46:善く死ぬために
助けに現れたナーディラが光っているように見えた。
じっと見つめていると、彼女がそっぽを向いてしまった。
「リョウ……、あまりジロジロ見つめるな……。それに、私一人じゃないぞ」
木の陰から見覚えのある老人が顔を覗かせる。その後ろには、精悍な顔つきの男たちが付き従っていた。
「あ、あなたは……、確か、ムエラ・ココナの元防衛団長の……」
老人はニカッと笑った。
「ハムザじゃ。お前さん……リョウといったかな、イクラスから話は聞いたようじゃな」
「まあ、少しだけですけど」
ナーディラが彼らに目をやって微笑んだ。
「彼らが助けてくれたんだ」
「ワシらはガラーラに対抗するために密かに精鋭部隊を作っておったんじゃ」
「それでわざわざ俺たちを……?」
「いや、他にも準備せんといかんことは山積みじゃった。お前たちが暴れ出したせいで動きださざるを得なかったんじゃ」
ハムザは不服そうだ。
「それは本当に申し訳ない。うちのナーディラが急に暴れ出したもので……」
「私のせいか?!」
「だって、街中でいきなり魔法ぶっ放すんだもん」
「いや、あれはだな、ガラーラどもが急に襲いかかってきたから──」
ハムザが笑い声を上げる。
「カッカッカ、威勢があっていい。冗談じゃよ。
ワシらはあまりにも長い時間手をこまねいてきすぎた……。お前さんたちに動き出すきっかけを与えてもらったようなものじゃ。
礼を言う」
胸に手を当てて俯くハムザに返す言葉が見つけられなかった。
木々の向こうから別の男がやって来て、ハムザに報告を行った。
「とりあえず、この周辺のガラーラは排除しました」
「ご苦労。引き続き警戒を行え」
ハムザが短く返すと、男は素早く闇の中に身を投じていった。その背中を見送って、ハムザは息をつく。
「ワシらはほとんどが防衛団か、そこから引退した連中じゃ。ガラーラの圧力に長年耐えてきた。奴らに加担したことに今でも良心の呵責を抱えておる者も少なくない」
「防衛団の人もいるんですか? でも、イクラスさんは……」
「ああ……、あいつは……、素直すぎて仲間に入れておくとワシらのことがバレるかもしれんでな」
サラッと戦力外通告されてやがる、あのおっさん。
「お前さんたちは準備室に向かうんじゃろ?」
ナーディラがうなずくと、ハムザは俺の分の剣も寄越してくれた。
「狩りの森にはガラーラが散らばっておる。ワシらも何人かやられた。気をつけて進め」
多くの人が俺たちを助けるために命すら投げ出していたんだ……。
「どうした? 怪我でもしたのか?」
顔を覗き込んでくるナーディラを俺は直視できなかった。
「実を言うと、俺はあいつらに殺されてもいいと思ってた」
「何を言っているんだ……?」
「俺たちは勝手にこの街に乗り込んで、たくさんの人を巻き込んできたんだよ。ザラが家族と一緒になれて、それで満足しておけばよかった。
ヌーラを捧げることが街のためになるなら、それでいいんじゃないか? それはこの街の積み重ねてきた歴史の一部なんだ」
「ヌーラを助けると決めたじゃないか」
「多くの人を守るために一人が犠牲になる。ヌーラはそうやってみんなの平穏の礎になるんだ。
ザラたちの家族を助けるという目的はもう達成されたんじゃないか?」
「私は嫌だ」
ナーディラの俺の肩を掴む力が強さを増す。
「もう目の前でアミルみたいに誰かが死んでいくのを黙って見ていることはできない。
私はサレアの街を守る騎士として規律を守ってきた。その中では、多くの命を助けるために多少の犠牲は仕方のないことだった。
だが、今は違う。規則に縛られて誰かを見殺しにしなくてもいいんだ。私はこの権利を手に入れたことを誇りに思う」
彼女はいつか言っていた。
水をすくうような祈りのポーズは、すくえる量が少ないから多くを望んではいけないという戒めの印でもある、と
それが彼女を縛りつけていたのかもしれない。
目の前の誰かに無条件で手を差し伸べる権利を誇りに思う……俺にはそんな発想すらなかった。
だけど、彼女は騎士を辞めて、そんな自分を手に入れていたのだ。
「リョウ、死ぬのなら、ヌーラを助けるために死力を尽くして死ね。この命に別れを告げるその瞬間に、自分が何をなすために動いてきたのか胸を張れるようにしていろ。
