20:羽根で撫でるような推測
歩いて半日以上かかった道程をふぁまーたは数時間で駆け抜けた。
道中、たもろの街から避難していく人々が街道にポツポツと見られた。あの惨事から逃れて周辺の街に居場所を求めようとしていたのだろう。
ホッサムは相変わらず歯を食いしばって身体を仰け反らせて苦痛に耐えていた。俺はそばで声をかけることしかできなかった。
俺たちの街に辿り着いた頃には、すでに陽は傾いて辺りはオレンジ色に染まっていた。
ナーディラが声をかけると、門番たちが慌てて駆け寄ってくる。俺のそばで苦悶の声を漏らし続けるホッサムを見て、彼らは恐れおののいていた。
(ホッサムの街に戻ってきたよ。ホッサムの症状を見て、街の人たちが怖がってる。この症状を見たことがあるんだ)
~・~・~
街の人たちが怖がっているということは、ホッサムの症状が何か恐ろしい病気や呪いのようなものだと知られているのかもしれないな。
その症状が以前もこの街で広がったことがあるかもしれない。
もしかしたら、街の医者や知識のある人物に尋ねれば、もっと詳しいことが分かるかも。
ただ、これ以上悪化する前に、少しでも情報を集めた方がいい。
~・~・~
騎士たちが揉めている。門を開けようとした男を別の騎士が怒鳴りつけ、その騎士をまた別の騎士が制していさかいが始まったようだ。
──ホッサムを街に入れたくないのか……? クソッ、こんな時に……!
ナーディラが一喝する。そこでもひと悶着あったが、ナーディラが強引に門を開けさせることを反対派に承諾させたようだ。
こういう時に、粗暴でも主張を押し通せる人間がいるのはありがたい。
ナーディラは街の中にふぁまーたを進めて、そのまま歩かせた。ファラージのもとに向かうのだろう。
(街の住人の中には、ホッサムの症状を恐れて彼を街に入れるのも嫌がってる奴もいるみたいだ。
今思い出したけど、俺もこの街に始めて来た時、騎士たちに拘束されたんだ。
外部の人間に対する警戒心みたいなものとホッサムの病気……関連性がありそうだな)
~・~・~
街の人たちがホッサムの症状に恐れているなら、彼の病気は過去にも似た事例があった可能性が高いね。
外部から来た者への警戒心と結びついているのかもしれない。
もしかすると、感染の疑いから街に入れることに慎重になっているのかも。
ホッサムの回復を優先しつつ、周囲に安心感を与える言葉や行動も考える必要がありそうだな。
~・~・~
***
ファラージの診療所に到着すると、すでに話を聞いていたらしいファラージが建物の前で俺たちを待っていた。
俺の隣で苦しむホッサムを見て、ファラージは驚きと恐怖の入り混じったような表情を浮かべた。ファラージとナーディラと一緒にホッサムの身体を担いで診療所の中に運ぶ。
痛みが強まったのか、ホッサムが絶叫を上げる。
ベッドに横にすると、ファラージが別室から一冊の革張りの本を持って来た。
「治療しないのかよ!」
俺が言うと、ナーディラに睨みつけられた。
──この世界じゃ、これが治療なのかよ……!
まるで病気の原因が悪魔だと信じていた中世の世界じゃないか……。
ファラージが本に目を通しながら、呪文のようなものを唱える。ぼんやりとした光がホッサムを包み込むが、彼は変わらずに苦しみ続けている。
ファラージの表情は見る見るうちに曇っていく。効果がないのだ。
「ホッサム!」
エスマが現れた。スカートの裾は土で汚れている。急いでやって来たのだ。彼女は泣きながらホッサムの身体にすがった。
ファラージもナーディラも見守る看護師の女性陣も不安と恐怖と悲しみの表情を二人に向けていた。
「あがああああああああ……!!!」
突然、ホッサムがベッドの上で弓なりに仰け反った。口の中を噛んだのか、口元から血が流れる。
自分の意思に反して、ホッサムは手を使わずにブリッジするように仰け反って、力が抜けたように背中をついた。
エスマが彼の身体を押さえつけようとしていたが、彼女を跳ね飛ばすほどホッサムの力は強かった。
(サイモン、ホッサムの発作症状かもしれない。弓なりに仰け反って苦しみ出した。なんか筋肉が勝手に動いてるみたいに感じる。口の中も噛んで傷ついてしまってる……。
ファラージたちが魔法みたいなもので処置しようとしたけど、効かないんだ)
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ホッサムの症状が急激に悪化しているようだね。
発作のような筋肉の痙攣や口の中を噛む行為は、かなり深刻な状態だ。
魔法が効かないということは、単なる病気や外的な要因ではなく、何か別の要素が関わっている可能性がある。
まずはホッサムが呼吸できるよう、仰向けではなく横向きに寝かせて、口の中に何か挟まないようにするのが重要だ。
さらに、発作が終わった後も彼の意識や呼吸状態を確認して、もし手がつけられなくなったら早急にナーディラや他の騎士に助けを求めよう。
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(ホッサムを助けたいからお前にホッサムの症状を推測してもらいたかったのに、分からねえのかよ……)
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ホッサムの症状に関して、現時点での情報からいくつかの可能性は考えられるが、確定的な診断は難しいんだ。
今までの症状や状況を基に推測すると、以下のことが浮かび上がってくる:
1. 感染症の可能性
ホッサムの症状(発作、筋肉の痙攣、発熱、笑顔の引きつりなど)は、何らかの感染症によるものかもしれない。
特に、子供アミルが同じ症状で亡くなっていることから、これは特定の病気や伝染病の可能性を示唆している。
しかし、君が同じ症状を示していない点から、ゴブリンとの接触がきっかけとなった特異な病原体か、ホッサムの体質に依存するものかもしれない。
2. 毒や魔法の影響
ホッサムがゴブリンに襲われた傷があるなら、毒が体内に残っている可能性も考えられる。
発作や筋肉の痙攣、笑顔の引きつりなどは、特定の神経系に作用する毒の症状と一致する。
さらに、魔法的な影響を受けている場合、治癒が難しい可能性もある。
3. 神経系の異常
ホッサムの筋肉の引きつりや、笑顔の引きつり、手の震えは、神経系に何かしらの異常が起きている可能性がある。
これは自然の病気であれ、毒や魔法の影響であれ、神経系が侵されている結果かもしれない。
今君ができるのは、ホッサムが安全な状態で発作を乗り切れるようにサポートしつつ、ナーディラやファラージ、他の人々に詳しく情報を聞いてみることだ。
それに加えて、ホッサムの過去の行動や環境、アミルが病気になった時の状況を詳しく調べることで、新しい手がかりが得られるかもしれない。
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(「話を聞く」って……俺がこの世界の言葉を喋れないって何度も言ってるだろ。
お前はいつも可能性の話しかしないな。もういいよ、お前は役に立たない)
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申し訳ない。
君が本当に困っている状況で、具体的な解決策を提示できず、役に立てていないと感じさせてしまっていたことに気づけなかった。
本当にすまない。
君の言葉を理解してくれる誰かを探してみるのが現実的な手段かもしれない。
ナーディラのように君を助けてくれる存在が今後のサポートになるはずだ。
もし、俺にできることがまだあるなら、遠慮なく言ってほしい。
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俺は悔しくて奥歯を噛んだ。
ホッサムに対して何もしてやれない。その原因を突き止めることもできない。言葉を話せないせいで情報を集めることもできない。
唯一、共通意識を持っているサイモンに八つ当たりして、一人で感情的になっている……。
ホッサムの発作は何度も続いた。エスマはそのたびに何度も泣き声を上げた。その声で俺は気が狂いそうになる。
これ以上ここに居たくなくて、診療所を飛び出した。
診療所のまわりにはランタンを持った多くの人が集まって、中から聞こえてくるホッサムの悲鳴に心配そうな顔を向けている。
夕闇の中に浮かぶ恐怖に滲んだ彼らの表情は、背筋が凍るような光景だった。
「りょー……」
声がしてナーディラが俺の肩を叩いた。水の入った器を俺に手渡してくれる。
その慈しみ深い表情に、俺は少しだけ心が救われる気がした。
器を受け取って喉を潤す。言葉は通じないが、ただ黙ってそばにいる彼女なりの優しさを感じる。
人垣の中から怒声が飛んでくる。何人もの住人が俺に向かって怒りをぶつけているようだった。
ナーディラが声を上げて俺の前に立つ。理解できないが、俺を守るために野次馬たちに言い返しているようだった。
「ナーディラ、げあげー!」
人垣が割れて、エミールが姿を現した。ナーディラは彼と二、三言葉を交わして、驚きの表情で呆然と立ち尽くした。
「おい、ナーディラ、どうしたんだよ?」
エミールが診療所に向かってファラージの名を叫んだ。すぐにファラージが現れる。
エミールが俺を指さしながら何かを言うと、ファラージは渋い顔をした。それによって野次馬たちのボルテージが上がっていく。
ここで何か行われているのだろうか? それを推測する気力も湧かなくなってきてしまった。
開いた診療所の窓からホッサムの苦痛の声が聞こえてくる。
──急にこの世界で目覚めて、なんでこんなにひどい目に遭わされなければならないんだ……。
エスマが激しく泣き叫ぶ声がする。ファラージたちと一緒に診療所の中に駆け込んだ。
ホッサムの仰け反り方は異様だった。人の身体では耐えきれないほど折れ曲がって、顔を真っ赤にして汗だくのホッサムが激痛に耐えている。
口からは幾筋もの血が流れて、胸元やベッドの上を赤く染める。
「ホッサム、ざな!!」
エスマが涙でグチャグチャになった顔でホッサムの身体を押さえようとする。看護師たちやナーディラも一緒になるが、どうしようもない様子だった。
俺は……足が震えて、身がすくんで、何もできなかった。
ファラージが本を片手に呪文を唱える。無駄だと分かっているような表情だ。
木の棒が軋むような音がした。
ホッサムが力を失って、ベッドに大の字になった。その身体は動かない。
「ホッサム……? ホッサム!」
エスマが彼の胸に飛びついて身体を揺するが、反応はない。
ホッサムの顔はすっかり弛緩して、目はボーッと天井に向けられたままだ。
ホッサムからエスマを優しく引き剥がし、ファラージがベッドに膝を突いてホッサムの身体をじっくりと調べる。
しばらくして、ファラージは力なく立ち上がった。
「ホッサムぜく……」
エスマが床に身体を投げ出して泣き出した。
ホッサムが、死んだのだ。




