151:乾坤一擲
「この死鉄鉱の管理帳簿は捏造だ!」
ザドクが地団太を踏んでいる。
ちょうど火の刻二を告げる鐘の音が中庭に飛び込んできた。
どうやら、彼の望むような成果は得られなかったようだ。ナーディラはニヤニヤしながら地面に散らばった羊皮紙を手に取る。
「なんだよ、死鉄鉱の重さも用途もしっかり記録されてるじゃねえか」
彼女の手元を覗き込む。
死鉄鉱の管理帳簿には、死鉄鉱の重さ、生成された毒の量、用途、その使用申請と承認者のサインが記載されている。微量でも記録が行われているようだ。
その結果、この研究所から外部に死鉄鉱が流出していないことが確認されたようだ。
ザドクが俺たちを睨みつける。
「姿を見ないと思ったら、勝機を嗅ぎつけて現れやがったのか!」
「なに言ってんだ、こいつ?」
怪訝そうに片眉を上げてナーディラが苦笑する。
ザドクと対峙していたレイスが勝ち誇った顔をしている。
「この男、共同で調査を行った死鉄鉱の管理帳簿が厳密に記録されていた事実を認められないらしい」
「昨夜のうちにこれを仕込んでいたんだろう!」
レイスのそばでイマンが首を振る。
「昨夜は執法判断の調停官たちがやって来て、この魔法・精霊術研究所内を監視していたよ。その時は彼らの用向きは分からなかったが、帳簿の捏造を防ごうとしていたのだろう」
アメナも胸を張って羊皮紙の束を掲げる。
「それに加え、これらの帳簿にはイスマル大公の印が捺されておる。聞くところによると、この研究所を統括するイスマル大公が帳簿の確認を行っておるようじゃ。それだけ死鉄鉱の扱いに気を回しておるのじゃろう」
矢継ぎ早の反論を受けてザドクは歯軋りする。
レイスは羊皮紙の束に人差し指を突きつける。
「このイスマル大公の印をお前は疑うというのか?」
「ぐっ……!」
もうほとんど勝負は決しているようだ。隣のライラにそっと質問してみる。
「ライラさん、イスマル大公の印ってなんです?」
「公文書の中には、イスマル大公が直接確認を行うものがある。その確認が行われたことを示すのがイスマル大公の印だ」
「偽造はできないんですか?」
「良い着眼点だ、リョウ殿。かつてはイスマル大公印の偽造が行われることもあったようだ。しかし現在では、イスマル大公印の偽造は死罪に値する重罪となった」
「パスティア・ウェモンでサージャっていう役職の男が非正規の分銅を使ってアズタリをちょろまかしてたんですけど、あれも死罪なんですか?」
「我が検分したわけではないが、分銅の偽造は死罪ほどではない。だが、公的な立場を利用した詐欺行為は重罪に当たるだろう」
レイスはこれで議論は終わりとばかりに強く息を吐き出す。
「これで死鉄鉱がこの研究所から持ち出されて事件に使われたという疑いは晴れたことになる」
そうだ、これでラナへの疑いを一部否定することができる。
(サイモン、魔法・精霊術研究所での死鉄鉱の管理帳簿の調査が終わった。
管理帳簿では、死鉄鉱の重さやそこから生成される毒の量、その用途、使用許可申請をした者、それを受領した者と厳密に管理されていることが分かった。
帳簿によると、研究所から外部に死鉄鉱が流出した事実はない。
しかも、この研究所を統括しているイスマル大公が自らその帳簿を確認して、イスマル大公印を捺しているんだ)
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研究所からの流出が帳簿上は確認されていないってことか。
となると、考えられる可能性は次のどれかだな。
1. 帳簿が改ざんされている
・研究所内の誰かが死鉄鉱を持ち出したが、記録を改ざんして隠した。
・イスマル大公が改ざんに関与している可能性もゼロじゃない。
2. 研究所以外の場所から死鉄鉱が流出した
・研究所以外にも死鉄鉱を持っている者がいた。
・例えば、軍や貴族の家系で秘蔵しているものがあったかもしれない。
3. 何者かが帳簿に記録されずに死鉄鉱を盗み出した
