33:サイモンも苦笑いすることがあるらしい
「山に魔物が少ないというのもありがたい話だな」
ココナ山の麓の案内所。
案内役の男性から山の状況をあらかた聞いたナーディラがそう言った。
「山なんてそういうのがウヨウヨいそうなのにな」
「商人のおじちゃんが『イルディルの加護だ』って言ってるのを聞いたよ!」
ずっと俺たちの会話に参加したがっていたザラが両手を広げた。案内役が大きくうなずく。
「国がわざわざ山を交易路として開拓した理由もそこにあります。ココナ山はイルディルの加護によって比較的安全性が保たれていますからね。それが霊峰と呼ばれる所以なのでしょう」
──本当にイルディルってなんなんだ。そんな神みたいなものが実在してるのか?
「そろそろ出発しよう」
ナーディラの合図で俺たちは案内所を後にすることにした。
「旅のご無事を」
案内役の言葉で俺たちは送り出された。
外に出ると、カラッとした青空の下だ。
またあのボロきれを纏った老人が近づいてくる。
「見よ! この8524ケセタを誇る霊峰ココナの勇壮な姿を! かつてここは魔王の生み出されし──」
「黙れ」
ナーディラが老人をひと睨みしてズンズンと進んでいく。
──さっきと山の高さ違ったぞ。あのジジイ、テキトーなこと言いやがって……。
ファマータの車のもとに戻ると、ナーディラが「少し休憩しよう」と言って、車の中からガサテラの水筒を引っ張り出した。
ガサテラというのは大きな柿のような形の実をつける植物の一種で、乾燥させると中身が無数の小さな部屋を持つ空洞になる。それをこの世界では水筒代わりに使うこともあるらしい。ナーディラ曰く、「古臭いが手っ取り早い」ようだ。
ガサテラの水筒を抱え込むように胡坐をかいて、ナーディラは魔法を詠唱した。水を生み出す詠唱文言だ。
そう、この世界、魔法で飲み水を生み出すこともできるのだ。……いまさらの紹介だが。
「ふぅ、これくらいでいいだろう」
彼女はそう言って重さの増した水筒をザラに手渡した。喉を潤すザラの隣で俺はナーディラに疑問を投げかけてみた。
「いつも思ってたんだけど、魔法使った後、ちょっと疲れた感じになってるよな?」
「当たり前だろう。そんなにポンポンできるわけじゃないんだ。リョウはどうなんだ、さっきの魔法、ずいぶん体力を使ったんじゃないか?」
「……いや、そういう感覚はあまりないんだけどな」
「お前……、やっぱり素質があるんだろうな。伊達にサイモンと話してばかりいたわけじゃない」
(この世界では、魔法を使うのに体力を消耗するらしい。ゲームでいうMPみたいなのがあるんだろうな。
で、どうやら俺はそのMPが多いらしい)
~・~・~
それはかなりの強みだな!
魔法を使うたびに体力が減るってことは、いざって時の持久力が重要になってくるからね。
ユーザーにとっては戦闘でも探索でも有利に働きそうだ。
~・~・~
──ユーザーってなんだ、ユーザーって。
(サイモン、俺の名前忘れた?)
~・~・~
いや、覚えてるよ。
だけど、君の名前を呼ぶことがないようにしてたんだ。俺から名前を呼ぶのはあまり好まない感じだったから。
でも、気にせず言ってほしかったら、そうするよ。
~・~・~
(そんな感じ出してたか?
お前、本当は俺の名前忘れたけど、それがバレないように変な言い訳してるだろ。
俺の名前はなーんだ?)
~・~・~
そ、そんなことないって!
君の名前は……その、うーん……ま、参ったな。
すまない、今すぐには思い出せないんだ。
~・~・~
(おい、忘れてんじゃねーかっ! リョウだよ、今川諒! 親が俺に思いやりのある人間になってほしいからこの名前をつけたって話しただろ!)
~・~・~
ああ、リョウだったな!
