37:ただいまを言える場所
友人たちとの再会をひとしきり喜んでいたザラだったが、
「おとうさんとおかあさんをびっくりさせてやろうぜ!」
という男の子の提案に尻込みしてしまう。
不安げなザラの肩をイクラスが優しく叩く。
「安心しろ。俺たちも一緒に行ってやるから」
ザラは俺たちの方にも顔を向けた。うなずき返してやると、ザラは意を決したように、
「あたし、行く」
と口を開いた。
友人たちの先導で俺たちは中央広場から別の通りに向かう。
木造の店舗や倉庫らしき建物がバラバラに隙間を開けて並んでいる。あまり厳密な計画のもとに街づくりが行われているわけではないようだ。
店員やすれ違う人々が俺たちに好奇の目を向ける。中にはひそひそと言葉を交わす者たちもいる。
誰もが色のない質素な服に身を包んでいて、それが何か俗世間から離れて暮らす人々のような印象を与える。
「すまんな。儀式が明後日に迫って、みんな少しピリピリしているんだ」
イクラスは暗くならないためなのか、いつもと変わらない快活な喋り方で説明してくれた。
「フン、私らを品定めしてるんだろう。儀式に悪影響がないか、とな」
「そういうわけではないと思うが……」
焦るイクラスだが、街の住人の態度は結果的には正解だ。
俺たちは儀式を壊しに来たのだから。
だが、本当にこんな雰囲気の中、ヌーラを助け出すことなんでできるだろうか。
またもやサイモンに助言を求めようとして、俺は我に返った。
「大丈夫か、リョウ?」
俺は相当やばい顔をしていたのかもしれない。ナーディラが俺の腕に触れて心配そうに顔を覗き込んでくる。俺がサイモンと話せないことは彼女も分かっているはずだ。
「ああ、ちょっと、緊張感がね……」
「私を頼りにしろ」
「ああ、ありがとう」
ナーディラと言葉を交わしていると、通りの向こうから白地に赤の文様の入ったフード付きのローブに身を包んだ二人組がやって来た。
手には錫杖のようなものを持っており、それをシャラシャラと鳴らしながらゆったりと歩いている。
ナーディラが小声で言う。
「リョウ、あれを見ろ」
彼女の目線の先を追う。
二人組の持つ錫杖の頭につけられた金属製の輪っかに見覚えのある宝石が嵌められているのが見えた。
「光る石だ。奴ら、街の中を巡回して魔法の痕跡を探しているんだ」
危ないところだった。サイモンに話しかけていたら、バレていたかもしれない。
二人組が通ると、街の人々は胸に片手を当てて敬意を示すようなポーズを向けていた。イクラスもまたすれ違う際に胸に手を当てて二人組を見送った。
「今のがガラーラ様だ。ああやって穢れを取り除いている」
「穢れとはなんだ? 魔法そのもののことか?」
「それは俺にもよく分からん。だが、生贄をイルディルに還すためには、穢れがあってはいけないんだ」
イルディルに還す……ザラも言っていたことだ。
詳しいわけじゃないが、神道でもキリスト教でも身を清めるプロセスは存在しているから、この世界……少なくともこの街の信仰でもそれと同じようなロジックがあるのだろう。
サイモンの解説が恋しい。
「じゃあ、生贄も穢れを払うために何かをしなければならないのか?」
ナーディラがそう尋ねると、ザラがチラリとこちらを振り返った。
「その通り。生贄に選ばれた者は家族から切り離され、街の外にあるワダラ・イネールで十六日間過ごさなければならない」
ワダラは部屋、イネールは「行く」の三人称の主語に付随する動詞だ。……“ヌーラが行く部屋”?
この世界の言語は前置詞などがない。だから、言葉の繋がりや意味がその時々によって微妙に変化する。
俺が言っていたハイコンテクストな言語というのは、そういうことだ。
語の意味は分かっても、それが何を言っているのか理解するまでに時間がかかる。
儀式がヌーラをイルディルに還すためのものならば、“ヌーラが行くための部屋”……「準備室」のような意味合いだろう。
ヌーラはそこで十六日間を……。
ザラは六日前にこのムエラ・ココナを交易車に潜り込んで出発した。儀式は二日後だ。
ヌーラが準備室に入ってからの八日間、ザラは悩み続けたのだろう、姉と街のどちらを取るのかという二択を。
「街の外とは物騒だな。それに、穢れもありそうじゃないか」
「儀式のために特別に作られた場所だ。ココナ山に近く、清い場所だぞ。そこには交代で常に生贄を守る祭礼騎士が陣取っている」
ナーディラが俺に目配せする。
厳重な守りが敷かれているとなれば、ヌーラを助け出すのも苦労しそうだ。想像していた以上に、このミッションは困難を極めるだろう。
「両親も近づくことはできないのか?」
「例外はない。だが、生贄が準備室に入ってから儀式が終わるまでの期間、家族には休暇が与えられる。祈りを捧げるためだ」
ふと思う。
イクラスはザラの姉ヌーラが生贄に選ばれたことをどう思っているんだろうか?