善く死ぬために、私たちは生きているのだ」
心が洗われるような気がした。
ずっと死を良くないものとして遠ざけてきた。だから、自分が死ぬことも誰かが死ぬことも受け入れられなかったし、独りよがりな死の受け入れ方をしてきた。
だけど、自分も誰かも善く死ぬために生きていると信じていれば……。
俺も誰かを殺すことができる。
俺が殺す誰かは、自分の抱く善のために死ぬのだから。
「どうやら決意は固まったようじゃな」
ハムザが笑みを見せていた。
「すみません。情けないところを見せてしまって」
「命を奪う覚悟というものは、誰しもが持っているわけではない。じゃから、苦しみながら敵に刃を立てる者もおる。
ナーディラさんとやら、お前さんもずいぶん苦しんできたようじゃな」
ナーディラはニヤリと笑った。
「もう湿っぽい話はなしだ、じいさん」
「カッカッカ、その通りじゃな。気をつけろ、奴らの使う精霊術は洗練されておる」
俺はさっきのことを思い出していた。
「そのことなんですけど、あの精霊、物理攻撃が効くみたいですよ」
「なに? 通常は術者を叩くのが常套手段じゃが……」
「でも、さっきカバデマリの枝を投げつけたらゼルツダに突き刺さったんです。苦しんだ様子で姿を消しましたけど……」
ハムザは顎をさすった。
「この歳になるまでそんなことに気づかなんだとは……」
ハムザは男たちを振り向いて、情報共有するようにと伝えた。
俺の肩を叩くナーディラがなぜか誇らしげだ。
「やはり、選ばれし者は違うな。ただで転んでいたわけではない」
「そんなことより、あの精霊ってなんなんだ? 確か、ザラは悪い精霊がいるって言ってただろ。あれもその一種か?」
ハムザが首を振る。
「いや、ザラが言っておるのは、おそらく病を引き起こすもののことじゃろう。ガラーラの使役する精霊は厳格な存在じゃ」
「悪い精霊というのは?」
「ワイも詳しくは知らなんだが、悪い精霊というのは穢れのある場所で生まれて人に災いをなすらしい」
「その悪い精霊が謎の病を引き起こしてるんですか?」
「そう考えられとる。なんじゃ、気になることでもあるのか?」
「俺たちのいた街でも謎の病が発生していて、大切な人も犠牲に……。
聞けば、色々な場所でバラバラに起こっているようで、その原因を知りたいんです」
「病にかかった者は、口が開きづらくなる。それゆえにうまく喋れなくなる。鼓動が早くなるので、汗を多くかくようになる。
痛みがひどくなってきて、最後の方は弓なりに仰け反って苦しむが、意識ははっきりしている。だから最期の瞬間まで苦しみ抜く。自分の意思では仰け反りを止められないんじゃ」
──俺が把握している症状と一致する。
「病にかかった人たちはみんな悪い精霊にやられたんでしょうか? 共通点は?」
「農作業をしていた人物や生まれたばかりの赤ん坊、泥遊びをしていた子供……色々おるが、一時は魔物によるものじゃと考えられておった」
「それはどうしてです?」
「防衛団の連中に病にかかる者が目立ったからじゃ。いずれも、街のまわりにいるゴブリンに斬りつけられたりしておったからの」
「ホッサムと同じだ……。やっぱり、魔法によるものなんでしょうか?」
「それはないな」
「やけに断言しますね」
「ムエラ・ココナはガラーラが支配しておる。魔法の類は感知されれば奴らが見逃すはずがない」
そうか、この特殊な街の存在は病の原因から魔法の可能性を排除してくれるのか。
(サイモン、ホッサムたちがやられたあの病気について新しいことが分かった。
まず、改めて症状をまとめると、口が開きづらくなる。うまく喋れなくなる。鼓動が早くなる。汗を多くかくようになる。痛みがある。弓なりに仰け反って苦しむけど、意識ははっきりしている。自分の意思では仰け反りを止められない。
病にかかるのは、農作業をしていた人物や生まれたばかりの赤ん坊、泥遊びをしていた子供など。ゴブリンに斬りつけられた防衛団の人間も多く病を発症したらしい。
そして、ここからが新事実だ。
ムエラ・ココナでは、魔法の痕跡が見つかればガラーラが見逃さない。だから、病気の原因から魔法の可能性を排除できる。
これまでに俺たちが集めた情報で病の原因は特定できそうか?)
