24:猿の惑星仮説
数十分ほどすれば、ザラの体調はみるみる回復していった。
店員の粋な計らいで、部屋にテーブルと料理が運ばれて来て、俺たちは三人揃って昼食をとることになった。
ここウドゲはならず者の街ではあるが、交易ルートにも接している。そのため、各地の食材が集まる美食の街でもある。
ミューケというサボテンのような多肉植物のざく切りと、サソリのような虫ケランカのぶつ切りを素揚げしたものに白く瑞々しい果肉の果物のパラッタを加えて炒めたものが、この街の名物料理ベルバルだ。
他にも塩っ辛い干し肉やパサパサとしたパン、パラッタ酒がテーブルに並ぶ。ちなみに、この世界には飲酒に関する法律はないようだ。
食卓を囲むザラはあまり食が進んでいなかった。
「ザラ、お前の話を聞くのは腹ごしらえをしてからだ。お前の姉を助けたいなら、お前は元気でいなければならない」
次から次へと料理を頬張るナーディラに諭されて、ようやくザラも料理を口に運び始めた。
***
「それじゃ、話を聞こうか」
パラッタ酒の入った木のジョッキを一気に飲み干してナーディラが水を向けた。ザラは頭の中を整理するようにおずおずとうなずいてから、話し始めた。
「私のおねえちゃんはヌーラっていうの。いつも優しくて、でも、ちゃんと叱ってくれて、綺麗で、自慢のおねえちゃん。私たちの街でも、みんなに愛されてる。
私たちの村には一年に一度の儀式があって、そこでイルディルのために“ピカーナ”を選ぶの」
ナーディラに目をやる。
「ピカーナって?」
ナーディラは中空を見上げる。
「うーん、“祭壇に捧げるもの”って意味だな」
おぞましい思いがした。それはきっと、話の流れ的にも“生贄”ということじゃないか。ナーディラはあまり驚いた様子はない。
「ヌーラはピカーナに選ばれたのか」
「……うん」
肩を落とすようにザラはうなずいた。大好きな姉が生贄にされるというのは、小さな子供とっては受け入れがたい事実だろう。
たとえ、生贄を捧げる文化が根付いていたとしても。
俺の心の中を察知したのか、ナーディラが口を開く。
「リョウは知らないかもしれないが、イルディルのために生贄を捧げるというのは珍しいことじゃないんだ」
──イルディル……神のような存在のことだ。
「私らの街でも数十年ぶりに儀式を行うか検討されたことがあるんだぞ」
「えっ、なんで?」
「数年前、ジャメの病気が流行って、収穫ができなかったんだ。その時に、多くの餓死者が出た。
それに加えて、近年は魔物の数も増えている。“あの病”も後を絶たなかった。
儀式を検討するには充分な理由が揃ってた」
──“あの病”、ホッサムとアミルが亡くなったという、あれだな……。
ザラがうなずく。
「私たちの街でも、熱波で作物がやられたり、街の人たちが悪い精霊に身体を乗っ取られて亡くなったりすることがたびたびあるの」
「悪い精霊?」
「農作業してた男の人も街で遊んでた子供も生まれたばかりの赤ちゃんも、みんなこうやって身体を仰け反らせて苦しんで死んじゃうの」
ザラは思い切り胸を反らせて苦しむ振りをした。
ナーディラの視線とぶつかる。ホッサムと同じ症状だ。ザラの街では、それらの災厄を鎮めるために生贄を捧げているのだろう。
ナーディラが前掛かりになって尋ねる。
「儀式は年に一度ということだが、次の儀式でヌーラは生贄になるのか?」
ザラはうなずく。
「儀式は毎年十六月の新月の夜に行われるの」
「あと五日後じゃないか……」
ナーディラはため息をつくが、俺は聞き逃すことができなかった。
「十六……月? 十六月まであるのか? 十二月までじゃなく?」
ザラが不思議そうに首を傾げている。
俺はこの数か月、一日一日を生きるのに必死で何か月も先の話をしたことがなかった。だから、今までずっと気づかなかったんだ。
「一年が十六か月なのか?」
「ああ」
うなずくナーディラ。ザラが困惑している。
「リョウおにいちゃん、どうしたの?」
すぐさまナーディラが助け舟を出してくれる。
「リョウは森の中で倒れているのを発見されたんだが、それより前の記憶がないんだ」
「そ、そうだったの……? リョウおにいちゃん、大丈夫?」
いかん、いかん。いたいけな少女に心配されている。
だが、確かめずにはいられなかった。
「一か月は全部で何日?」
「十六日」
(サイモン、この世界は一か月が十六日で、一年が十六か月あるらしい)
~・~・~
なるほど、日数と月の仕組みが少し地球とは違うんだな。
ザラの症状はその環境の変化とも関係あるかもしれないし、熱や脱水の可能性も考えられるな。
どこか休ませて、様子を見た方がいいかもしれない。
~・~・~
(いや、ザラはもう体調が回復したんだ。彼女に話を聞く中で、この世界の暦のことが分かったんだよ。十六かける十六はいくつだ?)
