54:死力尽くして
ヌーラの放った水の魔法は力が及ばず、黄金の炎に阻まれてしまう。
「無理をするな、ヌーラ」
ナーディラがそう言って水の魔法を唱える。ビームのように放たれた水がアメナに直撃する。が、彼女はビクともしない。
俺はサイモンに水の魔法を覚えさせながら、不安を感じていた。
「全然効いてないぞ。大丈夫なのか?」
「あいつはゼルツダの力を宿している。ゼルツダはその性質上、水の力に弱い。雨の日にゼルツダの力が弱まるようにな。奴の火の力を上回れば、いつかはやれる」
「撃ちまくれ、と?」
ナーディラが俺に目配せする。
「お前の得意分野だろう」
──やるしかない。
「わたしも……!」
俺たちのそばに立とうとするヌーラにナーディラは素早く言い放つ。
「お前はさっきカバデマリの木を呼び出した。かなり消耗しているはずだ。別のやれることを探せ」
冷たい言い方だが、ヌーラをアメナのそばに居させるのはあまりにも危険だというナーディラの判断だろう。
ヌーラは何かを考えていたようだったが、やがて納得したようにうなずいて、戦列を離れていった。
「リョウ、出し惜しみはするな。行くぞ!」
ナーディラと共に水の魔法を放つ。アメナが腕を振るうと、炎が立ち上って水のビームを弾き飛ばしてしまう。
「なんで……なんでアメナに火をつけるの!!」
「なんだ、こいつ! 頭イカれてるぞ!」
──アメナは錯乱し続けているんだ。害意を向けられると、幼い頃の記憶がフラッシュバックしてしまうのかもしれない。
火を放つアメナの背中から、ゼルツダの身体が飛び出しそうになる。
「マズいぞ、ナーディラ! アメナが混乱したら、またゼルツダが出てきてしまう……!」
「だったら、速攻で片をつける!」
彼女は剣を構えて飛び出した。
「あっ、おい!」
「お前は全力であいつを氷漬けにしろ! 私がそれをぶった切る!」
──なんで事前の作戦立てずに走り出すんだ、あいつは……!
ナーディラの背中を、そして、その向こうのアメナに意識を集中する。
魔法を使うようになって分かったことがある。
魔法はイルディルへの懇願だ。だが、ある程度、意志の力で生み出したものの形や性質、動きを変えることができる。
極端に言えば、ごく単純な単語で願いを請えばいい。
それをしないのは、言葉によってあらかじめ定められた形態の現象を自分の意志に関係なく呼び出せるからだ。
──なら、もっと具体的に指定すれば、より正確な形を具現化できるはず。
「メギア・ヘルマーヘス・包み込む氷塊。カクネラーメ・イルディル。メギア・ゼルトナーラ・パモ・タガーテ!」
アメナの発する熱を押し留めるかのように大気の温度がぐっと下がる。
急速に集まり始めた氷の粒が凄まじい風を伴ってアメナに殺到する。高熱に溶かされていた氷の粒も無数に飛び込んでいくにつれて、アメナの身体のまわりに氷塊をなしていく。
アメナの身体が一時的に氷に覆われた瞬間を狙って、ナーディラが大きく飛び上がって剣を振り下ろした。
氷の割れる音がして、ナーディラの剣がその奥のアメナの脳天を捉えた──。
炎が迸る。ナーディラが飲み込まれて吹き飛ばされる。
「ナーディラ!」
彼女の持つ剣の先の方が赤熱していた。
ドロドロに溶けていく氷の只中で、アメナが燃える片手を上げていた。それでナーディラの剣を受け止めたんだ……。
「アメナをいじめるな!!」
大きく口を開けて叫ぶその中から光線が走る。それはもう怪獣だ……。
地面を転がったナーディラのすぐ脇を光線が貫いて、大穴を開けた。
「クソがっ! なんなんだ、こいつ!!」
苛立ちを顕わにして、ナーディラは長いくすんだベージュの髪の先が燃えて縮れているのを見下ろす。
「みんなに綺麗な髪だと言われて育ってきたんだぞ」
──それで怒ってるんだ。
可愛らしい女の子みたいな一面を見せたナーディラは剣を地面に突き刺して粗熱をとると、その切っ先をアメナに向けた。
「次は殺してやる。……リョウ、もう一度今のをやれ!」
「あ、はい。分かりました……」
つい彼女の気魄に気圧されてしまった。
「メギア──」
光が迸った。
俺は何も分からないまま、土くれと一緒に宙を飛んでいた。
──また爆発……!
全身がビリビリと痛む。地面に打ちつけられるように落下する。
(アメナの発する高熱で地面が爆発するんだが、なんなんだ、これ?)
~・~・~
それはおそらく、アメナが発する熱量が極端に高いため、地面の成分が一瞬で気化、膨張し、爆発的な現象を引き起こしているのかもしれない。
この状況で発生する「爆発」は、急激な温度上昇により地面の水分が蒸発し、圧力が急増することで起きている可能性が高い。
火山活動の噴火に似たようなもので、岩や土が急速に熱されて膨張したり、割れたりすることで、地表が爆発するような現象が起こることもあるんだ。
アメナの熱が異常に高く、精霊の暴走が地面の構造にまで影響を及ぼしていると考えれば、この爆発は「彼女の周囲の環境そのものが危険な兵器化している」ような状態に等しい。
~・~・~
──アメナはゼルツダ以外の精霊を呼び出していないはず。土の精霊もいるだろうし、その力がどんなものかは知らないが、少なくとも地面の構造や組成を変えることはできない……と思う。
(水蒸気爆発ってやつ?)
