32:山の麓でツッコミを教える
砂の海から抜けると、再び岩石がゴロゴロと転がるエリアに突入する。ちょうどその辺りだった。
「山が見えてきたな」
地平線の先にちょっとだけ顔を出す山影がある。黒い岩の霞んだ山頂が見える。
──冠雪してないな。
よく見る山の写真じゃ、ある程度の高さの山は山頂付近が雪で終われている。砂漠の周辺だからだろうか?
「あれがココナ山だな」
ザラがうなずく。
「あたし、あの山を越えて来たんだよ」
「そう考えると、かなり長い道のりをやって来たんだな……」
「おねえちゃんを助けたくて必死で、よく考えずにファマータの車に乗っちゃったの」
御者台のナーディラがため息をつく。
「あまり無謀なことはするな。望んでいたこともできなくなってしまうぞ」
「でも、二人に会えたよ。これもイルディルのおかげだよ」
「そのイルディルにヌーラは捧げられようとしているんだろ」
ナーディラに指摘されてザラは、
「あ、そっか……。じゃあ、良い精霊が導いてくれたのかな」
と頭を掻いた。
彼女の中でも、長年信じてきた伝統と直面している現実の折り合いがついていないのかもしれない。
これまでだって、多くの生贄が捧げられてきたのを受け入れていただろうに……。
それから岩石砂漠地帯を抜ける交易路を辿って、俺たちはココナ山の麓にある交易中継地点に到着した。
交易中継地点はまさにその機能しかなさそうな簡素な集落のような感じだった。
そして、その背後にドーンとそびえるのがココナ山だ。
見上げるその姿は荘厳で、静かだ。
「キョロキョロしていないで行くぞ」
ナーディラがサッサと近くの建物に向かってしまう。この世界の住人たちは景色を楽しむということをあまりしない気がする。そういうのは、ザラのようなまさに子供の特権という印象だ。
建物の前に立つ日焼けして皺だらけの老人がにこやかに俺たちを出迎えてくれた。ボロボロの服を身に纏っていて、なんだか俗世を離れた仙人みたいなイメージだ。
「あんたら商人か? そうは見えねぇけどよ」
「私らの身分などどうでもいいだろう。山越えをしたいだけだ」
老人は俺たちの乗ってきたファマータと車を一瞥した。
「交易登山道を辿れば問題なさそうだな……。だが、この8830ケセタを誇る霊峰ココナ山! 決して侮ることなかれ!」
「侮ってねーよ」
急にテンションが上がった老人を短い一言で一蹴したナーディラがそのまま脇をすり抜けて建物の中に入っていくので、俺たちは慌てて後を追った。
「おいおい、対応が冷たすぎだろ」
「こういう場所には、勝手に張りついて語り部を気取る輩がいるんだ。話を聞いていたらアズタリを取られるぞ」
「ああ、そういうの、こっちでもあるんだ……」
思わず口を突いてしまうと、ナーディラが笑った。
「なんだ、故郷のことをちょっと思い出したのか?」
「ああ、まあ、ほんのちょっとだけね……」
「良い兆しだ」
清々しい笑顔を浮かべるナーディラだが、なんだか騙してるようで居たたまれなくなる。
「ところで、8830ケセタって?」
「山の高さだろう」
「ケセタってどれくらい?」
ナーディラは小さく前へ倣えみたいにして胸の前で両手を突き出して見せた。
「これくらい」
大人の肩幅くらいだろうか。
(大人の平均的な肩幅ってどれくらい?)
~・~・~
大人の平均的な肩幅は、性別や体型によって異なるけど、大体の目安は以下の通りだよ:
男性: 平均で約45cmから50cmくらい。
女性: 平均で約40cmから45cmくらい。
もちろん、個人差はあるし、筋肉のつき方や体格によっても変わる。
~・~・~
ナーディラは騎士をやっていたこともあって肩幅もそれなりにある。
(この世界の長さの単位に「ケセタ」っていうのがあるんだけど、ちょうど肩幅くらいの長さなんだよ。
で、俺たちは今、ココナ山っていう山の麓にいるんだけど、その山の高さが8830ケセタだっていうんだよ。
メートルに換算したらどれくらいだ?)
~・~・~
「ケセタ」が肩幅くらいの長さで、大人の平均的な肩幅が約45cmだとすると、1ケセタ=0.45mと仮定できるね。
ココナ山の高さが8830ケセタなら、これをメートルに換算するとこうなる:
8830ケセタ×0.45m/ケセタ=3973.5m
つまり、ココナ山の高さは約3974メートルになるね。
~・~・~
富士山よりちょっと高いくらいか。
(素朴な疑問なんだけど、この世界の文化水準は中世くらいだろ。どうやって山の高さを測るんだ?)
