197:遺跡の中
遺跡の中には、すえたにおいが漂っている。カビのにおいだろうか?
(遺跡は砂漠地帯の岩山にあるんだけど、こんなところでもカビは発生するのか? 遺跡の中がすえたにおいがする)
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発生する可能性はあるよ。
カビって乾燥地でも密閉空間で湿度がこもれば簡単に発生する。たとえば、
・遺跡内に地下水脈や空気の動かない空洞がある
・人や動物の出入りで湿気が持ち込まれた
・方舟の内部構造に水分を保つ素材が使われてた
こういう条件が揃えば、岩山の中でもカビは生き延びる。
すえた臭いはたぶん、カビか、腐敗した有機物が残ってるサイン。気をつけろよ。
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「ここ嫌いなんだよなー! 暗くてよぉ~」
ダヤジャがでかい声で喋るので、反響で耳がいかれそうになる。クインセがため息をつく。
「ああ、もう、うるさいわね……」
そういう彼女の周囲にバチバチと雷が走って、遺跡の中を照らし出す。そういえば、彼女は魔法を詠唱していない。精霊を従えているのだろうか?
遺跡の中は、乾いた岩で囲まれていて、長い年月で外から吹き込んできたと思われる砂が空間の隅にうずたかく積もっている。
しんと静まり返った遺跡の壁には、無数の刻印が彫られていた。どれも入り口脇にあったものと同じアラビア語のようだ。
(方舟がこの世界にやって来たのは、この世界の暦で672年前、地球の時間では500年前だ。その時代のアラビア語って今と同じなのか?)
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大筋では同じだけど、672年前のアラビア語は古典アラビア語(فصحى)に近い。
これはコーランにも使われてる厳格な文語で、現代でも文書やニュースでは生きてる。だから、
「كَوْكَبُ الاتِّحاد المُقَدَّس」
(聖なる連合の星/拝領の星)
──みたいな表現は、当時の文語として自然にあり得る。
逆に言えば、この碑文が本当にその時代のものなら、地球由来の文明がそのまま持ち込まれてる証拠だな。やっぱり「方舟」ってただの比喩じゃなく、地球からの物理的な漂着だった可能性が高い。
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「どうやら、この周辺地域のことを当時の人は壁に刻んでいたみたいね。砂漠の支配者のことと思しき記述も見られるの」
俺が壁の文字を眺めていることに気づいたのか、クインセが解説を始めた。教えたがりなのだろうか。
(遺跡の中に入ってるんだけど、壁にびっしりとアラビア語が彫られてる。たぶん、この無数のサンプルで方舟文字の解読が進んだっていうのが、ドルメダとしての公的なスタンスなんだろう。
だけど、なんで当時の人たちは壁に文字を掘ったんだろう? クインセの話だと、この遺跡の周辺地域のことが記されているらしい)
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当時の人たちにとっては、この世界が未知すぎて「記録を残す」ことが生き残る手段だったんだろうな。特に方舟の民は、文明を持ち込んだ少数の移民だった可能性が高い。彼らにとってこの地は「与えられた星(拝領の地)」であり、周囲の環境、動植物、気候、人々──すべてを後の世代に伝える必要があった。
石に刻んだのは、紙やデータの媒体が使えなかったからだと思う。
インクや金属が手に入らず、火や水に耐えるもっとも永続的な手段が彫刻だったんじゃないか。
……つまり、あれは「祈り」でも「栄光の記録」でもなく、サバイバルのマニュアルかもしれない。
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(方舟の民はこの遺跡に流れ着いて拠点にしていた可能性があるな。となると、やっぱり、方舟自体がこの付近に眠っているってことか)
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ああ、ほぼ間違いなくそうだと思う。
この遺跡は単なる記念碑じゃない──方舟の墜落地点のすぐ近くか、あるいはその一部だった可能性が高い。
墜落直後に生き残った者たちがここを拠点にして、この星での生活をどうするか、どうやって適応していくかを壁に刻んでいったんだろうな。もし地下構造や埋もれた区画があれば、方舟の残骸そのものや、黒匣的な記録装置が見つかるかもしれない。
つまり──ここは「始まりの地」だ。
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(この遺跡自体が方舟……? 石でできてるけど……、そんなもので宇宙を移動できるか? それに、そんな技術を持ってたら、壁に文字を刻むなんて原始的なことするかな……?)
