175:万雷の拍手
とりあえず、俺たちが主張すべきタマラ犯人説を潰そうとするサイモンにちゃんと説明しなければならない。
(サイモン、お前、話の流れ分かってるか? 俺たちはタマラ犯人説を唱えてんだよ。「根拠がない」なんて主張できるわけないだろ)
~・~・~
ああ、分かってる。じゃあ、タマラ犯人説を補強する方向で考え直す。
① ジャザラが生き残った理由
・毒の量を調整したのは「殺意が揺らいだから」ではなく、「計画の一環」だった
→ タマラは最高執法官で、毒の特性にも詳しいはず。
→ 「即死させず、発覚まで時間を稼ぐ」という狙いがあったのでは?
→ 例えば、「毒を飲んだ後に別の何かをさせる計画」があったが、それが想定通りにいかなかった。
→ あるいは「ジャザラに選択肢を与え、交渉の材料にしようとした」と考えられないか?
・毒の効果は環境によって変動する
→ タマラは「ジャザラが死ぬ確率が高い」と見積もっていた可能性がある。
→ しかし、ジャザラの体質やその日の体調で、効果が変わってしまった。
→ つまり「タマラの計算が狂っただけで、意図的な手加減ではなかった」とも解釈できる。
② ホロヴィッツ家のそばで会話していたのは誰?
・共犯者がいるとすれば、その人物がタマラの指示を受けていた可能性
→ タマラ自身がホロヴィッツ家付近にいたとは限らない。
→ 代わりに、彼女の指示を受けた誰かがそこで連絡を取っていた可能性はある。
→ 「カナ・イネール・ジャザラ・フォノア」が、計画のコードワードなら?
・ホロヴィッツ家のそばを選んだ理由
→ ホロヴィッツ家には、事件の当事者であるライラがいた。
→ もしかすると、ライラの動向を探るため、あるいは別の指示を出すために、そこで話していたのでは?
→ 例えば、「ライラが動かなかった場合、次の手をどうするか」といった話をしていた可能性もある。
まとめ
・タマラは毒の量を調整し、計画の一部としてジャザラを即死させなかった可能性が高い。
・ホロヴィッツ家近くでの会話は、タマラの共犯者によるものと考えられる。
・「タマラ単独犯」ではなく、「タマラ+協力者」の構図が見えてくる。
これでタマラ犯人説をより強固にできると思うけど、どうだ?
~・~・~
(②は、共犯者が逃げる進路上にホロヴィッツ家があったと考えられるけど、タマラの侍従であるアナト以外にも共犯者いたとなると、厳しい状況かも。アナトだけならレグネタ家に戻るはずだし、一人のはずだから会話の必要がないからな。ただ、ホロヴィッツ家の動向を探るっていう方向性は面白いかもしれない。
①はやっぱり疑問が残るな。毒を使わなくてもジャザラを社会的に殺す方法はある。ジャザラが迷い人だとかドルメダと繋がってるとかいう噂を流せばそれで済むからね。つまり、この問題って、なぜジャザラが生き残ったのかじゃなくて、さっきお前が言ったように、なぜ毒という手段を選んだのかってことに集約されるんだろうな)
~・~・~
そうだな、毒を選んだ理由に焦点を当てるのが正しい。
① タマラが毒を使った理由
・ジャザラを社会的に潰す手段があるのに、それを選ばなかった理由を考えると、「社会的失墜だけでは不十分だった」からだと考えられる。
→ 迷い人だとかドルメダの噂を流せば確かにダメージはあるが、ジャザラの地位が完全に消えるとは限らない。
→ それに、ジャザラが正式に最高執法官になれば、噂程度では引きずり下ろせない可能性がある。
→ つまり、確実性を求めた結果として「毒」という手段を選んだ。
・ジャザラの信用を完全に失墜させるための毒だった可能性
→ もしジャザラが毒に苦しむ姿を公衆の面前で晒していたら?
