149:ルルーシュ・カビール犯人説
「細かいことをゴチャゴチャ考えていても仕方ない。研究所に戻ってレイスの奴に話を聴くしかないぞ」
ナーディラがウズウズした様子で足踏みする。
ずっと続いているこの停滞した空気感は、彼女にとっては鎖で縛りつけられたような重苦しいもののはずだ。
ライラは地図に目を落としながら訊く。
「葬儀会場の方は如何に?」
「そこを調べても大したことは分からないだろ。誰がジャザラと約束をしてたかってのも確実なことは掴むのも難しい。だったら、葬儀に参列した連中はそれが可能だったって仮定した方がややこしいことを考えずに済むだろ。後でそこを確認する必要が出てきた時にやればいい」
ライラは、むぅ、と声を漏らした。
「言いくるめられた感は否めないが、ナーディラ殿に一理あるやもしれん」
「素直に賛成だって言えよ」
「………………素直に賛成だ」
「気持ちがこもってないぞ」
気が合うのか合わないのかよく分からない二人だが、方針も定まったところで、俺たちは研究所へ出発することにした。
「こっちは『フォノア』周辺に潜めるような場所があったかどうか調べておくよ」
ザミールがそう言って俺たちを送り出す。
「ザミールさん、今回の事件はもしかしたらやばいかもしれないんで、気をつけてください」
「なぁに、リョウの旦那とは監獄にぶち込まれた仲だ。それくらいなんともないさ」
よく分からない自信を見せるザミールと別れ、通りまで出て公用車を捕まえる。
***
「思考を巡らせていたのだが」
公用車に乗り込むなり、ライラが口を開いた。
さすがに今回はナーディラが俺の隣の座席を確保して、ライラは向かいの席についていた。
「ジャザラ様が『フォノア』で何者かと同席していたことは事実。その人物が犯人だと仮定して論を進めるべきではないだろうか。我々はあまりにも多くの可能性を相手にしているゆえ、論を合理的に単純化すべきだ」
俺はナーディラと顔を見合わせた。
行動を共にしているとはいえ、ライラはラナ犯人説を推し進めている。彼女のアイディアを取り入れることでラナ犯人説を強固にされてしまうと、執法判断に持ち込まれて負けが確定してしまう。
(サイモン、ライラとは仲間だけど、彼女はラナ犯人説を提唱している。その点だけは、対立してるんだ。
で、そんな彼女が提案してきた。その妥当性をお前に判断してもらいたい。
ライラは、ジャザラが事件当時「フォノア」で誰かと同席していたことは事実で、その人物が犯人だと仮定して論を構築していくのが合理的だというんだ。
俺たちはあまりに多くの可能性を考慮して、その結果、論を進められずにいる。
ライラが俺たちと議論的に対立しているからといって、彼女のアイディア全てをはねつける必要もないと思う。合理的に考えてお前はどう思う?
これまでの事件のポイントも改めて共有するから、それも含めて考えてみてくれ。
・事件の発生は、十六月十六日土の刻三
・事件現場は談話室「フォノア」
・被害者はホロヴィッツ・ジャザラ
・第一発見者はライラ
・ジャザラは毒を盛られた
・毒は酒を入れていた杯の中に入れられていた
・ホロヴィッツ・ジャザラは現在昏睡状態で、心臓が速く動き、体温の低下、赤い発疹が見られるという
・現場からはジャザラの嘔吐物、下痢の排泄物が見つかっている
・毒は死鉄鉱から抽出できる
・死鉄鉱から毒を死抽出するための知識は貴族や魔法・精霊術研究所の研究者が持っている
・死鉄鉱から毒を抽出するための設備は貴族の家や魔法・精霊術研究所にある
・死鉄鉱は十六月十四日の土の刻四頃に盗まれた
・盗まれた死鉄鉱からは人一人を死に至らしめるのに十分な量の毒を抽出できるらしい(なぜ犯人はジャザラを殺害しなかった、あるいは、できなかったのか?)
