65:ざわめきに触れる
街道脇のファマータのところへ戻り、準備を整えると、俺たちは早速出発した。
街道に沿ってしばらく進むと、道標が立っているのが見えてくる。
「『ここから、パスティア……』だと! もっと手前に置いてけ!」
御者台のナーディラが吠える。道標は朽ちていて、文字が途中で消えている。
それから長時間、街道を走るが、人家のひとつも出てこない。延々と草原や森が続く。
(パスティアってめちゃくちゃデカいかも。「ここからパスティア」っていう道標からかなり進んでるのに民家も畑も見当たらないんだ。
よく考えたら、ムエラ・ココナからファマータの車で三日くらい走って来たんだけど、そこからさらにファマータで三日くらい離れたウドゲの街の辺りの交易路も確かパスティアの管理下にあるとか言ってた気がする。
……ファマータのことって教えてたっけ?)
~・~・~
ファマータについては、以前の会話で触れていなかったと思う。
パスティア公国の広大さに驚いているところを見ると、この地域がどれだけ影響力を持っているかが分かるよな。
車で三日かかるほどの距離でさえ、パスティアの管理下にある可能性があるのなら、その支配力や治安管理が相当しっかりしている証拠かもしれない。
これだけの領土を持つなら、統治や交易ルートの整備もよく考えられているのかもしれないな。
~・~・~
(ファマータっていうのは、まあ、この世界でいう馬みたいなもんだな。だから、車って言っても、地球でいう馬車みたいなものだよ)
~・~・~
なるほど、ファマータはこの世界でいう馬のような存在なんだな。だから「車」といっても、地球でいう馬車に近いものとしてイメージされているわけだね。
これなら、馬や馬車が移動手段として役立っていることを考えると、どこかの広い国や公国がこのような広範囲を管理できているのも、交通手段の工夫が背景にあるのかもしれない。
~・~・~
(この世界は中世くらいの文化レベルだろ? その頃の都市の構造ってどんな感じなんだ?
この世界だと、基本的には街の周囲を防壁が囲んでて、畑とかは防壁の外側にあるんだ)
~・~・~
そうだね、中世の都市はこの世界の街に似た構造を持っている場合が多かった。
具体的には以下のような特徴があるよ:
1. 防壁:
中世の都市では、防壁が街を囲むのが一般的だった。
これは敵の侵入を防ぎ、都市を防衛するためのもので、特に農業地帯や資源が豊富な都市は念入りに守られていた。
防壁の外側に広がる田畑も重要だったが、いざという時には防壁の内側に農作物を取り込むことができるように工夫されることもあった。
2. 畑の配置:
農地は通常、防壁の外側に配置された。
中世の都市では、農業が生活の中心であり、都市部の人々は近隣の農地から食料を得ていた。
これにより都市内部のスペースを節約し、防壁内には住居や商業エリアを配置することができたんだ。
3. 都市の内部構造:
内部は、生活のための住宅や商店、広場、宗教施設などで構成され、これらの中心には広場があったことが多い。
広場は市民が集まり、取引や重要な行事を行う場だった。
教会や寺院がその近くに立てられることも多く、街の象徴的な場所になっていたよ。
4. 水の供給とインフラ:
都市の中心には井戸や水路が整備されていた。
これは街が長期間にわたって自給自足できるようにするための重要な要素だった。
また、都市が大きくなるにつれ、排水溝なども必要になり、都市内の衛生環境を保つための努力が見られるようになった。
このような構造の目的は、都市が防御しやすく、かつ効率的に運営できるようにするためだった。
この世界の街がその形態に似ているのは、都市構造の進化が地球の中世と同様に、防衛と食料供給のバランスを取る必要があるからだと思われるよ。
~・~・~
(水の供給とかインフラはちょっと特殊かも。魔法で水が生み出せるからかもしれないな。
汚水なんかは家の裏手とか近くの地面に穴を掘って埋めたりとかしてたな。発展した都市はまだほとんどちゃんと見たことはないけどな。
農地の外側は領地外って認識なのか?)
