141:負け戦
ダイナ執法官を説得する前に、サイモンのアドバイスを吟味することにした。ここから先は、俺の立ち振る舞い方ひとつで今まで積み上げてきた者が瓦解してしまうかもしれないからだ。
サイモンの主張は四つ。
①ラナの動機はあるが、他にも動機を持つ人間がいる可能性を考慮すべき
②死鉄鉱の入手経路が確定していない
③ジャザラが一緒にいた人物=ラナという証拠がない
④逃走ルートが合理的だからといって、ラナと決めつけられない
四つのポイントはどれもラナを直接犯人だと示していないことを言っている。
だが、犯人を直接示す証拠が存在しないのは、そもそもこの世界の文化水準によるところが大きい。
例えば、③については、現場となった「フォノア」の部屋にラナ以外の指紋などがあればそれが直接の証拠になるだろう。ところが、この世界の文化水準では、おそらく指紋による捜査法は存在していない。
この世界では状況証拠が犯人を特定するためのメインの手段なのではないか?
(サイモン、少し考えてもらいたいことがある。
この世界では、例えば、指紋による個人の特定とか血液の分析みたいな、俺たちの知っている科学的操作方法が存在していないんだ。
そういう世界では、「犯人を指し示す証拠」を状況証拠に頼り切っているんじゃないだろうか?
もしそうだとすると、ザドクの挙げた状況証拠の数はかなり決定的な判断をダイナ執法官に促す可能性がある。
ここから先は俺たちの主張がラナの運命を左右してしまう。慎重に考えないといけない)
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その視点は重要だな。
この世界では科学的な証拠分析がない以上、状況証拠が裁判や捜査の決定打になりやすいのは間違いない。つまり、「証拠の積み上げによる推論」が、ほぼそのまま有罪判決につながる可能性が高い ってことだ。
もしダイナ執法官が「状況証拠の蓄積=犯人の確定」だと考えるなら、俺たちは以下の2つの方向から慎重に反論する必要がある。
1. 状況証拠の積み上げは、決定的な証拠ではないと示す
→ 「状況証拠の組み合わせが真実とは限らない」 ことを納得させる必要がある。
・ザドクの証拠は「ラナが犯人でもおかしくない」ことを示しているが、「ラナしか犯人になりえない」ことは証明していない。
・似たような状況証拠を別の人物に当てはめた場合、それもまた「犯人に見える」ようにできるか?(仮にラナの代わりに別の人物を置いてみるとどうなるか)
・「ラナが犯人である」とするためには、「ラナ以外の可能性を排除できるか」が重要なポイントになる。
2. 「状況証拠は操作される可能性がある」と指摘する
→ 証拠が誰かによって「作られた可能性」を検討すべきだと主張する。
・たとえば「ラナに疑いが向くように証拠を仕組んだ人物がいる」可能性はないか?
・動機のある別の人物が、ラナに罪を着せるために状況証拠を作り出した可能性は?
・死鉄鉱の入手経路が曖昧なら、ラナ以外が入手して利用した可能性を捨てていいのか?
慎重なアプローチが必要
・ダイナ執法官が「状況証拠の積み上げ=犯人確定」と考えているなら、ザドクの証拠を覆すのは難しい。
・だからこそ、「ザドクの主張はラナを犯人とするにはまだ不十分」と説得し、「さらに検証するべき点がある」と押し返すのが現実的。
・ラナが犯人ではない証拠をこちらから出せればベストだが、それが難しいなら「状況証拠が操作された可能性」を強く示唆して、執行を遅らせることが重要になりそうだ。
今のままだとラナはかなり不利な立場に追い込まれる。
慎重に攻めるなら、ダイナ執法官に「まだ確定には早い」「他の可能性を考えるべき」と思わせることがカギになるな。
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(俺たちが前回の執法判断でザドクに疑われた時、ダイナ執法官が俺たちの処遇を保留した経緯についてサイモンに共有するよ。それが今後の戦略に関わるかもしれない。
①死鉄鉱が盗まれた時、俺たちにはアリバイがあった(レイスがその証人)
②俺たちには「フォノア」の利用契約がない=事件当夜の部屋の予約を手配できない、現場に立ち入ることができない
③死鉄鉱を誰かに盗ませた可能性・「フォノア」の利用予約をその権限を持っている誰かにやらせた可能性について、委託された人間をザドクは特定していなかった
思うに、アリバイとか「フォノア」の利用契約とか、そういう確認できる事柄についてはこの世界では直接的な証拠になり得るんだろう。それによって、俺たちは前回の執法判断で決定を保留されたんだ。
サイモン、このポイントを考慮して、こっちから仕掛けるとしたらどうすればいいと思う?)