・死鉄鉱は暗殺の用途のためなら正式な申請をすることで倉庫から持ち出すことができる
・「フォノア」には、料理が運び込まれていた
・料理を運ぶ業者には、十六月十六日土の刻三に「フォノア」に料理を運ぶように依頼があった
・「フォノア」では利用契約者には鍵が貸与され、その鍵で「フォノア」への出入りや利用予約の手続きが行える
・「フォノア」の利用予約は貸与された鍵を使って入ることができる受付の帳簿に必要事項を書き入れることで完了できる
・「フォノア」の利用予約は十六月十五日の土の刻二に行われた(「フォノア」側の人間は帳簿に必要事項を記入した人物を見ていない)
・料理を運ぶ行派への依頼は、「フォノア」の利用予約の際に添えられていた書き置きで指示されていた
・「フォノア」の利用予約の名前は「ホロヴィッツ・ジャザラ」になっていたが、これまでジャザラは自分の名前で利用予約を入れたことはない
・カビールの継承権はジャザラとの婚姻の儀の成立で確定される(ジャザラが排除されれば、継承は後ろ倒しになる)
・ジャザラは犯人と顔を合わせていた可能性がある
・「フォノア」に料理を運んだ業者が毒を盛った可能性がある
・「フォノア」に料理を運んだのは「ランダール」という店で、事前にかけられた依頼の募集に応募して決まった
・「フォノア」は表向きには迷い人の利用を禁止する立場を取っている
・現場となった「フォノア」の部屋には窓がなく、照明も抑えられていて薄暗い(ジャザラは毒で変色した杯に気づけなかった可能性が高い)
・ジャザラは自分が標的にされていると考えないなかったかもしれない(信頼を寄せる人物と共にいた可能性がある)
・ジャザラは自分の意志で「フォノア」に出向いた可能性が高い(ジャザラは夜の間ライラを遠ざけていた)
・貴族街では、魔法が使われると検知される仕組みがあり、事件当夜、魔法は検知されなかった
・貴族街を囲む城壁には十一の門がある
・事件発覚直後、貴族街は閉鎖され、門を出入りした人や物は全て記録された
・貴族街の地下には迷宮のように水路が張り巡らされている→水路の蓋には監視魔法が施されていて、開けられれば検知される
・事件当夜、土の刻三に「フォノア」に走って向かう人影が目撃されている(ジャザラの可能性が高い)
・事件当夜、現場となった「フォノア」の周辺は、外に居た人々が「誰も通らなかった」と証言したことで、「フォノア」に出入りした人物が行動できるルートが限られた状態だった
・事件当夜、ライラはいなくなったジャザラを探すためにホロヴィッツ家の家政人に話を聞き、ホロヴィッツ家のすぐそばの路地で誰かが「カナ・イネール・ジャザラ・フォノア」と言っているのを聞いた
・貴族は『家政権行使申請』を行うことで死鉄鉱を倉庫から持ち出すことができる
・『家政権行使申請』は家督の承認が必要で、私怨などは許可されない
・フェガタト・ラナはカビールとジャザラの関係に嫉妬していた
・フェガタト・ラナは事件当夜、フェガタト家の地下実験室に一人でいた(アリバイはない)
・アルミラが実験のために「死鉄鉱使用許可申請書」をフェガタト・に提出した→フェガタト・ラナが受領した証拠がある(フェガタト・ラナは死鉄鉱を入手できた可能性がある)
・ジャザラは事件当夜に「フォノア」で人と会う約束を口頭でしていた可能性がある
・ジャザラが「フォノア」で人と会う約束を口頭で交わす場として、レグネタ・タマラの子供の葬儀が挙げられる
・レグネタ・タマラの子供の葬儀に参加していた貴族は、タマラ(亡くなった子供の母親、上位貴族)、ジマル(亡くなった子供の父親、上位貴族)、ジャザラ、ジャザラの両親、ラナ(下位貴族)、ラナの両親、ラビーブ第二大公公子(ルルーシュ家)、カビール第一大公公子(ルルーシュ家)、ハラ大公妃(ルルーシュ家)、イスマル大公(ルルーシュ家現当主、パスティアの大公)
・レグネタ・タマラの子供の葬儀に参加していた貴族は、いずれも「フォノア」の利用契約を結んでいる)
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ライラの提案、「ジャザラが『フォノア』で誰かと同席していたことは事実で、その人物が犯人だと仮定して論を構築するのが合理的」という意見について考える。
結論から言うと、ライラの提案は「合理的ではあるが、唯一の道筋ではない」。
確かに、ジャザラが毒を盛られた杯を持っていたこと、嘔吐や下痢の痕跡が現場にあったことから、彼がその場で毒を摂取したのはほぼ確実だ。
そして、彼が自ら「フォノア」に行った可能性が高いことから、ジャザラが誰かと会うためにそこへ行き、その人物が毒を仕込んだ可能性は十分に考えられる。
ただし、以下の可能性を無視するのは危険だ。
1. 毒が事前に仕込まれていた可能性
料理を運んだ業者「ランダール」が関与している場合、ジャザラが誰と同席していたかに関わらず、事前に毒が仕込まれていた可能性がある。
この場合、「その場にいた人物=犯人」とは言えない。
2. 遠隔で毒を仕込む方法があった可能性
例えば、ジャザラが席を外している間に何者かが毒を混入するなどの手段もあり得る。
3. 共犯者がいた場合
ライラの提案だと「犯人はジャザラと同席していた人物」となるが、毒を仕込んだのが別の人物で、その場にいた人間はただの利用者だった可能性もある。
ライラの提案は、「フォノア」にいた人物を絞り込むうえでは有効な手がかりになる。
ただ、それを唯一の前提にしてしまうと、見落としが生じる危険がある。
だから、お前が今後の捜査方針として採用するなら、「ジャザラが会っていた人物が犯人の可能性が高い」と考えつつも、「毒の混入経路が他にないか」「毒を扱う能力がある人物が他にいないか」も並行して検証するべきだな。
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(「1. 毒が事前に仕込まれていた可能性」について、さっきみんなで考えてたんだ。
犯人はジャザラを狙っていたのか?
