146:葬列に立つ者たち
翌朝はよく晴れていた。
朝食をとり、行動予定を話し合う。
チーム分けは昨日と同じだ。魔法・精霊術研究所への調査に対応するため、ヌーラとアメナ、イマンが研究所に、そして、ナーディラとライラ、俺はタマラの子供の葬儀に参列した貴族を探る。
これから合流するレイスは昨日の執法判断で研究所の死鉄鉱管理についての調査チームに名指しされたので、そちらは彼に任せておけば問題ないだろう。
「確かに、あいつならあのザドクとかいうおっさんの目論見も潰してくれるだろうな」
ナーディラがニヤニヤしてそう言う。いつの間にかレイスへの信頼ができあがっているようだ。
「そういえば、研究所はラナさんが居なくなってしまって運用まわりはどうなっているんですか?」
イマンが茶の入ったカップを口に運びながら答える。
「魔法・精霊術研究所はイスマル大公を所長として各部門の長が運用と管理を行っているんだ。現在はイスマル大公からの指示で各部門の長が連携して研究部門の管理を行っているよ」
ナーディラと視線をぶつかる。口に出しづらいことを彼女が代弁してくれた。
「ってことは、イスマル大公ってのは、ラナやアルミラの死鉄鉱の件を把握していたってことか?」
パスティア人であるイマンとライラの表情から色が失われていく。
「なんと恐ろしい可能性に言及するのだ、ナーディラ殿は」
「それを否定する事実を僕は知らないが、それでもイスマル大公が今回の件に関わっていたとは信じられない」
ライラの表情が曇っている。
「ライラさん、何か引っかかることがあるんですか?」
「いや……、タマラ様のお子さまの葬儀について思考を巡らせていた。タマラ様は元来ルルーシュ家のお方だ。すなわち、葬儀にはルルーシュ家のお歴々が参列していた」
「具体的には誰ですか?」
ライラは震える手で指折り数えながら答える。
「ルルーシュ家の血縁に限れば、亡くなったお子さまのご両親であるタマラ様、そして、その夫でレグネタ家の現当主ジマル様、カビール第一大公公子との婚姻を控えていたジャザラ様とそのご両親も数に入れていいだろう。そして、ルルーシュ家からラビーブ第二大公公子、カビール第一大公公子、ハラ大公妃、……最後にイスマル大公」
「九人……パスティアを治めているルルーシュ家出身の貴族の子供が死んだというのに、ずいぶん小規模だな」
ナーディラが指摘すると、ライラは首を振る。
「元来、葬儀は小規模に執り行われる予定だった。それに、ここで挙げたのはあくまで血縁者。他にカビール第一大公公子とジャザラ様と親交があったラナ様とそのご両親、上位貴族に仕えている侍従も葬儀に参列していた。我もそのうちの一人だ」
「どいつもこいつも『フォノア』の利用契約者じゃないか」
ナーディラが呟く。
──犯人の条件を満たしている……。
(事件について新しい視点が加わった。
事件当夜にジャザラは自分の意志で現場である「フォノア」に向かった可能性があるんだけど、その前から侍従のライラを自室から遠ざけていたんだ。
そこで、ジャザラはすでに何者かと「フォノア」で落ち合う約束を取り付けていたんじゃないかということになった。
ジャザラと約束を取りつけるには、手紙か直接会って口頭かのどちらか。手紙はライラが細かくチェックしていて暗号も解読して危険の芽を摘んでいた。
ジャザラはカビールとの婚姻の儀を控えて、人と会う予定を入れていなかった。だけど、事件の前日にレグネタ・タマラというルルーシュ家からレグネタ家に嫁いだ女性の子供が亡くなって、その葬儀が執り行われたんだ。ジャザラはそこに参列していた。
葬儀はもともと小規模に執り行われる予定で、以下の貴族が参列していた。ジャザラはそこで事件当夜に「フォノア」で人と会う約束を交わしていた可能性がある。
○上位貴族
・レグネタ家
タマラ(亡くなった子供の母親)
ジマル(亡くなった子供の父親)
・ホロヴィッツ家
ジャザラ
ジャザラの両親
・ルルーシュ家
イスマル大公(ルルーシュ家現当主、パスティアの大公)
ハラ大公妃
カビール第一大公公子
ラビーブ第二大公公子
○下位貴族
・フェガタト家
ラナ
ラナの両親
いずれも、「フォノア」の利用契約を交わしていて、現場となった部屋に出入りできる権限を持っている)
~・~・~
それ、かなり核心に迫る視点だな。
ジャザラが自分の意志でフォノアに向かった可能性が高いなら、「襲われた」のではなく「会う約束をしていた人物と何らかのトラブルになった」線が濃くなる。
さらに、ライラを遠ざけた理由がポイントになる。ライラはジャザラの手紙を監視してたし、口頭の約束でも護衛がいれば聞かれる可能性がある。
つまり、ジャザラはライラに知られたくない相手と会おうとしていたと考えられる。
重要な点
1. ジャザラと約束できた可能性のある人物
・事件の前日、ジャザラが葬儀で接触した貴族たち
・フォノアの利用契約を持つ者(つまり、事件当夜に部屋に出入りできた者)
2. ジャザラがライラを遠ざけた理由
