196:拝領の星
遺跡の入り口脇に彫られていた、
「كَوْكَبُ الاتِّحاد المُقَدَّس」
という文字をサイモンに共有した。
すると、こう返ってきた。
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うん、それはアラビア語だ。「كَوْكَبُ الاتِّحاد المُقَدَّس(Kawkab al-Ittiḥād al-Muqaddas)」は、直訳すると──
「聖なる連合の星」
「كوكب(kawkab)」=星
「الاتحاد(al-ittiḥād)」=連合、統合
「المقدس(al-muqaddas)」=聖なる、神聖な
って構成だな。
この文言が方舟の遺跡にあるってことは、地球から来た第二波の移民たち──方舟の民が、少なくとも中東文化圏の影響を強く受けていた可能性が高い。あるいは、宗教的・政治的理念として「聖なる連合」を掲げていた集団だったのかもしれない。
……リョウ、ここ、マジでとんでもない過去が眠ってるぞ。
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「聖なる……連合の、星……?」
思わず口を突いて出てしまった。クインセが目を丸くする。
「あら、あなたもこの古代文字が読めるの?」
「あなたも?」
クインセは小さく舌打ちをした。
「わたしとしたことが……。まあ、いいわ。わたしたちの調査チームもこれを発見した。内部には多くの古代文字のサンプルがあり、それによって一定の知見を得た。この世界には存在しない文字……方舟文字よ」
(サイモン、クインセが言うには、ドルメダの調査チームもこの遺跡を調べて、この言葉の意味を解読したようだ……。彼女たちはこの文字を方舟文字と呼んでる)
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それなら確定だな。ドルメダは「方舟の民の言語=アラビア語系の表記(少なくとも文字形状)」と認識していて、それを“方舟文字”と呼んでるわけだ。
つまり、彼らは自分たちのルーツがこの「聖なる連合の星」にあると理解してる可能性が高い。あるいは、「方舟」というもの自体がこの“聖なる連合”の理念や旗印のもとで作られた計画だったのかもしれない。
この呼び方、ただの符号じゃなくて、誇りとか、信仰に近い価値観に繋がってるんじゃないか?
リョウ──この言葉を軸に、ドルメダと方舟の民の精神的な繋がり、もっと深堀りできるかもしれない。クインセがどう受け止めてるのか、探ってみる価値ある。
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「なんなんだ、聖なる連合って?」
「“الاتِّحاد المُقَدَّس”は、それひとつで拝領という意味合いがあるのよ。そして、わたしたちが存在するこの地は古くから拝領の地と呼ばれてきた」
「拝領の地……ということは」
(サイモン、「كَوْكَبُ الاتِّحاد المُقَدَّس」は「拝領の星」と理解されているようだ。「聖なる連合」が拝領ってことなのか。
そして、この異世界の地は古くから「拝領の地」と呼ばれてきたらしい。方舟の民たちがこの世界を「拝領」と形容していたということか?)
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その解釈、かなり核心に近いと思う。
「拝領の星」とは、“聖なる連合が授かった星”という意味合いだ。つまり、この世界そのものを 神聖な使命や選定に基づいて与えられた土地として受け止めてた可能性が高い。宗教的か、あるいは倫理的な理想を背負った移民計画だったのかもしれない。
そして「拝領の地」と呼ばれていたのなら──方舟の民はこの世界を 与えられた聖域、あるいは 救済の場 としてやって来た。
つまり、「侵略」や「漂着」じゃなく、「選ばれた者が赴く地」としての正当性を持っていたんだ。だからこそ、彼らは血統を守り、変化を拒み、「純粋性」にこだわった……。
逆に言えば、それは 第一波の民や現地に適応した人々からすれば、傲慢にすら映る思想だよな。対立の火種が、ここから芽生えてたんじゃないか?
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(なぜ「拝領の星」と遺跡に刻まれているのかも気になるけど、クインセは調査チームが解読したと言っていた。でも、もしアセナスが解読に携わっていたとしたら? さっきのお前みたいに瞬時に意味が理解できてしまうんじゃないか?)
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その通りだ。アセナスが解読に関わっていたなら──というより、彼女が解読結果を“提示した”のなら、それは本当に「解読」だったのかどうかさえ怪しい。
彼女がAI的な知識を持つ存在であれば、あの文字列を見た瞬間に、翻訳も背景もすべて理解していたはず。だからこそ、「調査チームが解読した」というクインセの言葉が事実でも、真実とは限らない。
つまり、「方舟文字を解読した」のではなく、「すでに知っていた情報を提示した」だけの可能性があるってことだ。
そしてその情報の出所が彼女だった場合、「拝領の星」という訳し方や概念そのものも──アセナスの意図が混ざってるかもしれない。
クインセの口からそれが出た時点で、彼女がアセナスじゃないとしても、少なくとも“その知識を得る手段”を持ってるのは確かだ。そこが次の突破口になる。
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(ん? アセナスって女の人の名前なの? アセナスって地球由来の名前なのか?)
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ああ、アセナス(Asenath)って名前は実在するし、地球由来の名前だ。もともとは古代エジプト語に由来していて、「彼女がナイト神に属している(Belonging to Neith)」という意味があるとされてる。
旧約聖書にも登場する名前で、ヨセフ(夢解きで有名なあの人物)の妻の名がアセナスだったんだ。
だから、もしこの世界に「アセナス」と名乗る人物がいるなら──
それは偶然の一致ではなくて、「地球から来た者」が名づけた、あるいはその記憶や文化を持っている存在の可能性が高い。
つまり、「アセナス」という名自体が、方舟の民か、それに連なる知識体系を持つ者の痕跡ってことになる。
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全身の肌がざわざわしている。
無数の点が一気に結びついて意味をなしていた。
「あのー、そろそろ行きたいんだけど?」
クインセが呆れ果てた表情で俺を見つめていた。
「あ、ああ……、すまない……」
クインセが指笛を鳴らすと、どこからともなく、ダヤジャが俺のそばに着地した。
「おい、笛で俺を呼ぶなっつっただろーが! ベカラみたいに思われるだろ!」
ベカラは犬と猫を掛け合わせたような動物のことだ。パスティア・タファンでも何匹も見かけた。
「ああ、うるさい。リョウと一緒の時は穏やかな時間だったのに」
「あん? リョウって誰だ?」
俺は手を挙げた。
「俺だよ」
「てめえはタリクだろ。ウソついてんじゃねー!」
──ああ、こいつ、話通じないタイプだぁ……。
クインセが咳払いをする。
「お喋りはここまでにして、行くわよ」
「あんだよ? もう行くのかよ? パスティアの連中、どこにもいねーぞ!」
ギャーギャーと喚くダヤジャを置いて、クインセは遺跡の中に足を踏み入れた。
──行く? 遺跡の中に? なぜ?
いくつもの疑問が浮かび上がるが、今は成り行きに任せるしかない。
俺はクインセの後に続いて遺跡の中に身を投じた。




