162:可能性の排除
石でできた棚に冊子がずらりと収められている。棚には、金属の格子が付いていて、中のものが容易に取り出せないようになっていた。
「家政権行使申請書はこの辺りなんだよな、確か」
イスマル大公が奥まった本棚に俺たちを導くと、棚の側面の穴に鍵を差し込む。すると、棚を守っていた格子がスルスルと引っ込んだ。
イスマル大公が一番新しい冊子を取って近くの閲覧台に置くと、棚の格子がひとりでに閉じていった。
「厳重極まるのじゃな」
アメナが不思議そうに本棚を見つめる。
「どうしたの?」
あまりにも禁書庫の中を見回すのでアメナに訊くと、彼女は眉根を寄せていた。
「ここは、イルディルが……」
「お? 目敏いのがいるな。アメナちゃん、だったか?」
イスマル大公がこちらに目を向ける。このおじさん、女子の名前を覚えるのが早い……。
「ここは厚い岩盤で覆われてるんだよ。だから、イルディルはここまで浸透してきていない。少し息苦しい感じがするだろう? 長時間居続けると身体に良くないんだぞ」
「イルディルがなかったら死んでしまうんじゃないんですか?」
イマンが首を振る。
「人間は二種類のイルディルを利用している。一つはこの世界に満ちるもの、もう一つは体内で生成されるもの。君もアルミラの研究所でタリブが体内のイルディルを枯渇冴えられているのを見ただろう? 程度は人それぞれだが、イルディルがなくなっても気絶はすれど、死ぬということはない」
「俺たち上位貴族は体質のせいかしらんが、イルディルが枯渇しても大して変わらんのだよね」
上位貴族……つまり、方舟の民の末裔は地球人だ。この世界の環境に順応はしても、身体構造が大きく変化してるわけではない。
「すなわち、これらのものは魔法や精霊術によって動いているわけではないということじゃな」
「そそ、方舟時代の技術って言ったでしょ」
イスマル大公が自慢げに言う。
そうなると、俺は自分の体の中のイルディルを使ってサイモンと話していたことになる。俺はイルディルの許容量──つまりMPみたいなものが多いだけで、ここでずっとサイモンと話していたら危険かもしれない。
サイモンはここが方舟時代の技術と魔法技術をハイブリッドしたもので運用されていると言っていたが、どうやらそうではないようだ。
十分に発達した科学技術は魔法と変わらない、といわれる。方舟時代には未知の科学技術が普及していたかもしれない。
「ん? ここにはそもそも容疑者に挙がってる連中の名前自体がないじゃないか」
ナーディラの声がするので閲覧台に目を向ける。イスマル大公たちが開いた冊子に釘付けになっていた。
冊子は家政権行使申請書の管理帳になっていた。
もっとも最近の家政権行使申請は今から四年前になっている。そこからポツポツと申請履歴があり、数年を遡ると、ようやく見知った名前が現れる。
「ホロヴィッツ家の家政権行使申請──これは我の記憶に新しい」
ライラが静かに口を開く。
「ホロヴィッツ家当主の侍従、ケイレブが実行を主導し、詳細は伏せるが、我も一翼を担った」
「なあ、気になったんだが……」
ナーディラが管理帳を視線でなぞりながら口を開く。
「ずっと前に死鉄鉱を手に入れて、余ったのを手元に残しておいたって可能性はないのか? で、今回の機会を窺い続けてたってわけだ」
──まずい。
ライラにラナ犯人説を強力に補う考えを与えないように俺が言わないでおいた事実をナーディラが口にしてしまった。
「そうなると、ホロヴィッツ家が……」
ヌーラが終わらないうちに、ライラが強く首を振る。
「この時の毒の抽出は芳しくなかった。ギリギリ計画を完遂させる毒量を抽出できたものの、余らせることはなかった」
管理帳では、ホロヴィッツ家の最新の申請が六年前になっている。イスマル大公は顎をさすっている。
「それに、息子とジャザラちゃんが良い感じになったのって、もうちょっと後のことだった気がするよ。婚姻の儀って話が出始めたのなんて数年前だから、辻褄が合わないね」