~・~・~
なるほど、魔法による水の供給があるとしたら、中世ヨーロッパのような井戸や水路に頼る都市とは違う面もあるのかもね。
衛生環境も、水が容易に手に入ることで少し改善されている可能性があるな。
それと、汚水の処理に関しても、地面に穴を掘って埋めるというやり方は、簡易的ながらも現実的な方法だ。
発展した都市なら、もっと組織的な排水システムがあるかもしれないね。
農地の外側が領地外と認識されているかどうかは、都市や国の管理体制によるだろう。
一般的には、農地とその周囲が都市の領域に含まれることが多いが、外側に広がる森や荒野は、都市の統制からは外れていることが多い。
それが理由で盗賊や放浪者が集まりやすい場所になり、都市と都市外の社会的な隔たりを生んでいるんだ。
パスティア公国のように発展している地域は、都市近郊の防衛や領地管理にも注意を払っている可能性があるな。
~・~・~
俺の向かい側でヌーラがフフ、と笑いを漏らした。
「どうしたんだ?」
「いえ、リョウさんってサイモンさんと話している時にすごく安心したような顔をするんです。だから、それが嬉しくて」
「そんな顔してたか?」
「はい」
俺の隣では、アメナが俺の肩口をじっと見つめている。そんな背後霊を見るみたいに……。
「サイモンはアメナが見た中でも異質な存在じゃな。アメナだって精霊と話をしたことはないぞ」
「今は何を話していたんですか?」
「ああ、パスティア公国のことをちょっとね。あまりにも大きな国だろ」
ヌーラが荷台の幌の隙間から外の景色を眺める。
「確かに、この大地全てがパスティア公国のものなんですよね、きっと」
「ムエラ・ココナの近くの街道をパスティア公国の者が整備しておるのを何度か見たことがあるぞ」
(街道の整備って国が主導してるイメージあるな。なんだっけ、ローマ帝国にも有名な街道があったよな?)
~・~・~
そうだね、ローマ帝国は街道整備で非常に有名だった。
「アッピア街道」が特に有名で、紀元前312年に建設が始まり、ローマから南イタリアのブルンディシウム(現在のブリンディジ)まで延びていた。
この街道は軍隊の移動や交易、通信を支えるために非常に重要だった。
ローマ帝国全体に広がる街道網も「ローマ街道網」として知られていて、各地をつなぎ、帝国の広大な領土を効率的に統治する役割を果たしていた。
ローマ街道は石畳で舗装され、標識や休憩所も整備されていたため、交通の利便性が非常に高かったんだ。
ローマの街道は、後のヨーロッパのインフラ整備にも影響を与え、現代の道路システムの基礎ともなったよ。
街道の整備を国が主導するのは、交易や軍事、税の徴収を円滑にするためでもあるから、パスティア公国のような発展した国なら、同様に街道網の管理を重視している可能性があるね。
~・~・~
(パスティアの貢納制度も街道によって維持されてるってわけか)
~・~・~
その通りだね。
街道が整備されることで、貢納制度の実行がしやすくなり、各地からの物資や税金が首都や主要都市に円滑に運ばれる。
これにより、パスティア公国は広大な領土を維持し、貢納制度の管理を容易にしているんだろう。
街道は、兵力の移動や税の徴収にも重要で、各領地からの収穫物や資源が街道を通じて確実に運ばれることで、国全体の経済が安定する。
貢納制度は、直接的な貨幣の代わりに農作物や特産品などを収めさせることで、地域の負担もある程度分散させている可能性がある。
ただし、それでも多くの農民にとっては重い負担であり、逃げ出して盗賊になる者もいるのは自然な流れだろう。
この点では、街道網の存在が同時に反乱や逃亡を抑えるための「管理手段」としても機能しているかもしれないね。
~・~・~
「おい、畑が見えてきたぞ」
御者台でナーディラが叫ぶ。
行く手にはジャメ畑が広がっていて、小さなボロ小屋の影も見える。俺が初めて辿り着いたサレアの街の外にもこんな景色が広がっていたな。
街道沿いには、石を積み上げただけの低い石垣が連なり始めた。縁辺都市に近づいているのだ。
しばらくファマータを走らせていると、街道沿いに立派な石造りの建物が姿を現した。建物の脇にはファマータを休ませる場所が併設されている。
確かファムベフスとか呼ばれていた。いわゆる厩舎というやつだ。
建物の屋上からは、深紅の旗が風になびいているのが見える。建物の前には、鎧を身に纏った者たちの姿も見える。騎士だ。
騎士のひとりがこちらに手を振る。ナーディラはファマータを停めて、御者台から身を乗り出した。
「ここはパスティアか?」
「パスティア・ウェモンだ。お前たちは何者だ?」
騎士の顔が警戒を示している。まわりの騎士たちも緩やかに集まって来ていた。好奇の目なのか、疑いの目なのか、荷台の中の俺たちのことも遠慮なくジロジロと眺めている。
「実は、知り合いが病に倒れた。それで、病を治せるイマンという精霊術師を探しているんだ」
いつも思うが、ナーディラは折衝役としてかなり優秀だ。物怖じしないし、うまい具合に方便を交えて俺たちの立場を伝えてくれる。ただの戦闘狂というわけじゃないのだ。
騎士たちが微妙な表情を見せた。
「イマンか……」
「知っているのか?」
「あまり関わらない方がいい」
「なぜだ? 精霊術師なんだろう?」
「薄気味の悪い奴だ」
俺たちは顔を見合わせた。カリムから聞いていた話から想像していた姿とはイメージが離れていた。
「それでも、話を聞きたい」
「止めはせん。イマンはパスティア・ウェモンとパスティア・タファンの境あたりに別荘を構えていたはずだぞ」
俺はヌーラに尋ねた。
「タファンって、太陽のことだよな?」
「“物事の真ん中”という意味もあります」
パスティアの中央ということか。
(この世界の言葉では「タファン」っていうのが「太陽」って意味なんだが、同時に「物事の真ん中」という意味も持つらしい。なんか地動説を感じるな)
~・~・~
面白いね。
「タファン」が「太陽」と「物事の真ん中」の両方の意味を持つことは、確かに地動説的な発想がこの世界に根付いている可能性を示しているかもしれない。
地球では、地動説はコペルニクスやガリレオなどによって推進され、太陽が宇宙の中心ではないが、少なくとも地球が中心ではないとする発想だったね。
「タファン」が持つ二重の意味が、この世界での天文学や宇宙観にどう反映されているか、またはどんな宗教や神話と関わっているかも興味深いポイントだ。
この「中心」という概念が、文化的な背景から来ているのか、それとも観察に基づいているのか、調べる価値がありそうだな。
~・~・~
(中世のアラブ世界では、太陽が世界の中心みたいな考え方ってあったのか?)
