45:狩りの森でフラッシュバック
土のにおいがする。
子供の頃、じいちゃんの家の裏山で虫取りに走り回っていたのを思い出す。
──しまった、寝坊したか?!
目覚めた俺の視界は暗い。
──森の中……?
木々の枝の間から満天の星が覗いている。その明理のおかげで目が見えているのだ。
──どこだ、ここは?
後頭部がズキリと痛む。手を当てると、血が固まってガチガチになっている。
──そうだ、俺は誰かに殴られて……!
(サイモン、いるか?!)
~・~・~
いるよ、リョウ。どうした?
~・~・~
いつもと変わらない応答。
それだけでパニックになりかけていた俺の心をなんとか取り戻すことができた。
(よかった……。
あれから誰かに殴られて、目が覚めたら森の中なんだ……!
ここはどこだろう? ナーディラもいないんだ!)
~・~・~
それは本当にまずい状況だな……!
周囲に何か目印はないか?
森の中ということなら、まず周囲を少しだけ探索して安全を確認してから、自分の位置を推測できる手がかりを探そう。
体力の回復が必要なら、少し休んで息を整えるのも大事だ。
それから、もしも荷物に食料や道具があるなら、確認しておこう。
ナーディラと合流できる方法がないかも考えよう。
~・~・~
辺りに目を凝らす。淡い紫色の木々に囲まれていた。
(ここは……、カバデマリの森だ。たぶん街から離れてる……)
~・~・~
森に目が覚めて驚いただろうけど、無事で何よりだよ。
カバデマリの森となると街からかなり離されている可能性が高いな……アメナの仕業だろうか。
周囲に人の気配はあるかい?
森には潜んでいる者がいるかもしれないから、少しでも異変を感じたらすぐに隠れるか身を守れるように準備をしてほしい。
ナーディラがどこにいるのか確認したいけど、街に戻る方法も考える必要があるね。
~・~・~
(そうだ、アメナが演説をして、街のみんながあいつの味方になって……、イクラスも家族を守るためにアメナの言うことを聞かざるを得なくなったんだ。
それで、誰かに殴られて……、そういえば、記憶が途切れる最後にアメナが、俺たちを狩りの森に連れて行くように命令してた……)
~・~・~
狩りの森に連れてこられた可能性が高いね。
アメナは恐らく、ここであんたを始末するつもりだったんだろう。
アメナの演説で街全体があいつの支配下に置かれ、街の仲間さえも敵対的になってしまったとなると、簡単には戻れない状況だ。
いまは、ここからどう抜け出すかが最優先だね。
まず、森の出口を探すことが必要だが、途中で街の兵やガラーラの者が巡回している可能性もある。慎重に移動して、周囲に気を配りながら、しばらくは姿を隠して進むのが良さそうだ。
ナーディラがここにいるのか確認する方法があればいいんだが……。
~・~・~
──いや、「あんた」って……。
俺は思わず笑ってしまった。もうフランクとかそういう問題じゃない。長年連れ添い系の雰囲気じゃないか。
あと、前々からずっと思っていたんだが、サイモンのやつ、漢字の読み方がいつも不思議なんだよ。
「仕業」とか「気配」とか……、ひどいのだと「潜んでいる」を「もぐんでいる」って読みやがったからね、こいつ。
なんだよ「もぐんでる」って。モグラかよ。
まあ、いい。サイモンのおかげでずいぶん気持ちがほぐれた。
そのせいか、腹が減っていることにも気が付いてしまったが。
(とりあえず、ナーディラを捜すよ。
狩りの森っていうのは、ガラーラが街の追放者を獲物にして殺戮を楽しんでいた場所に違いない。
アメナは俺たちに言ってたんだ、儀式に花を添えてもらうって。たぶん、俺たちを狩ることが儀式に花を添えることなんだ。
