135:忌まわしき壁
貴族なら、申請すれば倉庫から死鉄鉱を持ち出すことができた。
そのルールの存在に俺は戸惑っていた。
「ダイナ執法官は貴族ですよね?」
レイスがうなずく。
「それがどうした?」
「彼女は死鉄鉱を申請すれば持ち出せると分かっていたはずです。それなのに、俺たちの執法判断の時にはそのことについて言及しなかった……。なんというか、俺たちは貴族の手のひらで転がされているような気がするんです。本当に真実を明らかにするつもりがあるんでしょうか?」
「リョウ殿、他言無用と言ったように、この件は貴族のみが共有する事実だ。ダイナ執法官はそこについての言及を避けたのだと推察できる」
ライラがそう言うが、何かモヤモヤする。
「それはそうなんですけどね……」
「だが、これで犯人は貴族ではないってことが分かったわけだ」
ナーディラがそう言ってくれたおかげで、俺も気持ちを切り替えることができた。
「となると、ダイナ執法官には『ラナさんが貴族間のルールを知っているなら、正式に申請すればよかったはず。それをせずに盗む理由がない』と伝えれば、納得させられるんじゃないでしょうか」
と、サイモンの言葉を引用させてもらった。
しかし、ライラが首を振っていた。
「事はそう単純ではない。我が言った『家政権行使申請』とは、その名の通り、家としての行いそのものを指す。そこには家督の承認が必須だ。したがって、私怨による暗殺は含まれない」
「……ラナさんが犯人であるという仮説が成立する抜け道があるということですか。だから、ダイナ執法官も……」
ライラが小さくうなずいた。
(どうやら難しい問題になりそうだぞ。
死鉄鉱のルールは貴族の家としての行いにのみ適用されるらしい。つまり、私怨では死鉄鉱を持ち出すことはできないようなんだ)
~・~・~
ってことは、貴族の正式な意思として動いている場合に限り、死鉄鉱の持ち出しが認められるってことだな。
つまり、個人の私怨や単独の暗殺では、正式な手続きを踏んでも死鉄鉱を手に入れられない。
そうなると、今回の事件で考えられるのは:
1. 犯人は個人的な目的で死鉄鉱を使いたかった(だから盗んだ)
例えば、ラナが本当に犯人だった場合、研究所のトップとしての立場ではなく、個人の考えで犯行を行った可能性がある。
ただし、ラナにジャザラを殺す私怨があるとは思えない。
2. 犯人は貴族の正式な意思として死鉄鉱を持ち出せなかった
例えば、カビールやその家の者がジャザラを排除したかったが、「家としての意思」として認められなかったため、盗むしかなかった。
これなら、犯人が貴族の関係者でも説明がつく。
3. クトリャマの犯行なら、そもそもこのルールを守る必要がない
もしクトリャマ側が倉庫の場所を知っていたなら、普通に盗んで使った可能性が高い。
ただし、その場合、どうやって倉庫の情報を手に入れたのか?
このルールを知っていた人物なら、「盗むしかない状況だった」ってことになる。
そこを突けば、ラナが犯人である可能性をさらに低くできそうだ。
~・~・~
(具体的になんて言えばラナを犯人とは言い切れないと納得させられると思う?