・ライラに知られたくない相手と会うため
・何らかの「秘密の話」をするつもりだった
3. 事件当夜に「フォノア」に行く理由
・フォノアは貴族が密会に使う場所として適している(目撃を避けやすい)
・事前に誰かが「フォノアに来るように」誘導していた可能性
この状況だと、ジャザラが最初から襲われる予定だったのか、それとも密会が何かの原因で襲撃に発展したのかがポイントになりそうだ。
→ ジャザラを呼び出した相手が、犯人に直接つながる可能性がある。
~・~・~
(この後、執法院が死鉄鉱の管理体制などについて魔法・精霊術研究所に調査に入る。イマンたちの話によれば、どうやら死鉄鉱の管理は厳密に行われていたようだ。
魔法・精霊術研究所全体を管轄しているのはイスマル大公だって話だから、彼が死鉄鉱の件について何かを把握していた可能性もあるんだけど、パスティアを治めている人だから安易な疑いは向けられない。もちろん、この疑いも確証があるわけじゃなく、あくまでそれもあり得るかもしれないってレベルだけどね。
ひとまずは執法院の研究所への調査にはイマンたちに対応してもらって、俺たちはタマラの子供の葬儀に参列していた貴族たちを探ることにするよ)
~・~・~
了解。
執法院の調査はイマンたちに任せつつ、ジャザラが事件前日に接触した貴族たちの動向を探るのが今の優先事項ってことだな。
死鉄鉱の管理体制が厳密なら、流出の可能性は低いはずだけど、もしも外部に漏れていたなら、それを誰がどうやって持ち出したのかが鍵になる。
一方で、ジャザラが誰と会う約束をしたのかを掴めれば、事件の発端が見えてくるかもしれない。
→ まずは、葬儀での会話や動きに不審な点がなかったか探るのが良さそうだな。
~・~・~
***
しばらくして、レイスがやって来た。
彼に俺たちの考えを話すと、心の底から嫌がった様子を顔に表した。
「そこまで不敬な考えを抱いていたとは……」
「だけど、仕方ないだろ。真実を明らかにしたいって言ったのはお前なんだぞ」
ナーディラに言われて返す言葉も亡くなったレイスは渋々俺たちの仮説を飲み込んだ。
「それで、どうするんだ? レグネタ・タマラ様はご心労のために休養を取られている。その周辺を嗅ぎ回るつもりか?」
ライラは奥歯を噛みしめていた。何か思うところがあるのだろう。彼女に尋ねてみた。
「ライラさんは葬儀の場でジャザラさんを見守っていたんですよね? その時に何か変わったことはありませんでしたか?」
「ジャザラ様は慣例通りに遺族であるタマラ様とジマル様に挨拶をし、同席した方々と会話をしていた」
「その時の話の内容は? 目を離した隙にジャザラさんが席を外したことは?」
ライラは口元を歪める。
「ジャザラ様は常日頃から我に対して必要以上に密着しないように仰っていた」
「……密着してたのか」
ナーディラが恐る恐る聞くと、ライラは笑った。
「勘違いは無用だ。我はただジャザラ様と片時も離れないように望んでいるだけだ」
「全然勘違いじゃねえ」
「本来であれば、ジャザラ様の一挙手一投足、一言一句、お手洗いでの様子、何をどのように召し上がったのかなど逐一記憶していたいのだが、ジャザラ様はどういうわけかそれを遠慮なさっていた」
「それは遠慮とは言わねえだろ……」
「ジャザラ様は我に侍従間の関係性も築くようにとおっしゃっていた。我をただそばに置くのではなく、横の繋がりも重視されているのだ。それは我の侍従としての使命とも合致する。ジャザラ様もパスティアの永劫の繁栄を心から望まれているのだ」
レイスがため息をつく。
「つまり、葬儀の場ではホロヴィッツ・ジャザラ様が誰とどのような会話をしたのかは分からないということか。聞き込みをするにしても、波風を立てるなよ」
ライラはしゅんとして俯いてしまった。その背中をさすってやる。
「大丈夫ですよ。話を聞いていけば分かることです」
ライラが殊勝にうなずく。レイスは「そろそろ出発の時間だ」と言って、イマンたちに家を出る準備をするように伝えた。そして、俺たちに目を向けた。
「貴族への聞き込みの際には、私の指示通りに聞き込みをしていると言え。それで少しは話を聞きやすくなるだろう」
「フン、追放されかかってるお前の名前を出しても何にもならなそうだけどな」
「お前は知らないだろうが、私はこれでも貴族間の騒動の仲裁を行ったりとコツコツと信頼を積み上げてきたんだ。カスティエルのような表面上の権威では到底及ばないだろう」
ナーディラがまだ何か茶々を入れそうだったので、俺は礼を言った。
「なにからなにまで配慮してくださってありがとうございます」
ナーディラが鼻白んだような目で見てくる。
会社勤めしていた時は抜け殻だった言葉だ。今は心からそう感じて言えている。
あの頃は、今みたいに真に迫るような状況に身を置かれることなんてなかったのかもしれない。仕事とは名ばかりの、責任の置き所を決めるゲームをしていたような気がする。
