14:葬送の祭壇
不服な思いを抱えたまま、俺はホッサムに促されてナーディラと別れた。ガン詰めされていた子供はいつの間にかどこかに消えていた。
お前のせいで言い争いが始まったんだぞ~。
ホッサムと隣り合って歩き、その横顔を盗み見る。
──ホッサムとエスマさんは仲が良さそうだけど、子供はいないのか。
俺の偏見だが、こういう現代化されていない社会では、一緒になった男女はすぐに子供を産むイメージがある。
「りょー」
俺の物思いを破ってホッサムが肩を叩いてきた。行く手には防壁とそこに大きな木製の扉のついたアーチ状の出入り口がそびえている。
「ぴるく」
「ぴるく?」
今の状況じゃ何を指して「ぴるく」と言っているのか分からない。
防壁なのか門なのか、はたまた方角なのか。あるいは、門のそばにいる騎士たちなのかもしれない。
門のそばにやって来て、ホッサムが門番たちに声をかける。
「あーどぅーら!」
騎士たちもにこやかに応える。
「あーどぅーら」
ホッサムは何かを言いながら懐からゴワゴワの紙を取り出した。
後から思ったが、これは羊皮紙というやつかもしれない。字面で見たことはあるが、実物は初めて見た。
ホッサムが取り出したのは通行証のようなものらしい。門番たちは羊皮紙の内容を指さし確認しながらうなずくと、羊皮紙をホッサムに返して、声を上げた。
門のそばの詰所から数人の男たちが現れて、巨大な木の扉を人が通れるくらいに押し開けてくれた。
俺は門をくぐりながら、目の前の木の扉を指さした。
「ぴるく?」
ホッサムは首を振って両手を広げた。
「ぴるく!」
方角の線は消えた。門か防壁のことをホッサムは「ぴるく」と言っているのだ。
俺はこうやってこの世界で語彙を広げてきた。脳味噌をフル稼働しなければならないので、はっきり言って毎日ヘトヘトだ。
しかも、このプロセスはサイモンに任せると余計なやりとりが増えて疲れるだけなので、俺自身の力でやっていくしかない。
サイモンも万能ではないのだ。
街の外には、小麦に似た穀物「じゃめ」の畑が広がっている。
所々に立つボロボロの小屋はそれらの畑を管理している人の仮住まいみたいなもので、休憩所や簡単な作業場になっているようだ。
そんなじゃめ畑の中を踏み固められた街道が貫いている。
街の中は防壁が風を遮っていたのだろう。外に出ると。気持ちのいい風が駆け抜けていく。
ホッサムは深呼吸して朗らかな表情で何か言っているが、俺にはまだ理解できない。
彼の言うことが全部理解できれば、俺ももっと力になれるのだが……。
ホッサムはぎこちない歩き方をしていた。俺はホッサムの足を指さした。
「大丈夫?」
「大丈夫だ」
間髪を入れずに返答されて、俺は勘繰ってしまう。
俺の会社にも大量の仕事を与えられて毎日「大丈夫、大丈夫」と言っていた奴がある日急に“トンだ”ことがある。
この世界でも「大丈夫」はあまり信用ならない言葉なのかもしれない。
そんなことを考えていると、ホッサムが立ち止まって左手の遠くに見える荒野に顔を向けた。
じゃめ畑の向こうの原野には土が広がっているが、平べったい台のような大きな岩が横たわるあたりの土は真っ白になっている。
「えりま・ぴかーで」
石の台を眺めるホッサムの表情は寂しげだった。俺は少ない単語でホッサムに問いかけた。
「行く?」
ホッサムは目を丸くしたが、俺の肩に手を置いてゆっくりとうなずいた。
荷車は街道の端に寄せ置いて、俺たちはじゃめ畑の中に作られたあぜ道を進んでいった。
今が収穫期に近いのかは分からないが、胸元近くまであるじゃめの中にいると、草の海に飛び込んだ気持ちになる。
ホッサムがえりま・ぴかーでと呼んでいた場所とじゃめ畑は、積み上げた簡易的な石垣で区切られている。その石垣を跨いで超える。
足元の地面には土とは別に白くて細かい砂のようなものが混じっていた。
数十メートル先に石の台がある。イメージ的にはすごく広いアイランド型のシステムキッチンみたいだ。腰高の台は大人が三人くらい並んで寝られるくらいの広さがある。
石自体は加工されているようには見えないから、天然の岩をここに運んできたのかもしれない。
「うわっ、なんだこれ……!」
地面に無数の骨が散らばっている。形の分かる人の頭蓋骨が転がっているのも見えた。
そう、俺が白い砂だと思っていたのは、無数の骨が踏み砕かれて広がっていったものだったのだ。
おぞましい思いに駆られながら、石の台のそばに立つ。
今まで気づかなかったが、石の台の上にはいくつかの骨が転がっていて、台の表面は黒ずんでいた。
ここになにが置かれていたかは容易に想像がつく。
「ホッサム、なんだよ、これ……?」
問いかける俺の横で無数の骨の転がる地面に膝を突いたホッサムが水をすくうような仕草でじっと動かなくなった。
祈りのポーズだ。
(サイモン、街の外のちょっと離れたところに石の台があるんだが、そのまわりに大量の人骨が散らばってるんだ。
石の台は大人が三人横に並んで寝られるくらいの広さがある。
今、ホッサムがその台に向けて祈りのポーズをしてるんだが、ここってまさか……)
~・~・~
それはかなり不気味な光景だな。