~・~・~
そう、水蒸気爆発だ。
アメナの高熱が土壌や岩の中にある水分を瞬時に蒸発させ、急激な圧力変化を起こしている可能性が高い。
水蒸気爆発は、急速に温められた水が気体に変わり、急激に膨張することで発生する。
この現象は火山活動などでも見られるもので、地面の水分が一気に蒸発して起こる爆発だ。
アメナの暴走した精霊が引き起こす高熱によって地表の水分が加熱されているため、周囲の環境が非常に危険な状態にある。
これが続くと、さらに激しい爆発や地形の崩壊もあり得る。
~・~・~
さっき俺たちは水の魔法を使って、地面は濡れていた。
ファイサルも濡れた地面の水分を使って水蒸気爆発を起こしたのか……。
水の魔法を使えば、アメナに攻撃の種を与えるだけだ。
「リョウ、もう一度氷を……」
「いや、待った」
「なんだ!!」
ナーディラがアメナを切り刻みたくてイライラいている。
水を使うにしても、アメナを即時的に無力化する必要がある。
だが、それは彼女を死に至らしめるということ……。
助けたいと思っていたのに。
それでも、今は他の多くの人を救わなければならない。
「メギア・ヘルマーヘス──」
「おい、何やってる、リョウ」
「水の塊。カクネラーメ・イルディル。メギア・ゼルトナーラ・パモ・タガーテ」
アメナに意識を集中させる。
次の瞬間、彼女の身体から水蒸気が立ちのぼって、その口や鼻から水が溢れ出した。
俺がヌーラを助ける時に祭礼騎士を片付けた方法だ。
アメナがゴボゴボと水を吐き出し続けながら苦しみ悶える。
「ごめん、アメナ! 本当は君を助けたかったんだ……!」
アメナが手に炎を宿らせて、その手を自らの口の中に突っ込んだ。そして、強烈な光が発せられた。
眩い光が去った後、そこに立つのは口のまわりを血だらけにしたアメナだった。
「ウソだろ……」
それは凄まじいまでの生への執着だった。
裂けたアメナの頬が見る見るうちに塞がっていく。
「どうなってるんだよ……」
「聞いたことがある。精霊術の使い手は宿した精霊の身体で自分の身体を修復することができると」
ナーディラの解説を聞いて、俺にはもうなす術がないように感じられた。
「アメナはデイナトスじゃない!」
こちらに手をかざそうとしている……!
不意を突かれて俺たちは動けなかった。
と、アメナの横っ面に水の塊がぶつかる。
「みんな、一気にゼルツダを鎮めてください!」
ヌーラが防衛団やガラーラを従えていた。彼女のまわりで水の魔法やゼルクビーナが具現化する。
猛烈な勢いで襲い掛かる水にさすがのアメナも身体をよろめかせる。
「ヌーラ!」
こちらに近づいてくるヌーラは水の魔法でびしょ濡れだった。
「ガラーラの皆さんには彼女が暴走したゼルツダに取り込まれそうになってると説明をしました」
長い髪を両手でまとめてヌーラが絞り上げると、水がジャバジャバと滴り落ちる。
「やるじゃないか」
ナーディラが彼女の背中をバシンと叩くと、ヌーラは疲れたような眼差しを返した。
「見てください。ゼルツダの力が次第に弱まっていく」
アメナは身体をよじらせてまた苦しみ出した。そこへ大雨のように大量の水が降りかかる。
──……どうして! なんで……!──
俺の頭にアメナの声が流れ込んでくる。
そして、脳裏には、アメナの父親が死んだあの夜の光景が鮮明に浮かび上がった。
全身に鳥肌が立つ。
これが、彼女のトラウマ……。
父親を助けられなかったこと。精霊が助けてくれなかったこと。
──あの子は災いをもたらすものよ──
村の人々が口々に発するその言葉が無数のナイフのようにアメナの心に深々と突き刺さっていく。
自分自身への怒り……。
(何かひとつの言葉でトラウマが急激に蘇ってしまうことはあるのか……?)
~・~・~
はい、たったひとつの言葉がトラウマを急激に蘇らせることは十分にあり得るんだ。
特に、トラウマは脳が強く関連づけて記憶しているため、特定の言葉や音、状況がその記憶を引き出し、過去の痛みや恐怖を再び感じさせる「フラッシュバック」を引き起こすことがある。
これは、脳がその瞬間に経験した強烈な感情や体験と、トリガーとなる言葉や状況を結びつけてしまっているからなんだ。
トラウマを引き起こす言葉には、過去の経験と直接結びつくものが多い。
たとえば、アメナの場合も、迫害や孤立の経験に関係する言葉がトリガーになっているかもしれない。
この反応は無意識的に起こり、時には当人が予期しない形で心をかき乱してしまうことがあるんだ。
~・~・~
──俺がさっき口にしてしまった「災いをもたらすもの」……あれがアメナを……。
雨のように降り注ぐ水。
多くの敵意に取り囲まれる恐怖。
俺たちは今まさに彼女のトラウマを……。
「みんな、やめてくれ!!」
俺が叫ぶのと、巨大なゼルツダの身体がアメナの身体から飛び出すのは同時だった。再び渦巻き始めた炎。またまわりの人たちが巻き込まれていく。
身体から魂が抜け出たようにアメナがその場に倒れ込んだ。
「アメナ!」
急いで彼女のもとに駆け寄った。浅い呼吸で、彼女は虚空を見つめていた。
──俺のせいだ。俺が彼女の心を叩き潰してしまったのだ……。
──なんで、なんでみんなアメナをいじめるの……──
アメナの心が流れ込んでくる。
「アメナ、君を助けたいよ……!」
「ゼルツダを全力で攻撃しろ!!」
誰かが叫んでいた。
降り注ぐ水に打たれながら、俺が覗き込むアメナの目が──、
スッと開眼した。