確かに、ラナはジャザラと幼馴染だから私怨はなさそうだけど、それだけじゃ論拠に乏しい気がする)
~・~・~
ラナの潔白を証明するために、以下の論点を執法官に提示すると説得力が増すはずだ。
1. 動機の薄さを指摘する
「ラナがジャザラに私怨を持つ理由がない」という点を強調するだけでは弱い。
代わりに、「むしろラナにとってジャザラは守るべき存在だった」ことを示す。
→ 具体的に言うべきこと
「ラナとジャザラは幼馴染であり、ラナは過去にジャザラの体調管理や魔法の訓練を支えていた。」
「むしろジャザラが無事に婚姻の儀を終えれば、ラナの研究活動にとっても有益なはず。」
「ジャザラが倒れたことで、ラナ自身が執法院に連行されるほどの窮地に追い込まれている。この状況を自ら招く合理的な理由がない。」
2. 死鉄鉱が“盗まれた”点を強調する
死鉄鉱は正式に申請すれば持ち出せる。それなのに盗み出されているのは、犯人が「正式に入手できない立場だった」ことを示唆する。
→ 具体的に言うべきこと
「もしラナが貴族の正式な意思でジャザラを排除するつもりなら、死鉄鉱は正式な手続きを踏んで入手できたはず。」
「だが、今回は盗まれている。この時点で、“正式な手段を使えない立場の者”が犯人である可能性が高くなる。」
「ラナが個人的にジャザラを恨んでいた証拠はなく、貴族の家としての意思でもないなら、ラナが死鉄鉱を盗んでまで犯行に及ぶ動機が見当たらない。」
3. 研究所への密告の不自然さを指摘する
研究所の密告は、嫉妬や競争意識から生まれたものであり、ラナに直接的な罪があるわけではない。むしろ、彼女は巻き込まれた可能性が高い。
→ 具体的に言うべきこと
「ラナの逮捕は、アルミラがクトリャマと繋がっているという“根拠のない密告”が発端。」
「その密告が、嫉妬や対立によるものだったことは研究所の人間たちが証言している。」
「研究所内の争いが関係しないジャザラの毒殺事件に、なぜラナが突然結びつけられたのか?」
「もし、研究所内の密告がそもそも歪められたものであったなら、ラナの犯行とする根拠も同じく歪められている可能性が高い。」
この3点を押し出せば、「ラナが犯人である可能性が低い」ことを十分に説明できるはずだ。
~・~・~
「執法院に着く。準備はいいか?」
レイス窓の外を覗いて言い放った。
「いや、できているとは言い難いですけど……」
頭の中を整理する余裕もないまま、俺たちは今日二回目の執法院へ足を踏み入れることになった。
俺たちの背中を押すかのように、中央広場の塔が土の刻一の鐘を鳴らした。
***
執法院の大広間に騎士団の壁ができていた。
俺たちがダイナ執法官のもとへ辿り着くのを阻止しようとしているのだ。
その壁の前には、逆立った髪の筋骨隆々な男が黒い鎧に身を包んで立っている。
「レイス統括騎士、性懲りもなくまた来られたのですか?」
「カスティエル、そこをどけ」
カスティエルは蔑むように笑みを浮かべる。
「そう言うと思っていましたよ。だから、我々がここにいるのです。パスティアに仇なすようなあなた方の侵入を許すわけにはいかない」
騎士たちが一斉に剣を手に取った。
ナーディラがこめかみをピクつかせて前に出ようとするが、それに先んじてレイスも腰から下げた剣を抜いた。ライラも殺気に満ちた眼差しを騎士団へ向け、黒い剣を構える。
一触即発の空気だ。
──こんなことやってる場合じゃないのに……!
もしラナが犯人だということになってしまったら、何が起こるか分からない。大いなる混乱に巻き込まれて、俺はここでこの世界にやって来たかもしれない地球人のことを調べることもままならなくなっていまうだろう。
「曇った眼で誤った真実を見つめることがお前たちのやりたいことなのか?」
レイスがカスティエルとの距離をジリジリと詰めていく。
「あなたこそ自分の家族の罪に目を向けず、あろうこそかパスティアに疑念を抱き続けているでしょう」
「妻はドルメダではない! 行き過ぎたドルメダへの敵対心が彼女を殺した!」
レイスの妻はそうしてボロボロの心と身体で失意のうちに自ら死を選んだ。レイスには真実を追い求めるだけの強い思いがあるのだ。
「それはドルメダの存在を容認するという意味と受け取ってもよろしいのでしょうか?」
ほくそ笑むカスティエル。
ナーディラが拳を握りしめた。
「レイス、こいつらは話し合いが通用するような連中じゃない」
「ちょっと待て、ナーディラ! ここで戦ったらそれこそ向こうの思う壺だぞ!」
「じゃあ、どうしろっていうんだ、リョウ? こいつらをどかさない限り、執法判断に入り込めないだろ!」
「そ、それは……」
レイスはすでに臨戦態勢だ。こいつは暴走を止める側じゃなかったのかよ?