遡れば、ルルーシュ家以外の容疑者、つまり、レグネタ家とフェガタト家にも家政権行使申請の履歴がある。最新のものでも十数年前のものだ。ホロヴィッツ家にもポツポツと履歴があるが、それでも十年ほど前のものだ。
「こうなると、いずれ使う時のために毒を密かに置いておいたという可能性も考えられるが……、そうなると、誰にでも死鉄鉱の盗難という危険を冒さずとも事件を起こすことはできてしまうことになる……」
レイスは苦い顔だ。
「でも、それはどうなんでしょうか?」
ヌーラが言うと、イスマル大公が興味深そうに目を輝かせた。
「話を聞こうじゃないか、ヌーラちゃん」
「そうやって後生大事に取っておいたのに、少しの量しか使わなかったというのはなにか腑に落ちない感じがします。十数年以上、秘蔵しておいたものです。使う時には、確実に効果を及ぼすようにするんじゃないでしょうか」
ヌーラの考えに、一同は納得したようだった。
「ホロヴィッツ・ジャザラ様の事件に用いられた死鉄鉱は倉庫から盗み出されたものとして考える妥当性が出てきた」
レイスが結論を出す。
すると、当然の疑問がイマンから持ち上がってきた。
「では、なぜ犯人はそこまでの危険を冒してまで手に入れた人一人を死に至らしめる量の死鉄鉱をごく少量しか使わなかったのか?」
「それはさっきライラが言ってただろ。抽出が芳しくなかったって。そういうことなんじゃないのか?」
ナーディラの指摘がもっともだと言わんばかりに、レイスがうなずく。
「つまり、犯人は死鉄鉱の毒の抽出に不慣れだった者……」
イスマル大公が俺の顔を覗き込んでいた。
「なにか言いたげだね、リョウ」
「ああ、すみません。犯人が毒の抽出に不慣れだったって可能性はあると思いますけど、それだと犯人は死鉄鉱を余分に盗み出したはずなんじゃないかと思いまして……」
「俺もリョウの意見に賛成なんだよね。倉庫に配備していた特務騎士たちは全滅してた。だから、倉庫からは好きなだけ死鉄鉱を持って行けたはず。それを最低限の量しか持ち出さなかったってことは、犯人は毒を抽出する知識と技術があった。もしくは、毒の量はどうでもよかったって考えてたはずなんだよ」
イスマル大公の推理に、レイスたちは唖然としていた。ナーディラが顔をしかめる。
「犯人が毒の抽出に精通してたとしたら、事件の時にはあえて少ない量を盛ったってことにならないか?」
イスマル大公はニコリとした。
「不可解な謎だよね」
***
アメナが具合悪そうにしたのを合図に、俺たちは禁書庫から公宮に戻った。
「どうだい、なかなか刺激的な旅だっただろう?」
ニコニコして言うので、俺も無理に笑って応じるしかなかった。
「助かりました。これで、議論すべき点が絞れた気がします」
「他にも何か物欲しそうにしてたね、リョウ?」
「え? そ、そうですか……?」
方舟時代のことを知る書物がないか無意識に探してしまっていたのを、イスマル大公は目敏く察知していたようだ。
俺はカビールにもした話をイスマル大公にも手短に伝えた。
俺が選ばれし者だということ、そして、地球からやって来たということ……イスマル大公は興味津々で俺の話に耳を傾けていた。
「ははあ、方舟が地球からやって来たと考えてるわけか……」
イスマル大公はしばらく考えを巡らせているようだった。
「君に見せてやりたいものがあるけど、まずはジャザラちゃんの事件を解決してからだな」
それ以上は話す気はないようで、彼は口を結んでしまった。食い下がってもうまみはなさそうだ。
「分かりました。俺たちは事件に集中します」
「頼むよ」
「では、ひとつお願いしたいことがあるんですが……」
***
イマンたちジャザラの治療チームは彼女の部屋に戻って行った。
俺とナーディラ、ライラ、レイスの事件調査チームは、客間に向かっていた。
「大公様様だな。頼めばなんでもやってくれそうじゃないか」
ナーディラがお気楽そうに笑う。レイスが咳払いする。
「イスマル大公になんという口を利くんだ、お前は」
レイスの隣では、ライラが複雑そうな表情を浮かべている。
「いずれにせよ、ラナ様以外の容疑者が一堂に会するというのならば、これで事件の様相をつぶさに窺い知れる絶好の機会だ」