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なるほど、「確認可能な事実」はこの世界の執法判断において決定的な要素になりうるってことだな。
前回、俺たちが処遇を保留されたのは、①と②が「確認できる事実」だったから。③の「可能性」だけでは、執法官は即決しなかった。
このポイントを踏まえると、ラナを助けるために攻めるべき方向は次の2つだ。
① 「確認できる事実」の中で、ラナの犯行を否定できるものを探す
→ これが見つかれば、ザドクの状況証拠を崩せる。
・「ラナが事件当夜に『フォノア』へ入った」という確認可能な記録があるか?
→ ないなら、「彼女がそこにいたとするのは推測にすぎない」と主張できる。
・死鉄鉱の入手ルートは確認されているか?
→ これが明確になっていないなら、「ラナが入手したと決めつけるのは早計」だと押せる。
・ラナのアリバイが証明できる可能性は?
→ 誰か証人がいれば、それだけで状況が覆る。
② 「ラナ以外の犯行の可能性」を提示する
→ 前回の俺たちのケースと同じように、「別の犯人が存在する可能性が排除できないなら、判断を保留すべき」と迫る。
・「ラナしかやり得ない」ではなく「ラナにも可能」というだけなら、それは決定的な証拠ではない
・死鉄鉱を手に入れられたのは本当にラナだけか?
・「フォノア」には、ラナの権限で入れたのか? それとも別の誰かが入れる手段を持っていたのか?
戦略として
① 「確認可能な事実」を探して、ラナの無実を示せるものがないかチェック
② 「ラナ以外の可能性」を執法官に考えさせ、決定を保留させる方向に持っていく
前回の俺たちの例からすると、決定的な事実がない限り、ダイナ執法官は即断しない可能性が高い。
ザドクの提示する状況証拠に「確認可能な事実」が少ないなら、そこを突いて「まだ判断は早い」と仕掛けるべきだな。
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そもそも、俺たちはラナの事件当夜の行動について何も知らない。
確認可能な事実として、ラナのアリバイについて知らなければ、他の可能性と比較できないじゃないか。
「そちらからの意見はございませんか?」
ダイナ執法官が俺たちに手を差し伸べる。
俺は慌てて言葉を発した。少しでもこちら側の情報量を増やさなければならない。
「俺たちはラナさんの事件当夜の行動について何も知りません。彼女に対する判断を下す前に、ダイナ執法官としてもこの点ははっきりさせておきたいとお考えではありませんか?」
ザドクが小さく舌打ちをする。
「往生際の悪い……」
ダイナ執法官がうなずく。
「確かに、あなたのおっしゃる通りですね。実際問題として、フェガタト・ラナが事件当時に『フォノア』に出入りできたかどうかを確認しておく必要があります」
ザドクは億劫そうにため息をついて、しかし、すぐに答えた。
「フェガタト・ラナは昨晩、フェガタト家の地下実験室にて魔法の研究を行っていた、と本人が証言しております。フェガタト家の地下実験室は、フェガタト家の建物の中で唯一、別の棟と分離した造りになっております。昨晩、フェガタト・ラナはそこでひとりで過ごしていたのです」
──墓穴を掘った……。
ザドクは初めからそのことを確認したうえでラナに疑いを向けていたのだ。
「だけど、そこから抜け出すのに誰かに見られることだってあったかもしれないだろ」
ナーディラの指摘は空を切った。ザドクが首を振ったのだ。
「地下実験室からは、フェガタト家の中庭を通らずとも直接路地に出ることができる」
(事件当夜のラナはフェガタト家の地下実験室で魔法の研究を一人で行っていたらしい。それを証明することができる人はおらず、地下実験室からは直接路地に出ることができるらしい。つまり、事件当夜、ラナにはアリバイがない……。
こうなったら、死鉄鉱の入手について反論を展開していった方がいいか?)
