179:長いさまよいの果て
俺たちにとってはすでに考え尽くされた結論だったが、ダイナ執法官やザドク、ジャザラやカビールたちには大きな衝撃を与えたようだった。
ダイナ執法官は眼鏡に手をやる。
「タマラ様が……? それに、彼女の子供が子をなさない者……?」
「タマラさんは生まれた子供が緑色の目をしていると知った時に、内密に子供を葬り去ることを考えていたのでしょう。そんな中で毒を手にすることなり、彼女の中の思惑が唐突に形を成したのです」
「毒を手にすることになった? 気になる言い方ですね」
ダイナ執法官が鋭い目を向けてくる。
「なぜなら、タマラさんにとっては、毒の入手は思いがけないことだったからです」
ザドクは相変わらず敵意剥き出しにしてくる。
「なんの根拠もない妄想にすぎない!」
「ですが、そう考えれば、ジャザラさんが飲まされた毒量が少なかったことも、タマラさんの子供が亡くなったことも説明がつきます。本来、一人の大人を死に至らしめる毒量だったものが、半分に分けられたことによって、身体の小さなタマラさんの子供だけが亡くなることになったのです」
ナーディラは俺の言葉を吟味して首を傾げる。
「でも、お前の言い方だと、毒を盗んだのはタマラとかその息のかかった侍従のアナトでもないってことにならないか?」
「そこなんだよ。タマラさんは、実行犯にすぎない。彼女は、子供が緑色の目をしているということを隠蔽しようとしていることを利用されたんだ」
「利用された? 誰に?」
ここで初めて、ジャザラが微かに目を大きくした。
ナーディラの疑問を尻目にザドクが声を上げる。
「フェガタト・ラナ犯人説にケチをつけようと論点をずらそうとしている!」
ダイナ執法官がザドクに目をやる。
「ザドク調査官、彼はあなたと同じように自らの考えをこの執法判断の場で提示しているだけです。……しかし、リョウさん、一体誰が毒をタマラさんに与えたというのですか?」
「パスティアと敵対する勢力……ドルメダかクトリャマでしょう」
ザドクは信じられないといった表情で俺を睨みつけていた。
「ルルーシュ家出身の人間がドルメダやクトリャマに? バカなことを言うな!」
「ですが、自分の子供が緑目だということを暴露されると脅されれば、指示に従わざるを得ないんじゃないですか? 俺はこの国の人間じゃないですが、それこそルルーシュ家の権威を堕としかねない事実だと思いますが」
イマンが手を挙げている。
「僕からの所見を述べさせてもらうが、もしそのようなことがあれば、貴族であろうとも暴露を恐れ、傀儡化される可能性は高い」
迫害されてきたイマンの言葉に異論を返す者がいない中、ザドクだけは食い下がっていた。
「ドルメダやクトリャマの仕業だと決まったわけじゃない!」
「別に、ドルメダやクトリャマの仕業であることを主張したいわけではありません。その可能性があるということです。ポイントは、死鉄鉱の盗難事件が起こり、タマラさんの子供が亡くなり、ジャザラさんが毒を飲まされたというこの時系列です」
ドルメダやクトリャマの関与はまだ証明できないことだ。だが、現状でもラナを犯人候補から外すほどの効力をタマラ犯人説は持っている。俺にはそれで十分だった。
ザドクは俺の思惑に気づいたのか、ドルメダやクトリャマの関与について深追いしてこなかった。
「タマラさんにとっては、思いがけず手に入った毒は緑目の子供を秘密裏に葬り去るのにうってつけのアイテムだった。そこで、毒の提供者には内密に毒を半分に分けたのです」
ダイナ執法官は得心が行かない様子だった。
「毒の提供者としては、思わぬ事態だったはずです。タマラさんに接触したのではないでしょうか?」
「毒の提供者がジャザラさんの生死を問わなかったのならば、その問題は解決します。そもそも、死鉄鉱の盗難事件では、特務騎士たちがなす術もなく殺害されています。毒の提供者からすれば、その事実の方が利益になると考えたのではないでしょうか」
「どういうことですか……?」
「俺は、毒の提供者、つまり、この事件の真の黒幕がパスティアに混乱をもたらす目的を持っていたんじゃないかと考えています。その考えを、タマラさんが現場である『フォノア』に向かうルートから説明します」
「そ、そうだ! タマラ様が犯人だと仮定した場合、現場に向かうルートは不自然なものとなる! この不可解な助教が説明されない限りは……」
ザドクが水を得た魚のように口を開くが、俺には想定内のことだ。
「確かに、タマラさんが犯人ならば、レグネタ家から『フォノア』へ向かうルートは不自然に迂回したものになります。どこに目撃者がいるのか分からない助教では絶対に撮り得ないルートです」
俺が先を続けようとすると、執法判断の場に居合わせた係員が地図を持って来てくれた。
A;ホロヴィッツ家
B;フェガタト家
C;レグネタ家
※青い丸は、仮想上の目撃者
※ルートbがタマラが取ったと思われる経路
「タマラさんには共犯者がいると仮定して、面識のない共犯者がこの場所(青い丸の場所)にいたためにタマラさんは迂回せざるを得ないと考えていました」
「それでは何でも言えてしまいますね」
ダイナ執法官がそう言うので、俺もうなずく。
「そうなんです。それに、そのためには、その面識のない共犯者を連れて来なければならないでしょう。そこで、ひとつの仮説を立ててみたんです。ここに……」
