144:甲論乙駁
「何を話してたんだ、リョウ?」
執法院の大広間でナーディラたちが待っていた。
「うん、ちょっとね……」
どう話したものか迷っていると、ナーディラがものすごい勢いで詰め寄って来る。
「変なことされたんじゃないだろうな?」
「変なこと?」
「いかがわしいこと」
「んなバカな……」
呆れて応えたが、彼女の目がマジだったので素直に喋ることにした。
「色情に駆られる女ほど恐ろしいものはない」
ライラがボソッと言うと、ナーディラの鋭い眼光が飛ぶ。
「お前は黙ってろ、裏切り者め!」
ナーディラたちにダイナ執法官も事件解決を望んでいることやジャザラが死んでしまうことでカビールが暴走してしまう可能性に言及していたことを伝えた。
レイスが理解示す。
「ダイナ執法官は己の職務を全うしているにすぎない。かつては執法官も貴族間の闘争に巻き込まれ形骸化していた時代もあったという。その頃に比べれば、今はまともになったといえるだろう」
「ダイナ執法官がラナ様にある程度の私情を抱いているとい事実は懸念事項だ」
ライラが険しい表情で感想を述べると、ナーディラは我慢ならないという様子で彼女の襟ぐりを掴んだ。
「悠長に喋りやがって、お前どういうつもりだ?」
「ナーディラ、いちいち突っかかるなって……!」
「だって、こいつはラナを犯人だって……!」
文句を垂れようとするナーディラをレイスが笑う。
「こうも短気な人間がいると単純な物事も複雑になるな」
「なんだと、偉そうなこと言いやがって」
──なんにでも噛みつく番犬みたいだな……。
「でも、確かにナーディラの言う通り、どうして急にラナさんを犯人だと訴えるように方向転換したのかは聞いておきたいです、ライラさん」
ライラは包帯で隠れた右目の辺りを手で押さえている。痛みが疼くのだろうか。
「我はジャザラ様の侍従として長年仕えてきた。侍従の使命とは何か知っているか?」
「貴族の身の回りの世話とか上位貴族の血を守るためにいると聞きました」
ライラは微笑した。顔色が悪いのが気がかりだ。
「リョウ殿は我の使命を理解しているのだな」
「私も知っていたぞ」
ナーディラが口を挟むが、ライラはそれを無視した。
「侍従は上位貴族にのみ仕える存在。それすなわち、上位貴族と下位貴族が絶対的に異なっていることを示す」
「それがラナさんへの疑いの理由なんですか?」
「侍従として、ジャザラ様の血を守るのは当然。それだけでなく、上位貴族すべての血を守ることも我らは意識する。相互監視というやつだ。ラナ様はその境を飛び越えうる存在……ゆえに我は常に警戒していた」
「でも、カビールさんやジャザラさんとは幼馴染なんですよね?」
ライラは苦しそうに顔をしかめる。
「それが我の苦悩の種だった。ジャザラ様はラナ様を受け入れ、当人同士でしか分かり得ない会話を享受していた。我はそんなジャザラ様を拝見することに幸福を感じていた」
ライラもラナを疑う自分とジャザラを信じる心の間で葛藤を抱えていたのか。
「だが、パスティアを未来永劫にわたって維持していくため、二者の境は不可侵の領域として守り抜く必要がある。ラナ様はその不可侵領域に足を踏み入れる虞がある」
「なるほど、だからフェガタト・ラナ様を今回の事件の犯人として訴えようとしたのか」
レイスが納得したようにうなずいた。パスティアの騎士として理解できる内容だったのだろう。だが、ナーディラは苦み走った顔をしていた。
「なるほど、じゃねえよ。そんなんでラナを犯人扱いされてたまるか」
「私はあくまでパスティアの騎士として理解を示したにすぎん。私にとっても、パスティアの永劫の繁栄の礎になることは胸に刻むべき使命なのだから。だが、真実の追及を放棄しても構わないとは言っていない」
「いちいちうるせえ奴だな」
ライラが自虐的な笑みを浮かべる。
「だが、これでリョウ殿たちと我は袂を分かったということ。我らはここで訣別を──」
「なに言ってるんだ?」
ナーディラが眉間にしわを寄せた。ライラにはそれが意外だったようで、首を傾げている。
「お前、ホロヴィッツ家から追放されたんだろ。これから行く当てなんかあるのかよ?」
「それは……」
口は悪いが、ナーディラも優しい心の持ち主なのだ。
「ライラさん、俺たちは立場は違うかもしれないですけど、だからといって敵だと思ってるわけじゃないですよ。それに、こんな傷だらけの女性を放り出しておけないです。心配ですよ」
血色の悪かったライラの頬が微かに赤く染まった。
「リョ……、リョウ殿がそこまで言うのであれば、甘受するにやぶさかではないが……」
「ならば、今夜以降の拠点を決めるべきだな」
レイスがそう言って執法院の入口の方へ歩き出す。
俺たちもその後に続く。
