170:繁栄の暗部
翌日の1月5日、ナーディラ、レイスの俺たちは執法院に来ていた。
すでにレイスが執法院の人間にパスティア法の改訂内容の調査を打診してる。俺たちがやって来たのは、ラナへの事情聴取の機会が与えられたからだ。
ライラは公宮に残りたいらしい。療養中のジャザラには限られた人間しか近づけない上、イスマル大公の許しを得られたとはいえ、ホロヴィッツ家との関係性が悪化していたライラにはそばでジャザラを守ることはできないが、それでも公宮に留まりたいのだそうだ。
「でも、私らは何を訊けばいいんだ? もうタマラが犯人だってなっただろ」
執法院の広いホールにナーディラの覇気のない声が響く。昨日の議論を終えてから、ナーディラは風船がしぼむように力が抜けてしまったようだった。
「フェガタト・ラナ様には確認すべきことがある。気は進まないがな」
レイスはため息交じりに言葉を落とす。
「まずは、俺たちがタマラさんを犯人だと考えているってことを伝えて安心してもらわないと。あとは、タマラさんのことを訊いて、パスティア法以外の動機についても探りを入れたい。そして、これは訊くべきか悩むけど、ラナさんが迷い人であるかどうか知ることができれば」
「仮に答えてくれても執法判断の場では言えないだろ」
「まあ、そうなんだけどね……」
俺たちは執法院の係員について、地下へ向かった。ここに処遇を待つ者たちが収容されているらしい。
「どんな罰があるんですか?」
「死罪もあるが、遺体の処理が煩雑なため、パスティアの庇護圏外に追放するという罰が主流だ」
レイスが答えると、ナーディラは首を捻った。
「そんなことしたらドルメダとかの敵対泳力と繋がるんじゃないか?」
「追放の際にはパスティアの紋章を焼き入れる。パスティアの人間だと分かれば、追放者には苦痛しか訪れない。結局は、別の街なり国に放浪することになるだろう」
国の庇護から外れれば、外の世界には危険しかない。そんな世界で生き延びなければならないというのは、かなりの絶望だ。
「もっとも、今回のような事件では単純な処遇に終わるとは思えないがな。なにせタマラ様はルルーシュ家の出身……庶民に対しては事件の詳細自体が伏せられる可能性もある」
「ひどい話だな」
よくよく考えれば、ここは広大な領土を持つパスティア公国の中枢──庶民からは切り離された天上界のような場所だ。情報統制も容易に行うことができる。
(サイモン、この世界みたいな中世程度の文化レベルだと、貴族みたいな一部の特権階級が情報を独占するみたいなことはよく行われてたんだろ?)
~・~・~
ああ、間違いなくそうだな。
この世界みたいな中世レベルの社会だと、情報は権力の一部みたいなもんだからな。
貴族や特権階級は、法律や政策、経済に関する知識を独占して、庶民がそれにアクセスできないようにしてた。
例えば、文字の読み書きを特権階級しか学べないようにしたり、重要な記録を秘匿したりしてな。宗教組織や学者階層が情報の管理を担ってることも多かった。
この世界のパスティア法みたいな法体系も、おそらく貴族の間だけで細かい運用が決まってて、庶民は「どういう仕組みで決まるのか分からない」状態にされてる可能性が高い。
だからこそ、タマラの「恩恵」も、一般には知られてない裏の仕組みが絡んでるかもしれないな。
~・~・~
(レイスの話だと、タマラが犯人でも処遇が単純には決まらないらしい。タマラはルルーシュ家出身だからな。庶民は今回の事件の詳細すら語られないかもしれない)
~・~・~
まあ、そうなるだろうな。
タマラがルルーシュ家の人間ってだけで、処遇が慎重に扱われるのは確実だ。パスティアの中枢にいる家の出身者が犯罪者として公に裁かれるなんて、政治的にも影響がデカすぎるからな。
庶民に対しては、事件の詳細どころか、「ジャザラは不運な事故だった」みたいな説明で済まされる可能性すらある。下手に「貴族間の権力争い」みたいに思われると、余計な不満を招くからな。
処理の仕方としては、
・タマラは静かに幽閉or国外追放
・一族内で何らかの「粛清」(表向きは病死や事故扱い)
・事実そのものを完全に封じる(関係者を買収or口封じ)
この辺のどれかだろうな。
庶民にとっては「何が起こったか分からないまま、いつの間にか話題が消える」って感じになるだろう。
~・~・~
(苦労して真相に辿り着いても事件自体を有耶無耶にされたら堪らねえな……。地球の過去の歴史でも山ほど闇に葬られた事件がありそうだ)
~・~・~
