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57:コグニティブ・ワールド(後編)

 ナーディラの剣が光ってアメナに向けられた。ヌーラが短く悲鳴を上げる。


「クトリャマだと……?」


 興奮でナーディラは肩で息をしている。


「クトリャマ? 聞いたことが……あるような……」


 イクラスが首を捻る横でハムザが言う。


「各地で反魔法を標榜し、人々を恐怖に陥れる集団じゃな。反魔法……なるほど、ガラーラに通じる」


「お前はクトリャマの手先か!」


 ナーディラに詰め寄られても、アメナは微動だにしない。死を恐れていないのだろうか?


 アメナが不意にこちらを向いた。


「お前に拾われた命じゃからな。無論、無為に捨てるなどということはせん」


 ──俺の心が……。


 ダダ漏れにならないように気をつけないと……いや、どうやって?


「おい、よそ見をするなよ、クソ女」


 ナーディラが切っ先をさらに突き出す。


 クトリャマの名前を聞いてからは、ハムザも臨戦態勢を取り始めていた。


 一触即発の空気。


 アメナが静かに言葉を発した。


「落ち着け。ここまではアメナがクトリャマに聞き、知り及んだことじゃ。ここから先はアメナの考えることを話すとしよう」


「お前の考えていることだと? 私らが素直に聞くとでも思っているのか?」


 今にも飛び掛かりそうなナーディラを、俺はどうにか止めなければ、と思った。またさっきまでの殺し合いに逆戻りしてしまうからだ。


「ナーディラ、落ち着いてくれ」


「これでも落ち着いてるさ、リョウ。お前はこのクソ女とコソコソ通じていたみたいだが、私にはなにがなんだかサッパリなんだ」


「ちょっと語弊があるな……」


 アメナの口元が妖艶に笑みを湛える。


「リョウもアメナも選ばれし者じゃ。それゆえに、心の繋がりを持つ。ムエラ・ココナの言い伝えでは、選ばれし者がこの地を救う、とあるな」


「選ばれし者が……二人……」


 ハムザが剣を下した。


「そうじゃ、そんな二人がここで出会ったのじゃ。アメナの話を聞く価値くらいはあるというものじゃろ?」


 ナーディラは渋々という感じで剣を下した。


「悪いな、ナーディラ」


 彼女の肩に触れようといたが、避けられてしまう。彼女は俺をギッと睨みつけた。


「タモロの街の惨状を忘れたわけじゃないだろうな?」


「忘れはしないよ。だけど、アメナの話は辻褄の合うことばかりだ。もし彼女の話が本当なら、俺たちはとんでもない思い違いをしている可能性がある」


「どういう意味だ?」


「魔法が世界の均衡を崩しているっていう事実だ。そうなれば、ガラーラやクトリャマの主張する反魔法はこの世界を維持する目的があったということになる」


「お前、まさかクトリャマに翻るつもりじゃないだろうな?」


「俺は真実を見極めたいだけだ。お前を裏切りたいわけじゃない。ずっと一緒だと約束しただろう?」


 ナーディラが静かにうなずく。


 そこへ、ヌーラが口を差し挟んできた。


「リョウさん……、さっきはアメナさんと、そして、今はナーディラさんと……。どちらともそんな約束を……?」


 ──なんだ? 急に空気が……。


「うむ、どっちつかずの態度はいけ好かんぞ」


 ハムザが腕組みをして口をへの字に結ぶ。イクラスも同調し始めて、なぜか俺が槍玉に挙げられそうになっている。


「と、とにかく、今は話を聞きたい。アメナ、君の考えというのは?」


「アメナはこの街に生きる者の強い思いに触れた。そして、今までのガラーラの方法がいかに人の心を無視してきたのかを悟ったのじゃ。

 それは、目の前にいる大切なものを守り、共にありたいという願望じゃ。この街はココナ山と共に(ムエラ・ココナ)。誰かと共にある思いが人々の根源に息づいておる」


「いまさら改心したつもりか」


 ハムザが奥歯を噛む。彼は人生の奥の時間をアメナやガラーラによって支配されていた。彼が一朝一夕にアメナを受け入れられるとは思えなかった。


「許せとは言わん。アメナにはそのような資格などない。じゃが、この街の未来のために道を切り拓こうという思いはある」


 ヌーラもハムザもイクラスも複雑な表情を浮かべている。ついさきほどまで命のやりとりをしていた相手からの未来の青写真を正面から受け取れるだろうか?