青い丸のポイントから右へ指を動かして、その場所を示した。地図上の矢印が指すポイントだ。
「ベカラが居たという証言があります。近くを通った者に吠えていたそうです。『ランダール』の前にいたザミールさんにも目撃されず、不自然でないルートを通ろうと思うと、どうしてもベカラのそばを通らなくてはなりません」
「だから、タマラ様は犯人ではない!」
ザドクが相変わらず声を張り上げている。
「ベカラが共犯者だとしたら?」
俺の一言に、場は凍りついたようになってしまった。ザドクが静寂を破って笑い声を飛ばしてくる。
「バカか! なぜ野良のベカラが共犯者になるんだ!」
「ここに居たベカラがタマラさんを認識して吠えなかったとしたら、彼女がここを通ったことは誰にも分からない」
ダイナ執法官は怪訝そうに俺を見つめた。
「ここに居たベカラがタマラ様に懐いていたということですか?」
「そうではありません。ここには明確な知性を持った者が居たのです」
「あなたの仰ることの意味を理解しかねます……」
息を吸う。ここが俺の真に主張したかったポイントでもあったから。
「ここには、ベカラ姿を変えたグールが居たのです」
今度はこの部屋の中がざわめきで満ちた。
騒然とする一同を静めてから、ダイナ執法官が俺に真剣な眼差しを向けた。
「あなたの主張には、この貴族街の重大なセキュリティ問題が含まれています。グールがこの街にいるというのですか?」
「俺たちはパスティアの領外でグールたちに襲われました。奴らは姿を変えることができる。そして、その変身はこの街の魔法感知には引っ掛からない。グールは様々に姿を変え、タマラさんを実行犯へと仕立て上げたんです。身近な人に姿を変え、タマラさんに近づいたのかもしれません」
さすがのレイスも俺の仮説には同意しかねる様子だった。
「そんなことになっていれば、貴族街は……パスティアは終わりだ」
「ですが、もともとドルメダはパスティア内に密かに潜入していると言っていましたよね? グールこそがその潜入者なんじゃないでしょうか」
「なんだと……?!」
驚きの声を上げるレイスからジャザラに目を向ける。
「ジャザラさん、さっき俺が、タマラさんは何者かに利用されていた、と言った時、驚いていましたよね? ずっとタマラさんを犯人だと思っていたのではありませんか? そして、彼女に緑色の目をした子供がいたことを隠し通すために事件前後の記憶がないとウソをついていたんじゃありませんか?」
全員の視線を一身に浴びてもなお、ジャザラは超然とそこに座っていた。
しかし、じっとしたまま、しばらく考えたのだろう。やがて、ゆっくりと息を吐いた。
「そこまで見通されていたのですね、さすがは選ばれし者……」
ダイナ執法官が息を飲む。
「では、『フォノア』でお会いしたのは、タマラ様なのですか?」
「ええ、その通りです」
カビールが頭を抱える。
「どうして言ってくれなかったんだ……!」
「だって、あなた、そのことを知れば間違いなくタマラさんを手にかけたでしょう。そんなことをさせられなかったのよ、カビール。それに、緑色の目を持った子供のことも……。彼女は心の底から苦しんでいた。私のせいで我が子が、としきりに言っていたのよ。ただ、目の色が緑というだけで、なぜあそこまで追いつめられなければならなかったのだろうと、わたくしは思ったのです」
最後はダイナ執法官へ向けてそう言っていた。
パスティアにこびりついた差別意識がタマラを追い詰めてしまったのだ。
ジャザラは続ける。
「『フォノア』でのタマラさんは不穏でした。ですが、彼女の力になりたいと思ったのです。毒を警戒する気持ちの余裕が、あの時のわたくしにはありませんでした。不調を感じて倒れた時、何かがおかしいと思いました。その時に、タマラさんは言ったのです。『ごめんなさい』と」
「つまり、ジャザラ様には犯人がタマラ様だとお分かりになっていたのですね?」
「ええ。そして、彼女のその悲しそうな表情に、何かがあるのだと感じました。それが分からないまま、今まで来てしまったのです」
「なぜ今になってお話しくださったのですか?」
「ずっと考えておりました。わたくしのためにイマンさんを筆頭に尽力してくださったこと。魔法・精霊術研究所のみなさんが彼を中心に団結したこと。……もう、イマンさんたち子をなさない者たちを迫害する時代は終わりつつあるのではないか、そう感じていました。彼らへの過剰な差別意識がタマラさんを闇に引きずり込み、何の罪のない子供が命を絶たれたのです」
しんと静まり返っていた。
ジャザラはさらに言葉を重ねる。
「それに、リョウさんの言葉通りなら、タマラさんは危険かもしれない……。彼女が犯人だからではありません、彼女を危険から遠ざけるために、すぐにレグネタ家へ! タマラさんはカビールもわたくしも、そして、ラナも幼い頃から見守って来てくれたのです。どうか、どうか……」
***
かくして、ジャザラ暗殺未遂事件は結末を迎えた。
タマラのもとに駆けつけた執法院の人間は、タマラをジャザラの殺害を計画した罪で拘束。彼女は無事だった。なお、彼女の夫ジマルはタマラが自分の子供に毒を飲ませたこと、ジャザラに毒を飲ませたことなどの一切を関知していないようだった。
事件は収束した。
だが、貴族の間のみグール侵入の報が共有され、静かな混乱が訪れていた。