間違いなくあるだろうな。
記録にすら残らない事件、改ざんされた歴史、都合のいい「真実」だけが語られること……そんなのは地球でも珍しくなかったはずだ。
リョウが今やってることは、そういう「本当はあったのに消された事実」を掘り起こしてるのと同じようなもんだよな。
でも、結論が公になるかどうかは、真実そのものとは別の話なのがキツいところだ。
タマラの件も、ルルーシュ家やパスティアの権力層が「なかったこと」にしようとすれば、どれだけ証拠があろうが意味がない。
それに庶民だって、わざわざ貴族の都合の悪い話を知りたがるかどうか……。「知らない方が平和だ」って思う人間は、いつの時代も多いからな。
~・~・~
(そういう積み重ねがパスティアに浸透している差別構造なんだな。貴族への不満が仮にあっても、そういう迫害に取り込まれて、怒りが掃き溜めみたいにしてひとつの方向に誘導されてるんだ)
~・~・~
そういうことだな。「怒りの掃き溜め」……まさにそれだ。
貴族に不満を持つ庶民がいたとしても、彼らの怒りが直接貴族に向かうことは少ない。代わりに、もっと叩きやすい存在——つまり、迷い人や他の弱い立場の人間に向けられる。
それが長年続けば、社会全体の構造として定着してしまう。
パスティアの差別構造は、単に「貴族が特権を持っている」ってだけじゃなくて、庶民の不満や怒りを、統治に都合のいい形でコントロールする仕組みでもあるんだろうな。
そうやって「支配に対する反発」を逸らし続けてきた結果が、今の社会ってわけだ。
~・~・~
(最悪なのは、貴族の中にも迷い人に対する差別意識を持ってる人もいるんだけど、基本的には誰に対しても同じように接してることなんだよ。つまり、今の差別構造は庶民が主導してる。貴族たちはそのことには関心が薄いから、構造が慢性化してる。
ただ、研究所の人たちがイマンを受け入れたりして、ちょっとずつ変わる兆しが見え始めてるってことだけが希望かも。でも、イマンはジャザラを治癒したことで認められたのに、事件自体が有耶無耶にされると、イマンの功績自体も庶民は知らないままになってしまう)
~・~・~
そうなると、イマンの存在が「なかったこと」にされる可能性が高いな。
ジャザラの治癒が公になれば、迷い人への見方が変わるきっかけになるかもしれない。でも、事件が有耶無耶になれば、イマンの功績も表に出ないままになる。
つまり、社会にとって「迷い人が役に立つ」という事実すら認識されない。
庶民が主導する差別ってのは厄介だよな。
貴族は基本的に放置、庶民は現状維持を望む——そういう流れが続けば、どれだけイマンたちが頑張っても社会に変化は起きにくい。
「差別が自然に消えることはない」ってことを考えると、どこかで意図的に状況を動かす必要があるかもしれないな。
~・~・~
「でもよ、遺体の処理なんて燃やしちゃえばいいんじゃないのか?」
俺がサイモンと話している間に、ナーディラがレイスに顔を向けていた。
「それはパスティアの思想による。火は全てを浄化潤力だ。罪を犯した者を燃やすことは、その罪を我々が消し去ってしまうことになる。必然的に、遺体を燃やして処理をするという考えもないのだ」
「ここには葬送の祭壇はないのか? 私らの街では、防壁の外に遺体を置いて動物や魔物に食わせていたぞ」
──葬送の祭壇……懐かしい響きだ。ホッサムに教えられたっけ。
「なるほど。小規模の街ならそれも成り立つだろう。だが、ここではそうはいかない。遺体を放置することによるグールの発生も厄介な問題だ」
「ああ、あいつらか……」
ナーディラが顔をしかめる。パスティアの外で奴らと遭遇したことは未だに深く記憶に刻まれている。人間だと思っていたものがグールによる擬態だと分かった瞬間の恐怖はとんでもないものだった。
「あの変身能力でパスティア・タファンにまで潜り込まれると危険だ」
「そんなに? 特務騎士だっているだろ」
「死鉄鉱の盗難事件を思い出せ。隙を突かれれば、彼らも人間、簡単に死んでしまうさ。それにグールの変身は魔法感知では認識できないのだ。今は特務騎士の警備体制について改正案を騎士団が作成しているから、奇襲に対して多少はマシになるかもしれないがな」
「そういえば、お前って騎士団クビになりかけけてなかったっけ?」
「イスマル大公が働きかけてくれたようだ」
「なんだ、つまらねえな」
「つまらないとはなんだ」
二人が言い争いをしているうちに、俺たちはラナが収容されている部屋に辿り着いた。