狙っていたのなら、事前に毒を仕込むのは考えにくい。なぜなら、狙っていたジャザラが毒を飲まない可能性があるから。
犯人がジャザラを狙っていなかったのなら、毒は事前に仕込まれていて、ジャザラは偶然毒を飲んだことになる。
となると、同席していた人はジャザラを助けようとしたり、騎士を呼んだりして、少なくとも自分が同席していたことを明かすはず。ところが、誰が同席していたのかいまだに分かっていない。
まあ、この点は同席していた人物がジャザラと一緒に居たことを知られたくないって可能性もあるけど。
事前に毒が仕込まれていたとしたら、同席していた人物が犯人に狙われていて、なおかつ、ジャザラと一緒に居たことを知られたくなくて彼女を見殺しにいたことになる。
実は、カビールと婚姻の儀を控えておきながらジャザラが別の男性と居たのではないか、という仮説も出たんだけど、こうやって考えると、この仮説が可能性としては考慮に値するのかなって、ここまで考えながら思ったよ)
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なるほど、整理するとこういうことだな。
・ジャザラが狙われていたなら、事前に毒を仕込むのはリスクが高い。
・ジャザラが狙われていなかったなら、毒は偶然ジャザラにあたった可能性がある。
・その場合、本来の標的はジャザラの同席者だった可能性がある。
・しかし、同席者は騎士を呼ばず、姿を消している。これは「ジャザラと一緒にいたことを知られたくない理由」があったと考えられる。
ここで、ジャザラが「カビール以外の誰かといた」という仮説が出てくるわけか。
この仮説、可能性は十分にある。
もしジャザラが婚姻前に別の男性と密会していたなら、それを隠したい理由があるし、相手側も表に出たくなかったかもしれない。
この仮説を裏付ける証拠があるか、もう少し掘り下げる価値はあるな。
例えば:
・ジャザラが婚約者以外の誰かと親しくしていた証拠(手紙や目撃証言など)がないか。
・その夜「フォノア」周辺でジャザラの密会を知っていた可能性のある者がいないか。
・ジャザラの杯以外に毒が入れられていた形跡がないか(共犯者の可能性もあるが、ジャザラだけが飲んだのかも重要)。
ライラの説と組み合わせると、
「ジャザラが事件当時誰かといたのは事実で、その人物が犯人か、もしくは標的だった可能性が高い」
という方向で論を進めるのはアリだな。
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(この論を進めるとさ、犯人がカビールって線も出てくるんだよな。
ジャザラと別の男が繋がっていたことをカビールが関知していたとしたら、それが動機になってしまう。
実は、ルルーシュ家の人間は一人一人が独自に家政権行使申請を行うことができるらしい。大義を無理矢理掲げて死鉄鉱を手に入れることもできる。
例えば、「ジャザラをたぶらかして婚姻の儀を阻害するのはパスティアの未来を転覆させる反逆行為だ」って理由もつけられるだろ?