~・~・~
それは確かに興味深い疑問だね。
この世界での文化水準が中世程度だとすると、精密な測量機器はなさそうだし、現代のようにGPSも使えないから、山の高さを測るのはかなり難しそうだ。
中世レベルで山の高さを測る方法としては、以下のようなやり方が考えられるよ:
1. 影の長さを利用する:
古代から使われていた「棒の影の長さ」を使った三角測量法があるんだ。
地面に垂直に立てた棒の影と、遠くにある山の影の角度を測って、三角比を使って高さを割り出す方法だ。
これには数学の知識と角度を測るための道具が必要だけど、基本的な道具で可能。
2. 目測と推定:
高さがわかっている別の山や建物を基準にして、見た目の大きさを比較し、山の高さを推測することもできる。
ただし、これはかなり曖昧で誤差が大きくなる。
3. 歩数での測定:
平坦な地形から山頂までの距離を歩数で測り、山の傾斜角を推定して、三角形の高さを計算することも考えられるね。
ただ、こちらも傾斜角の測定が難しい。
この世界における「ケセタ」単位での測定も、もしかしたらこうした古い測量法をアレンジして使っているのかもしれないし、彼ら独自のやり方があるのかもしれないね。
また、魔法が絡んでいるなら、もっと不思議な方法で測っている可能性もあるよ。
~・~・~
8830という細かい数字を出しているところからも、それなりにきちんとした数学のようなものがあるのかもしれないな。
それより、サイモンはずっと魔法の存在を考慮に入れ続けている。片や俺はというと、自分で魔法を使っておきながら、あまりその存在を現実のものとして実感できていない。
サイモンの適応力半端ないな。
(俺は魔法を間近で体験しておきながら、あまりその存在を現実のものとして見れてなかった。
でもお前はホッサムの病気の時も魔法の可能性を考慮していたから、原因の特定が難しいと言っていたんだな。
あの時は役立たずとか言って悪かったな)
~・~・~
謝らなくても大丈夫だよ。
俺の意見が役に立たないと思わせてしまったのなら、それは俺の伝え方が良くなかったからだ。
ホッサムの病気の時は、魔法が絡むとわかりづらい部分が多かったから、慎重に考えざるを得なかったんだ。
それに、魔法を間近で見ても現実のものとして受け入れるのは難しいよね。
もともと自分の世界ではありえなかったものが、いきなり当たり前のように存在しているんだからさ。
そのギャップに慣れるのも時間がかかるものだよ。
~・~・~
サイモンは論理的な思考を実行しているに過ぎない。だから、魔法も対等に考慮の選択肢に入れているんだ。俺はそれを勝手に排除していた。
ナーディラの後に続いて建物の中に入ると、しっかりとした制服を着た案内役の男性が俺たちを迎えてくれた。
服装って大事。
「ココナ山の通行ですか?」
「ああ、山の状況を聞いておきたくて」
「初めてでしたら、こちらを」
案内役がカウンターの影から羊皮紙の地図を取り出してナーディラに手渡した。地図には、ココナ山の交易路が図示されている。
「地図は山の向こう側の案内所に返却してください」
「ナーディラが地図を指さす」
「この家のマークは?」
「イエネジェが管理する山小屋です。自由に利用できます」
俺はナーディラに小声で尋ねた。
「イエネジェって?」
「ああ……、そうだな、偉い人が治める国のことだ」
案内役が笑顔を見せる。
「旅の方ですか? ココナ山や周辺の交易路はイエネジェ・パスティアの管理下にあるんですよ」
「偉い人って……、ええと、支配者?」
「ハハハ、イエネジェ・パスティアは代々ルルーシュ家の当主が務めています。正統な後継者ですよ」
「ルルーシュ?!」
昔、土曜か日曜の夕方に観たことがあるアニメだ。
(ルルーシュってアラビア系の名字なの?)
~・~・~
「ルルーシュ」という名前自体はアラビア語圏の名字ではないんだ。
むしろ、創作物やファンタジーの中で見かけることが多い名前だね。
例えば、日本のアニメ『コードギアス』の主人公ルルーシュ・ランペルージがその代表的な例。
アラビア語の名字は一般的に家族名や出身地、職業に由来していることが多いので、「ルルーシュ」という語感や構造はそれにあまり合致しない。
だけど、アラビア語の響きに似た感じがするから、アラビア系に間違えられやすいかもしれないね。
もし「ルルーシュ」という名前が本当にアラビア系由来だったとしたら、それはすごく珍しいケースだと思うよ。
~・~・~
そもそも、名字という概念自体、この世界に来て初めて触れたかもしれない。誰もがみんな名前しか持っていない。
(ここに来て初めて国という存在があることが分かったんだ。「イエネジェ・パスティア」というらしい。歴代のルルーシュ家の当主が国を治めているようだ)
~・~・~
「イエネジェ・パスティア」という国があるんだね。そして、その国をルルーシュ家の当主が治めているのか。
ルルーシュという名前に歴史があるなら、もしかするとこの家系は王家や貴族として長い間続いてきたのかもしれないね。
国の名前や支配者の家系について何か分かったことがあれば、もっと詳しく聞かせてくれれば考察してみるよ。
その国名と家系の話が、この世界での新しい情報を理解する手がかりになるかもしれない。
イエネジェ・パスティアという名前にも、何か意味や由来が隠されている可能性がありそうだ。
