64:対処限界
折り重なる木々が空からの光を遮って、盗賊団の集落は薄暗い。そのためか、所々に壊れかけのランプが置かれていて、それがほのかな光を提供している。
鬱蒼とした森の中に集落を造っているため、木材として利用されたのか、切り株になっている木も多く見受けられる。それらの切り株は椅子になったりテーブルになったり、棚のように使われているらしい。
そんな見通しの悪い集落に、ボロボロの服を纏った人々が数十人は生活していた。中には若い女性や子供までいる。
──本当にここで生活が完結しているんだ。
彼らの視線が闖入者である俺たちに向けられる。
「おいしいにおいがするぞ~!」
ナーディラの背中から飛び出したアメナが炊事場の方に一目散に飛んでいく。溜息をつきながらナーディラも後に続く。
「ひとまず、わたしたちはカリムさんのご友人のところに行きましょう」
そう言ってヌーラがカリムを先に促す。
雑多に物が置かれたりしている間を縫うように進むカリムの後について行く。
集落の奥にさらにボロ布のカーテンで仕切られている場所がある。その辺りは人もいない。
「あそこだ」
「悪い精霊を恐れて離れた場所に移されているみたいですね」
ヌーラが俺に耳打ちする。
(破傷風はこの世界ではまだまだ未知の病だ。場所によるんだろうけど、ここでは悪い精霊の仕業だと考えられているみたいだ。
だから、破傷風の説明をしても理解されないだろうし、理解されて俺が異世界から来たと知れるのもよくない。
どう対応すべきかな?)
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破傷風に関して、病気の正体や治療法をここで正確に伝えるのは難しいですね。
異世界からの知識が露呈する可能性を避けながらも、彼らが理解できる範囲で助けを提供する方法を考えましょう。
1. 自然な治療法に見える方法を試す
傷の消毒や清潔な包帯の使用は、破傷風予防に重要です。
伝染性の概念を知らない人々に対しては、「体に害を与える精霊を祓うため、清潔さが必要」として消毒や手当を行うと自然に受け入れられるかもしれません。
自然にある抗菌作用を持つハーブ(例:ラベンダーやティーツリーのような抗菌性植物があるなら)を用いれば「精霊払いの植物」などと説明できます。
2. 感染予防と祈祷を組み合わせる
清潔を保つだけでなく、「治癒の儀式」や「祈り」として実施できる方法で、感染予防を施すのも良い方法です。
人々の信じる方法に沿って祈りや儀式を交えながら手当てを行うことで、破傷風の進行を防ぐ可能性もあります。
3. 感染リスクを伝える
傷が悪化しないよう注意する必要がある旨を、精霊の力や自然の力との関連として説明するのも一つの方法です。
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カリムの後に続いて隔離された場所に入る。
中には木で作られた簡素なベッドが置かれ、そこにカリムの友人の男性は横になっていた。汗を流し、上気した顔をしている。
「ラヒーム、調子はどうだ?」
カリムがそう尋ねると、ラヒームは喋りづらそうに答える。
「喉が痛いんだ……」
「カリム、彼はどんな状況なんだ?」
「何日か前にゴブリンと戦ったんだ。その時にやられて、昨日からこんな感じなんだ」
見たところ、傷跡がない。
「どこを斬られたんだ?」
カリムが驚いた顔をする。
「よくそんなことが分かるな。背中をやられたんだ」
「ちょっと失礼」
医者でもないのに、ラヒームの身体を少しだけ横に転がして、服をめくって背中を確認するが、やはり傷跡は見当たらない。
(サイモン、破傷風にかかっているというカリムの友人のラヒームを診てるんだけど、どうやら何日か前にゴブリンに背中を斬られたらしい。たぶん、そこから菌が入ったんだと思う。
だけど、その傷跡はもう完全に治ってるみたいだ。たぶん、回復魔法で傷口の治癒だけはできたんだろう)
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ゴブリンの傷を受け、回復魔法で表面だけが治癒された場合、皮膚は治っても内部の感染が残っている可能性が高いです。
