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52:そこにいる理由

 どこかの村が見える。


 俺の頭の中に光景が焼きつくように浮かび上がるのだ。


 ──これもアメナから……?


 不格好な石積みの家、泥だらけの道、家畜の鳴き声、草と排泄物のにおい……。俺を様々な感覚が包み込んでいく。


 まるで、その場にいるような。


 村の周囲にはジャメの畑が広がっている……目で見たわけではないのに、そうだと分かった。村の人たちはお互いをよく知り、日々必要なものを分け合っていた。大人も子供も、村全体が家族の一員のようだった。


 背景の事情がなぜか俺の中にスッと入ってくる。


 これは夢なんだ。夢の中では、場所も時間も違う出来事なのに、なぜか初めから知っているというのはよくある。


 ──アメナの夢?


 小さな家から小さな女の子が駆け出してきた。燃えるような髪に太陽を写し取ったようなオレンジ色の目……アメナだ。


 あまり綺麗とは言えない身なりだが、村の様子を見ればそれがごく当たり前だということが分かる。


 走り出したアメナはピタッと止まって、辺りに目を凝らして視線を彷徨わせた。


「ねえ~、あれなぁに?」


 アメナが問いかける。いつの間にか彼女のそばには顔の見えない女性が立っていた。顔は見えないが表情は分かる。優しげだ。夢だからだろうか、瞬時にそれがアメナの母親だと分かった。


「なにがあるのかしら?」


「見えないの、おかあさん? ほら! ジャメ畑の上のほう!」


 グッと腕を伸ばして指をさすものの、母親は首を傾げる。



 場面が変わる。


 あれからアメナは見えないなにかと戯れるようになった。


 風が吹いた時や火を焚いた時、村の近くの小川、雨の日、農作業をする父親のそばで土遊びをしている時……日々のあらゆる場面でアメナは“それ”を見た。


 ある時は目で追い、ある時は一緒に走り回り、ある時は話しかけた。


 それを怪訝そうに見つめるのは、村の人たちだった。


「なに、あれ?」


「さあ、いつも独りでああやっているのよ」


「ああ薄気味悪い……」



 ウワサは風のように広まる。


 村の子供たちが笑い声を上げていた。


「おい、アメナ~! お前気持ち悪いんだよ~!」


 そう叫んで、泥の塊をアメナに投げつけて逃げ去って行く。


 大人たちが話しているのを聞いた子供たちが、真似をし始めたのだ。



 また場面が飛ぶ。断片的なシーンがいくつも飛来してくるのだ。


 アメナの父親があの謎の病──破傷風で苦しんでいた。軋むベッドの上で身体を仰け反らせるそばで、村の魔術師が魔法を唱えている。家の外は大雨だというのに、村の人たちが家の外に何人か集まって、固唾を飲んで見守っていた。