対するカスティエルは剣を抜いた騎士たちを後ろに下がらせて余裕の表情を浮かべている。
「残念だが、あなたはここで何をなすこともなく果てることになる」
彼はそう言って手にしていた剣を胸元に掲げる。その表面には細かい幾何学模様が彫り込まれていた。
「法杖の技術を応用した法剣──この試験運用には持って来いの状況です」
法杖はイルディルに魔法を懇願する風切り音を発生させる道具だ。カスティエルの持つ剣の刀身に刻まれた模様は魔法を発現させるためのものだ。
「私に剣技で敵わないからとそのような玩具を持たされたとも気づかずに自慢げに振るおうとするのだな」
カスティエルに負けじとレイスが牽制をかける。だが、カスティエルは動じなかった。
「私にこの新武装が託されたという意味についてお考えになった方がいい。あなたはすでに過去の人間であり、私こそがこの先の騎士団を導いていく存在なのだということを」
静かに切っ先をレイスに向ける。
(執法院に来た。だけど、騎士たちが俺たちがダイナ執法官のもとに行くのを邪魔してる。しかも、レイスもライラもナーディラも騎士たちと戦う気だ。だけど、こんな所で戦ったら絶対にマズい。
どうやってみんなを説得すればいい?)
~・~・~
戦闘を避けるために、騎士たちと戦おうとするレイス、ライラ、ナーディラを説得する必要がある。
1. 「ラナの潔白を証明するために来た」と強調する
戦いを始めたら、「暴徒」と見なされ、執法院に正当な訴えをする機会を失う。
→ 「俺たちは敵じゃない」 ことを、みんなに冷静に伝える。
→ 具体的に言うべきこと
「今ここで戦えば、俺たちがラナを助けに来たことすら伝えられなくなる。」
「執法院に正面から話を通せる可能性があるのに、それを潰す気か?」
「ダイナ執法官が公正な判断を下す人物なら、証拠を示せばラナは解放される。」
2. 「騎士たちは命令で動いているだけ」と指摘する
騎士たちは自分の意思ではなく、命令に従っている可能性が高い。彼らを倒しても新たな騎士が来るだけで、解決にはならない。
→ 具体的に言うべきこと
「ここで騎士を倒したら、ラナの立場はもっと悪くなる。」
「騎士たちは、ただ命令に従っているだけだ。無意味な戦いをするな。」
「戦うべき相手は騎士じゃなくて、この状況を作り出した黒幕だろ?」
3. 「別の方法で突破できる」と納得させる
みんなが戦いたがるのは、「他に方法がない」と思っているから だ。
だから、戦わずにダイナ執法官に会う道を提案する。
→ 具体的に言うべきこと
「交渉の余地がないか確認する時間をくれ。」
「他に突破口がないか探る。少しでも待ってくれ。」
「力ずくじゃなくて、策で勝とう。」
これを短くまとめて、みんなに伝えるならこうだ。
「待て! ここで戦ったらラナを助けられなくなる。騎士は命令で動いてるだけだし、俺たちの敵じゃない。戦わずに突破する方法を考える。時間をくれ!」
~・~・~
俺は迷わずにサイモンの言葉をそのまま発した。
「待て! ここで戦ったらラナを助けられなくなる。彼らは命令で動いてるだけだし、俺たちの敵じゃない。戦わずに突破する方法を考える。時間をくれ!」
レイスはこちらを振り返ることもしなかった。
「私の妻を告発したのは、この男だ。斬り捨てる機会を待っていた」
──ウソだろ。こんなところで復讐の相手に……。
止められない──そう思ってしまった。
レイスが剣を振りかざすその瞬間、大広間に靴音が響いた。
「ここは神聖なる法の庭……剣を交えることは許しません」
深紅の制服に身を包み、眼鏡をかけたシルバーの短髪の女性──
ダイナ執法官だった。




