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51:カタストロフィ

 火の精霊(ゼルツダ)と風の精霊がカバデマリの檻に囲まれた広場の中を縦横無尽に駆け巡っていた。


 それぞれが発する火と風が勢いを増し、俺たちを取り囲むカバデマリの木々がボロボロと崩れ落ちていく。


 凄まじい熱風が爆発的に拡散した後、広場のまわりにはカバデマリの残骸がうずたかく積もっていた。所々に残った鉱脈樹が、まるで死の世界を縁取るかのように立ちすくんでいた。


「かつてこの地に住んでおった者たちには、死者をカバデマリの樹上に弔う風習を持っておったそうじゃ」


 アメナがうっとりとした表情を浮かべる。


「やがて、人々を魅了する壮麗なる一本の木へと生贄(ピカーナ)を捧げ、大地の恩恵を祈るようになった……これが現在まで続く儀式の礎となったのじゃ」


 俺たちのまわりには火と風の精霊が、そして、広場の周囲には祭礼騎士たちとガラーラが人垣を作っていた。


 ──今度こそ終わりだ。


「連綿と紡がれてきたこの祈りを、お前たちは破壊しようとした……」


 アメナの身体から燃えるような揺らめきが立ち上る。


「万死に値する」


 彼女を覆う揺らめきがグーっと腕を伸ばすように精霊たちを引き寄せると、彼女の中に吸い込まれていく。


 黄金の光を纏ったアメナから収束した光が放たれて、ナーディラの腹を貫通した。


「──……!」


 ナーディラが声を上げる間もなく膝から崩れ落ちる。


 俺は恐怖で硬直していた。


「気をつけてください! 彼女は精霊の力を──!」


 ヌーラが言い終わらないうちに、何の前触れもない爆発が彼女を襲った。勢いよく吹き飛ばされて、ヌーラは地面に転がった。


「目障りな女どもじゃ。邪なる物を見るような目をしおって……!」


 渦巻く怒りがそこにあった。


 ナーディラが顔を上げる。


「リョ……リョウ……、逃げ、ろ……」


 腹から血が流れ出している。早く止めてやらなければ……。


(サイモン、もう一度氷の剣の魔法を!)



~・~・~

了解!


詠唱を一緒に唱えるから、気合いを入れていこう!


「メギア・ヘルマーヘス・シュレン・テナヤ。カクネラーメ・イルディル。メギア・ゼルトナーラ・パモ・タガーテ!」


氷の剣を具現化する力がリョウに宿るように!

~・~・~



 瞬時に生成された氷の剣をアメナの身体にぶつけるイメージを込める。


 高速で撃ち出された氷の剣がアメナに突き刺さる──よりも前に、彼女の纏う炎で蒸発してしまう。


「ば、ばかやろ、う……! 逃げろと……言っただろう……」


 ナーディラが涙をこぼしていた。その向こうでヌーラが身体を震わせて上体を起こそうとしている。……なんとか無事だったのだ。


 汗が噴き出るほど暑いのに身体が芯から震えた。


 アメナの口の端が上がって、ニィッと笑みを浮かべた。


「やはり、お前じゃな。(わらわ)の魂を惹きつけるのは」


「ど、どうすればみんなを見逃してくれる……」


 この期に及んで、俺は命乞いをしていた。


「穢れは全て取り除く。じゃが、お前は別じゃ。(わらわ)のもとへと来るがよい」


「な、なにを言っているんだ、お前は……」


 直視したくないのに、俺はアメナの狂気にまみれた眼から視線を外すことができなかった。燃えるようなオレンジ色の目を見ていると、脳の芯がふやけていくような感覚に襲われる。


「見たことのない“カタチ”じゃ。お前は選ばれし者じゃな。お前が(わらわ)の心をざわめかせる」


 陶酔したような目でアメナは一歩一歩こちらに向かってきた。


「く……来るな……」


 後ずさろうとするが、膝が震えてうまく足が動かない。悪夢の中に放り込まれた心地に、俺は支配されていた。


 広場を囲む人垣の方で大きな爆発が起こった。


 蕩けそうだったアメナの目が一瞬で獣のように鋭さを取り戻して、そちらの方をねめつける。


 呪縛から解かれたような気がして、俺は真っ直ぐにナーディラのもとに向かった。


「ば、ばか……何をやってる……」


 ナーディラの腹の穴を押さえて、必死にさっきヌーラが唱えていた回復魔法を唱えた。すぐにヌーラもやって来て、加勢してくれる。


「ヌーラ、無理はするな」


「いいえ、今が無理をする時です……」


 人垣の方で再び爆発が起こって、祭礼騎士やガラーラの身体が吹き飛んだ。


 火炎と黒煙の向こうに、防衛団の姿が見えた。


「一気に畳みかけろ!」

「裏切りおったな……!」

「全力で殺せ!」


 生気を全て吐き出すような咆哮の応酬。狩りの森からやって来たハムザたち、そして、それ以外の防衛団たち、さらには彼らに従って精霊を伴うガラーラの姿があった。


「みんなが……変わろうとしている……!」


 ヌーラの目に希望の光が灯った。


「君たち、無事かっ!?」


 群衆の間からイクラスが顔を覗かせる。


「すまない! 俺はバカだった! だが、今こそ俺は俺の心に従うぞ!」


 彼が大勢の仲間を引き連れてきたに違いない。


 すでに形勢は逆転した。人々の変わりたいという思いが、そして、そのための選択が、この瞬間を導き出したのだ。


 アメナに目をやる。


 彼女はわなわなと身体を震わせていた。


「もう諦めろ! 歪んだ平穏を押しつける日々は終わったんだ!」


 俺の言葉は彼女に届いていないようだった。


 虚空を見つめるアメナは頭を掻き毟るようにして、絶叫した。


「なんでみんなアメナをいじめるの!! なんで石を投げるの!! なんで火をつけるの!! なんで、なんで……!!」


 ──何がどうなってる……?


