36:禁忌の街ムエラ・ココナ
ファマータがギュイギュイと鳴き叫びながらカバデマリの森を疾駆する。
「あいつら、どこにでもいやがる……!」
車の後方から火を放つのはナーディラだ。殺気に満ちた彼女が睨みつける先には、緑色の身体をしたゴブリンの群れがいる。
鉱脈樹や本物の木の間から、上から、奴らは俺たちを追いかけてくる。
ザラが不安そうな顔で状況を見守っている。車が大きく揺れる。
「バカ、ちゃんと走らせろ!!」
「そんなこと言われたって……!!」
ナーディラが車の後ろにいるということは、つまり、御者台に座っているのは俺だ。
ゴブリンは火が苦手らしい。だから、奴らを追い払う間、ファマータを任せられたのだ。
ナーディラのやつ、「お前ならできる」って言葉、何かを押しつける口実に使ってる気がする。
それでまんまと動かされる俺も俺だが。
「もうすぐ街だよ……!」
ココナ山のこちら側の麓にあるパスティア管理の案内所を出て夜を明かした俺たちは約半日をかけてここまでやって来た。
辺りの景色は少し様変わりした。
山から離れるごとに鉱脈樹は少なくなり、規模も小さくなっていく一方で、本物の木々が勢いを増し始めた。
今や森林の中にいくつか鉱脈樹が混じっている……冷や麦の中に色付きの麺がちょろっと入っている、あんな感じだ。
「おいおい、ファマータ、落ち着け! あまり暴走するなよ……!」
後ろの方で火球を発射したナーディラが叫ぶ。
「そんな呼びかけ方があるか! そいつの名前はキュイというんだ!」
「今初めて聞いたわ!」
──しかも、汚い花火になりそうな名前だ。
きっと鳴き声からナーディラが安易につけた名前に違いない。案外そういうピュアなところあるからな。
「あっ、防衛団!」
ザラが指さす俺たちの進行方向に、ファマータに跨った複数の甲冑姿が見える。その遥かに後方、うねる街道の木々の隙間に防壁が見える。街だ。
防衛団の騎士たちがファマータを駆って俺たちの車の方に向かってくる。
「門を開けてある! 中に突っ込め!」
長い槍を掲げた先頭の騎士がそう叫んで俺たちの車とすれ違う。
ナーディラが放った火球で足踏みするゴブリンの群れを、防衛団の騎士たちが薙ぎ払っていく。
「いいぞ!」
好戦的な血が滾ってきたのか、ナーディラが歓声を上げた。
ファマータは街道に沿って驀進し、中に入れと手招きする門番たちの間を駆け抜けた。
ファマータを停めるには手綱を強く引けばいい……ナーディラに教わったそのやり方で何とかキュイはスピードを落としてくれた。
俺たちはようやくザラの街に到着したのだ。
***
「いやぁ、着いて早々、災難だったなぁ~! そして、なかなかの腕をお持ちとお見受けするぞ、ナーディラさん!」
防衛団のこの門の防衛隊長だと名乗ったイクラスは手甲をつけた手をナーディラに伸ばした。
その手のひらに自分の手のひらを重ねたナーディラはまんざらでもなさそうだ。
門の周囲は防壁が二重になっていた。
防壁に囲まれたこのスペースは街に入るためのチェックポイントのようになっていて、ここに建てられた小屋の中に俺たちは案内されていた。
「それに、ザラ!」
イクラスは精悍な顔をほころばせた。
「ご両親がずっと心配していたぞ! 交易車に潜り込んだとウワサになっていたんだ!」
ホッとした。やっぱり、ザラの両親は心配してたんじゃないか。
ザラは疑わしげにイクラスを上目遣いで見つめる。
「お前は聞き取り調査は必要ないから、早く家に帰れ」
イクラスがそう言うが、ザラは首を振る。
「二人と一緒にいる」
イクラスは「参ったな」と言うように頭を掻くと、テーブルを挟んで俺たちの向かい側の椅子に腰を下ろした。
「聞き取り調査とは?」
ナーディラが尋ねる。イクラスは羊皮紙の帳簿を手にしながら答える。
「物騒な印象を与えてしまったなら、すまない。新しく街に出入りする人たちに話を聞く決まりになっているんだ」
「それも街を守るためだ。仕方あるまい」
自分も騎士をやっていた身だ。ナーディラは同情を示した。
イクラスは窓越しに俺たちのファマータと車を一瞥する。
外にはファマータや車を停め置く場所があり、今は門番たちがファマータを世話している。車に乗せた物品の検査も兼ねているようだ。
──タモロの街よりも厳重な感じだな。
「二人は商人という感じでもなさそうだな。ザラを連れ戻しに来てくれたのか?」
ナーディラが一瞬だけ俺に目配せした。任せろ、ということらしい。
「それもある。
私らは自分の街を守るための方策を模索し続けてきた。そこで、様々な街の防衛方法や儀式などを研究しようとしている。
この街の儀式のことをウドゲの街で聞き及び、向かおうとしたところ、ザラと出会ったのだ」
「はぁ、なるほど、そういう経緯か。儀式の研究とはまた珍しいことだ」
「近年では、気象の異常や魔物の増加、凶暴化と人々の不安は募っている。すがれるのであれば、何にでもすがりたいという気持ちだ」
「ふむ、その思いにはいたく感じ入るぞ」
どうやら、ナーディラはイクラスの信頼を勝ち取ったようだ。イクラスの目が俺に向けられる。
「そちらは?」
「彼はリョウという。こう見えても、魔法の知識を有する高名な学者なのだ」
──「こう見えても」って……。
俺が呆れていると、防衛団員たちが顔を見合わせる。なにか空気が一変した感がある。
イクラスが身を乗り出すようにして声を潜める。
「そのことだが、ひとつ耳に入れておいてほしいことがある。ナーディラさんもゴブリンを追い払うために魔法を使っていたな。この街では、魔法は控えてもらいたいんだ」