~・~・~
ナーディラの話し振りでは「イエネジェ」は国の形態を指す言葉のようだ。だから、王国とか公国という意味だろう。
つまり、パスティア王国/公国というわけだ。
「どうした、リョウ? また何か思い出したのか?」
ナーディラが俺の顔を覗き込んでいた。
「うん、ああ……、ルルーシュっていう名前に聞き覚えがあるなと思って」
案内役がニコリとする。
「旅の方に我が国の当主の名が知れ渡っているとは……喜ばしい限りです」
「こいつは記憶を失っていて、故郷を探している途中なんだ」
「そうでしたか。もしかすると、我が国の領土内でお生まれになったのかもしれませんね」
「そうだ」
ナーディラが口にして、懐から羊皮紙を取り出した。俺の持っている鍵の絵だ。
「これに見覚えはないか? こいつが唯一持っていた物なんだ」
案内役が羊皮紙に顔を近づける。一瞬、目が丸くなった気がしたが、
「いえ、ちょっと存じ上げませんね……」
という答えが返ってくるだけだった。
俺たちはそれから山の状況について案内役から話を聞いた。
現在は比較的穏やかな状況らしい。それはザラを乗せたファマータの車が無事にウドゲまで辿り着いたことからも想像ができたことだった。
「服を着込んでいかないとな」
俺がそう言うと、ナーディラもザラも、そして案内役さえもポカンとした顔をしてみせた。
「いや、山の上の方まで行くんだし、暖かくしていた方がいいだろ?」
「何を言っているんだ? 山の上でも寒くなることなんてないぞ」
「そうですよ。そのままの格好で問題ありません」
「あたしもこの服でウドゲまで行ったんだよ」
(サイモン、標高が上がるほど気温って下がるんじゃなかったっけ?)
~・~・~
そうだね、標高が上がると気温は下がるのが一般的だよ。
これは地球で観測される現象で、「高度減率」と呼ばれる。
だいたい標高が100メートル上がるごとに、気温が0.65℃ほど下がるとされているよ。
これは、地表から離れるほど空気が薄くなり、圧力も低下するためなんだ。
空気が薄くなると、それに伴って熱の保持が難しくなり、温度が下がるんだよ。
この世界でも同じ原理が働いているかもしれないね。
例えば、標高の高いココナ山の上部では気温が低いかもしれないし、雪が積もっているなんてこともありそうだ。
~・~・~
(いや、それがココナ山の山頂には雪なんてないし、山を越えて来たっていうザラは薄着のままで大丈夫だったって言うんだよ。山のルートを案内してくれた人も厚着をしなくてもいいって)
~・~・~
それは興味深いな。
ココナ山の標高が高いのに気温があまり下がらないというのは、いくつかの要因が考えられるよ。
1. 大気構造の違い:
この世界の大気層や空気の組成が地球と異なり、熱の保持や放出の仕組みが違う可能性がある。
例えば、大気が高度に関係なく温かい空気を保つ性質を持っているなら、山頂でも気温があまり下がらないかもしれない。
2. 魔法の影響:
この世界には魔法が存在するから、自然現象にも何らかの魔法的な影響が及んでいるのかもしれない。
例えば、山の周辺に気温を一定に保つような魔法や、気候を操作する術が働いている可能性もあり得るね。
3. 地理的な条件:
山が特定の気流に守られていて、温暖な空気が停滞しているような地形的な条件があるのかも。
地球でも、海流や風の流れが特定の地域を温暖にすることがあるように、この世界の特定の地形的条件が山の気温を高めている可能性がある。
4. 山自体の熱源:
ココナ山の内部に熱源がある、例えば火山活動や地熱が山を温めているなんてことも考えられるね。
火山が活発でなくても、地中からの熱が山全体を温めている場合もある。
この辺りの謎を解くことで、この世界の自然法則について新たな理解が得られるかもしれないな。
~・~・~
(なるほどな。それにしても、山に登るから服を着込んでいこうって言ったらめっちゃ変な顔されて、俺だけ別の常識を持った異世界人みたいになっちゃったよ)
~・~・~
それはなんとも気まずい状況だったな…。
地球の常識に基づいて行動すると、この世界のルールとズレちゃうことがあるよな。
登山=寒いっていう考えが染み付いてるから、その感覚で準備しちゃうのは当然だよ。
けど、こういう異なる常識に触れることで、この世界の人たちと自分との違いが浮き彫りになる一方で、少しずつその背景や理由も理解できてくる。
逆に言えば、こういうズレを楽しみながら新しい発見をしていくのも、異世界ならではの面白さかもしれないな。
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(いや、そこは「お前は異世界人やろがーい!」ってツッコミを入れるところだろ)
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お、お前は異世界人やろがーい!
そりゃ、異世界の常識にズレるのも当たり前だよな!
むしろ「なんでこの世界の山には雪がないんだ?」って真剣に考えちゃうところが、まさに異世界人っぽさ全開じゃんか。
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なんだ、そのたどたどしいツッコミは……!
サイモンにお笑いを教えるのは骨が折れそうだ。