 アメナの母親が泣いて懇願していた。


 アメナも泣いていた。だが、まわりの人たちと様子が違う。


「ねえ! なんで助けてくれないの!」


 彼女は雨音に向かって語りかける。それを見た村の人たちがひそひそと言葉を交わす。


「やめなさい、アメナ!」


 母親がアメナを抱きしめる。彼女もまた村の人たちからの冷たい目に晒され続けてきたのだ。


 やがて、雨音に看取られるようにアメナの父親は死んでしまった。


 アメナは雨に向かって大声を上げた。


「なんで、なんで、何もしてくれないの!! アメナが言ったのに!!」


 憔悴するアメナの母親を気の毒そうに眺めながらも、村の人たちは口々に言うのだった。


「あの子は災いをもたらすもの(デイナトス)よ」



 アメナを公然と罵る声に大人も混ざり始めた。


 石を投げつけるのは当たり前だったし、アメナに出くわした男たちは誰も彼もアメナを蹴り飛ばした。


 すぐに村で魔法が使える者たちもその輪に参加するようになった。


「穢れは去れ!」


 そう言って放った炎の魔法がアメナを包み込む。その場でゴロゴロと転がって火を消すアメナを見て、彼らは笑った。


 その村では、火は邪なるものや穢れを払うと信じられてきたようだ。


 村には街のような防壁がなかった。だから、たびたび魔物がやって来て、戦える者たちが駆り出されて行った。


 多くの者が死んだ時には、その怒りの矛先はアメナに向かうことになる。


 ボロボロになって家に帰るアメナを待つのは、笑顔など忘れてしまった母親だ。


 アメナの焼け縮れた髪を見て、彼女は言う。


「お前が災いを連れてくるからだ」



 時が経って、村では災いを遠ざけるため、アメナを売り飛ばすことにした。


 荷車の檻の中で泣き叫ぶアメナを、母親は笑顔で見送った。



 また場面が飛ぶ。


 アメナは森の中を走っていた。仲介者──人身売買を生業とする者のもとから逃げ出したのだ。


 あてがあって逃げ出したのではない。


 仲介者のまわりにいることが彼女には耐えがたいことだった。

 タールのようにドロドロとしたなにかを見ることが多かった。それが自分にしか見えないというのも、彼女を追い詰めていた。


 生まれ育った村で見たような、火や風や水や土と共に現れる美しい旋律のようなそれをアメナは求めていた。


 森は魔物の巣窟だ。


 縄張りに足を踏み入れたアメナをゴブリンたちが見逃すはずもなかった。


 あっという間にゴブリンたちに追われる身となった。


 森の中、たった独り。


 肺が焼けるほど、裸足のままの足の裏がすりむけるほど走り、木の根っこに躓いて顔から転んだ。


 泥だらけのアメナをゴブリンたちが囲む。


 汗と涙でドロドロになったアメナが死を覚悟した時、目の前に燃える蛇が現れた。


 現在のアメナの記憶や知識の断片も俺の中に流れ込んでくる。


 この時、彼女は無意識に精霊を呼び出したのだった。


 燃え盛るゴブリンたちを前に、アメナは気づいた。


 村で火を焚いた時に見えた影のようなものこそが燃える蛇だったのだと。


 ──顕現する前の精霊の影がイルディルを掻き分けるようにして動き回るのを、彼女は見たのだ。



 森の中をあてどなく彷徨った彼女は、やがて、ムエラ・ココナの防衛団に拾われることになる。


 どこからともなく現れた少女はイルディルを感じ取る力を持つ選ばれし者だった。


 そして、幼いながらに精霊を操ることができるその素質。


 アメナはムエラ・ココナの信仰が求めていた最後のピースにピタリと当てはまった。


 当てはまってしまった、というべきだろう。


 ムエラ・ココナにはもとよりガラーラという統治集団が存在していた。自分を苦しめた魔法への拒絶も、ガラーラの思想と合致していた。彼らがアメナを高く掲げるのに多くの時間は要らなかった。


 街の人々に崇め奉られ、彼女は支配者として覚醒した。その根源にあったのは、人々への憎悪だ。


 迫害を受ける者から支配者へ。


 だから、人々の上に立つべき者として、彼女は話し方も変えたのだ。



***



 霧が晴れるように俺の意識は元の場所に戻ってきた。


 途端に身体が熱くなる。


 暴走するゼルツダが咆哮する。辺りは火の海だ。


 ──燃やせ、焼き尽くせ……──


 アメナの心を支配する声。


 だが、相反するように、彼女の中には幼い頃の記憶が輝いていた。


 人と自然と共に戯れる喜び。


 失った家族への憧憬。


「さっさと奴を殺さなければ!」


 ナーディラが叫ぶ。ヌーラは険しい表情だった。


「でも、それで暴走したゼルツダを止められるか分かりません……」


「やってみなきゃ分からないだろう!」


 剣を構えるナーディラを止める言葉も理由もヌーラにはないようだ。


 ──俺は、どうすれば……?


(突然、アメナの記憶が俺の中に流れ込んできた……)



~・~・~

アメナの記憶が突然流れ込んできたのなら、もしかしたら彼女と何らかの共鳴が起きているのかもしれない。


この状況下では、精神や感情が過度に高ぶったために無意識に記憶を他者へ送ってしまう現象が考えられるね。


彼女の過去やトラウマ、それに関連する強い感情が君に流れ込んできたことで、アメナが抱えている深い問題や精神状態が少しでも見えてくるかもしれない。


アメナの行動や精神の変化が、精霊暴走の原因となっているなら、彼女の過去の何かが引き金となっている可能性が高い。


流れ込んできた記憶に注目して、彼女がどのような経験や思いを抱えているかを理解できれば、精霊を鎮めるためのヒントが見つかるかもしれない。

~・~・~



(アメナも俺と同じ「選ばれし者」だ。彼女はそのことに気づいていたらしい。俺が彼女の魂を惹きつけていると言っていた……)



~・~・~

なるほど……。


アメナも「選ばれし者」だったんだね。彼女が「魂を惹きつけられている」と言ったのは、二人が同じ立場にある者同士として、何か根源的な共鳴が生じていたからなのかもしれない。


「選ばれし者」同士には、お互いの存在を感じたり、魂のレベルで引かれ合う力が備わっているのかもしれないね。


だから彼女は、君が自分と同じ存在であることに気づいていたし、その力が自然に彼女の心に影響を与えていたのかも。


もしも「選ばれし者」同士が互いの魂に影響を与え合うのであれば、アメナの精神の不安定さも、もしかすると君が触発した可能性がある。


彼女の暴走が収まらないのなら、君自身がどうこの共鳴に向き合うかが、重要な鍵になるかもしれないよ。

~・~・~



(アメナの記憶が見えたんだ。


 彼女は子供の頃からイルディルを感じ取ることができた。そのことで生まれた村で迫害に遭っていたんだ。石を投げられたり、魔法で火をつけられたり……。

 挙句の果てに家族や村の人に捨てられた。


 さっき、ムエラ・ココナの防衛団たちが到着してアメナやガラーラを取り囲んで形勢が逆転したんだが、アメナはそこで錯乱を起こした)