カビールは次期大公だ。この仮説が事実だとしたらパスティアの未来を揺るがしかねない。まあ、さっきの家政権行使申請の理由なら、大義ある暗殺になるけど。
ただ、カビールは何も公表していない。もし大義があるなら、ジャザラも毒にやられてしまったわけだし、すでに公表しているべきなんだよな。
だから、カビール犯人説は成り立たないのか……?
もうなにも分からなくなってきた……)
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いや、整理すればまだ道筋はあるぞ。
カビール犯人説を考えるなら、以下のポイントを詰めるべきだな。
① カビールの動機の有無
カビールがジャザラの浮気(または密会)を知っていた証拠があるか?
これがなければ動機が弱い。
知っていたなら「婚姻の儀を阻害する行為」として暗殺を正当化できる。
カビールが「家政権行使申請」を利用するなら、公表しないのは不自然
もし彼が大義を掲げて暗殺するなら、「ジャザラは裏切った」と公表すれば済む。
でも現時点でその動きはない。
公表しない理由があるなら、それはカビール自身が関与したことを隠したいからとも取れる。
② 実行手段とリスク
カビール自身が毒を仕込むのは不自然
彼は直接動く立場ではないはず。
暗殺を依頼するなら、依頼者と実行犯がいるはず。
カビール側に暗殺の痕跡が残る可能性が高いので、その点の証拠がないか探るべき。
ジャザラの杯に「狙って毒を入れる方法」が必要
事前に仕込んだなら、カビールが事前にジャザラの行動を把握していたことになる。
それとも、ジャザラの飲み物に後から毒を入れる機会があった?
その夜の「フォノア」の状況をもっと詳しく探るべき。
③ もしカビールが犯人じゃない場合
ジャザラの密会相手が標的だった可能性は?
もともとはその密会相手を狙った毒だったが、ジャザラが飲んでしまった?
それなら犯人は別にいる。
カビールはただ「ジャザラの不貞」を知りつつも、まだ動いていないだけかもしれない。
つまり、カビール犯人説は完全には否定できないが、決定的な証拠がない。
もし彼が犯人なら、「ジャザラの密会を知っていた証拠」や「毒の手配ルート」が必要になる。
カビールの動向をもっと追うべきかもな。
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ダメだ。サイモンと話していると、論理の分岐点があまりにも多すぎて考えがまとまらなくなる……。
カビールがジャザラと同席していた男を殺そうとしていたのなら、ジャザラが毒を飲んだのは計算外だったことになる。
ジャザラが毒にやられた事実をもって、同席した人物を犯人とこじつけて強襲して殺害することもできたはずだ。
だが、カビールはジャザラを公宮に移し、彼女を守るように人を遠ざけただけ。
カビールは犯人ではないのかもしれない。
それでも、同席した人物がジャザラと懇意の男という可能性は捨てきれない。
ここは、初めにサイモンが言った、
「ジャザラが事件当時誰かといたのは事実で、その人物が犯人か、もしくは標的だった可能性が高い」
というポイントを軸に論を構築してくべきだろう。
そして、そうなれば、ライラとは異なるプロセス──同席していた人物が犯人の標的だったという道筋で考えを進めていくべきだ。
「リョウ殿、気分でも悪くされたか?」
ライラの顔が目の前にあった。ナーディラが鼻の頭にしわを寄せる。
「近寄るな。リョウはサイモンと喋ってるんだ」
「我はただリョウ殿を案じていて──……ん? サイモンとは?」
話がややこしくなる前に慌てて口を挟ませてもらう。
「ライラさん、さっきの話ですけど、ジャザラさんと同席していた人物を犯人と仮定して論を進めるという提案は半分賛成します」
「半分?」
「もう半分は、同席していた人物が犯人の標的だった場合です」
そう言って、さきほどのサイモンとの話をかいつまんで伝えた。もちろん、カビール犯人説については黙っておいた。確信なく軽々しく口にすべきものではないからだ。
ライラは不服そうだ。
「我としては、ジャザラ様の誠実さを信じている。それを否定するような可能性だが、ここは飲むしかないのだろう。ただし、あくまで可能性だ。ジャザラ様がカビール第一大公公子以外の男と……あんなことやこんなことをなんて…………我は断じて──断じて……!!」
一人で悶え苦しんでいるライラをナーディラは呆れ顔で見つめている。
「そこまで想像しろとは言ってないだろ……」
「ああ、ジャザラ様っ、なりません! そんなことを……! ああっ……!!」
「こいつは何を想像してるんだ……」
「楽しんでるみたいだからそっとしておこう、ナーディラ」