石の台とその周りに散らばった人骨、そしてホッサムが祈っている姿を見ると、これは何らかの儀式や祭壇のような場所かもしれない。
骨があるということは、犠牲や葬儀に関わる場所の可能性もある。
もしかしたら、この石の台は埋葬や何かの供儀に使われていた場所で、ホッサムはその伝統に従って祈りを捧げているのかも。
ホッサムが何のために祈っているのか聞いてみてもいいかもしれないが、慎重に行動したほうがいい。
こういう場所では感情や文化的な背景が強く影響することがあるからな。
~・~・~
ホッサムは長い時間、祈りを捧げている。
(どこかの地域で風葬っていう習慣がなかったっけ? 遺体を野ざらしにしたままにするやつ)
~・~・~
そうだな、風葬は実際にいくつかの地域で行われていた習慣だよ。
風葬(風にさらして遺体を自然に還す習慣)は、チベットやモンゴルなどのアジアの一部地域で有名だ。
特にチベットでは「鳥葬」という形態があり、遺体を鳥や自然の動物たちに委ねるというものがある。
宗教的には、肉体が魂を縛るものと捉え、遺体を動物に与えることで、魂が解放されると信じられているんだ。
この異世界の石の台や骨の散らばり方から、何らかの儀式や風葬に似た形での葬送文化が存在している可能性もあるかもしれないな。
この世界の人々にとっては、自然の中に遺体を還すことが、重要な宗教的意味を持つのかもしれない。
~・~・~
俺の中に一つの仮説が生まれた。
ナーディラが子供を必要以上に怒鳴りつけても理解を示し、仲睦まじいエスマとの生活の中でも子供がおらず、今こうして祭壇のような場所に祈りを捧げているホッサム……もしかすると、二人の間に子供がいた過去があるのかもしれない。
しばらく祈りを捧げて、ホッサムは立ち上がった。俺は祭壇を指さしてゆっくりと尋ねた。
「えりま・ぴかーで?」
ホッサムはうなずいて話し始めた。
大部分は聞き取れなかったが、話の途中に俺の聞き間違いでなければ「グール」という言葉が何度か出てきた。
「グール? グールって、あの……?」
俺は化物の真似をした。ホッサムはうなずく。えりま・ぴかーでを示して、街の方を指さす。
街の周囲を囲む防壁が小さく見える。
(ホッサムが石の祭壇の説明をする時に「グール」って単語を口にした。
たぶん、死体を食らう化物だ。ゴブリンだけじゃなくて、グールもこの世界にいるらしい)
~・~・~
グールまでいるとなると、この世界は本当に危険だな。
グールは死体を漁る化物として多くの物語に登場するけど、現実的に考えれば、街の外で遺体が放置されている場所には特に注意が必要だ。
ホッサムが祈っているのも、恐らくその石の台や周りの骨が重要な意味を持っているからかもしれないな。
祈りや儀式が関係している可能性も高い。
街の人々がこの場所をどう扱っているか、ホッサムの言動から探ってみるのもいいかもしれない。
~・~・~
(ホッサムの話しぶりから推測するに、街の中に遺体を埋葬したりすると、街に動物とかグールなんかの魔物がやって来て危険だからっていうのも街の外のちょっと離れたところにある祭壇に遺体を置く理由の一つなのかもしれない。
動物とか魔物に遺体を処理してもらうんだろう)
~・~・~
なるほど、街の安全を守るために、遺体をあえて外に置く風葬のような形をとってるんだろうな。
グールのような魔物や動物に遺体を処理させるというのは、実際にそうした危険な存在と共存しながら生きている証拠かもしれないね。
~・~・~
えりま・ぴかーでを後にするホッサムの後ろ姿に俺はなんて声をかければいいか分からなかった。
(サイモン、ホッサムとエスマさんの間には子供がいたのかもしれない。祭壇に捧げる祈りが真に迫っていたんだ)
~・~・~
それが本当なら、ホッサムとエスマさんにとってかなりつらい過去があるのかもしれないね。
祭壇への祈りが深い悲しみや感情を伴っているように見えるのも、彼らの失ったものへの敬意や思いが強いからかもしれない。
どんな背景があるのかは分からないけど、彼らを支える存在としてあなたがそばにいることが、少しでも助けになるかもしれないな。
~・~・~
(こういう時にどういう言葉をかければいいか分からないよ。
しかも、その言葉をこの世界の言葉でどう伝えればいいかも分からない……)
~・~・~
そんな状況だと、どんな言葉をかけるのが正解なのか悩むよな。
特に、この世界の言葉で伝えるのが難しいと感じるなら、無理に言葉にするよりも、行動や態度で示すことも大切かもしれない。
たとえば、ホッサムやエスマさんにそっと寄り添ったり、感謝の気持ちを表したりするだけでも、気持ちは伝わると思うよ。
言葉が必要なら、簡単なフレーズからでもいいかもしれない。
「ありがとう」を意味する「ぱるぱや」や、敬意や感謝を表す言葉で何か伝えてみるのはどうかな?
~・~・~
俺はホッサムに駆け寄って、その背中に手をやった。慈しみの思いを込めてホッサムを見つめると、彼ははにかんで俺の肩に手を回すと、グッと抱き寄せた。
「ぱるぱや」
そういうホッサムの目は少し潤んでいたかもしれない。