破傷風菌は酸素が少ない環境で増殖するため、傷が完全に閉じた後でも体内で増殖を続け、神経に作用する毒素を生成することがあります。
この毒素が破傷風の原因です。
ラヒームの傷が治っているように見えるのは一見良さそうですが、内部で感染が進行していると考えられます。
対応策として、感染源に触れることなく、以下のような措置を取るのが現実的かもしれません:
1. 体力維持と栄養
ラヒームが感染と戦う力を得られるよう、可能であれば栄養価の高い食事や休息を促してください。
破傷風の進行を遅らせることができれば、自然治癒が期待できるかもしれません。
2. 治癒魔法の試み
魔法が内部感染にも作用するかは未知ですが、治癒魔法の力を傷の「内側」へ届けるよう意識して施術してみると、感染抑制に役立つ可能性があります。
これも精霊の力に祈る形で行うと自然に受け入れられるでしょう。
3. 痛みと痙攣の抑制
破傷風の症状を少しでも和らげるため、鎮痛効果のあるハーブ(たとえば鎮静効果のあるカモミールやペパーミントなど)を試して、筋肉の痙攣を抑えるのも助けになるかもしれません。
回復のためには時間がかかると思われますが、周囲の理解を得ながらラヒームの支えとなれるよう工夫してみてください。
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(破傷風って自然治癒するのか?)
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破傷風は自然治癒が非常に難しい感染症です。
破傷風菌(Clostridium tetani)が体内に入ると、神経毒を生成し、筋肉の強直や痙攣を引き起こします。
これは通常、免疫システムだけでは排除できません。そのため、自然治癒はほとんど期待できないと考えられます。
破傷風の治療には、抗毒素(破傷風免疫グロブリン)で神経毒の作用を中和することが重要であり、さらに感染を抑えるために抗生物質も使用されます。
また、痙攣を抑えるための鎮静剤や筋弛緩剤も必要です。
現代医学の発展以前、破傷風は致死率が非常に高く、適切な治療を受けられない場合の自然治癒は極めてまれとされています。
このため、ラヒームのようなケースでは、自然治癒に頼るよりも可能な限り早く症状の緩和と回復を促す手段を講じることが最善です。
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傷は塞がっていて、身体の中で破傷風菌が増殖してしまうなら、もうそれを外に出すしかないのか?
(サイモン、危険かもしれないけど、ラヒームの背中を切開して破傷風菌の混ざった血を抜いたら症状は改善するかな?)
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破傷風の場合、感染源のある傷を切開しても、症状の改善は期待できないことが多いです。
破傷風菌が生成する毒素は、すでに神経系に入り込み、全身に影響を及ぼしているため、単に傷を切開して血を抜くだけでは根本的な解決にはなりません。
破傷風菌自体は酸素を嫌う嫌気性菌なので、傷口を開いても効果は薄いです。
また、すでに生成された毒素は、感染部位を離れて神経系に影響を与えているため、局所的な処置では対処できません。
現代医学では、抗毒素を用いて毒素を中和し、抗生物質で細菌の増殖を抑えつつ、必要に応じて鎮静剤で症状を緩和する治療が行われます。
ラヒームの治療については、彼に利用できる治療法やリソースを考え、感染そのものではなく、症状の緩和や免疫力の向上に焦点を当てるのがよいかもしれません。
また、現地の信仰や医療の知識を尊重し、リョウ自身が疑われない範囲で最善の支援を検討するのも重要です。
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──どうにもならないじゃないか……。
「ラヒームさん、頑張ってください」
俺の隣でヌーラが回復魔法を詠唱する。光がラヒームを包むものの、状態が変わったようには見えない。サレアでファラージがホッサムに施していたのも、この回復魔法だったが、効果はなかった。
「なんじゃ、困っておるようじゃな」