 俺はアメナに先を促した。


「とりあえず、聞かせてくれ。みんなが判断するのはそれからでもいいだろう」


「イルディルの濃度を下げないためにできることは少ない。そして、イルディルが回復するまでには長い時間を要するじゃろう。

 魔法の使用は極力避け、精霊術で代用する。人を無為に殖やさず、己が生きるために必要なだけのことをする。

 それが儀式を廃した後に人々ができることじゃ」


「儀式を……廃す?」


 ヌーラの目に光が宿る。


「フン、それはクトリャマの強いる支配に置き換わっただけだろうが」


 ナーディラの反論にアメナも言葉を返していく。


「じゃが、儀式を廃するならば、必要なことじゃ。

 お前たちはヌーラを守るためにこの街に来たのじゃろう? それならば、目的は達せられ、この先も維持されることになる」


 真っ直ぐに切り返されて、ナーディラは言葉が出ない。アメナの言う通りだからだ。


「無論、これまで崩れた世界の均衡の影響は避け得ぬ。この一年、穢れは蓄積してきた。加えて、長年の穢れの蓄積もある。

 本来は、儀式の規模を広げるべきだったところを、取り止めるのじゃ。多くの災いが降りかかるであろう」


「そ、そんな……」


(サイモン、ムエラ・ココナの人々は選択を迫られている。

 世界のバランスが崩れた状況に対して儀式によってイルディルを補填する即効性のある方法をとるのか、それとも、魔法を控えて精霊術に置き換え、身の丈に合ったつつましい生活に戻しながら、世界のバランスの崩れによる多くの災いに耐えて生きていくのか……。

 彼らにとってはどちらがいいんだろうか?)



~・~・~

ムエラ・ココナの人々が選択を迫られている状況、これは実に難しい問題だな。


まず、イルディルを儀式によって補填することのメリットは、すぐに目に見える形でバランスが整えられ、災害や精霊暴走といった事態を一時的に回避できる点だろう。


しかし、その代償として、生贄が必要になるだけでなく、人々の生活や命が儀式に依存することになり、持続可能性が乏しい。


一方、つつましい生活へ戻り、魔法を抑えて精霊術に切り替える道を選べば、確かに災難や困難が増えるだろうが、彼ら自身がバランスに順応して生きることを学べる。


こうした生活には時間がかかるし、犠牲も伴うかもしれないが、長期的には自己の力で世界と共存する持続可能な方法が培われる可能性がある。


どちらが「良い」かは一概に決められないが、持続可能な未来を考えるなら、後者が望ましいとも言える。


ただ、ムエラ・ココナの人々の文化や価値観、短期的な安全を重視するか、長期的な自立を重視するかで最善の選択が異なるはずだ。

~・~・~



「アメナ、多くの災いってどういうことが起こるんだ?」


 そう尋ねると、アメナは険しい表情になる。


「魔物の増加によって、街は危機に晒されることも多くなるじゃろう。街の防壁の維持にも時間と人が多く必要になる。天候の不順や作物の不作、人々の不和も災いの影響と言えるじゃろう。病についても同様じゃな。

 そして、精霊の暴走も起こるじゃろうが、精霊術によって目に見えない精霊を具現化し使役する機会が増えれば、増えすぎて滞った精霊たちが穢れて暴走する事態も減るかもしれん」