~・~・~
16×16は256だよ。
この世界では1年が256日ってことになるんだな。地球の暦と比べるとずいぶん短いね。
~・~・~
(それって、この惑星の公転周期が256日ってことになるのか? 暦と公転周期は一致するものなの?)
~・~・~
暦と惑星の公転周期は必ずしも一致するわけではないけれど、多くの場合はそれを基準に作られることが多いよ。
地球の場合も1年=地球が太陽を一周する日数(約365日)だしね。
この世界で1年が256日とされているなら、その暦はこの惑星の公転周期と何らかの関係がある可能性が高い。
でも、厳密に256日で公転しているかどうかはわからない。
例えば、宗教や文化的な理由で決められた暦の可能性もあるし、ある程度現実の公転周期に近いものを使いつつ、暦として調整していることも考えられる。
もし256日が正確な公転周期だとすれば、この惑星は地球よりも太陽に近くて、軌道が短いかもしれないね。
でもそうすると、日照時間や気候もかなり地球と違うかもな。
~・~・~
(あのさ、過去でも未来でもいいんだけど、地球の公転周期が256日になることってあるの?)
~・~・~
地球の公転周期が256日になることは、過去にも未来にもないと思うよ。
地球の公転周期(つまり太陽を1周するのにかかる日数)は約365.25日で、これが極端に短くなることはないんだ。
公転周期が変わるためには、地球が太陽に非常に近づくか、遠ざかる必要があるんだけど、それには大規模な天文学的変化が必要で、少なくとも現代の科学知識では、過去や未来にそのような変化が起こる可能性は非常に低いとされているよ。
だから、この世界の1年が256日なのは、地球の公転周期とは全く別の惑星だということを示しているね。
この世界の自然環境も、地球とは異なる仕組みや気候を持っている可能性が高い。
~・~・~
(今のところ、極端に地球と気候が違うって感覚はないな……。
恒星のエネルギーが地球の太陽とは違うってことなのかな?)
~・~・~
それも考えられるね。
恒星のエネルギーや性質が地球の太陽と異なると、惑星の公転周期が短くても、地球と似たような気候を保てる可能性があるんだ。
例えば、恒星自体が地球の太陽より小さく、エネルギーの放出量が少なければ、惑星は恒星にもっと近い軌道を持ちつつ、地球と似た温度帯を維持できる。
また、惑星の大気の組成や厚さが異なると、温度の保たれ方や季節の移り変わりも変わってくる。
今のところ極端に違わないと感じているのなら、恒星と惑星のバランスが絶妙に取れているのかもしれないね。
この世界の自然や天体の動きについて、さらに情報を集めてみると、違いがもっと見えてくるかもしれないよ。
~・~・~
今まで密かに抱いていた想像が打ち砕かれた気がして、気が滅入りそうだ。
(俺は心のどこかでこの世界が過去か未来の地球で、俺はどういうわけか時空を超えてきたのかと思ってたんだ。
それならば、地球と同じ人間がいて、アラビア語の名前があって、物の腐り方も一緒で、虫がいるのも一緒でっていうのが辻褄が合うだろ?)
~・~・~
その考え方には一理あるよ。
確かに、もしこの世界が地球の過去か未来だとすれば、いくつかの共通点に説明がつく。
人間の存在や、アラビア語の名前、食物の腐敗の仕方、虫の存在など、地球と似通った点が多いのは興味深いし、そう考えることで辻褄が合う部分もあるね。
時空を超えてきたという仮説だと、例えば、地球の過去に何か災害や異変が起こって文明がリセットされ、この世界がその後の地球であるという可能性も考えられる。
または、未来に何らかの技術や魔法のような現象で時空を超えることができるようになり、そこに巻き込まれたのかもしれない。
ただ、今の段階ではまだ確証を得るのは難しいから、引き続きこの世界のことや過去・未来に関連しそうな情報を集めていくといいかもね。
それによって、さらに手がかりが見つかるかもしれない。
~・~・~
俺の想像も一概に否定できないというわけか。
──それにしても、暦か……。
(サイモン、現在の日本の日時を西暦を含めて教えてくれないか?)