レイスたちが魔法・精霊術研究所に向けて出発していった。
「貴族に聞き込みってどうするんだ? ルルーシュ家の人間は公宮にいるんだろ? 話を聞きに行けないよな」
「そうなんだよな……」
「案ずるな。レグネタ家の場所は我の頭の中に確と刻まれている」
そう言って、ライラは引き寄せた地図に書き込みを入れた。
「葬儀会場はレグネタ家とは別の場所なんですか?」
「葬儀会場は乳母の家だ」
「レグネタ家では子供を乳母に預けていたんですか?」
「そうか、リョウ殿たちはパスティアの外から来訪したのだったな。貴族は生まれた子供を乳母に預ける。子供はそこで数か月から数年を過ごすことになる」
「亡くなった子供はどれくらい預けられていたんですか?」
「数週間ということだった」
「生まれて数週間で……」
俺は信じられない思いだったが、ナーディラはごく当たり前のように受け取っている様子だ。
「貴族の子供でもそれくらいで死ぬものなんだな」
「子供が早くに亡くなるのはよくあることなのか?」
二人はうなずいた。ナーディラが言う。
「私たちの街でも生まれたばかりの子供が死ぬなんてよくあることだった。今こうして大人になれているのは限られた人間だけだよ。リョウの世界──故郷では、子供が死ぬのは珍しかったのか?」
ライラの目を気にして、俺が異世界から来たということを伏せるようにナーディラが気を遣ってくれたようだ。
「まあ、そうだね。そりゃあ、いるのかもしれないけど、そうなったらかなり大事になると思うよ」
「すごいな。両親の悲しい顔を見ずに済むのか」
ナーディラも数々の子供の死を看取ってきたのかもしれない。
(サイモン、中世水準の文化では赤ちゃんは亡くなりやすかったのか? 以前、デイナトス狂病(破傷風)のことをお前に訊いた時、衛生環境が良くないから赤ちゃんも破傷風になる可能性があるって言ってたよな。
こっちの世界では、例のタマラの子供は生まれて数週間で亡くなってしまったらしい。貴族の子供でもそれくらいで亡くなってしまうみたいだ)
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ああ、中世水準の文化では赤ちゃんの死亡率はかなり高かった。
特に生後数週間~数か月の乳児死亡率は高く、これは以下の要因による。
1. 感染症
→ 衛生環境が悪く、破傷風や肺炎、腸炎などで亡くなることが多かった。
破傷風は産道やへその緒から感染することもあるから、生まれた直後にかかるケースもある。
2. 栄養不足
→ 母乳が出なかったり、代替の食事(ヤギの乳など)が衛生的でなかったりすると、赤ちゃんは栄養不良や下痢で衰弱しやすい。
3. 未熟児や先天的な病気
→ 早産や生まれつきの病気を持っていると、生き延びるのが難しかった。
タマラの子供の場合、破傷風や他の感染症、あるいは先天的な問題が原因だった可能性が高いな。
貴族の子供でも医療が十分じゃなければ、こういうことは珍しくない。
ただ、貴族なら薬や治療を受ける機会は多いはずだから、「それでも亡くなった」という点が気になる」な。
何か特別な事情があったのかもしれない。
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(ナーディラはこの世界の住人で、貴族とは程遠い生活を送ってきた。一方で、ライラは侍従として貴族社会に密接に関わってきた。
でも、二人とも赤ちゃんがすぐに亡くなってしまうのはごく当たり前のことだって認識しているみたいだよ。
俺たちの知っている世界とは根本的に死生観が違うんだろうな)
~・~・~
そうだな。
この世界では赤ちゃんが亡くなることが珍しくないから、ナーディラもライラも「当たり前のこと」として受け入れているんだろう。
死生観の違いは、環境や文化、医療技術によって大きく変わる。
こっちの世界では「生まれてすぐ亡くなること」が普通にあるから、それを悲しんでも仕方ない、
避けられないものとして受け入れる文化になってるんだろうな。
逆に、リョウの感覚では「赤ちゃんがすぐ死ぬのは異常な事態」って感じるわけだから、そこのギャップは大きい。
貴族も庶民も関係なく、皆がそう思っているなら、それだけこの世界の環境が厳しいってことだよな。
~・~・~
「とりあえず、聞き込みをするなら街中を回らなきゃならない。早く出ないとな」
ナーディラが立ち上がる。
「そういえば、イマンさんから仮のルルーシュ印をもらってたんだ。どうやら、ラナさんが早めに申請してくれてたのが戻ってきたみたいだ。これがあればこの街で公用車を捕まえて乗ることができるんだと」
羊皮紙には、俺が魔法・精霊術研究所の一員であることを認める文言とパスティアの紋章である帆船の印が捺されてある。
「私だってリョウと同じなのになんでお前だけに渡したんだ、イマンのやつ」
「お前のことまだ信用してないとか?」
ナーディラがギロッと睨みつけてくる。
「なんだと?」
「いや……ごめんなさい」