「なぜ?」
イクラスはさらに声を潜める。
「歴史的に、この街では魔法は災いをもたらすものだと信じられてきた。それでも、時代の流れに従って少しずつ魔法を容認するような考えを持つ人間も増え始めたんだ。今では、街の中も様々な考えを持つ住人がいる」
「魔法が災いをもたらす?」
ナーディラが目を細める。
「そういう風に信じられてきたんだ。君たちは幸運かもしれない。俺をはじめここの連中は魔法に寛容だ。だが、魔法を悪だと決めつける団員もいる」
「そいつらに当たっていたらどうなっていたんだ?」
そばで聞き耳を立てていた団員がボソッと言う。
「ガラーラ様に告げ口される」
「おい、滅多なことは言うな……!」
イクラスが団員を叱りつけた。
「ガラーラ様とはなんだ?」
「この街の祭司様たちのことだ」
「なるほど、“祭る人”か。話を聞く限り、ずいぶんと恐れられているようだな」
ナーディラの指摘にイクラスは困惑した表情を浮かべる。
「街の人間も周囲の目を盗むようにしてしか魔法は使わない。
ガラーラ様はこの街の象徴のような方々だ。彼らに邪悪だと見なされれば街を追放されてしまうからな。
それに、彼らがこの街を守る要となっているのは事実だ。その言葉に従うべき義が俺たちにはある」
「儀式か」
「その通り。儀式のおかげでこの街は守られてきた。儀式なくして俺たちはない。それはこの街の誰もが分かっている。儀式の成功は誰もが望むものだ。
だから、儀式が近づけば、穢れは徹底的に排除される。普段隠れて魔法を使っている連中も儀式が近づく今頃は教えを守ってる」
「トレーバリを使っているのか?」
初めて聞く名前だと思いながら見ていると、ナーディラが胸元から例の宝石を引っ張り出した。いまさらあれの名前を知ることになるとは……。
「君も持っていたのか。そうだ、今時期は俺たちもそれを持って巡回するし、ガラーラ様たちも穢れの排除のために見回りを行っている。
もしこの街で儀式を見学したいのなら、さっきのような魔法は使ってはいけない」
ナーディラは深くうなずいたが、弱ったことになった。
これでは、サイモンから助言を受けることができない……。
「君も問題ないか、リョウ?」
イクラスに問われて、俺はうなずくしかなかった。
***
気を許してくれたのか、イクラスが簡単に街を案内してくれるという。
防壁に囲まれたスペースに出ると、街に面した方の門が開かれていく。その先に木でできた建物が並んでいるのが見える。
緊張感はあるものの、久々に人の文化に触れた気がしてホッとしている自分もいる。
ふとザラを見る。
さっきからずっと口を閉ざしている。帰ってきた街を前にしても表情が晴れない。
その理由を知っているだけに、俺はなんとか声をかけてやればいいか分からなかった。
「この街は森を切り開いて作られたんだ」
イクラスが言う。
「わざわざ森を?」
イクラスが防壁の外を指した。高い壁の向こうにココナ山の頂が霞んで見える。
「ココナ山を崇めるためにできるだけ近い場所に住もうと先人たちは考えたらしい。
カバデマリの森は植物が育ちにくいから、ここが良い場所だったんだろう。
だから、この街の名前もココナ山と共にというんだ」
気になってしまったことがあり、思わずイクラスに尋ねた。
「あの、ココナ山とイルディルの関係性はどういうものなんですか?」
イクラスがニコリとした。
「なるほど。学者らしい面白い質問だ。
イルディルは全てだよ。だから、ココナ山でもある。そして、その恩恵を俺たちは受けて生きている」
難しい返答だ。ナーディラに目をやる。
「そういえば、ナーディラにこういうこと訊いたことなかったよな?」
「イルディルについては何か大きな存在だというくらいにしか考えていなかったな」
「実際にココナ山を前にして生きていれば、考えも改まるかもしれないぞ」
サラッと宗教の勧誘のようなことを言うイクラスをナーディラは華麗にかわしていた。
門から伸びた道の先は街の中央広場になっているようだった。
広場に面した場所には様々な店が並んでいる。肉を売る店、乳製品を売る店、キノコを売る店、金物を売る店……バラエティに富んでいる。
広場の中央は憩いの場のようになっていて、そのど真ん中に石の台座が置かれ、上には巨大なコマのようなものが乗っていた。
「あれがこの街のシンボルでもあるタファン・ベフステだ」
よく見ると、コマのようなものの表面には線や文字が書かれていて、文字盤になっていた。
これは日時計だ。
金属の棒が突き刺さった円盤が斜めに立っていて、その表面と裏面に文字盤があるようだ。
イクラスは表面の文字盤に刻まれたマークを指さした。
「あれが儀式の日を示す印だ。毎年、儀式の日の昼に影があの印を指すんだよ」
ということは、季節によって影の指す場所が変わるのか……。
無意識にサイモンに問いかけようとして、なんとか思い留まった。これでは、知りたいことを気軽に確かめることができない。
今まで何気なくしていたことが制限される苦しみ。その歯痒さに俺はものすごいストレスを感じた。
自分を抑えるために深呼吸していると、遠くから足音が近づいてきた。
街の子供たちだ。二人の男の子に一人の女の子。
彼らはザラを指さす。
「ホントだ、ザラだ!」
「な、言っただろ!」
「すごい!」
ザラの目が輝いて、彼女は走り寄っていった。
彼女の子供の顔を見ることができて、俺は嬉しくなってしまった。
やっぱり、ここは彼女が帰るべき場所だったんだ。