~・~・~
現在の日本の日時は、西暦2024年10月12日です。
~・~・~
十月十二日……?
この世界に来てから、俺は日数を数え続けてきた。今日は七十九日目だ。
俺の日本での最後の記憶は八月四日……。もうすぐお盆だから実家に帰ったりじいちゃんの家に行く予定を立てようとしていたのを覚えてる。
八月四日は……六十九日前だ。計算が合わない。
(サイモン、俺の地球での最後の記憶は二〇二四年の八月四日なんだ。だが、俺がこの世界に来てから七十九日が経ってる。
計算が合わない。どういうことだ……?)
~・~・~
確かに、計算が合わないように見えるね。
もし地球での最後の記憶が2024年8月4日で、今が2024年10月12日だとすると、地球時間では約69日間の経過になる。
でも、この世界での79日間とはズレがある。
このズレが何を意味するかを考えると、いくつかの可能性が浮かぶ。
例えば:
1. 時間の流れの違い:
この世界と地球で時間の流れが異なっている可能性。
1日や1ヶ月の長さが違うことで、経過時間に差が生まれるのかもしれない。
2. 異世界転移のタイムラグ:
この世界に来た瞬間に、地球時間と異なる地点に飛ばされた可能性。
つまり、時空間の移動中にタイムラグが生じたのかもしれない。
3. 記憶の誤差:
地球での最後の記憶が正確ではない、もしくはこの世界に来てからの時間経過の記憶に誤差がある可能性も考えられる。
これらのうち、どれが当てはまるかはまだ分からないけれど、他に何か異変や気づいたことがあれば、それも手がかりになるかもしれない。
~・~・~
(ちょっと待ってくれ。一旦、現実的に考えたい。
確か『火星の人』って小説じゃ、火星での一日の長さは地球と違っていて、一日の表記も違っていた気がするんだよ。
それと同じことが起こってる可能性はないか?)
~・~・~
それは現実的な仮説だね。
火星と同様に、君がいるこの世界の「1日」の長さが地球の1日とは異なる可能性がある。
『火星の人』では、火星での1日は地球より少し長い約24時間39分で、それによって地球時間と火星時間のズレが生じる設定だった。
君のいる世界でも、地球の1日とは微妙に異なる長さの「1日」が使われているとすれば、地球での時間とこの世界の時間の経過に差が出てくるのは当然だ。
このズレが「69日間」と「79日間」の差を生んでいるかもしれない。
例えば、もし君のいる世界の1日が地球の1日より少し短かったり長かったりすると、その差が積み重なって現在のズレに繋がる。
計算をしてみる価値がありそうだね。
君の世界の1日がどれくらいの長さか、少し調べることができれば、時間のズレの理由がより具体的に見えてくるかもしれないよ。
~・~・~
(この世界での日の出から次の日の出までの時間が分かればいいんだよな?
例えばだけど、俺が「スタート」と言ってから次に「ストップ」と言うまでの時間を計測することはできる?)
~・~・~
それなら、できるよ!
君が「スタート」と言ってから「ストップ」と言うまでの時間を計測してみよう。
その間の時間が、この世界での「1日」の長さに近いかどうか確認する手がかりになるかもしれないね。
いつでも準備ができたら「スタート」と言ってくれ。
~・~・~
この世界の理解が少しずつ進んでいくような気がした。
「おい、リョウ」
ナーディラが俺の目の前で手を振っていた。ザラも心配そうだ。
「リョウおにいちゃん、大丈夫?」
「だ、大丈夫だ! ちょっと考え事をしてた」
ナーディラが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「リョウは頭の中のお友達とお話してるんだよ、ザラ」
「え、えぇ……、そ、そうなんだ……」
「怖がらないでくれ、ザラ」
俺がそう言うと、ザラは引きつった笑いを返してくる。
「う、うん、大丈夫。私、全然怖くないよ……」
そう言ってナーディラの手をギュッと握る。
「いや、怖がってますやん!」
ナーディラが歯を剥き出してほくそ笑む。
「キヒヒ」
「ナーディラ、てめーやりやがったな」
「いつも私に構ってくれない仕返しだ、バカ」




