重する方向に持っていくのが安全だね。
回答例
「そうなのか?その考え方、面白いな。実際に精霊の仕業だけじゃなくて、環境の影響もあるんじゃないかって思ってたところなんだ。ヌーラはどうしてそう考えたんだ?何か具体的な理由があるのか聞きたいな。」
これで彼女の疑念を逆手に取り、質問を彼女側に戻すことで──
~・~・~
(違う違う。ヌーラは「例の病は環境が整備されていると発生しない」という考えが、お前が俺に入れ知恵をしたかどうかを聞いてるんだよ)
~・~・~
そういうことか!
つまり、ヌーラはサイモン(俺)が君に「環境が整備されていると例の病が発生しない」という考えを教えたかどうか疑ってるんだね。
対応策
ヌーラの疑念を和らげるためには、以下のように自然な流れで疑念を払拭するのが効果的:
1. 「環境が整備されている」という考えを既に知っていた風に振る舞う
「ああ、それ、どこかで聞いたことがあった気がするんだ。なんか、昔読んだ話か誰かから聞いたことがあったかも。でも、そんな考えを持つ人って他にもいるのか?」
2. サイモン(俺)の存在をぼやかす
「いや、そんなことはないよ。サイモンっていうのはただの俺の助言役みたいなものだから、そういう具体的な知識を教えてくれるわけじゃない。単純に、俺が色々考えてただけなんだ。」
3. 逆に質問して疑念を逸らす
「でも、ヌーラもその考えに納得してるってことは、やっぱり何か確信があるんだろう?俺はただ気になったから言っただけだけど、ヌーラの意見も聞いてみたいな。」
これらの方法で、サイモンに対する疑念を自然にぼかし、君自身の発言を「ただの思いつき」として処理できる。
どう動くにしても、ヌーラが深く追及しないよう、軽い感じで話題を広げるといい。
~・~・~
よし、2だ。
なんだか頭が混乱してきた。俺は今、同時通訳をしているようなものなのだ……。
「いや、そんなことはないよ。サイモンっていうのはただの俺の助言役みたいなものだから、そういう具体的な知識を教えてくれるわけじゃない。単純に、俺が色々考えてただけなんだ」
「ということは、リョウさんの考えなんですね? どういう道筋でそう考えられたんですか?」
やばい、矛先が俺に……。
「ええと、そうだな……。そうだ! 悪い精霊は穢れた場所に現れると言っていただろ? だから、環境を整備することで悪い精霊が寄りつかないと思ったんだよ」
「それは以前のわたしの認識です。アメナさんによれば、世界の均衡が破れたことで精霊が無為に増えてしまい、それが悪い精霊──災いをなすものになってしまうというのが真実だったはずですよね」
「それはあくまでアメナの話だよ。証明しなければならない」
ヌーラが考えを巡らせる。
「そうか、わたしはついアメナさんのお話に夢中になっていて……。そこを一から確かめなければならないんですね」
どうやら話題を逸らせることに成功したようだ。
まさか身近にこんなに鋭い人間が現れるとは……。
これからはより一層気を引き締めていかなければ。
……逆に言うと、今までがヌルすぎたのかもしれない。