***
ファマータの公用車を捕まえた俺たちは、一度魔法・精霊術研究所へ戻ることにした。
イマンたちの研究はまだ進行段階にはないだろうが、執法判断の結果を伝える必要もある。
「だが、リョウ殿の論の展開には舌を巻いた」
車に乗り込むなり、俺の隣に陣取ったライラが熱を込めてそう言った。
サイモンのことを言おうか逡巡しているうちにナーディラが口を開く。
「なんでお前がリョウの隣に座ってるんだ」
ナーディラの不服そうな表情を無視してライラは続ける。
「疑問なのは、我が家政人から聞いた路地での会話について言及しなかった点だ。論点を分散し、我を煙に巻くこともできただろう」
「それは単純に、そこに触れてもあの場ではラナさんに有利に働くと思わなかったからですよ」
向かい側に座るナーディラがライラと俺の間に無作法にも足を投げ出してきた。
「そんなことを今こいつに伝えたら次の執法判断で利用されるぞ、リョウ」
「ライラさんはそんな卑怯なことはしないはずだよ」
俺がそう言うと、ライラはモジモジとし始める。
「それを言われると弱いな」
なにか言いたげなナーディラを指し置いて、レイスが腕を組む。
「『カナ・イネール・ジャザラ・フォノア』……そんな言葉を交わしていたのは一体誰だったんだ?」
「犯人の一味っていうのが一番あり得るな」
ナーディラの指摘はもっともだ。俺は頭の中を整理するために喋ることにした。
「つまり、犯人は単独ではなく徒党を組んでいたってわけだよな。疑問点は二つ。
①『イネール』の主語は誰なのか?
②なぜその言葉を交わしていた人物はホロヴィッツ家のそばにいたのか?」
「誰が喋っていたのかは疑問ではないのか?」
レイスに問われて、曖昧にうなずいた。
「さっきの執法判断でも話題になってましたけど、“誰かにやらせた”っていう論点を追いかけるとロクなことにならないと思うんですよね。いくらでも逃げ道がある。それこそあのザドクの思う壺なんじゃないでしょうか」
「確かに、あの男ならやりかねないな……」
滲ませた憤りを額のしわに込めてレイスが唸り声を漏らす。
「誰かにやらせたってことは、ジャザラに毒を盛ったのもその“誰か”って可能性も高いよな」
ナーディラは面倒臭そうに目を回す。
「まあ、確かに、貴族が自分でせかせかと動いて事件を引き起こしてるっていうのは想像できないな」
「首謀者が上位貴族ならば、侍従が主人の手足となって事件の実行犯になった可能性がある。だが、下位貴族の場合は──」
レイスがそこまで言うと、ライラに視線が集まる。彼女はレイスの言葉を引き継いだ。
「下位貴族は侍従を持たぬ。だが、それに相当するような者を雇うことがある。歴史を遡れば、下位貴族はそういった雇用関係にある者を利用して事を起こそうと画策してきた過去がある。いずれも後に雇い入れの事実がいずこからか漏れ、その家の排斥運動が勃発。没落していった」
つまり、ラナがそのような外部の人間を雇って事を起こすのは相当なリスクを伴うということだ。
「フェガタト家にはそういう雇われの人間がいるのか?」
ナーディラが尋ねると、ライラは首を横に振った。
「フェガタト家の内情を探ったこともあるが、どうやら存在しないようだ」
「なんだよ、じゃあ、ラナが誰かにやらせたって線は──」
「我はフェガタト家の全てを把握したわけではない。極秘裏に何者かと結託していた可能性はなきにしもあらず」
複数の下位貴族が組んでジャザラを排除しようとしたというのも考えられなくはない。下位貴族が上位貴族との格差を覆そうとして革命を起こそうとしたかもしれない。
だが、この可能性に言及したところでラナに不利になるだけだ。黙っていることにする。
「毒についてだが──」
泥沼のディベートを避けるためか、レイスが話題を切り替えていた。
「首謀者や利用された何者かが意図的に混入させた以外に可能性がある」
「なんですか?」
「毒がそれと知られないまま混入された、という可能性だ」
「それと知られないままだって? 偶然ってことか?」
ナーディラが興味深そうにレイスの方に身体を傾ける。
「偶然もあるだろう。私が想定しているのは、用意されていた酒にはすでに毒が入っていたというものだ。『ランダール』の人間もそこに納品した人間も、それが毒入りの酒だと知らなかった……」
ため息をついて首を振るのはナーディラだ。
「お前こそ状況を複雑に考えてるだろう。そんなことを言い出したら、検証しなきゃならないことが際限なく増えていくだろうが」
ナーディラの言う通りだが、レイスの考えも完全に否定できるものではない。
そう思っていると、ライラが強い口調で言葉を発した。
「ジャザラ様は偶然に巻き込まれたのではない。狙われたのだ」