ボサッとしてたらやられてしまうかもしれない)
~・~・~
なるほど、アメナは狩りの森を利用して、この儀式に「花を添える」つもりなんだな。
確かに、ここは追放者や罪人がガラーラによって次々と狩られ、儀式を盛り上げるための舞台として扱われていたのかもしれない。
この状況では、油断すると一瞬で追っ手に捕まりかねない。
ナーディラがどこかで戦っているなら、きっと目立つ炎の魔法を使っているかもしれない。それが痕跡として見つかれば、ナーディラの位置を探る手がかりになるだろう。
森の中で音や光の気配に耳を澄ませながら、慎重に進んでみてくれ。
~・~・~
「狩り甲斐のないガキだ」
突然、森に声がこだました。
慌てて立ち上がる。
鉱脈樹の陰から白地に赤い文様のローブ姿の男が現れた。ガラーラだ。
急に膝が震えてしまう。
「な……、なんでこんなことをする……!」
「なんで、だと?」
ガラーラは木々の頭上を指さした。そこには痩せ細ってほとんど見えなくなっている月が浮かんでいた。
「十六月の新月はもう明日だ。お前はこの街に穢れを持ち込んだ。我々の儀式を完遂するには、お前を狩りの獲物としてイルディルに捧げるしかあるまい」
「イルディルに……? イルディルがそんなことを望んでいるのか?」
ガラーラは笑う。
「望んでいるか、だと? 愚問だな。儀式を前に穢れを街に招き入れてしまったのだ。お前の恐怖に打ち震える姿を捧げなければ、我らの誠意などイルディルに伝わらんさ」
(ガラーラに遭遇した。
こいつら、俺たちに恐怖を感じさせることでイルディルに自分たちが誠実だと示したいらしい。
……何を言っているのか分からねー)
~・~・~
ガラーラの連中は、恐怖によって相手を支配し、それを信仰の証しとしているようだな。
彼らにとって、イルディル(恐らく信仰対象の神か何か)への「誠実さ」は、他人に恐怖を植え付け、支配することで示されるのかもしれない。
おそらく彼らの信仰体系では、恐怖そのものが力の象徴であり、他者を服従させることが神への忠誠心とみなされている。
恐怖を通じて「誠実さ」を示すというのは常軌を逸しているが、これがガラーラの権威を強化し、人々を縛りつけている根本にあるのだろう。
この異様な信仰が、彼らの行動や言動を支配しているからこそ、彼らは儀式や狩りをも正当化し、残虐な行為を「忠義」として美化しているのかもしれない。
~・~・~
(完全にカルト教団だな……)
~・~・~
その通りだな、完全にカルト教団の構造だ。
ガラーラは恐怖と忠誠心の歪んだ解釈を基盤にして、人々を支配しようとしている。恐怖を利用して信者を服従させ、神に対する誠実さを証明するような教義は、典型的なカルトの特徴だ。
特にガラーラが、儀式や殺戮といった極端な行為を正当化する点は、ただの集団というよりも、支配と服従の厳格な階級が存在する危険なカルト的な教団の姿そのものだ。
このようなカルト教団では、内部の人間が恐怖を感じ続けることで、忠誠を強制される。
また、外部の「異端者」や「敵」を狩ることで、団結を深め、神への忠誠を再確認するような洗脳が行われている。
現実世界のカルト教団でも、同じようなメカニズムで支配が行われ、内部での逃亡や裏切りを防いでいる場合が多い。
~・~・~
ガラーラの持つ錫杖の輪に嵌められた光る石が光っている。
「魔法を使うようだな。……アメナ様には見えるのかもしれないが、何の現象も引き起こすことのできない些末なもののようだ」
ガラーラは笑みを浮かべて呪文を唱えた。
奴の背後の空間に生まれた炎の渦から燃える蛇──ゼルツダが姿を現す。炎の明かりで辺り一帯が照らされる。
──ここままじゃやられる……!