・研究所の管理体制に穴があった。
・帳簿を改ざんせずとも、現物をすり替えたり、気づかれない形で持ち出す手段があった。
イスマル大公が自ら帳簿を確認して印を捺したのなら、少なくとも「研究所内での帳簿の管理体制」はしっかりしていると見える。
ただ、それが本当に正しい情報かどうかはまだ分からない。
レイスから盗難事件の詳細を聞けば、さらに絞り込めるかもしれないな。
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(でも、少なくともこの件に疑問を持っていたザドクは悔しそうにしてるから、死鉄鉱が研究所から持ち出されて事件に使われたって線は否定できそうだ)
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ザドクが悔しそうにしてるってことは、彼自身は「研究所から死鉄鉱が流出していたかもしれない」と疑っていたんだろうな。
でも、帳簿を確認した結果、それが否定されたってことか。
となると、死鉄鉱は研究所以外のルートから流出した可能性が高い。
・ルルーシュ家や軍など、他の勢力が密かに死鉄鉱を保有していた
・あるいは、市場に流通することがあり得るのか(闇取引など)
このあたりを調べる必要があるかもしれないな。レイスからの情報が重要になりそうだ。
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(今のところ、死鉄鉱の入手ルートは二パターンだと思う。
①死鉄鉱を貯蔵していた倉庫からの盗難
②家政権行使申請で死鉄鉱を貯蔵していた倉庫から公的に持ち出す(貴族にのみ可能)
死鉄鉱はもともと貴族くらいしかその存在を認識していなかった。
仮に、どこかの貴族がかつて家政権行使申請で持ち出した死鉄鉱を手元に置いていたとしても、それは②のパターンになると思う)
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その整理で合ってると思う。
となると、犯人は 「死鉄鉱の存在を知っていて、かつ①か②の方法で入手できる人物」 に絞られるな。
ポイントは:
①の盗難が本当に起こったのか?(レイスの情報待ち)
②の家政権行使申請の記録を調べられるか?(過去に誰が死鉄鉱を持ち出したか)
もし②の記録が残っていて、それを使って持ち出した貴族がいたら、そいつが今回の犯人かもしれない。
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(家政権行使申請の記録は確認できないよ。
今までその秘匿性を貴族が利用してきた制度だから、どの貴族も記録が表沙汰になるのを望んでいない。今回の事件の調査って名目で昔の記録を辿られたら困る貴族も腐るほどいるんじゃないか。
だから、記録は開示されないルールになってる)
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なるほど。
ってことは、②のルートで死鉄鉱を持ち出した貴族がいても、それを直接突き止めることはできないわけだな。
逆に言えば、今回の事件を 家政権行使申請を悪用して死鉄鉱を持ち出した犯人の仕業 って方向に持っていけば、貴族たちは「記録開示」を避けるためにこの説を否定できない。
つまり、「死鉄鉱は過去の家政権行使申請で持ち出され、事件に使われた」 ってストーリーを納得させれば、犯人にとっても周囲の貴族にとっても反論が難しくなるはずだ。
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(どういうこと? 過去に正式な家政権行使申請で持ち出された死鉄鉱が余っていて、今回はそれが家政権行使申請できない個人的な理由で使われた、みたいなストーリーってこと?)