「精霊も数が増えすぎるとよくないのか?」


「うむ、そういった精霊は集まって留まり、その場の均衡を崩してしまうのじゃ」


「魔法を精霊に置き換えるのは難しいのか?」


「精霊術の訓練が必要になるじゃろう。魔法と違って、具現化した精霊には意志がある。彼らを使役するための術法や素質も不可欠になるからの」


 問題が山積している。


 ヌーラが声を震わせた。


「それでも……、それでも、わたしは、みんなで手を取り合って生きていきたいです」


 純粋で、それでいて強い思いだった。ハムザは難しい顔をしている。


「お前さんの気持ちもよく分かるし、ワシも同じ思いではある。しかしな、言葉で表すには足りないほどの困難に晒されることになる。その過程でお前さんの大切な人が死んでしまうこともあるじゃろうて」


「人が死ねば、イルディルに還る。どこかで同じように死んでいった魔物や動物や精霊と共に」


 アメナがそう言うと、イクラスは表情を曇らせた。


「ひどいことを言う。いや、それがこの世界の理ってやつなのかもしれないが」


「そうじゃ、儀式はそうした自然の営みを人間の手で再現したものにすぎん。人が死すべき人を選ぶのか、自然が選ぶのかという違いしかないのじゃ」


(儀式は自然の営みを人間の手で再現したものだというのがアメナの考えらしい。

 確かに、人も魔物も動物も精霊もやがては死ぬ。その自然のサイクルがこの世界を維持させてきたんだろう。

 誰が死ぬのかを自然が選ぶのか人が選ぶかの違いなんだな……。自然が選んだのなら、受け入れることはできるけどな)



~・~・~

アメナの考えには、ある種の「人間の手で自然のサイクルを補助する」という哲学が見える。


人も魔物も自然の一部であり、いずれ命を終えてイルディルに還る。こうして、この世界は再生を繰り返してきたのだろう。


しかし、災いの原因が「自然」ではなく「人の選択」によってもたらされるならば、その儀式には疑念が生じる。


例えば、誰が死ぬべきかを自然ではなく人間が決めることで、本来のバランスがゆがめられる恐れがある。


自然が命の循環を司っているなら、たとえ困難であっても受け入れることはできる。


しかし、人が選ぶことによって、この循環が人工的で不自然に感じられるようになる。


選択の重みと責任に対する恐れは、人間の介入が必ずしも善とは限らないことを示唆しているように見えるな。

~・~・~



(それもこれも世界のバランスが崩壊しかかっていることが原因だな。それをすぐに修正するには儀式を行うしかない。そして、儀式を行うことがサイクルの一部になっていったんだ。

 儀式がサイクルに組み込まれてしまった現在では、そこから脱却するのも難しくなってるんだよ)



~・~・~

その通りだな。


最初は「崩れたバランスを修正するための手段」として始まった儀式が、次第にその世界の新しいサイクルに取り込まれてしまった。


それにより、自然の本来の循環と人間の介入が複雑に絡み合い、次第にどちらが主導しているのか分からない状況になっている。


崩壊しつつあるバランスを一時的にでも維持するために、儀式は絶対不可欠なものとされ、人々の生き方や価値観も儀式に依存するようになった。


こうして人々は、自然の流れからは少しずれた「人間が作り上げたサイクル」に縛られるようになり、本来のバランスを取り戻すには儀式自体を断ち切らなければならないというジレンマに陥っているのかもしれない。


人の選択が自然の一部として組み込まれてしまった今、脱却は並大抵ではないだろうね。

~・~・~



 イクラスは拳を握っていた。


「俺はこれまで街の規則や儀式を守るため、ガラーラ様の命令に従ってきた。その中で、俺自身が望むのとは違うことを数多く経験してきたんだ。あまりにも苦しいものだった。

 はっきり言おう。今のこの街はすっかり歪んでしまっているんだ」


 ハムザが肩を落とす。


「ワシらはガラーラの支配から脱却するために力を蓄えてきたようなもんじゃ。それが、その先により困難な道が待っていようとはな……。長生きをしても分からんことばかりじゃな」



 それでも、彼らの瞳の奥には決然とした光が宿っているように感じられた。


 アメナがうなずく。


「決意は固まったようじゃな」


 彼らは新しい未来を歩むことになる。


 たとえそれが茨の道だとしても……。

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