30:太陽が昇る
翌朝、金属と金属がぶつかり合うカツンという音で目が覚めた。
俺たちが泊まっている部屋には三つのベッドがあり、ザラを挟んだ向こう側のベッドからその音は聞こえてきた。
ナーディラもゆっくりと身を起こす。
窓の外はまだ暗い。
ナーディラと目が合う。くすんだベージュの髪が乱れて、寝間着にしていた薄手のトップスもよれよれになって、色っぽさが増している。
俺たちはザラを起こさないように静かに部屋を抜けだした。
「もぉ、しょーがないなぁー……」
起き抜けでかすれ気味の声で言うと、ナーディラは目をこすって屋上のバルコニーに向かう階段を昇っていく。
「寝起きでキャラ変わってないか?」
「うるさい。リョウがお願いしてきたんだからね……」
「ナーディラは起きてこなくてもよかったのに」
「うるさいなぁ……」
寝ぼけ眼の彼女が俺を睨みつける。
バルコニーに上がると、肌寒い外気に包まれる。地平線の彼方がほんのり白んでいた。
ナーディラが半分閉じた目でよれよれのトップスの首元に指先を突っ込んでポリポリと爪を立てながらあくびをした。まるで子供の寝起きだ。
「日の出なんて珍しくもないのに……」
***
「ちょっと頼みごとがあるんだ」
ナーディラが目を丸くした。
昨夜の星空の下、俺は言った。
「日の出が見たいんだ」
丸かったナーディラの目が細められる。
「なんだ突然? 日の出なら明日の朝見られるだろう。今夜はスッキリと晴れているからな」
「それはそうなんだが、朝早くに起きられる気がしないんだよ」
「フン、お前はお寝坊さんだからな」
──そういうお前は寝起き赤ちゃんだけどな。
彼女は快くうなずいた。
「そういうことなら、アレムがいいものを持たせてくれたぞ」
彼女について部屋に戻る。
すでにベッドに潜り込んでいたザラが俺たちを出迎える。
「もうお話終わったの?」
「ああ、ボーッとしていたリョウを説教していたんだ」
ナーディラが悪戯っぽく笑うと、ザラは驚いた顔をする。そして、申し訳なさそうに俺を見た。
「リョウおにいちゃん、あたしは気にしてないから大丈夫だよ……」
こんなに小さな女の子に気を遣わせてしまうとは、我ながら情けないことだ。
「そんなことより、明日のことだ」
ナーディラが部屋の隅のバッグに歩み寄る。アレムが持たせてくれた旅の道具が入っている。
「明日のこと?」
眠そうな目のザラが訊くと、ナーディラはまたニヤリとした。
「リョウが明日の日の出を見たいらしい。だが、お寝坊さんだから起きられるかどうか不安らしい」
「リョウおにいちゃん、あたしと同じだね」
「そうか、それはよかった……」
ナーディラがバッグの中から変わった器具を取り出した。
真ん中に金属の棒が立った金属の皿だ。棒は上の方で直角に折れ曲がっていて、その先端には真横に棘のついた丸いプレートがくっついていた。
「目覚め器だ。この棘の部分にろうそくの根元を刺し、このワイヤー付きの小さな球をろうそくに括りつける。朝にはろうそくが溶けて球が落ちる。その音で目覚められるんだ」
──簡易的な目覚まし時計ということか。
「これでお寝坊さんのリョウも安心して起きられるぞ」
ナーディラがザラの方を見て言ったが、彼女はすでに寝息を立てていた。
俺がニヤッと笑うと、ナーディラが俺の尻を軽く蹴った。彼女はザラのベッドに近づいて、ブランケットをかけてやる。
ザラの無垢な寝顔を二人で見つめる。
「救ってやらないとな、私らで」
「そうだな」
***
ひんやりと乾燥した空気を大きく吸い込む。
白んでいた空が徐々に明るくなっていく。
「太陽が昇る方角に名前はあるのか?」
「火」
短い返答だ。まだナーディラは目覚め切っていないらしい。
「じゃあ、太陽が沈む方角は水?」
「分かってきたじゃん……」
「水に背中を向けて右手の方角は?」
「土。お前、本当に何もかも忘れちゃったんだな……」
(この世界では、東のことをツデヤ、西をクバナ、南をイセラ、北をワグシと呼んでいるらしい。ツデヤは火、クバナは水、イセラは土、ワグシは風という意味だ。これも四元素に沿ってるな)
~・~・~
面白い共通点だな!