俺は奴に背を向けて鉱脈樹の間を縫うように駆け出した。俺の背後から笑い声が追って来る。
「フハハハハハ、逃げろ! 逃げ惑え! そして、恐怖を曝け出せ! 穢れから溢れ出す恐怖は我らの誠意となる!」
狂っていやがる。
俺は地面に落ちていたカバデマリの枝を拾った。高硬度の鉱物でできた枝だ。気休めかもしれないが、武器にはなるはずだ。
木々の間をゼルツダの吐き出す火球が駆け抜けていく。火球は木に直撃すると、弾けて消えた。カバデマリの木はビクともしていない。
俺は木を盾にしながら、当てもなく走り続けた。
と、前触れもなく横合いから水の塊が飛んできて、俺の脇腹にぶち当たった。
「──……がっ!!」
息ができなかった。
そのまま地面に倒れるしかなかった。
水の塊が飛んで来た方向に、水を纏った美しい女性がぼうっと浮かび上がっていた。
どこからともなくガラーラの声がする。
「この森には狩人がそこかしこに潜んでいる。見えない恐怖に苛まれるがいい」
──燃える蛇に水を纏った女……、タモロの街では小さな妖精も見えた……。
立ち上がってすぐに走り出す。俺が転がっていた場所に火球が着弾して爆発した。ガラーラの愉悦に浸った笑い声が沸き起こる。
(ガラーラどもが使役している精霊……燃える蛇に水を纏った女……、それに、クトリャマが使っていた小さな妖精……、これってゲームとかでも見る精霊と同じじゃないか?)
~・~・~
それ、まさにゲームやファンタジーでよく見かける精霊たちと似てるね。
例えば、火の属性に燃える蛇、水の属性に水をまとう女性、さらには妖精のような小さな精霊といった具合に、それぞれの精霊が異なる属性や役割を持つのは典型的な設定だ。
特にRPGやファンタジー作品では、こうした「火・水・風・土」といった基本的なエレメントに対応する精霊が登場することが多い。
精霊は、各属性に応じた力を使い、時に召喚者や術者の味方として助け、時には敵として立ちはだかる。
こうした精霊の姿は、日本の伝承や西洋のエレメンタル思想にも由来していて、文化的にも根付いた存在なんだ。
現実では神話や伝承の中の存在だが、ゲームや物語の世界ではそれらのイメージをもとにして、力強く個性豊かな精霊たちが描かれるようになった。
~・~・~
(四元素の思想に基づいた精霊がいるってことは、この世界は明らかに完全に地球の神話や伝承をなぞってるってことだ……!
それも、伝説だけじゃなくて実際に存在してるなんて……。意味が分からない)
~・~・~
確かに、四元素に基づいた精霊が実際に存在し、現実のように活動している世界というのは、神話や伝承と現実が融合しているようなものだね。
四元素思想そのものは古代ギリシャの哲学から始まり、火・水・風・土が万物を構成するとされていたが、それがこの世界にリアルな形で現れているということは、地球の神話や伝承が何らかの形でこの世界に影響を与えている可能性があるね。
この「地球の神話をなぞった」現象が起きている理由として考えられるのは、この世界そのものが地球と何かしらの繋がりや類似性を持っている、あるいは、あなたが関わっているこの世界が人類の文化やイメージに基づいて形成された一種の「異世界」なのかもしれない、という点だ。
こうした世界観は、夢や異次元などに関する哲学的・文学的なテーマでもよく見られるが、実際に精霊が存在し、四元素の法則に従っているとなると、今後の探索がさらなる謎を解き明かすきっかけになるかもしれない。
~・~・~
足元で水の塊が弾けた。
その勢いで弾き飛ばされて、俺は地面を転がった。それでもすぐに立ち上がろうとした。
死だ。
死の恐怖が俺を突き動かしていた。
立ち上がろうとする俺の目の前にゼルツダが瞬間移動して現れた。
息詰まるほどの高温に晒されて、俺は倒れそうだった。それでも、手にしたカバデマリの枝を投げつけた。
その枝が、ゼルツダの燃える身体に突き刺さった。
この世のものと思えない音を張り上げて、ゼルツダが身体をうねらせ、パッと姿を消した。
──物理攻撃が……効く?!
ホッとしたのも束の間、俺の背後に水の精霊が迫っていた。
水の塊が槍のように尖って俺の方を向く。
死を覚悟した俺の目の前で、水の精霊が蒸発したかのように霧散してしまった。
木の向こうで人の倒れる音がした。ガラーラが首から大量の血を流して横たわっていた。
「まったく……捜したぞ、リョウ」
剣を握りしめたナーディラがそこに立っていた。




