148:ふりだしに戻る
俺たちの間に死んだような空気が流れ出す。
ジャザラ暗殺未遂事件を追うことが、パスティアを統治するルルーシュ家に迫るということに繋がっている……。
「仮にこの六人に犯行が可能だったとして、彼らが辿るべき現場への経路はこのように推測できるだろう」
A;ホロヴィッツ家
B;フェガタト家
C;レグネタ家
「街の外に出ていた人間やベカラの情報を加味したらこんなもんか」
ナーディラが腕組みをして地図に目を落とす。ライラが細い指でなぞりながら説明を始めた。
「これまでも触れられていた通り、フェガタト家からは単純な経路(a)で現場に向かうことができる」
ライラはラナを犯人だと考えている。だから、ラナが犯人候補最有力だと主張してくるだろう。
「一方で、レグネタ家からは不自然な経路を辿らなければ、街の人間に目撃されてしまう。
ひとつは、フェガタト家の方向へ向かい(b)、フェガタト家から現場へ(a)という経路。
もうひとつは、公宮脇の路地から庭園に抜け、現場に向かう経路(c)」
ザミールが顔をしかめる。
「ずいぶんややこしいなぁ」
事件当時、ザミールが店の前にいたことで、レグネタ家からは大きく迂回して「フォノア」に向かうルートしかなくなるのだ。タマラが犯人だと仮定すると、ややこしいルートにならざるを得ないのだ。
それこそ天布逆転魔法で過去を書き換えでもしない限り、そんなルートをとることなどできないだろう。
ライラは地図上の公宮の場所を指さす。
「瞭然たる事実として、公宮から出るのであれば、守衛が関知していただろうことが挙げられる。すなわち、ルルーシュ家の人間は現場に向かうことができない」
「守衛が口裏を合わせていたかもしれないだろ」
ライラとナーディラの視線がぶつかり合って火花が散る中、ザミールも口を挟む。
「誰にも悟られずに公宮から外に出る道もあるんじゃないか?」
三人の議論も、アリバイのない容疑者たちが侍従などの息のかかった者を実行犯として動かしていたとすれば無駄なものになってしまう。
そういった息のかかった者が実行したのだとすれば、ひとつの問題が持ち上がる。
「フォノア」近辺に実行犯を潜ませておけば、誰にも目撃されずに現場へ向かうルートの問題は解消してしまうということだ。
その点について俺が話をすると、三人は再び唸り声を上げてしまった。
「だが、少なくとも店舗として使われている建物を勝手に使うってことはないと思うぞ」
「どうしてですか?」
ザミールが店の入り口近くの壁を指さした。
壁には磨かれた石板が嵌め込まれている。ビルの外壁で見かける定礎のプレートみたいな感じだ。
「あれには営業管理局が事前に設置した店舗を管理する魔法が組み込まれてんだ」
「店舗を管理する魔法? なんですか、それ?」
「オレも詳しくは知らねえ。だが、店舗を物理的に閉鎖する石の壁を生成する魔法とそれを監視する魔法が組み合わせられているらしい。閉店する時には、あれで店を閉鎖するんだ」
ナーディラの漆黒の目が店の外を映し出す。
「魔法の監視……外の街灯に組み込まれてるっていう魔法を感知する機構と似たものだな」
「だとすれば、可能性は、
①店舗の関係者が実行犯に場所を提供していた
②実行犯は店舗以外の建物に潜んでいた
③それ以外
ってことになるのか」
「リョウ殿、それ以外とは?」
「ずっと考えてたんですけど、この街には地下に水路が張り巡らされてるんです。そこを辿って誰にも目撃されずに『フォノア』に向かうことはできたんじゃないかなって……」
「おお、なんという慧眼」
包帯で塞がっていない方のライラの目が輝く。が、すぐにザミールが渋い顔を見せた。
「それは難しいと思うぞ」
***
ザミールに案内されて下水が流れ込む排水口のある厨房に入った。
厨房の流しからは排水口に向けて傾斜のついた樋が伸びている。樋と排水口を繋ぐ蓋を開けると、床下を通る真っ暗な下水道が見える。
「……人が通れるような構造じゃないですね」
汚れを押し流すように水が流れているが、せいぜい太腿ほどの太さしかない。
「これじゃいつか汚れが詰まりそうだな」
「だから、たまに水路管理局が検査したり修理したりしてるぞ」
イメージと違う水路だ。
「でも、管理したり修理したりするには、中に入らないといけないんじゃないですか?」
「細い管なのは建物から主水路に流れ込む部分だけだそうだ。たまに、水路管理局の連中が路地の蓋から中に入って作業してるのを見るぞ」