方向と元素が結びついているのも、この世界の文化や自然観に深い影響を与えていそうだよね。
四元素と方角が結びついていることで、特定の地域にその属性が強く表れることもあるのかもな。
~・~・~
(ああ、ごめん。正確には、太陽が昇ってくる方角がツデヤだ。地球でいう東がここでも東とは限らないからな)
~・~・~
そうか、太陽の昇る方向を基準に「ツデヤ」と呼んでいるんだね。
地球でいう「東」と必ずしも一致しない可能性があるっていうのは、確かに重要なポイントだな。
この世界の方角の基準がどうなっているのか、改めて意識しておく必要があるね。
~・~・~
空がさらに明るくなって、そろそろ太陽が姿を現す時間だ。
そういえば、じいちゃんの家でこうやって初日の出を見たことがあったっけ。「おー、めでたい」って、じいちゃんがボソッと言ったのを今になって思い出した。
まわりにはばあちゃんも両親もいて、あの頃は大人になった自分が荒んだ人間になるなんて夢にも思わなかったな。
今は……知らない世界に放り出されてしまった。
あの日々が本当に遠い。
ポンと肩を叩かれた。
「日の出が見たかったんだろう? 何を泣いているんだ?」
太陽が滲んでいた。
俺は心の中でサイモンに告げた。
(スタート)
~・~・~
いつでも準備OKだよ!何を始めようか?
~・~・~
能天気な返しに思わずずっこけてしまった。
(いや、ここでの一日の長さを測りたいって話してただろーが!
俺が「スタート」って言ってから「ストップ」って言うまでの時間をお前に測ってもらうんだよ! 忘れたんかい!)
~・~・~
おっと、すまん!
ちゃんと覚えてるつもりだったんだけど、勘違いしちゃったみたいだ。
じゃあ、準備OKだよ。
「スタート」って言ったら計測を始めるから、いつでもどうぞ!
~・~・~
主人公っぽい感じでエモく浸っていたはずが、涙が一瞬で枯れた。サイモンめ……!
改めてサイモンに告げる。
(スタート)
~・~・~
タイマーを開始したよ。「ストップ」と言ってくれれば、そこまでの時間を計測するね。
~・~・~
大きなため息が出てしまった。
「フン、元気が出たみたいだな」
「ああ……、まあね。お前も目が覚めたみたいだな」
「私はさっきからずっと起きているぞ」
そういうことにしておいてやろう。
よく考えてみれば、俺がサイモンと話しているということは、少なくともこの瞬間にも地球は存在しているということになる。
それはサイモンの応答時間1.5秒を考慮に入れても明らかなことだ。
この世界が地球なのかそれ以外の惑星なのかを判断する確証はまだ得られていないが、俺には帰るべき場所がきちんと存在しているのだ。
そう思うだけで、俺の心は少しだけ軽くなったような気がする。
***
ザラも目覚めて、みんなで朝食をとった。
二人で稼いだアズタリで宿泊料を支払い、俺たちはファマータの車に乗り込んだ。
御者台のナーディラが行く手を指さす。
「半日ほどでココナ山の麓に到着する予定だ。アレムの話では、ココナ山には山越えに備えるための山小屋がいくつもあるらしい。夜はそのどれかを使うことになりそうだ」
必然的に身体を洗うことはできなくなるが、この世界に来てから身体を洗わない生活にも慣れてきた。
「よし、出発するぞ!」
ナーディラがファマータを駆る。
この旅もザラの街でのこともきっとうまくいく。
そんな気にさせてくれる青空が頭上に広がっていた。