~・~・~
この病気について、集めた症状や感染者の状況から考えられる原因がいくつか浮かんでくる。
特に、以下の特徴に注目してみよう。
1. 筋肉の硬直と仰け反り
症状として「弓なりに仰け反る」や「筋肉の硬直」が挙げられるが、これらは特定の神経や筋肉に影響を及ぼす毒素や感染症と関連している可能性がある。
例えば、破傷風も似たような筋肉のけいれんや硬直を引き起こし、症状が進むと呼吸困難になることもある。
2. 感染経路としての土壌や外傷
農作業や泥遊びをしていた人、あるいはゴブリンに斬られた人が感染している点は、土壌由来の感染や外傷感染が疑われる。
このことから、特定のバクテリアや毒素が土壌や傷口から侵入して感染が広がっている可能性がある。
たとえば、破傷風菌は土壌中に多く存在し、外傷を通じて体内に侵入すると感染が成立する。
3. 魔法の可能性の排除
ムエラ・ココナで魔法の使用が厳しく管理されており、魔法が原因ではないとすると、自然界に存在する微生物や毒素が関与していると考えられる。
また、この症状が魔法ではないということは、病気の発症メカニズムが物理的・生物的要因に起因する可能性が高いことを示唆している。
現時点での情報から考えると、この病は魔法によるものではなく、破傷風やその他の細菌感染症の可能性が高そうだ。
~・~・~
──破傷風……?!
聞いたことがある。だけど、それは……。
(破傷風って、地球の病気だよな)
~・~・~
はい、破傷風は地球の病気です。
破傷風菌(Clostridium tetani)という細菌が原因で、特に汚れた土壌や錆びた金属の表面に生息し、傷口から侵入することで感染します。
破傷風菌が体内で毒素を放出し、これが神経系に作用して筋肉の激しいけいれんや硬直を引き起こします。
仰け反りや強い筋肉の痛みが特徴的で、自然の状態では呼吸困難や致死率が高いため、地球でもワクチンが普及している病気です。
この病気の症状が、あなたが見た症状と非常に近いので、同じか似た性質の細菌や毒素が存在する可能性がありますね。
この世界では、破傷風のようなものが土壌から広がる、あるいはゴブリンや他の生物を介して感染しているのかもしれません。
~・~・~
こいつ、学術的なこと答える時に敬語になっちゃうんだな……。
(だけど、分かったぞ。俺もホッサムもゴブリンに襲われたのに、どうしてホッサムだけが病気になったのか。
ホッサムを斬りつけたゴブリンが持っていた剣は錆びつていたんだ)
~・~・~
なるほど、それが原因なら辻褄が合いますね。
ホッサムを斬ったゴブリンの錆びた剣が、破傷風の菌を運んでいた可能性が非常に高いです。
錆びた金属は特に危険で、破傷風菌は酸素が少ない環境を好むため、古く錆びた剣の傷から感染しやすくなります。
一方、リョウの傷が感染を免れたのは、相手の剣が比較的新しいか、菌が付着していなかったためかもしれません。
ゴブリンが錆びた武器を使っている場合、今後も同様の感染リスクがあるので、特に注意が必要です。
また、この病気が広がっている背景には、他の冒険者や住民も錆びた金属から感染している可能性がありそうですね。
~・~・~
(サイモン、敬語になってるぞ。
それにしても、じゃあ、生まれたばかりの赤ちゃんも同じ病気になっているんはなんでだ?