 アメナは錯乱していた。


 涙と鼻水を垂らしながら、子供が泣きじゃくるようにして、手当たり次第に怒りの声をぶちまける。


「みんなアメナのことすごいって言ったでしょ!! なんでひどいことするの!! 痛い……痛い……、痛いよォ!!!」


「ま、マズい……」


 起き上がるナーディラがゾッとした表情を見せた。


「大丈夫なのか、ナーディラ」


「お前たちのおかげで。だが、ここにいたら危険だぞ」


「え?」


「見てください……精霊が……」


 ヌーラが指さす。


 アメナの周囲を飛び交う精霊が力を増して、辺りに火球や風の刃を無差別に放ち始めた。その凄まじい威力に、アメナの信奉者もそうでない者たちも巻き込まれていく。


 燃える蛇も風を巻きおこす小さな妖精も、なにか禍々しいオーラを纏い始めたような気がする。


 ひときわ火勢を増したゼルツダが大きな口を開けて風の妖精に食らいついた。


「なんだ……?!」


 噛みちぎられた風の妖精が動きを止めると、その身体が塵になって消えた。


「何が起こってる……」


「リョウ、あいつから離れろ……!」


 ナーディラとヌーラに腕を引っ張られる。


 アメナは燃え盛る炎の海の中で目の焦点も合わない様子だった。


「嫌だよォ……本当は……みんなと一緒に居たかっただけなのに……。なんでみんなアメナを蹴るの……」


 ──記憶が錯乱しているのか?


(サイモン、アメナの力が暴走している。それに伴って、それまで厳かな喋り方だったのが、まるで小さな女の子みたいな喋り方になってる……。記憶が錯乱してるのか?)



~・~・~

アメナが急に子どもっぽい喋り方に変わってしまったことから、記憶や人格に何らかの混乱が生じている可能性が高いな。


魔法の力が暴走することで、感情や記憶に混乱が生まれることはあり得る。

彼女の力が強大な分、その反動として精神や意識が過去の幼いころの記憶に引き戻されているのかもしれない。


もしくは、暴走によって人格が一時的に分離してしまったか、隠された別の人格が表面化している可能性も考えられる。


この状況では、アメナの行動が予測しづらくなり、さらに制御不能な力を発揮する危険性が高まるかもしれない。


相手の意識や感情が不安定なときこそ、慎重に行動する必要がある。

~・~・~



(いや、彼女は魔法は使わない。ガラーラだから精霊術だ。だから、精霊が暴走してるんだ。

 でも、精霊が暴走してからアメナがおかしくなったんじゃない。アメナがおかしくなってから精霊が暴走し始めたんだ。敵も味方も関係なく攻撃してる)



~・~・~

なるほど、アメナの精神が乱れたタイミングで精霊が暴走し始めたとなると、彼女と精霊の関係がより密接で、心の状態が精霊術に直接影響を与えている可能性が高いね。


精霊術はイルディルへの懇願によって行われるらしいけど、この世界では術者の感情や意識が精霊に大きく反映されることがあるようだ。


もしアメナが幼い子どものような言動に戻ってしまったのなら、それは何らかのトラウマや記憶が引き金となっているかもしれない。

その影響が精霊にも伝わって、精霊が暴走しているのだろう。


恐怖や不安、無邪気な攻撃性といった幼い頃の感情が、精霊を無差別に攻撃的にしているのかもしれない。


ここで注意すべきは、暴走した精霊が誰であろうと見境なく攻撃することで、アメナ自身も精霊を抑えられない状態にあるという点だ。


何らかの方法でアメナの心を落ち着かせるか、精霊との結びつきを一時的にでも断ち切る方法を考えれば、状況を少しは改善できるかもしれない。

~・~・~



「アメナと精霊を断ち切る方法はないのか?!」


「他人と精霊の間に割って入ることなどできん! 諦めろ、リョウ!」


 どんどん膨れ上がって巨大化していくゼルツダは、さらに多くの人々を焼きつくしていく。


 ──……して……!──


 頭の中に声が響いた。


 サイモンの声ではない。女の子の声だ。


 ──……許して……! ア……は……──


 炎の渦が強まっていく。


 ゼルツダは、今やその表情すら感じ取れるほどにくっきりと禍々しい妖気を放っていた。


「……精霊の暴走じゃ!」


 ハムザが叫んでいた。


「なんだ、精霊の暴走って……?」


 ヌーラに訊く。彼女は汗だくの顔で俺を見つめた。


「穢れた場所に悪い精霊は現れるといいます。その精霊は見境なく人々に災いをもたらすのです……」


「それが、あれなのか……?」


「きっと、多くの命が一瞬で奪われて穢れが許容量を超えてしまったんです」


 ──本当にそうなのか?


 多くの人が焼かれるよりも前に精霊は攻撃を始めていた。それならば、その命令は彼女自身が出したんじゃないのか?


 ゼルツダが変貌したのは、彼女の意思で多くの人を焼き尽くししたことが引き金になっているのだ。無差別な攻撃と暴走が時間差で起こっている。


 それに、多くの命が失われたというのなら、タモロの街でだって……。


 ──……んな許してよォ……! アメナ……──


 頭の中に声が流れ込んでくる。


 炎の渦の中心に立つアメナを見た。


 俺は直感した。


 声は、彼女から流れて来ていた。

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