~・~・~
5 件のサイト を検索しました
中世のアラブ世界では、地動説の考え方は主流ではなく、むしろ「天動説」が受け入れられていました。
太陽や惑星が地球を中心に回っているというプトレマイオスのモデルに基づき、多くのイスラム天文学者が研究を進めました。
しかし、13世紀の「マラガ学派」など一部の学者は、天動説の問題点を解決するために新しい理論や装置を考案しました。
たとえば、アル・トゥージやイプン・アル・シャーティルなどの天文学者が「トゥージの対」といった技術を開発し、プトレマイオスのモデルの修正に取り組みましたが、これらはあくまで地球中心の宇宙観に基づいていました。
一部の理論家が地動説に近い考え方を示唆するような数学的モデルを提案していた可能性もありますが、彼らの関心は主に観測精度の向上と数学的な整合性にあり、現代的な意味での「太陽が宇宙の中心」という概念はあまり議論されていなかったようです。
そのため、「タファン(太陽)」が「物事の真ん中」という意味も持つことが、地動説を直接的に反映しているかどうかは不明ですが、少なくとも天文学において数学的な工夫が進められていたことは確かです。
~・~・~
少なくとも、必ずしも中世のアラブ世界と全て合致しているわけではないのか。
「イマンは守銭奴というウワサだ。もし関わるにしても、あまり問題を起こすなよ。カビール第一大公公子の婚姻の儀が近いのだからな」
「なんだ、それは?」
「知らないのか、旅の者だな? パスティア公国の次期君主だぞ」
(サイモン、パスティアでは、次期君主のカビール第一大公公子というのが婚姻の儀を近いうちに挙げるらしい。また大変なタイミングで来ちゃったな)
~・~・~
なるほど、大公家の婚儀が近い時期とは、確かにタイミングが重要だね。
こういった特別な行事には、多くの人が訪れたり、国中が活気づくことが予想される。
それに加え、国の上層部や重要人物が集まる機会でもあるから、新たな情報や思わぬ出会いのチャンスが増えるかもしれない。
人々が多く集まる場所では、最新の知識や噂が飛び交うこともよくあるし、イマンのような人物に関する手がかりも得やすくなるだろう。
~・~・~
(俺が見てきたファンタジー作品でも、婚姻の儀って描かれるケースが多かった気がする。
なんでだろうな? 定番のテーマなのかな)
~・~・~
ファンタジー作品で「婚姻の儀」がよく描かれる理由には、物語の展開やテーマとして多くの要素を兼ね備えているからだと思う。
まず、婚姻の儀は通常、政治的な権力争いや同盟のために行われることが多く、物語の舞台が中世や封建的な社会に設定されていると、結婚が単なる愛の表現以上に、王国や領地の支配権を強固にするための手段として使われるんだ。
これは権力の継承、外交関係、陰謀など、さまざまなドラマを盛り上げる材料になるからだろうね。
また、婚礼は豪華な儀式や祭りとして描かれ、人々が集まり、普段は顔を合わせないキャラクターが一堂に会する場面が生まれる。
これにより新たな出会いや事件が生まれるだけでなく、主人公や仲間たちが新しい展開に巻き込まれやすくなる。
さらに、異なる文化や習わしの描写も含まれ、世界観を豊かにする要素としても機能している。
加えて、結婚式は喜びと不安が入り混じる「人生の転機」として扱われることが多く、登場人物の成長や人間関係の変化を描く上でも重要なシーンとなる。
ファンタジー作品では、こうした人生の大きな出来事がクエストや冒険の幕開け、あるいはクライマックスのきっかけとしても使いやすいんだ。
こうした要素が「定番のテーマ」として婚姻の儀を多くのファンタジー作品で描かれる理由になっているんだと思うよ。
~・~・~
──なんか、色々起こりそうだな……。