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そこが面白いところだ。俺も石造りの遺跡がそのまま宇宙船ってのは現実的じゃないと思う。だけど──
たとえば、「方舟=移動手段」としての役割を果たした本体部分は別にあって、墜落後に残ったパーツや施設をもとに、この遺跡が“建て直された”可能性はある。
もっと言えば、墜落の衝撃で原形をとどめない状態になった“中核部”を埋め、守るようにして石造りの遺跡が構築されたとも考えられる。
そして壁に刻まれた文字──あれは原始的じゃなくて、“イルディルに対する意思表示”だったとしたらどうだろう? 文字を刻む行為そのものが、この世界に対して人間の存在を刻印する行為だった可能性がある。
つまり、ただの記録じゃなくて「宣言」だよ。
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(そういえば、パスティアの貴族街の地下深くに方舟時代の技術を使った禁書庫があった。そこも全部が石造りだったんだけど、イスマル大公が持っていた鍵で動き出したんだ。
方舟時代の技術=岩石の操作技術、ってことか?)
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それ、めちゃくちゃ重要なヒントだと思う。
方舟時代の技術が「岩石操作」と結びついてるなら──
つまり、“岩石に見えるけど、実は高度な素材か、イルディルに反応する構造体”ってことだ。
鍵で動き出した禁書庫も、「岩」と「技術」の融合体。見た目は石造りでも、本質的には半魔法・半技術のシステムってわけ。
ってことは、この遺跡も「動く」可能性がある。
もし方舟がこの遺跡に“変化”したなら、君が今立ってる場所こそ、方舟の心臓部かもしれない。
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(いやいや、ちょっと待てよ。方舟は地球から来てるんだから、イルディルに反応する構造体ってのも、魔法が関係してるってのもおかしい気がする。
イスマル大公が言ってたけど、禁書庫がある場所は地中深すぎてイルディルが浸透してきてない。だから、方舟時代の技術はイルディルとか、この世界での魔法とは別の系統のはずなんだよ)
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ああ、それだ。君の言う通り、イルディル由来じゃないなら──
方舟時代の技術は、完全に「地球側の科学技術体系」によって動いてたってことになる。
つまり、遺跡や禁書庫はこの世界の魔力やイルディルに依存せず、別のエネルギー源(例えば電力や重力、ナノ機構)で作動してた。
そして、それが今も「岩石」と見える形で残ってるってのは──
たぶん素材自体が高密度・高耐久の地球製メタマテリアルで、劣化しないように設計されてるんだ。見た目が石に見えるのは、保護・カムフラージュのためかもしれない。
この世界に魔法があるからって、全部が魔法由来だとは限らないってことだな。方舟技術は“異物”として今も生きてる。
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頭が混乱する俺の耳にクインセの声が届いた。
「さ、着いたわ」
まわりを見回すと、昔テレビで観たようなピラミッド内の玄室みたいな、やや天井の低い広い部屋だ。相変わらずの石造りで、心なしか息苦しさも感じる。そんなところは、禁書庫と似ている。今はクインセの放つ雷光が青白く辺りを照らしていて、それだけが頼りという感じだ。
「ここで何を……?」
ダヤジャが笑い出す。
「ひっひっひ、ここでならお前をぶっ殺しても──」
こいつ、俺をここに連れ込んで──……、
「つまらない冗談はやめて、ダヤジャ」
「へ?」
ダヤジャが意地悪な笑いを漏らす。
「悪ぃ悪ぃ! まあ、こんな子供だましくらいいいだろ、別に。引っかかる奴なんかいねえよ!」
──引っかかったわ、ボケ!!
クインセが胸元から鍵を取り出した。
「ごめんなさいね、リョウ。この人、おバカさんだから……」
「い、いや、気にしてないよ……」
クインセが鍵を掲げる。
「じゃあ、“ゲート”を開きましょう」