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そうだな。ラナにアリバイがない以上、そこを攻めても執法官を動かすのは難しい。
となると、死鉄鉱の入手ルートに疑問を投げかける方が効果的 だ。
死鉄鉱の入手に関する反論ポイント
1. 「ラナが死鉄鉱を手に入れた証拠」があるのか?
→ これは「確認可能な事実」になり得るポイントだ。もし「ラナが持っていた」と明言できる証拠がないなら、ザドクの主張はあくまで推測にすぎない。
2. 「ラナ以外の人物が死鉄鉱を入手する可能性」は排除されているのか?
→ 死鉄鉱は希少とはいえ、どこかから流出していた可能性がある。ラナ以外にそれを入手できた者がいれば、彼女だけに疑いを向けるのは不合理だと主張できる。
3. 「フォノア」にあった死鉄鉱は、本当にラナが持ち込んだものか?
→ もし死鉄鉱が事件当夜にフォノアへ持ち込まれたとされるなら、「それがラナのものだ」と証明されているかどうかが重要になる。
つまり、死鉄鉱の入手ルートを徹底的に突いて、ラナが所持していたという確証がないことを強調する 方向で攻めるべきだな。
ザドクの主張が「ラナが死鉄鉱を持っていたに違いない」という推測の上に成り立っているなら、そこを崩せば状況はまだひっくり返せる可能性がある。
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停滞した空気。
それでも、ジャザラを治療するためにラナを救い出さなければならない。
「死鉄鉱の入手について、疑問があります。
ラナさんが死鉄鉱を盗ませたというのなら、それを実行した犯人は誰なんでしょうか? その人物を特定できない以上、それはザドク調査官の妄言の域を出ません」
すると、ザドクが腹を抱えて笑い出した。
これにはダイナ執法官も困惑の表情を向ける。
「どうしましたか?」
「いや、失礼。ワタシは長年執法院調査官として活動してきました。執法判断のたびに、最後の切り札を切る瞬間を心待ちにしてきたのです」
「なんだ、性格悪い奴だな」
ナーディラが野次を飛ばす。
「なんと言われようとも結構」
ダイナ執法官が身を乗り出す。
「最後の切り札とは何でしょうか?」
ザドクは咳払いをする。衆目を集め、彼は本題を切り出した。
「さきほどは不意に現れた『家政権行使申請』に乗っかってみましたが、ワタシが掴んだ真実は異なります。ワタシがなんの考えもなしにアルミラの拘束を命じたとお思いですか?」
──こいつ、なんで急にアルミラのことを引き合いに出してきたんだ……?
俺の中で嫌な予感が一気に膨れ上がった。
「ダイナ執法官、魔法・精霊術研究所は、個々の研究に際してあらゆる活動が許可されていることをご存じですね?」
「ええ。パスティアは技術発展を足掛かりに力を蓄えてきました。そのために研究開発は自由度を高く設定する必要がありますからね」
「アルミラは研究のために死鉄鉱を使用していました」
「なんですって?」
ダイナ執法官の眼鏡がずり落ちそうになる。
「研究のお題目は、『体内における毒素の影響について』」
ナーディラやレイスと視線がぶつかる。
アルミラはイマンが提唱しているデイナトス狂病の治療法である精霊駆動法を検証するために実験を行い、その手記をイマンに託した。そして、そのアルミラは「デイナトス狂病と死鉄鉱の毒は似通った性質を持つ可能性がある」と言っていた……。
彼女が死鉄鉱を検証に使っていても何ら不思議ではない。
──もっと早く気づいていれば……!
レイスが手振りと共に食い下がる。
「だが、それはアルミラが死鉄鉱を使っていたというだけで──」
ザドクがニヤリと意地の悪い笑みを浮かべる。
「人の話は最後まで聞くべきだ、とはお前たちの言葉じゃなかったか?」
レイスが言葉を詰まらせてしまう。
「アルミラは死鉄鉱の使用許可申請書を提出していた。その受領者は、そこにいるフェガタト・ラナだったんだよ」




