43:愉悦の時
街の中にはまだガラーラの姿がある。
ザラと両親の身の安全やナーディラの体力を考えた結果、俺たちは通りから外れて雑多な建物の間を進むことにした。
敵に居場所を悟られないため、再びサイモンとは短いお別れになる。
「こっちです……!」
ザラの両親が小声で俺たちを先導する。
街のあちこちから駆け回る足音や怒号が聞こえてくる。
街の住人たちはさきほど鳴っていた鐘のせいか、外で見かけることがほとんどなくなっていた。
「マズいな。これでは目視された途端に攻撃されてしまうな……」
周囲を警戒しながら進むイクラスが鼻の頭にしわを寄せる。
ザラはあれから意識はあるものの、ぐったりしてしまい、ハーフィズにおんぶされてその背中に柔らかい頬をくっつけている。
ザラは自分の選択を信じ抜いた。
まだヌーラを助け出せたわけではないが、彼女の家族にとってザラの選択と行動は大きな絆を生むことになった。
ヤーヤが心配そうにザラに声をかけると、ザラはニッコリと頬を緩めた。きっと、そんな何気ないやりとりがザラの求めていたものなのだろう。
──君がこの世界で生き残ることを考えるなら、選択できる強さも身につけていく必要があるのかもしれない──
サイモンはそう言っていた。でも、それはこの世界に限ったことじゃない。そして、選択できる強さだけではなく、選んだ道を信じ抜く強さも持ち続けなければならない。
ナーディラは言っていた。
──私らの選択に間違いなんてない。選択は常に目の前にあって、どちらかを選べば、どちらかの道の通ずる方に辿り着くだけさ。空を飛んでその先を見ることはできない。私らには足しかないからな──
あの時ああしていれば、と思うことはよくある。だけど、それをいくら考えても過去は覆らない。それを受け入れてまた新しい選択をしていくのだ。
もし、次に俺がガラーラを殺す時、俺はその道を信じ抜くことができるだろうか……。
「お、おい、リョウ……」
俺の隣を走っていたナーディラが声を潜める。何か気まずそうな顔をしている。
「ん?」
「私がさっきお前のことを笑ったのを気にしたりしていないよな……?」
「え、どうして?」
「だ、だって、ずっと難しい顔をしているから……」
急にしおらしい表情を見せてくる。……かわいい奴め。
「ああ、めちゃくちゃ傷ついたね」
「ええっ?! あれはお前に元気を出させてやろうとしてだな……」
「冗談だよ。でも、反省しているのは事実。あの時、ザラが助けてくれなかったら、俺たちは死んでたかもしれないんだ」
ナーディラが俺の腕を軽く掴んだ。そして、小さく首を振る。
「ホッサムがタモロの街で倒れた時、お前は彼を助けようとしていた。だが、力が及ばないと悟ったような顔をした。その悔しさや悲しみを見て、お前が心優しい人間だと知ったんだ。
……アミルが死んだ頃の私を見ているようだった」
アミル──ホッサムとエスマの子供だ。
これまで訊こうにも訊けなかった過去のことを、ナーディラが口にしてくれた。
「あの時の私は騎士になりたてだった。街を、みんなを守ってやろうと思っていた。ジャメが育たずに色んな人が死んで、それだけでなく魔物がやって来て誰かが襲われたり、あの病で苦しんで死んでいった人たちを見てきたからな」
だから、彼女は誰かを守るためなら鬼のようになれるのだ。
「アミルはな、人懐っこくて、素直な子だった。私を見つけると駆け寄って来て、壁の外のことをこれでもかと質問してきた。もう一度妹ができた気がした」
「もう一度?」
「騎士のほとんどは子供の頃に領主に売られた者たちなんだ。それまでは私も元々の家族と暮らしていた」
ナーディラも親に売られた子だったとは……。
「そ、そうだったのか……。それは辛かったな」
「そう悲しい顔をするな。途中から領主が私の“家族”に変わっただけだ。だから、私みたいな騎士は領主のために働くのさ」
俺の抱いていた価値観とは全く違うものだった。それだけに、どう言葉を返せばいいか分からなかった。
同情の仕方が分からなかったと言った方がいいかもしれない。
「アミルがあの病気になった時、私もあの時のお前のように、自分に何ができるのか探した。でも、私は無力だった。
あれだけ笑顔に満ちていた家族が絶望の底に叩き落されることなど、私は信じられなかった」
ナーディラも俺も彼らの笑顔が失われていくのを間近で見ていた。ナーディラにとっては二度目のことだ。
「私たちは似た者同士だ。だから、お前の気持ちも分かるつもりだ」
「俺はお前みたいに強くないよ」
「私には戦うことくらいしかできない。だから、お前を守ってやる。
お前も私と同じように戦う必要はない。お前なりの戦いもあるだろう」
自分のことは進んで話さないナーディラのことだ。きっとアミルのことを話すのも、俺を励ますためにしてくれたことに違いない。
「ありがとう、ナーディラ。お前がいてくれてよかったよ」
ナーディラはそっぽを向いた。
「やれやれ、良い子ちゃんをなだめるのもひと苦労だな。らしくない昔語りをしてしまった」