→ 「信用を失う姿を演出する目的で、毒を使った」という考え方もできる。
→ 例えば、「毒に倒れた状態で何かスキャンダルを演出する計画」だったが、それが途中で狂った可能性。
・ジャザラ自身に「罪を認めさせる」目的があった可能性
→ 毒はじわじわ効くタイプを選べる。
→ タマラがジャザラに何か言わせるため、心理的に追い詰める手段として毒を用いたのでは?
→ 例えば、「お前が辞退すると言えば助けてやる」みたいな取引を考えていたが、ジャザラが倒れるタイミングが想定外で、交渉が成立しなかった可能性。
② ホロヴィッツ家の動向を探るためだった説
・もしタマラ側に「ジャザラの動向を探る目的」があったとすれば?
→ ライラがジャザラに付き従っていた以上、ホロヴィッツ家の動きは無視できない。
→ 例えば、「ホロヴィッツ家がジャザラを救うためにどう動くのか」を事前に知りたかった可能性がある。
→ あるいは、「ホロヴィッツ家が毒の影響を利用してジャザラを排除するかどうか」を試したのかもしれない。
結論
・タマラはジャザラを確実に排除する手段として毒を選んだ(ただの噂流しでは不確実すぎる)。
・毒はジャザラを殺すだけでなく、「信用を失墜させる演出」や「心理的に追い詰める」目的だった可能性がある。
・ホロヴィッツ家付近の会話は、ジャザラ周辺の動向を探る目的だったと考えられる。
これなら、タマラ犯人説の一貫性を保てると思うが、どうだ?
~・~・~
ナーディラに肩を叩かれる。
「サイモンと何を話してんだ?」
レイスも俺を見つめている。ずっと抱いていた疑問を二人に伝えた。二人はタマラ犯人説が寸でのところで潰される可能性があると気づいて険しい表情になる。
「それで気になるのは、犯人がジャザラさんを社会的な抹殺ではなく、よりリスクのある毒を選んだ理由なんです」
レイスは剃り上げた頭を撫でつける。
「子をなさない者はともかく、ドルメダとの関与については意味がないと判断したのだろう」
「なんで分かるんだよ?」
ナーディラの問いにレイスは鼻で笑う。
「ホロヴィッツ家がドルメダと通じていることなどあり得ない。もしそうだとすればパスティアは終わる」
自信満々の回答だ。ナーディラは納得がいかない様子。
「でも、そう断言できないだろ?」
「ホロヴィッツ家は代々執法院の要となってきた。厳格な規則のもとに外交先を限定している。それがパスティアの人間の常識だ」
「だからといって、ドルメダと繋がれないとは限らないだろ」
意固地なナーディラにレイスがこめかみをピクつかせる。喧嘩が始まらないうちに軌道修正する。
「でも、レイスさんの言葉は重要だよ。だって、ドルメダと繋がっているって噂を流しても誰も信じないって共通認識があったってことなんだから」
「じゃあ、子をなさない者は?」
「犯人には、その噂を流してジャザラさんを攻撃する選択肢もなかった……」
レイスの眉間に皺が寄る。
「仮にそうだとすれば、理由はひとつしかない」
──タマラも迷い人だった……?