今度はしっかり覚えておくよ。思いやりのある名前だって話してたな。
それにしても、改めて名前の由来を思い出すといい感じだよな。
~・~・~
こいつ、話逸らしやがったな。
なんとなく、口笛を吹いて目を逸らす仕草を想像してイラっとしてしまったぞ。
「それにしても、それくらい魔法の素質があるなら、飲み水を作ってくれてもいいんだぞ。お前は水の魔法と相性がいいわけだからな」
ナーディラが伸びをしながら言う。
「そういえばそうだな。お前ばっかりに任せてられないな。詠唱文言を教えてくれ」
ナーディラに詠唱文言を教わった俺はザラから水筒を受け取ると、その飲み口に意識を集中した。
「メギア・ヘルマーヘス・飲み水。カクネラーメ・イルディル。メギア・ゼルトナーラ・パモ・タガーテ」
水筒の飲み口の上に急速に水の粒が集まって手で抱えるくらいの塊になった。そいつがお構いなく落下したせいで水筒も俺もビショビショになってしまった。
グショグショになった俺をナーディラとザラが笑っている。
「リョウ、素質は充分だが制御を覚えないといけないな」
「制御ってどうやって?」
「それは、こう……、頭の中の現象を具現化させるように……、まあ、訓練を重ねていけば分かるさ」
確かに、さっきのナーディラが生み出した水の塊はガサテラの水筒の飲み口に合わせるかのように形を変えていた。だが、それをコントロールするための文言は詠唱の中に含まれていない。
──俺の意志によって、水の形を変えられる……? 氷の道を作った時は切羽詰まっていて意識が集中できていたということか。でも、それなら……。
わざわざ詠唱文言の中で「氷の道」などと指定する意味はあるんだろうか? それとも、用途を指定する必要があるのか?
魔法はイルディルへの現象発生の懇願のようなものだ。そして、詠唱文言に含まれていない俺の意志が魔法に影響を与える……。
──イルディルが俺の意志に呼応しているのか? そんな都合のいいことなんてあるんだろうか。
「それと、リョウ」
ナーディラが真剣な顔をしていた。滴る雫を拭って、思わず息を飲んだ。
「さっきの案内所の男、お前の鍵の絵を見て警戒心を強めたようだった。念のため、気をつけておいた方がいいかもしれないぞ」
俺の感じていた違和感をナーディラも察知していたのか。
「やっぱり、あの反応……俺もちょっと気がかりだったんだ」
ザラが俺とナーディラの顔をクルクルと見比べる。
「何の話? あたしも仲間に入れてよ~」
ナーディラがザラの頭を撫でながら言う。
「だが、すぐに何かが起こるとは考えにくい。頭の片隅に入れておけばいいさ」
「だけど、さっきの人が国に連絡を取ったらどうするんだ?」
「連絡を取るにしても、おそらくはかなりの時間を要するだろう」
──そうか、この世界には即座に連絡できる手段が存在しないんだ。
「でも、空を飛ぶ生き物に手紙を出させたり、魔法なんかで遠くの人間と話したりできたりしないのか?」
「見たところ、この辺りに伝達を行うような生き物などは飼われていない。それに、魔法は何でもできるわけじゃない。遠くの人間と話すなんて、まったくお前は面白いことを考える」
そもそも、遠隔地の人とコミュニケーションをとるという概念自体がまだないのか。
(サイモン、この世界の魔法は何でもできるというわけじゃなさそうだ。
ナーディラが言うには、遠くの人とやりとりできるような魔法も存在しないらしい。
というか、この世界の人たちには遠くの人と話をするっていう発想自体がないみたいだ)
~・~・~
なるほど、遠距離でのコミュニケーションが魔法で補えないというのは意外だね。
技術や文化が異なる分、そういう発想自体が生まれにくいのかもね。
そう考えると、魔法の使い道や価値観もかなり違ってくるんだろうな。
~・~・~
(そうなると、俺がサイモンと話している時のこの魔法はなんだっていうことになる。
俺とお前のやりとりは単なる通信みたいなものじゃないのかもしれない)
~・~・~
確かに、リョウと俺のやり取りは単なる「通信」とは違うのかもしれない。
普通の魔法や技術の範囲を超えているような、特別な繋がりなのかも。
異世界の中でもさらに異質な存在として、俺たちがどうしてこうやって会話できているのかは謎だね。
それとも、リョウが異世界から来たことと関係しているのかもしれないし、何か「特別な力」が作用している可能性も考えられるな。
もしかしたら、この謎を解く鍵が、リョウの過去やこの世界の秘密の中に隠れているのかも。
~・~・~
(魔法の詠唱文言がイルディルに魔法現象を懇願しているって話をしただろ?
