49:無上なる特権
「ナーディラ、距離を詰めろ! 俺が援護する!」
すでに地面を蹴ってファイサルに向けて走り出していたナーディラにそう叫ぶ。
「わ、わたしはなにを……?」
俺の腕をギュッと掴んでヌーラが尋ねてくる。
「ヌーラは巻き添えを食らわないように離れて──」
「わたしも力になりたいんです!」
キラキラとした目で迫られて、俺は少女に圧倒されてしまった。
「でも、危険だぞ。俺は動き回って魔法を詠唱して奴の注意を引くつもりだ。そのまま撃てるならナーディラを援護する。だが、精霊丸の標的にもされる」
「おいっ!」
鬼神のごとき勢いで剣を振るうナーディラが叫ぶ。
「援護しろっ! お喋りしてるんじゃねえっ!」
……怒っている。
ヌーラが考えを巡らせながら言う。
「ならば、安全にいきましょう!」
「安全に……?」
ヌーラは小屋を指さした。
「あそこの陰に隠れて彼女……ナーディラさんを援護するんです」
目からウロコが剥がれ落ちた。
まわりを動き回ってファイサルの意識を逸らせようとばかり俺は考えていたのだ。ヌーラは良い意味で狡猾な考えも持てるようだ。
「良い考えだ。早速やろう。だが、本当に気をつけてくれよ。君が傷つくのは見たくない」
「そ、そんな……ありがとうございます……。あの、あなたのお名前は?」
「ああ、言ってなかったか。リョウだ」
ヌーラが俺の手を握る。
「頑張りましょう!」
ナーディラが怒号を発する。
「お前ら、何してるんだっ!」
「すまん! 今から援護する!」
すぐに散開して、小屋の陰に飛び込むと、ファイサルの笑い声が聞こえた。
「貴様のお仲間は恐怖で逃げ隠れたぞ」
ナーディラがファイサルの斬撃を剣で受け止める。
「お前のような浅い想像力ではそう思うんだろうな」
「我を愚弄するなぁ!」
勢いよく薙ぎ払うファイサルの攻撃を受け止めたナーディラは仰け反ってしまう。どうしても体格の差で力負けしてしまうのだ。
俺はその隙に魔法を詠唱する。
すぐにファイサルが反応して、こちらに精霊丸を放ってきた。バリッと音がして、木造の小屋の壁に穴が開く。
──マズい。木造の小屋では遮蔽物にならない。
「リョウさん!」
小屋の裏手に回っていたヌーラが声を上げた。
「二人同時に詠唱しましょう!」
かわいい顔をしてなかなか好戦的だ。……俺のまわりの女性陣だけがそうなのか?
二人で同時に詠唱を開始する。ファイサルが炎を纏った剣を振るうと、その斬撃が小屋を真っ二つにした。ガラガラと音を立てて小屋が半壊する。切断面からは火の手が上がった。
この広場には遮蔽物と言えるものが小屋しかない。
「ヌーラ、無事か?!」
「大丈夫です!」
声だけで安否を確認する。
「……がっ!」
うめき声がして、広場に目を向ける。ナーディラが剣を弾き飛ばされていた。ファイサルがまさにそこへ剣を突き立てようとしていた。
「ナーディラ!」
すんでのところで剣を交わす彼女はその勢いでファイサルの横っ面に蹴りを見舞いした。すぐに地面を蹴って距離をとるナーディラの脇腹から血が流れ落ちる。
俺は飛び出していた。
「メギア・ヘルマー──!」
よろめきながらも放たれたファイサルの精霊丸が俺の太腿をかする。焼けた刃物で切り付けられたような痛みで立てなくなる。手にした剣で身体を支えようとするが、うまくいかない。
──が、ファイサルの上半身が小さく爆発する。
燃える小屋の陰からヌーラが炎の魔法を撃ち出したのだ。チリチリと燃えるたてがみと鎧……ファイサルは爆発を踏ん張って耐え凌いでいた。
「化物め……」
そう呟く間に、なにか空気の質が変わったような気がした。
ナーディラが踏み込んで無防備になったファイサルへ突進する。
しかし、突然現れた水の壁が彼女を飲み込んで弾き飛ばしてしまう。水の壁は次第に形を変えて森で見た美しい女性の姿になっていった。
「あらかじめ水の精霊たちを呼び出しておいて正解だった」
空気がじっとりと湿っていく。ぼつぼつと水の粒子が中空に現れて辺りを濡らしていく。ファイサルの髪や小屋から炎の光が潰えていった。
「チッ!」
立ち上がろうとするナーディラ。
次の瞬間、ゼルクビーナのすぐ隣に燃える蛇──ゼルツダが出現した。そして、その身体がパッと閃光を放つ。
凄まじい熱波が走ったと思った刹那、俺たちは地面から沸き上がるような衝撃で大量の土と共に吹き飛ばされた。
──爆発……?!
そう思う間もなく地面に叩きつけられる。バラバラと土が降り注ぐ。辺りは土煙に囲まれていた。
肌にはジリジリと焼けるような痛み……細かい水の粒が高温に熱せられたのかもしれない。
──二人は……?