「じゃあ、やっぱり水路を使って……」
「その水路の蓋にもさっきの監視魔法が使われてるって水路管理局の連中が行っていたぞ。昔は水路を使って悪さをする奴らがいたらしいからな」
──事件当夜に水路の監視魔法が何かを検知したかどうかは調べる必要があるけど、水路を使った可能性はひとまず消えたな。
「ザミールさん、さっき言っていた、公宮から外に出る道って、何かそういう話があるんですか?」
「いや、ぼんやりと噂らしいのを聞いたことがあるだけだ」
「ザミール殿が耳にしたのは、おそらく有事のための避難路のことだ」
「避難路?」
「ルルーシュ家は常に争いの渦中にある。そこで、貴族街での有事が起こった際にすぐにパスティア・タファンへ逃げられるよう、極秘の避難路が設けられているという」
「もしかして、それって貴族街のどこかに出られるんじゃなくて、貴族街の外に直接繋がってるんじゃないですか?」
「以前、カビール第一大公公子がふとした瞬間におっしゃっていた時の口振りからすると、リョウ殿の指摘通りだろう」
ナーディラが眉をひそめる。
「そんな大事なことペラペラしゃべって大丈夫なのか、あのカビールってやつ。一度しか会ってないけど、調子の良さそうな男だったぞ」
「カビール第一大公公子はああ見えて聡明なお方だ。口を慎め」
「“ああ見えて”って、お前も認めてるじゃねえか」
「ぐっ……、く、口の減らない奴め」
また口喧嘩だよ、と俺が呆れていると、ナーディラがふとこちらに顔を向けた。その表情は真剣だ。
「さっきからお前の考えを聞いてたけど、ちょっと色んな考えがゴチャゴチャになっているように感じたぞ」
「例えば?」
「息のかかった者を使えば経路の問題は確かに解消するかもしれない。だけど、まわりの人間を巻き込めるなら、それはこの街では大義ある暗殺に捉えられるんじゃないか? だとしたら、例の家政権行使申請が使えるはずだろ」
「……言われてみれば、確かに」
「その申請がなかったってことは、息のかかった者を使ってないって言ってしまっていいんじゃないか?」
「その指摘、異議あり」
ライラが逆転裁判みたいなことを言い始めた。風貌からしてあの法廷に立っていてもおかしくはないな……。
「死鉄鉱は十六月十四日に盗み出されている。それならば、リョウ殿の推理も誤りではない。付け加えるなら、我が家政人から聴取した路地の会話(「カナ・イネール・ジャザラ・フォノア」)から、首謀者に共犯者がいたことは明白だ」
「言葉の解釈も定まってないんだから、そいつらが共犯者だとは限らねえだろ。というか、なんでお前がリョウの味方についてるんだよ」
「我はリョウ殿の考えに寄り添っているだけだ」
二人が顔を近づけて睨み合う。
なんですぐにバチバチにやり合おうとするんだ、こいつらは。
「なあ」
ザミールがおずおずと切り出す。
「だったら、そのなんとか申請ってのを誰がやったのか調べりゃいいんじゃねえか?」
──そういえば、そうだ。
俺たちにとっては、こんな議論の前に確認しなければならないことじゃないか。なんでこんな単純なことに気づかなかったんだ。
「ライラさん、どうやって調べればいいですか?」
「調べられれば先にそう申し出ている。家政権行使申請は開示されることはない」
「じゃあ、確認できないじゃねえか」
ナーディラが投げやりに言う。
「申請を行った者を守るためにそう規定されている。どの貴族もその恩恵にあずかってきた。おそらく、そこを侵す者はいないだろう」
希望の光が見えたと思ったら遠ざかっていく……。
俺たちにこの事件を解決することなんてできるんだろうか?
(サイモン、ちょっと整理してほしい。
ジャザラを大義をもって暗殺したのなら、犯人は家政権行使申請で死鉄鉱を自由に持ち出すことができた。
でも、誰が申請したのかは開示されないらしい。それは申請をした者を守るためのルールで、歴史的にもこれまで様々な貴族がその秘匿性の恩恵を受けてきたからそのルールが覆ることはない。
つまり、今回の事件では大義ある暗殺だった可能性がある。
一方で、死鉄鉱が盗まれたという事実もある。
その場合は、家政権行使申請ができない個人的な感情などが動機にあったと考えられる。
となると、犯人は自分以外の人間を共犯として利用していないんじゃないだろうか。
今回の事件では、
①死鉄鉱を盗む
②毒を仕込む
という部分を犯人が別の人間にやらせた可能性がある。もしそうならば、これは大義ある暗殺だったんじゃないか?