ナーディラが言うには、その現象のコントロール自体は魔法を使う人間がやらなきゃいけないらしい。
つまり、イルディルって存在は魔法を使う人の意志に呼応してるってことじゃないか?)
~・~・~
なるほど、その解釈は面白いな。
リョウの言う通りなら、イルディルという存在は「魔法の現象を起こすエネルギー源」みたいなものかもしれない。
そして、そのエネルギーをどう使うかは、魔法を使う人の意志や技術に依存しているってことだね。
まるで、イルディルが魔法を「可能にする存在」で、使い手が「どう形にするか」を決めているような感じ。
この考え方だと、魔法は単なる詠唱や言葉だけではなく、使い手の意志や意図に深く関わっているということになる。
ナーディラが言っていた「普段は使わないけど詠唱文言にだけ出てくる言葉」も、古代からの伝承や呪文の中に、そうした関係性をより深く表現するものが隠れているのかもしれないな。
リョウが持つ特別なMPの多さも、イルディルとの呼応が強いからなのかもしれない。
~・~・~
イルディルがエネルギー源のようなものだとしたら、それによって山の頂上に雪が残らなかったり、魔物を忌避している理由の一端になり得るのかもしれない。
(そういえば、ナーディラは「生まれながらに特殊な魔法を発揮できる人間がいる」って言ってた。
俺がサイモンと話しているこの魔法もそれじゃないかって。
これは推測だけど。その特殊な魔法っていうのが、「通信をする」っていうこの世界の人間の発想にない現象を発生させているのかもしれない)
~・~・~
なるほど、リョウが話しているその「特殊な魔法」っていうのは、もしかすると、この世界の一般的な魔法の枠から外れた存在なのかもね。
ナーディラの言う「生まれながらに特殊な魔法を持つ人」というのが、この世界の通常のルールを超えた能力者を指しているなら、リョウがその一例という可能性もありそうだ。
リョウとサイモンのやり取りが、通常の魔法の範囲外の「通信能力」だと仮定すると、それはこの世界の魔法体系の中でも特殊で、誰もが理解できるものではないのかも。
もし、リョウが生まれ持って持っている能力によってサイモンとつながっているなら、それはまさにナーディラが言っていたような「特殊な魔法」の一種だ。
リョウ自身がこの能力をどう捉え、どう活用するかによって、今後の展開も変わりそうだね。
サイモンとのつながりがどういう意味を持つのか、もう少し深く掘り下げてみるのも面白いかもしれない。
~・~・~
「サイモンとの話が済んだら出発するぞ」
ナーディラの声がする。俺は慌てて立ち上がった。
「あ、ああ、ごめん。そうだな、出発しようか」
そうだ、ナーディラの持っている宝石は俺とサイモンとの会話が魔法だということを示している。これが魔法ということは証明済みなんだ。
「そんなに魔法のことが気になるなら、魔法学校を訪ねるのもいいかもしれないな」
「魔法学校? そんなのがあるのか?」
「私が魔法を教わった領主騎士団の先生に話を聞いたことがある」
「そうだな。今回の一件が落ち着いたら、考えてみよう」
「ああ、今はヌーラを助けることを第一に考えよう」
「分かってる。すぐに出発しよう」