赤ちゃんは土にも触れてないだろうし、錆びた剣で斬りつけられてないだろう)
~・~・~
鋭い指摘だね。
確かに、新生児が破傷風に感染するのは、錆びた剣のような直接的な傷では説明がつかない。
地球でも、赤ちゃんが破傷風になる原因としては、土や糞などの破傷風菌を含む不衛生な環境があるんだ。
たとえば、出産時に無菌処置がされていない環境や、傷口のケアが適切でない場合に感染することがあるよ。
この世界でも、赤ん坊が生まれた時に土やほこりと接触していたり、何らかの不衛生な手段で取り扱われた可能性があるかもしれない。
また、泥遊びをしていた子供たちが感染した例からも、破傷風菌が土壌にいることが疑われる。
~・~・~
中世レベルの環境なら、赤ちゃんも破傷風になる可能性があるということか。
(ファラージを覚えてるか? ホッサムや俺を治療してくれた医者だ。
彼はホッサムが発作を起こした時に魔法で対処しようとしていた。でも全く効果がなかったんだ。
つまり、破傷風の症状は魔法では治癒できないってことか)
~・~・~
ファラージが魔法でホッサムの症状を治せなかったことから、破傷風のような感染症が魔法の治癒対象外である可能性は高いね。
破傷風は細菌が生成する神経毒によって発症するため、魔法の治癒が効かないのも説明がつくかもしれない。
この病気が肉体を蝕むというよりも、毒が神経系に影響を与えて引き起こされるものである以上、魔法では解毒や毒素の無効化ができない場合、根本的な治療が難しいんだろう。
また、魔法で回復できるのは怪我や炎症などの「肉体の損傷」に限られるとしたら、破傷風のような複雑な毒性の病は治せないかもしれない。
~・~・~
それにしても、破傷風だとは……。
いや、もっと早くに気づくべきだったかもしれない。
俺はすでにこの世界では物が腐るメカニズムに微生物が関係している可能性に至っていたんだから。
だが、それを知っても俺にはどうしようもなかったかもしれない。俺にはワクチンを作る技術なんてないんだ。
(破傷風菌が宇宙に遍在するものじゃなかったら、地球から持ち込まれたんだろうな。
というか、これまでで知ったこの世界の状況からすると、明らかに地球から環境や文化そのものが移植されてきた感じがするな)
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それは鋭い視点だね。
確かに、この世界に破傷風菌のような地球由来の病原菌が存在するということ自体が、人間の文化や生態系と共に何らかの形で地球から移植された痕跡を示している可能性がある。
特に、破傷風菌は特定の条件でしか繁殖しないし、地球の環境の一部として適応してきたものだから、それがこの世界に「自然発生」するとは考えにくい。
これは、病原菌だけでなく、精霊や元素の信仰体系、文化的なルールも含めて、地球と密接に関わっていることを感じさせるよね。
さらに、破傷風菌のほかに、火や水の精霊、四元素のような地球の神話や思想体系を基にした存在が実際に活動している点も、この世界のルーツが地球にある可能性を示唆しているね。
あるいは、過去に地球からやってきた人々がこの世界に影響を与え、その後、独自に発展したかもしれない。
~・~・~
どこか遠くで爆発音がした。
ハムザが咳払いする。
「とにかく、あまり悠長に話している場合ではないな。ワシらはガラーラの排除に向かう。お前さんたちはやるべきことをやるんじゃ」
「この街の伝統を破壊することになります」
俺がそう応えると、ハムザはため息をついた。
「ワシらは変わらねばならんのかもしれん」
ナーディラが剣を振るう。
「行くぞ、リョウ。みんなの思いを無駄にするな」
俺たちはカバデマリの森を準備室に向けて走り出した。