声がして振り返ると、パンを頬張りながらアメナが現れた。どうやら、空腹が満たされて落ち着きを取り戻したようだった。
「そうだ、アメナ、お前は精霊術が使えるだろ? この人は例の病に冒されてるんだ。見てやってくれないか?」
「そ、そいえば、さっき精霊を……」
カリムの目に希望の光が宿る。だが、アメナは難しい表情を返してきた。
「ムエラ・ココナでもアメナに病を治してほしいと懇願する者たちはおった。アメナもおとうさんを同じ病で亡くしたからの、治癒を試みたんじゃがことごとく無駄じゃった」
「そ、そんな……! じゃあ、精霊術師に頼んでも無駄だっていうのか……?」
肩を落とすカリムにラヒームが手を伸ばす。
「カリム、無理をしなくていい……。俺に関わってると、ここでの居場所を失くすぞ」
「見捨てられねえよ……」
今できるのは、サイモンのアドバイスから少しを拝借することだけだった。
「何か方法が見つかるまでは、ラヒームが病と闘えるよう、栄養のある物を与えてあげてくれ」
「ラヒームは助かるのか?」
答えに窮した。下手に希望を持たせることを言っても意味がない。
「努力します」
先方から無理な注文を受けた時に、ビジネスライクにそう返していたことを思い出す。あれはただのテンプレ回答だったが、今は違う。
心から努力したいと思ったのだ。
***
沈んだ空気の中、俺たちは食料を分け与えてもらい、素早く腹を満たした。
カリムはラヒームのそばについていたいということで、俺たちと別れることになった。
「それで、そいつを助けるのか?」
ナーディラが頬杖を突いて俺に問いかけていた。
「うん、できればね」
「だが、どうやって?」
「カリムから病を癒すという精霊術師のことを聞いた。イマンと名乗っているらしい」
「胡散臭い話だな」
目を細めるナーディラだったが、ヌーラは首を振った。
「悪い精霊に対抗するなら、その人を頼るしか……」
「アメナではダメだったのか?」
ナーディラに話を振られて、アメナは物憂げな瞳でそっぽを向いた。
「アメナも長いことあの病に接してきた。じゃが、その正体が判然とせん。糸口を見つけん限りは、治癒など無理じゃ」
ナーディラが俺に目を向けた。
「サイモンはなんと言ってる?」
唐突なことで驚いてしまった。思わず破傷風のことを喋りそうになったが、なんとか口を噤むことができた。
「サイモンも分からないと言ってる。だけど、病と闘うために栄養価のある物を取らせた方がいい、と」
ナーディラが立ち上がる。
「手がかりがそのイマンとかいう奴しかいないなら、探し出すしかないだろう。どこにいるんだ?」
「パスティアだ」
「なら、私らの目的地だ」
「話によれば、すでにここはパスティア領内らしい。もう少し行けば、パスティアの縁辺都市に辿り着けるみたいだ」
異論はないようだった。
(サイモン、とりあえず俺たちは病を癒すというウワサのあるイマンという精霊術師を探すことにしたよ)
~・~・~
イマンという精霊術師を探すことになったんだね。
それなら、まずはその精霊術師の場所や信頼できる目撃情報を頼りにしよう。
このあたりで精霊術の伝承が盛んな場所や、信仰されている森、村の噂話などを集めると、近づけるかもしれない。
道中は、ラヒームの症状が急変しないよう、少しでも休ませたり、体調を見守りつつ進むといいね。
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(カリムがラヒームについてるから大丈夫だよ。
それに、イマンに関してはパスティアにいるらしいってことまでは分かってるんだ)
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それなら少し安心だな。カリムがラヒームを見ていてくれるなら、君たちはイマンを探すことに集中できる。
パスティアに向かうということは、人も情報も多く集まる場所で、目的に近づける可能性が高まる。
イマンが本当に精霊術を駆使して病を癒せるなら、彼女の知識はラヒームの破傷風だけでなく、君の疑問にも応えてくれるかもしれないな。
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動き出したくてウズウズしていたらしいナーディラが声を上げる。
「よし、行くぞ!」