ナーディラの悲鳴が聞こえる。
土煙の向こう、今まで剣を持っていた右腕から血を流した彼女が反対の手で握った剣で迫るファイサルに応戦していた。
ナーディラが死んでしまう……。
「メギア・ヘルマーヘス・氷の剣。カクネ……」
「遅い!」
ファイサルがこちらに手を向ける。死の恐怖が俺を突き動かして、横っ飛びした。精霊丸は当たらなかったが、魔法の詠唱が追いつかなかった。
(バカみたいに強い奴にどうやって勝てばいい……? このままじゃ、ナーディラもヌーラも全員やられてしまう……)
~・~・~
強敵を倒すには、いくつかの戦略がある。
特に圧倒的な力を持っている相手に対して、正面からぶつかるのはリスキーだ。
そこで以下のような方法を考えてみてくれ。
1.相手の弱点を探る:
どんな強敵でも必ず弱点がある。
スピードに弱い、スタミナが切れやすい、防御に甘いところがあるなど、まず相手の行動や攻撃パターンから隙を見つけよう。
2.仲間との連携:
ナーディラやヌーラと協力して、相手の注意を引きつつ攻撃できるタイミングを作るのも効果的だ。
仲間同士の役割分担が、強敵に対して重要になる。
3. 持続戦に持ち込む:
相手が力に頼っている場合、長引く戦いでは消耗してくる。
焦らず、相手が隙を見せるまで防御に徹する戦法もアリだ。
4. 逃げ道を確保する:
どうしても勝てない場合もある。
あらかじめ退路を作っておき、必要であれば一度引いて体勢を整えるのも賢い判断だ。
リョウなら、この状況をうまく切り抜ける方法を見つけられるはずだ。
~・~・~
──そうだよな、こいつはいつも理論的だ。だが、理論が完璧でも、それを実行するのは訳が違うんだ。
ファイサルの弱点を探る余裕なんてないし、ナーディラやヌーラとの連携も途切れてしまった。戦いが長引けば、こちらが不利になる。カバデマリの檻でまわりを囲まれたここには逃げ場なんてない。
「貴様、何か隠しているな?」
ファイサルは大剣の飾りについた光る石が煌々と光っているのを目にして俺に身体を向けた。
「やめろ……!」
斬りかかろうとするナーディラだったが、ファイサルはその腹に躊躇なく足をめり込ませた。ナーディラの身体がポーンと投げ出されるようにして地面に落ちる。
「貴様は黙っていろ」
──俺には魔法しかない。なのに、それが使えない……。俺は誰も守れない……。
「この地をこれ以上、邪術で穢させはせん。たとえ目に見えぬものでもな」
ファイサルがこちらに向かってくる。心臓の鼓動が速まる。死が近づいているのだ。
剣では太刀打ちできない。せめて魔法で不意打ちできれば……。魔法の詠唱はどれだけ早くしても四、五秒はかかる。
──無理だ。
その隙にファイサルにやられる。詠唱を声に発さなければならない制約がなければ……。
サイモンは言っていた。強敵に正面からぶつかるのはリスキーだ、と。
──もっと作戦を練って一気に片を付けておけば……!
見通しが甘かったんだ。ナーディラの強さに頼りすぎ、俺には力なんてないのに、三体一ならいけると思い込んでしまった。
俺たちは選んだ道を行くしかない。ナーディラが言っていた言葉が重くのしかかる。後悔しても遅いのだ。
もっとサイモンと協議を重ねて──、
──……サイモン?
「得体のしれぬ貴様から片付けておこう」
ファイサルの重い足音。向こうでナーディラが声を上げて立とうとしているのが見える。
俺は賭けに出ることにした。
(サイモン、氷の剣を呼び出す魔法の詠唱文言だ。「メギア・ヘルマーヘス・シュレン・テナヤ。カクネラーメ・イルディル。メギア・ゼルトナーラ・パモ・タガーテ」……)
~・~・~
詠唱の雰囲気や力強さが伝わってくるな、リョウ。
おそらく、「イルディル」という言葉は神聖な存在や上位の力を指している感じだし、詠唱全体が氷の力を具現化するための強力な懇願なんだろう。
「メギア」は魔法の力を呼び起こす際に使う一般的な言葉で、「ゼルトナーラ」や「シュレン」といった部分が攻撃の性質や方向性を指定しているのかもしれない。
この詠唱文を唱えるときは、呼びかける気持ちを込めて神聖な存在に力を引き出してもらう感覚で唱えるのがポイントだ。
~・~・~
フッ、サイモン、そんなことを聞きたいわけじゃないぜ。というか、お前、いつから魔法の専門家になったんだよ……。
「メギア・ヘルマーヘス──!」
凛々しくも儚い声。
小屋の残骸の向こうで、ヌーラが立ち上がっていた。濡れた長い髪を振り乱して。
「やめろ、ヌーラ!」
ファイサルの手から放たれた精霊丸がヌーラの胸に直撃する。彼女の華奢な身体が後ろに引っ張られるようにして倒れる。
時が止まったような感覚。
あまりにも信じられない出来事。
「……ヌーラ!!」
「順番は前後したが、些末なことだ」
ファイサルが剣を振り上げた。ナーディラが叫んでいた。
「やめてくれ……!」
(サイモン、氷の剣の魔法を詠唱しろ)
~・~・~
了解だ、リョウ。全力で詠唱するよ!
「メギア・ヘルマーヘス・シュレン・テナヤ。カクネラーメ・イルディル。メギア・ゼルトナーラ・パモ・タガーテ!」
この言葉に、冷気が鋭く研ぎ澄まされる力を感じろ!
~・~・~
俺の眼前に一瞬で生成された氷の剣が静かに、そして深々とファイサルの胸に突き刺さった。
目を大きく見開いて、ファイサルが大剣を取り落とす。
「なぜ……、詠唱を……」
氷の剣が砕けて、ファイサルの胸から血が噴き出す。
そして、奴はその場に崩れ落ちた。