「タモロの街で俺を助けてくれたのも、そういうことなのか? だって、急に現れたよな、お前……」
ナーディラが苦笑いして、頭を掻く。
「あの時の私はお前のことを怪しんでいたから、ホッサムが大丈夫かと思って密かに追いかけていたんだ。そこにクトリャマが現れて……」
「俺の感動を返せ」
***
「どれだけいるんだ、あいつらは……」
ツデヤの門のあるエリアとの間に広い通りが横切っていた。
建物の陰からそこを覗き込むナーディラが何度目かの舌打ちを放つ。
ガラーラたちが広い通りを警戒していた。そして、防衛団員の姿も目立つようになってきた。俺たちの捜索に駆り出されているのかもしれない。
「この時期、ガラーラ様は儀式のためにこの街に集まるからな……」
イクラスがそう応えると、ナーディラはまた舌打ちをした。
──このままだと、ナーディラが我慢できなくなって、また突撃しそうだな……。
なにやら話し合っていたヤーヤとハーフィズが互いにうなずく。
「イクラスさん、一つ提案があります」
ハーフィズが声を落とすと、イクラスが真剣な表情で耳を傾ける。
「きっと、このタイミングなら防壁の上は手薄になってるはず……。確か、防壁に上がれるところがありましたよね?」
イクラスが手を打つ。建物の隙間の向こうに見える、防壁の見張り台を指さした。
「あれか。確かに、防壁の中に入れば、登って防壁の上の通路を行けるが……」
「何か不都合でもあるのか?」
やきもきしていたナーディラが首を突っ込む。
「防衛団の連中と出くわす可能性は高い」
「私がぶっ飛ばしてやる」
短い一言で、考え込んでいたイクラスは渋々首を縦に振った。ナーディラの目に映る闘気に気圧されたのかもしれない。
向かおうとしていた進路からすぐに方向転換して、俺たちは防壁の方へ向かった。
間近で見る防壁は、威圧するようにそびえていた。太い丸太が列になって立ち、来る者も出る者も拒む。
防壁には所々に頭を突き出した見張り台が設置されている。その足元には、防壁内部に通じる扉があり、そばにはその扉を監視するためなのか、小屋も併設されていた。
今、その扉のそばには防衛団員が二人立っていた。
俺たちは少し距離の離れた畑の茂みのそばに屈んで様子を窺う。
「あれじゃあ、そっと入ることもできないな……」
俺が頭を悩ませていると、隣でナーディラが立ち上がった。
「あっ、おい……」
俺が制止する間もなく、ナーディラが風のように駆け出す。
突然やってきたナーディラの姿に顔をしかめていた防衛団の二人組はあっという間に叩きのめされて地面に横たわった。
「ナーディラおねえちゃん、すごい……」
ハーフィズの背中でザラが手を叩く。
ニコニコした顔で戻ってきたナーディラは胸を張っていた。
「魔法を使わずに済んだぞ」
「なんという手練れ……」
イクラスが感心しきりである。
「さっさと行くぞ」
ナーディラが先陣を切って防壁の中に入っていく。
壁に囲まれた薄暗い防壁の中は、木のにおいで充満していた。
壁と同じく木でできた階段が上に向かっている。入口に立っていた以外の防衛団員の姿は見えない。
「やはり、この騒ぎで出払っているな」
イクラスがそばにあった傘立てみたいな木のラックから、立てかけられていた剣を一本抜き取った。
ナーディラもそれに倣って剣を手にして、笑みを浮かべる。それを振りたくてウズウズしているのだ……。
──味方にいると頼もしい。
みんなで一気に階段を昇り、防壁の上に出た。
イクラスと登った見張り塔とまではいかないが、かなり高さがある。
防壁の上の通路の両脇は胸ほどの高さまで木の壁がある。その木の壁は等間隔に顔を出せるような隙間が空いていた。そこから攻撃できるようにしてあるのだろう。
──そういえば、この世界でまだ弓矢を見たことなかったな。魔法がその代わりなのか。
その隙間から、街の混乱の様子が垣間見える。
「防壁の上を辿れば、ツデヤの門までは比較的すぐに辿り着けるぞ」
今度はイクラスが前を行き、俺たちはその後に続いた。
イクラスの言葉の通り、防壁はツデヤの門まで俺たちを導いてくれた。幸いなことに、防衛団員とも出くわすことがなく、俺たちの前方に立派な門が見えてきた。
そこも俺たちが入ってきた門と同じように二重防壁になっているようだった。
防壁の中の階段を下りて、二重防壁内の広場に躍り出る。
外に面した門に向かおうとするイクラスをナーディラが呼び止めた。
「待て。静かすぎる」
辺りを見回した。確かに、ここにいるべきはずの防衛団の姿がない。
外に面した巨大な門扉がゆっくりと開き始めた。
その隙間から、燃えるような髪がうねるのが見える。
「ア……アメナ様……」
イクラスが剣を取り落とす。
妖艶な笑みを浮かべて、真っ赤なローブのアメナが姿を現した。彼女の後ろにガラーラたちが付き従っていた。
しかし、彼女はたった一人で門扉を開け放っていた……いや、光を放つ何かが門扉を押し開けていた。
──精霊か……?
「実に愉快なことじゃ。面白いように招かれて来よった」
アメナの言葉をすぐに理解できなかった。
「良き仕事じゃった、ヤーヤ、ハーフィズ」