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そう、その方向で考えてる。
要は、「犯人は過去に正式な手続きで持ち出された死鉄鉱を使った」 ってことにすれば、今回の事件のために新たに盗難や違法な持ち出しをしたわけじゃない、ってストーリーになる。
家政権行使申請で持ち出した死鉄鉱は、その貴族の「家の管理」に関わるものだから、どこにどう使われたかまで詳細に記録する義務はない。
だから、余った死鉄鉱があったとしても、それがどこでどうなったかを証明することは誰にもできない。
そして、仮にこの説が正しいとすると、犯人は 「過去に死鉄鉱を家政権行使申請で持ち出せる立場にあった貴族」 ってことになる。
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(つまり、死鉄鉱の入手タイミングがかなり以前のことで、今回の事件では盗難とか家政権行使申請を個人的な理由でないように見せかけたりするみたいなリスクを負う必要がない可能性も出てきたってことか)
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そういうこと。
犯人が 「今回の事件のために死鉄鉱を新たに手配したわけじゃない」 なら、盗難リスクや記録に残るリスクを一切負わずに済む。
ずっと前に合法的に持ち出した死鉄鉱を、今回の事件で流用しただけ って話になる。
だから、事件の直前に「誰が死鉄鉱を入手したか」を調べても、何も出てこない可能性が高い。
むしろ、「過去に死鉄鉱を持ち出したことのある貴族の中で、今回それを使う動機がある人物」 を探す方が有効かもしれない。
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(まあ、どちらにせよ、実際に死鉄鉱の盗難事件が起こっているから、それをちゃんと調査しないといけないな。盗難事件が起こったタイミングがあまりにも事件と合致しすぎてるからな)
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それは間違いないな。
仮に 「犯人が昔の死鉄鉱を使った説」 が正しくても、死鉄鉱の盗難事件が 「偶然の別件」 だとは考えにくい。
事件と関連してる可能性はかなり高いはずだ。
盗難された死鉄鉱が 「本当に事件に使われたものなのか?」 それとも 「事件とは別の目的で盗まれたのか?」 そこを見極めるのが重要になりそうだな。
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(パスティアの内部には敵対勢力であるドルメダもクトリャマも食い込んでるって噂だ。そいつらがなにやら企んでいるかもしれないよな)
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それは十分あり得る。
パスティア内部に ドルメダやクトリャマの影響がある って話が本当なら、死鉄鉱の盗難も 「国外勢力の工作」 って線も考えられる。
もし 「盗難された死鉄鉱が事件に使われた」 なら、それを利用してパスティア内部の対立を煽ることもできるし、逆に 「盗難と事件が無関係」 なら、もっと別の目的(例えば、戦争準備や別の暗殺計画)で動いてる可能性もある。
となると、「誰が死鉄鉱を狙っていたのか?」 って視点も重要になってくるな。
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ただ、このままでは、ラナ犯人説が補強されてしまっている状況だ。
研究所から死鉄鉱が持ち出されたことが否定されても、貴族であるラナには、かつて別件で入手した死鉄鉱を確保できる可能性が残ってしまう。
ザドクがこのポイントに気づいてしまうと厄介なことになる。
どうにかして容疑者としての対抗馬を探し出さなければならない。
容疑者が実行犯に命じたとしても、ジャザラは同席した相手を信頼していた可能性が高い。ならば、その相手は顔見知りの貴族か侍従くらいだろう。
よく考えたら、カビールが犯人だとしたら、ジャザラはライラを遠ざけて秘密裏に「フォノア」に向かう必要などなかったんじゃないだろうか?
となれば、犯人はそれ以外の男で──
「いや、ここは公平に事を運ぼう。このイスマル大公印が捏造された可能性を潰す必要がある」
気づけば、イマンがそう言い放っていた。
「なに言ってんだ? もうそれは解決してただろ」
ナーディラが理解に苦しむように声を上げた。
ザドクが笑う。
「ふはは、まさか緑目に理解を得られるとはな」
イマンは確認を求めるように尋ねる。
「では、この管理帳簿のイスマル大公印に疑義があるということは共通認識ということでよろしいのかな、ザドク調査官?」
「無論だ」
イマンが笑みをこぼす。
「では、僕たちはこの件について調査を行わなければならない。つまり──公宮に御座すイスマル大公に聴取を行うということだ」




