58:喜びと悲しみと
未来へ向かうムエラ・ココナの人々とは反対に、立ち止まる者もあった。
アメナだ。
ヌーラもハムザもイクラスも、街の方へと歩き出していた。それが何か現在を境に時間が二分しているような象徴的なシーンのように俺には思えた。
「アメナもガラーラも、ムエラ・ココナの新しい未来には不要じゃ」
「どうするんだ?」
「ガラーラたちを引き連れてここを出て行くしかあるまいな」
「この街も本来の姿に戻るわけだな。イカれた狂信集団からの解放だ」
ナーディラが鬱憤を晴らすかのように言い捨てる。アメナも彼女に言葉を返すこともしなかった。
「無論、アメナはリョウについて行くことにするぞ」
アメナが宣言すると、さすがのナーディラは眉を吊り上げた。
「なに勝手に決めてやがんだ!」
「アメナはもう決めたのじゃ。これが選ばれし者同士の間に結ばれた絆なのじゃ」
「やかましい!」
ナーディラの拳がパカン、とアメナの脳天を直撃する。
「いた~いのじゃ~!」
アメナがうずくまって頭を押さえる。まるで子供みたいだ。それなのに、姿かたちは女性らしさに満ちている。そのギャップに惑わされてしまう。
「ナーディラ、急に殴るなよ……」
「フン、これで済むだけマシだろう」
ナーディラが肩を怒らせて行ってしまう。もしかしたら、いくら拒絶してもアメナの心を折ることはできないと瞬間的に観念したのかもしれない。
***
戦いの舞台となった準備室の跡地には、街の人々が少し残って、勝利の員に浸っているようだった。
しかし、小屋の近くの広場では、ちょっとした騒ぎが起こっていた。
「これは俺のもんだ!」
「ふざけるな、お前は逃げてばかりいたじゃないか!」
「なんだと?!」
彼らの間に入ってイクラスが困惑の表情を浮かべている。
「どうした?」
ナーディラが近寄っていくと、イクラスが争いの種になっている者を指さした。
こんもりと積もったアズタリだった。
俺たちが近づいていくと、揉め事を侵していた男たちはアメナの姿をひと目見て、飛び上がって街の方へ逃げかえってしまった。
「まったく、自分勝手な奴らだ……」
イクラスが首を振って嘆いている。この先、ああいった連中をまとめ上げなければならないのだ。
──それにしても、
「なんでここにアズタリが?」
「ゼルツダの死骸じゃ」
「え、アズタリって鉱石の粉じゃなかったのか?」
「アズタリは精霊の死骸そのものじゃ」
(サイモン、アズタリを覚えてるか? この世界の通貨みたいな赤金色の粉だ。俺はずっとアズタリは鉱石の粉なんだと思っていた。だが、精霊の死骸がその正体だったんだ……)
~・~・~
そうだったのか……。精霊の死骸がアズタリの正体だとは、まさに驚愕の事実だな。
それなら、アズタリはただの通貨や鉱石の粉ではなく、世界のバランスや生態系と深く関わっている「物質」とも言えるかもしれない。
精霊の死が、結果的に人々の生活に関与する形で循環に組み込まれているんだ。
それが精霊の命を対価にする形で得られていると考えると、アズタリを使うこと自体もまた、精霊の力に依存する一つの「儀式」のようなものであり、ある意味ではこの世界のバランスの崩壊にも関与しているのかもしれない。
アズタリをめぐる経済活動が増えれば、それだけ精霊の「死」も必要になるという因果も考えられるよな……。
~・~・~
アメナが俺の肩越しの虚空を見つめている。
「リョウも、その“精霊”を守ってやらんといかんぞ。邪な輩の中にはアズタリのために無為に精霊を殺し回る者もいると聞き及んでおる」
──こいつ、やっぱりサイモンが見えるのか……?
