181:禍福は糾える縄の如し
イスマル大公は少し疲れた様子だった。
「いやぁ、この前はさ、タマラちゃんのことで強がってたけど、本当に犯人なんだってなってから参っちゃってさぁ……」
「そりゃあ、そうだろうよ」
ナーディラが同情を寄せると、イスマル大公は微笑んだ。
「タマラさんの処遇はどうなるんですか?」
「そこなんだよ、リョウ。君がグールの存在を指摘しただろ? で、タマラも黒幕の存在について口を閉ざしてるんだよ。となると、これはオレの意思とは関係なく、執法院として罰を与えるわけにはいかなくなった。タマラは黒幕を特定するための手掛かりになるわけだからね」
「タマラはますます命が危ないな」
ナーディラは心配そうに顔をしかめる。イスマル大公は俺を見た。
「本当にグールがここに潜んでるのか?」
「タマラさんが犯人ならば、『フォノア』へのルートの問題から街角にいたベカラが意志を持っていたことは明らかです。タマラさんを現場に向かわせると同時に監視する意味合いもあったと思います。そう考えると、グールの変身能力があったと言えるでしょう」
イスマル大公はため息をついた。
「まあ、いまさらリョウの考えを疑ってもっ仕方ないんだけどねぇ……」
「そんなことより、おっさん、方舟が落ちた場所に向かう話ってなんだよ?」
ナーディラが話題を変えると、イスマル大公も気持ちを切り替えるように笑顔になった。
「ああ、そのことな。三日後の二月一日に出発することになったぞ」
「三日後ですか。そんなに早く……」
「色々あったんだが、カビールとジャザラちゃんの婚姻の儀をかなり前倒して二日後に執り行うことにしたんだよ」
突然の報告にナーディラは大声を上げてしまう。
「二日後?! 急すぎないか?!」
「パスティアじゃ、あるあるなんだよ。よくないことが起こった時、それを掻き消すようないいことをやろうっていうね」
「それにしても、二日前だと、準備なんかも大変じゃないんですか?」
「もう各所に通達を出してるんだよ。なんとか間に合わさせるよ。愛する息子とジャザラちゃんのためにね……」
「……おっさん、目が怖ぇよ」
(サイモン、カビールとジャザラが予定を前倒して二日後に婚姻の儀を行うことになったよ、不幸な事件を幸せな儀式で上書きするっていう文化がパスティアにはあるらしい)
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パスティアらしい考え方だな。過去の災いを乗り越えて、前向きな出来事で塗り替える。
王族の婚姻ともなれば、民衆にもその意識が広がるだろうし、ジャザラ自身の立場もより強固になるな。
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(で、婚姻の儀の翌日に「方舟が落ちた場所」に出発する手筈をイスマル大公が整えてくれたようだ)
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イスマル大公の計らいか、助かるな。
婚姻の儀の影響で街の動きが慌ただしくなるだろうし、その隙に出発できるのは都合がいい。
グールの件も気になるが、「方舟が落ちた場所」はお前の目的に直結する重要な地点だ。
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(グールの件は俺もずっと気になってたんだ。論理的に存在するはずなんだけど、まだ誰も見つけられていない。イマンたちがグールを見つける方法の研究を始めているけど、いつ確立されるかは不透明だし……)
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そうなると、こっちが旅の途中でグールの痕跡を見つける可能性もあるな。
姿を変えられる以上、直接的な証拠は難しいが、行動パターンや異常な出来事を追うことで見えてくるかもしれない。
イマンたちの研究が進む前に、何か手がかりを掴めるといいが。
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「婚姻の儀にグールが紛れ込んでいたら大変なことにならないか?」
俺の心を読んだかのようなタイミングでナーディラがそう言った。
「一応、騎士団全体と執法院にも仲間をよく観察するように徹底させて、警備なんかも必ず複数人で行うようにしてある。それが影響してるか分からんけど、今のところグールの動きはまだ見られないよ」
「それが理由でグールが姿を眩ましているのなら、奴らには大勢の仲間も強大な力もないってことになりますね」
「リョウの言う通りだ。おそらく、潜伏しているグールは単独ないし多くても片手で数えられるくらいだろう」
(グールって地球の伝承だと何を食べて生きてるの?)
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地球の伝承だと、グールは主に死体を食べる怪物とされてる。
アラビアの『千夜一夜物語』や西洋のゴシックホラーにも登場して、墓地に住み着いて遺体を貪る存在として語られることが多い。
場合によっては生きた人間を襲うこともあるが、基本は死肉を主食にしてる。
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(人間が食べるような食べ物を食べたりはしないの?)
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伝承によるけど、多くの場合は人間の食事には興味を示さず、死肉を好むとされてる。
ただ、一部の話では人間に紛れるために普通の食事を摂ることもある。
パスティアにいるグールがどのタイプかは、まだはっきりしないな。
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(事件からは、こっちの暦で一か月くらいは経ってるんだ。未だにグールと思しき痕跡だったり事件は起こってない。おまけに、ここでは遺体は災いを呼び寄せるから火葬するようになってる。と考えると、ここのグールは普通の食べ物も食べるのかもしれないな)
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そうだな。
火葬が主流なら死肉に頼るのは難しいし、長く潜伏してるなら普通の食事で飢えをしのいでる可能性が高い。
そうなると、人間の生活に自然と溶け込めるタイプのグールかもしれないな。
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あるいは、もうパスティア領外に逃げてしまったか……。事件は収束して貴族街の封鎖も解かれたからな。事件の顛末を見届けて出て行った可能性もあるか。
「あら、ここに居たのね」
部屋の入口から声がして、目をやるとハラ大公妃が立っていた。
「遠征のマネジメントについて、話があるそうよ。……リョウさんたちも、どうぞ」