「お前はラナ犯人説を固めたいだけだろ」
「……まあ、そうだな」
ライラはイスマル大公の天布逆転魔法を軸としたラナを容疑者から除外するロジックに打ちのめされているようだった。だからこそ、自説の補強に力を入れようとしているのだ。
(サイモン、イスマル大公の厚意で事件の容疑者を集めて話を聞く機会を設けてもらった。もっとも、その容疑者の中にイスマル大公も入ってるんだけどな。あと、執法院が拘束してるラナはいない。イスマル大公も執法院を強引に動かすのは気後れしたらしい)
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それでも大公が場を設けてくれたのは大きいな。
直接話を聞けるなら、容疑者たちの証言や反応を比較できるし、矛盾を突いたり、新たな情報を引き出せるかもしれない。
ただ、ラナがいないのは残念だな。
ラナ自身の証言があれば、ラナ犯人説を崩す手がかりがもっと出せたかもしれない。でも、逆に言えば、ここで他の容疑者を揺さぶることで、ラナの無実を証明する材料が手に入るかもしれないな。
誰から話を聞くつもりなんだ?
イスマル大公も容疑者に含まれてるってことは、権力者相手にどう切り込むかも考えといたほうがよさそうだな。
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(あー……、たぶん容疑者の人たちはみんな一緒にいると思う。一人ずつ話聞いた方がいいのかな?)
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一人ずつの方が、それぞれの発言をじっくり分析できるし、矛盾も見つけやすい。
特に、他の容疑者がいる場だと、誰かが発言をコントロールしたり、都合の悪いことを隠そうとする可能性がある。
ただ、全員を集めた状態でも、場の空気を読んで揺さぶる手はある。
例えば、ある容疑者の発言に対して別の容疑者が思わず反応してしまうこともあるし、プレッシャーをかければポロっと情報が出ることもある。
どっちがいいかは、リョウがどう攻めたいか次第だな。
ラナ犯人説を崩すために、「誰かの発言を引き出す」ことが目的なら、全員一緒でもありかも。ただ、「個別の証言をじっくり分析したい」なら、一人ずつの方がいい。
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(じゃあ、一人ずつ話を聞くことにするよ。具体的にどんなことを聞けばいいと思う?)
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ラナ犯人説を崩すために聞くべきポイントを整理すると、以下のあたりが重要そうだな。
① 事件当夜の行動(アリバイ・移動経路)
・「事件当夜、どこにいて、誰といたか?」
・「フォノアに行く可能性はなかったか?」
→ ラナ以外の人物がフォノアに行けた可能性を探る。
② ジャザラとの関係性・やりとり
・「ジャザラと最後に話したのはいつ?」
・「最近、ジャザラとどんな話をした?」
→ 事件前のジャザラの行動や考えを探る。
③ 毒の扱い・知識
・「死鉄鉱の毒について、どれくらい知っている?」
・「手に入れることは可能か?」
→ 誰が毒を持っていた可能性があるか確認。
④ 他の容疑者に対する評価
・「この事件について、誰か怪しいと思う人はいるか?」
・「他の容疑者の行動で気になったことは?」
→ 他の容疑者に疑いを向ける情報が出てくる可能性あり。
⑤ 事件全体に対する意見(揺さぶり)
・この事件の目的は何だと思う?」
・「犯人はジャザラを殺したかったと思うか?」
→ それぞれの考えがズレていれば、矛盾が見つかるかも。
このあたりを、それぞれの容疑者の立場に応じて少しずつ変えながら聞いていけば、何かしら突破口が開けるはず。
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