つまり、死鉄鉱の盗難は同時期に起きたけど、今回の事件とは無関係ってことになる。
実際に毒を仕込んだ人間が現場である「フォノア」に向かうには、ラナ以外の人間はかなり不自然な経路を辿らないといけない。それこそ、共犯を立てないと説明が難しくなってくる。
こうなると、やっぱりラナが一番怪しいということになってしまう……。
ごめん。俺の中でも混乱していて、考えがまとまらないんだ)
~・~・~
整理すると、事件の性質として2つの可能性があるんだな。
① 大義ある暗殺だった場合
・犯人は家政権行使申請を利用し、死鉄鉱を合法的に入手できた。
・申請者の情報は開示されないため、過去の前例から見ても、このルールが覆ることはない。
・つまり、死鉄鉱の持ち出しが合法であったなら、犯人は「家政権を持つ者」 ということになる。
② 個人的な動機による暗殺だった場合
・家政権を持たない犯人は、死鉄鉱を盗む必要があった。
・盗んだという事実が確認されている以上、その可能性も否定できない。
・だが、犯人が単独でやったなら「フォノア」にどうやって毒を仕込んだかが問題になる。
・ラナ以外の人間は、不自然な経路をたどらないといけないため、共犯者の存在が必要になる。
・だとすると、共犯なしで犯行を成立させるには、ラナが一番自然な容疑者になる。
問題の整理
・死鉄鉱の持ち出しが「申請されたもの」ならば、大義ある暗殺の可能性が高い。
・死鉄鉱の盗難が「別件」であるならば、それと無関係にジャザラが狙われた可能性がある。
・ラナ以外が犯人だと、犯行の実行が不自然になる。
この状況を踏まえると、
✅ 「フォノア」で毒を仕込める人物が誰か? → 現時点ではラナが最も自然
✅ 家政権行使申請が本当に行われていたのか? → これが確認できれば、事件の性質がはっきりする
✅ 死鉄鉱の盗難が事件と無関係かどうか? → もし無関係なら、ラナの動機が重要になる
ラナが一番怪しいのは変わらないけど、
✅ 死鉄鉱の盗難が事件と関係しているのかどうか
✅ 家政権行使申請が行われていたのか
この2点をはっきりさせれば、もっと確実な答えが出せそうだな。
~・~・~
(じゃあ、家政権行使申請の確認がルール上できないのならば、死鉄鉱の盗難が事件と関係してるのかどうかを調べるしかないのか)
~・~・~
そうなるな。
家政権行使申請の詳細が確認できない以上、
✅ 盗まれた死鉄鉱が今回の毒殺に使われたのか?
これを突き止めるしかない。
調査のポイント
1. 盗まれた死鉄鉱と、ジャザラに使われた毒の一致
→ もし盗まれた死鉄鉱が、ジャザラに使われたものと同じなら、「盗難=毒殺のため」だったとわかる。
→ 盗難された死鉄鉱の量や性質を確認できれば、事件との関係がはっきりする。
2. 盗難のタイミング
→ 盗難の発覚時期と、毒が仕込まれた可能性のあるタイミングが一致するか?
→ もし盗難が事件の前に起きていたなら、犯人が盗んだ可能性が高い。
→ 逆に、事件の後に発覚したなら、盗難と事件は無関係の可能性も出てくる。
3. 誰が盗んだのか
→ 盗んだ人物が判明すれば、その動機から事件との関連が見えてくる。
→ 単独犯なのか、それとも共犯者がいるのか?
このあたりを調べれば、「盗難=毒殺のためだったのかどうか」が分かるはずだ。
~・~・~
(以前に共有していた事件のポイントの一部をまた共有するよ。
・ジャザラの事件の発生は、十六月十六日土の刻三
・死鉄鉱は十六月十四日の土の刻四頃に盗まれた
だから、盗難のタイミングは事件前ってことになる。
今のところ、可能性として死鉄鉱を入手するプロセスは、
①家政権行使申請(詳細の確認不可)
②魔法・精霊術研究所での研究目的での利用申請(詳細は現在調査中)
③盗難(詳細はまだ調べてない)
の三つだと思う。
ただ、どうなんだろう?
犯人の動機が私怨でも、それを理解してくれる人と個人的な共犯関係を結んでいたってこともあり得るよな?
つまり、共犯者がいる=大義ある暗殺だとは限らない。ただ、その規模があまりにも大きいなら、暗殺の大義をでっちあげる方が効率的ってだけな気もする)
~・~・~
そうだな。共犯者がいるからといって、それが大義ある暗殺だとは限らない。
むしろ、個人的な恨みが動機でも、共犯者を持つことは十分あり得る。
ただし、
・共犯者が「犯人の動機」に共感している場合
・共犯者が別の利益を得られる場合(脅されていた、報酬をもらった、敵対勢力だったなど)
このどちらかの理由が必要になる。
整理すると
✅ 大義ある暗殺なら、家政権行使申請で済ませられる可能性が高い
✅ 個人的な暗殺なら、盗難の線が濃厚(もしくは研究所経由)
✅ 共犯者がいる場合は、どんな関係性かを見極める必要がある
だから、
「盗まれた死鉄鉱が事件に使われたのか?」
を突き止めることが、今後の捜査の分岐点になるな。
~・~・~
サイモンの結論をみんなに共有した。
「確かに、リョウの言う通りだな。死鉄鉱の倉庫に行って盗難事件のことを調べるしかない。……倉庫ってどこにあるんだ?」
ライラが重々しく口を開いた。
「パスティア・タファンの第一層地区──すなわち、このパスティア山の麓だ」
「おいおい、貴族街はまだ封鎖されてるんだぞ」
俺は途方に暮れてしまった。