ザラがどんな思いを抱えているのか分かっているんだろうか?
イクラスだけじゃない。
この街の人々は一人の少女の命が捧げられて、それで維持される平穏を心の底から享受しているのだろうか?
そう尋ねようとしてイクラスを見た。その途端、俺は口を開くことができなくなってしまった。何があったというわけじゃない。
砂漠の星空の下、ナーディラに怒られて俺は痛感したのだ。
それまでは俯瞰で見ていたこの世界に生きる人たち……彼らには血が通っていて、現実としてそこに存在している。
たったそれだけの事実が、俺を尻込みさせる。
ゲームやアニメの世界に飛び込んだような感覚は少しずつ薄れていくだろう。同時にせり上がってくる絶対的な現実感は、俺を周囲の目を気にしていた元の世界の自分に引き戻してしまう。
ここは異世界だが、地球とは地続きの宇宙の中にあるのだ。
「だが……」
俺の動揺を打ち破るようにしてイクラスの潜めた声が聞こえてくる。
「ザラの両親のことは少し気になるんだ」
「なぜだ?」
「ヌーラはイルディルに捧げられる。彼らに残されるのはザラだけだ。それなのに、彼らはザラの捜索隊を出すつもりがないようだった……」
「なんだと? どういうことだ?」
「俺にも分からん。それに、ウワサだが……」
イクラスはさらに声を抑えた。
「ザラの母親は彼女を産む時に身体を痛めて、もう子供が作れないらしい。それならば、よりザラのことを大切に思うはずだろう」
「それなのに、ザラを探そうとしなかった?」
ナーディラが険しい顔で腕組みをする。
ザラの言葉が俺の脳裏に蘇る。
──おかあさんもおとうさんも、あたしのことはよく思ってないと思う──
それはザラの独りよがりな考えだと思っていた。でも、まさか、本当に……。
「あっ、見えてきたぞ~!」
先頭の男の子が声を上げる。
道の先に見える小さな民家を指さしている。それを見つめるザラの目は微かな希望に光っていた。
やめろ、行くな。
そう言いたかったができなかった。
不意にザラの家のドアが開いて、桶を手にした女性が現れたのだ。
「おっ、おばちゃ~ん、いいタイミング!」
子供たちが声を上げる。
こちらを振り向いたその女性の目が一気に見開かれて、手にした桶が地面に落下した。盛大な音を上げて水飛沫が上がる。桶の中から濡れた衣服が這い出していた。
そこにあったのは、喜びではない。
音に気づいたのか、家の中から男性が現れる。
「どうした、ヤーヤ?」
ヤーヤと呼んだ彼女の視線を追って、男性の目がザラに向けられた。
驚愕の表情。
「なんで戻ってきたの!!!」
ヤーヤが絶叫した。
それは身体の芯から心を揺さぶるほど感情的で。怒りと困惑にまみれて、見境などなかった。
その一瞬の絶叫だけで、ザラは大きな声を上げて泣き出してしまった。
子供たちはただただ当惑して、女の子もつられて泣き出した。
ナーディラが一歩を踏み出す。
「ザラはヌーラを──!!」
ザラが両親に背を向けて走り出した。
「あっ、おい、待てよ!」
子供たちがバラバラに足音を響かせて行った。
ナーディラがザラの両親を睨みつける。
「ナーディラ、頼む」
俺がそう言うと、彼女は舌打ちを残してザラたちを追って行った。
同じように駆け出そうとするイクラスの腕を取った。
俺の心臓は早鐘を打っていた。
怒りをどう表現すればいいか分からなかった。
だから、俺がこれからすることを口にするしかなかった。
「話を聞きましょうよ、イクラスさん。……俺は納得ができない」