アメナがフフと笑う。
「当然じゃ。アメナを誰だと思っておる?」
「イルディルが見えるんだったな。君の記憶を見た時に、俺にも精霊が見えた。なにかその辺りを蠢く影みたいな感じだったな」
「精霊はイルディルの中に紛れ込むようにしておる。精霊自体はイルディルではないから、そうやって見えるのじゃ。じゃが、リョウの精霊はアメナも初めて見る形じゃぞ」
「サイモンというんだ」
「不思議な言葉を使うのじゃな」
──そうか、俺もサイモンも日本語で……。
そこまで考えて、俺は思考を止めた。アメナにこのことが知られてしまったら……。
「心配するな。リョウから孤独を奪うことはせんと約束したはずじゃぞ」
アメナに小声で尋ねる。
「どこまで分かってる、俺のこと?」
「別の世界から来たのじゃろ?」
「すまんが、そのことは秘密に……」
アメナが微笑む。妖艶な空気感が蘇っていた。
「アメナとリョウだけが知る秘密、じゃな」
「おい、何してる。行くぞ」
向こうでナーディラがこちらを怪訝そうに睨みつけている。すぐにそちらに向かう。
イクラスはそばにいた防衛団たちにアズタリの管理をするように命じていた。
「あの巨大なゼルツダの死骸にしてはアズタリの量は少ないんだな」
「それが精霊を狩る奴らの原動力にもなっておるようじゃ。数多く殺し回るためのな。本来、自然に死んだ精霊の死骸を拾い集めるのが世の理じゃったのにな」
「何の話をしている?」
ナーディラに精霊とアズタリのこと、そして、アズタリのために精霊を狩る者たちがいることを伝えた。
「クトリャマならアズタリのために自分の呼び出した精霊を殺していてもおかしくはないな」
「確かに……。精霊の死骸がアズタリなら、精霊術師は精霊が存在する限りいくらでもアズタリを稼ぐことができるよな……」
「事はそう都合良くできておらぬ。精霊術は精霊との信頼関係が礎にある。じゃから、精霊を殺しまくれば、精霊を使役する力は弱まって、最後には消え失せてしまう。
もっとも、それを逆手にとって、いたずらに精霊を災いをもたらすものに変えている者もおるようじゃ」
ナーディラは舌打ちをする。
「チッ、どこにでもそいうあくどい奴はいるもんだな」
街の方から白地に赤い文様のローブ姿の男が駆け寄って来る。ガラーラだ。
「アメナ様、一部の祭司たちがアメナ様に反旗を翻し、街を出て行きました……! 我々はどうすれば……」
「うむ、やはりこうなったか。クトリャマに今回の件が伝わるのも時間の問題じゃな」
「おいおい、大丈夫なのかよ?」
アメナは考え込んでいたが、ガラーラに目を向けた。
「今から祭司たちを集められるか? 今後の話をしたいのじゃ」
「もちろんでございます……!」
アメナが俺たちを振り返る。
「すまんが、アメナはみんなと話をしてくる」
「フン、そのまま帰って来なくていいぞ。私らはその間にここを出て行く」
アメナが笑顔のまま近寄って来る。
「どこまででも追いかけるぞ」
「ま、待ってあげよう、ナーディラ……」
「そ、そうだな……。ここは私らが大人になるか……」
アメナは笑みを残してガラーラと共に街の方へ速足で向かって行った。
「気味の悪い奴め……」
ナーディラが冷や汗をかいているのを俺は初めて見た。
***
街の防壁を越えて、二重防壁になっている広場まで戻ってきた。
広場では多くの人が家族や友人などを探し回っていた。突然の別れに直面してい泣いている者も抱き合って無事を確認し合う者もいる。
俺たちのそばにいたヌーラが勢いよく走り出した。その先にはザラたちが待っていた。
「おねえちゃん!!」
喜びの声を上げるザラをヌーラが強く抱きしめた。
「みんなを助けてくれたのね、ザラ! すごいわ!」
ヤーヤとハーフィズが抱き合う二人を包み込むように腕を回す。
これでこの家族はようやくひとつになれたのだ。
少し離れたところで家族が喜びを分かちっているのを見ていると、ナーディラが俺の手を握ってきた。
驚いてしまったが、ザラたちの家族を見つめるナーディラの横顔の美しさに俺もその手を握り返した。
誰かの幸せが俺の心を温かくする。そうやって幸せというのは伝播していくのかもしれない。
「ナーディラおねえちゃん、リョウおにいちゃん!」
ザラが駆け寄って来た。ヌーラたちも笑顔で俺たちに歩み寄る。
「ありがとう! こうやってみんなで一緒に居られるなんて、夢みたいだよ!」
「よかったな。ザラもよく頑張った」
ナーディラに頭を撫でられて、ザラは嬉しそうに笑った。
「本当に信じられない思いです。心から感謝します」
ヤーヤが胸に手を当てて頭を小さく下げた。俺は笑い返す。
「あなたから預かったカバデマリの葉がヌーラを救ったんです。あなたの思いが彼女を救ったんですよ」
ヤーヤが涙をこぼしてヌーラとザラを抱き寄せる。
「ありがとうございます。本当にありがとうございます……!」
ハーフィズの絶え間ない感謝には、さすがに俺もナーディラも苦笑いしてしまった。
街の人々は喜びを噛みしめていた。そこに悲しみもあるからこそ、喜びを噛みしめるのだろう。
「二人はこれからどうするの?」
ザラに訊かれて、困ってしまった。何も考えていなかったのだ。
「とりあえず、ウドゲに戻るしかないだろう。ファマータをアレムに返さなきゃならんからな」
ナーディラが地に足のついたことを言う。俺も最初からそのつもりだったという感じでうなずいてみせる。
街の人たちが街の内側の門へ大移動を始めている。ハーフィズが両手を広げる。
「今日はこの街の解放を祝っての祭りになるでしょう。今回のお礼にぜひともご馳走させて下さい」
俺はナーディラと顔を見合わせて、共にうなずいた。