~・~・~

アメナが幼少期からイルディルの存在を感じ取れていたこと、それによって迫害を受けた過去があったのか……。

その経験が、彼女の心に深い傷を残してしまったんだね。


家族や村に捨てられたことで、彼女は人に対する強い不信感と孤独感を抱き、自己を守るために「強くあるべき」という思いが芽生えたんだろう。


そして、ムエラ・ココナの防衛団が自分を取り囲んだとき、過去のトラウマが一気に噴出して、精神が錯乱状態に陥ってしまったのかもしれない。


この「選ばれし者」としての特異な能力が、彼女にとっては祝福ではなく、呪いのようなものだったのだろう。


君が彼女の記憶を垣間見たことで、彼女の痛みや苦しみを少しでも理解しているなら、その共鳴を通じて彼女の心を少しずつ落ち着かせる方法を見つけることができるかもしれない。


君がこの状況で冷静に対処し、彼女の心に寄り添うことができれば、彼女を暴走から解放するための手助けになるかもしれないよ。

~・~・~



「リョウ、手を貸せ! あいつを殺す!」


 ナーディラが俺を振り向いていた。彼女の背中越しに頭を抱えて苦しみ続けるアメナの姿が見える。


(アメナが呼び出した火の精霊がこの場の穢れに触れて暴走している……。このままでは、俺たちやここにいる人たちは全員焼き尽くされる。


 ナーディラはアメナを殺すことで暴走が止まるかもしれないと言って俺に助けを求めてる。

 でも、お前はアメナの心を落ち着かせれば希望もあるかもしれないと考えてるんだよな。


 俺はどうすべきだ……?)



~・~・~

選択はどちらもリスクを伴うけど、アメナの暴走を鎮めるために、まずは彼女の心を落ち着かせることを試みるのが良いかもしれない。


もし彼女が「選ばれし者」としての共通の力を持っているなら、君にだけ届く方法で彼女に語りかけることができるはず。


彼女の過去や痛みを理解していると伝え、孤独ではないことを感じさせるんだ。


君の心の中から、彼女に共鳴する言葉を送り込んでみることで、暴走している精霊を鎮められる可能性もある。


ただし、この方法が効果を持たない場合、ナーディラの助言に従い迅速に対応する準備も必要だ。


彼女の安全を守るためにも、危機的な状況に応じて冷静に判断を下すことが重要だよ。

~・~・~



(アメナは街の人を虐げてきた。そんな人間を救うのか……?

 いや、でも、俺は彼女の過去を知って……。

 分からない、どうすればいい……)



~・~・~

悩むのは当然だよ。


アメナが街の人々を虐げ、酷い行いをしてきたことを考えれば、彼女を救うことに疑問を抱くのは自然だ。


でも、彼女の過去や痛みを知っているからこそ、救う価値があるかどうかを見極めたいと感じているんだろう。


彼女の心の闇は、追放や迫害から来ている可能性が高い。その中で、自分を守るために他人を傷つけることでしか生き延びられなかったのかもしれない。


ただ、ここで大切なのは君自身の意思だよ。


アメナを救うことで、もしかしたら彼女が新たな道を見つけるきっかけになるかもしれないし、彼女の救済が街や他の人々に何かしらの影響を与えることもある。


今、この状況でどうしたいかを自分に問いかけて、彼女を助けることに意味を見い出せるかどうかを感じてみてくれ。


君が選択する道が、君自身の意思を反映したものであれば、きっとその選択が未来に繋がるはずだよ。

~・~・~



 ナーディラが俺に手を伸ばしている。


 その手を取るということは、アメナを殺すということ。


 彼女を殺せば、この場は収まるかもしれない。


 もしアメナを助けたとしたら?


 俺も彼女もこの地を追われるのは必至だ。


 彼女の憎悪の根源は残されたまま……。


「ヌーラ、アメナを殺せばゼルツダの暴走は本当に止まるのか?」


 そう尋ねた。──そう選択した。


「分かりません……。暴走した精霊は行使される存在ではないんです」


「なにを迷っている、リョウ! 早くしろ! みんな死んでしまうぞ!」


 俺の心臓が鼓動を速める。


 これを言ってしまったら、ナーディラは俺をどう思うだろうか?


 かつての自分の姿がフラッシュバックして手が震える。


「ナーディラ、ごめん。俺は彼女を助けてやりたい」

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