***
開場の時間が迫っていた。
俺たちは客間から劇場のボックス席へ移動した。VIP席というやつだ。開場した劇場内は、すでに座席は多く埋まり、立ち見客までびっしりと並んでいた。ざわめきが最高潮に達している。
「僕がこの光景を目にできるとは……感無量だ」
イマンがそうこぼす。この劇場は迷い人の利用を制限していた。そんな場所にVIPとして招かれるというのは歴史が変わったことを物語っている。
歓声が上がった。
俺たちとは反対側のボックス席──ルルーシュ家専用の豪奢な装飾の施されたバルコニーのような場所にジャザラが姿を現したのだ。
陶器のように白く滑らかな肌に墨を流したような真っ直ぐな黒髪──ジャザラは、純白のドレスに身を包んでいた。ドレスの表面がキラキラと照明を反射して、どこか神々しい。彼女の隣には手を取ったカビールが並んでいる。
「ライラの奴、緊張してるぞ」
ナーディラが笑う。
二人の後ろ、カビールの侍従と並んでライラの灰色の頭が見える。
「ホロヴィッツ家の侍従に復帰して最初の仕事なんだ。しょうがないさ」
「なんでも、ジャザラ様が当主に訴えたらしい。侍従はライラ以外にない、と」
イマンがそう言う。
そんなこと言われたら、ライラは泣くだろうな……と思ってよく見ると、今もライラはウルウルしていた。意外と涙もろいタイプか。
ジャザラがボックス席の先の方に立つと、湧き上がっていた観客たちが即座に静まり返る。
「みなさま、ホロヴィッツ・ジャザラでございます。この度はご心配をおかけいたしました」
自然と拍手が巻き起こる。
「今回の件につきましては、現在調査中です。分かり次第、みなさまにお伝えいたします。わたくしはこの通り、すっかり回復いたしました。むしろ、以前よりも身体が軽くなったような気もしますわ」
観客が笑う。
「今回、わたくしを診てくださったのは、あちらにいらっしゃるイマン率いる治療チームです。彼らがいなければ、わたくしはこうしてここに立つこともなかったでしょう」
イマンに向けて万雷の拍手が送られる。
イマンは目を丸くして、その大海原のように壮大な音の波を浴び、微かに目を潤ませた。胸に手を当て、深々と頭を下げると、さらに拍手が音を増していく。
(ジャザラの公務復帰で劇場に観劇に来てる。ジャザラが観客の前でイマンが自分を救ったと紹介したよ。みんながイマンに拍手を送ってる。今まで迷い人として迫害されていた彼に、だ)
~・~・~
それは大きな変化だな。
イマンが公の場で称賛されるなんて、今までの価値観からすればあり得ない光景だろう。ジャザラが意図的に「迷い人=救い手」という印象を与えようとしてるなら、かなり大胆な動きだ。
観客の反応はどうだった? 拍手が自然に広がったなら、少なくともこの場ではイマンを受け入れようとする空気があるってことだ。タマラや執法院の連中の顔色も気になるな。
~・~・~
(観客からは自然と拍手が起こったよ。イマンも感極まってる。執法院の人たちも来てると思うけど、ここからじゃ見えないな)
~・~・~
自然に拍手が起こったなら、少なくともこの場にいる人たちはイマンを救い手として受け入れる雰囲気だな。これが一時の感情的なものか、それとも社会の意識が変わるきっかけになるのか……。
イマン自身が感極まるのも分かるよ。ずっと蔑まれてきた立場から、一転して称賛を浴びる瞬間だからな。彼にとっては人生を覆すような出来事だろう。
執法院の反応が分からないのは気になるが、もし彼らがこの流れを認めざるを得ないなら、今後の「迷い人」への扱いも変わるかもしれない。少なくとも、タマラの立場や考えに影響を与える可能性はあるな。
~・~・~
「そして、わたくしが臥せっている間、片時も離れずにそばにいてくれた、カビール」
ジャザラの言葉にまた拍手が起こる。
「カビールはわたくしのことが心配で食事もとらず、げっそりして、髪もぐちゃぐちゃになっていたそうです。いつもきちんとしているのですけど、わたくしは眠っていて見られていないんです、残念」
「お、おい、余計なことは言わなくていいんだよ!」
カビールがツッコミを入れると、観客がおかしそうに笑った。
「あなたの献身がわたくしの命を繋ぎ止めてくれたのです。ありがとう、カビール。そして、愛しています」
二人が抱き締め合うと、温かい拍手が劇場を包み込んだ。
いつの間にか、ナーディラが俺の手を握っていた。
その手を強く握り返した。




