133:研究者たち
中庭で話をする俺たちの姿が知れ渡ったのか、研究者たちの憤りにも似た表情が集まり始めてしまっていた。
「実はわたしたちも疑いをかけられそうになったんです。それで、研究所での居場所に困ってしまって……」
ヌーラの言葉を裏づけるかのように、研究者の中からイマンを罵る声が上がり始めた。
「諸君、このままでは籠の中で弄ばれることになる」
ライラが鋭い一言を発する。
「さきほどから気になっておったんじゃが、この満身創痍の女は誰じゃ?」
アメナが俺に疑いの眼差しを向けてくる。何を怪しまれているんだ、俺は。
「我はライラ。ジャザラ様の出来損ないの侍従──いや、元侍従だ」
自虐的すぎる自己紹介にレイスが補足する。
「この女がホロヴィッツ・ジャザラ様が事件に巻き込まれるのを阻止できずに、今回の事件が発生したんだ」
「そんな言い方ないだろ」
堪らずに目くじらを立てるナーディラをライラはその細腕で制する。
「いや、レイス殿の言に誤りはない。それより、急ぎここを出なければ──」
「み、みなさん……!!」
研究者たちの人垣を破って、一人の男が転び出てきた。
「あなたはアルミラさんに……ええと、乗っかられていた──」
「タリブです……!! そして、あれは実験の一環であります!!」
初めてアルミラの研究室に行った時、体内のイルディルを枯渇させられていたんだったっけ。SMプレイにしか見えなかったけど。
イマンが心配げに歩み寄る。
「君は無事だったのか」
「アルミラさんがボクを逃がしてくれたんです。『アナタは関係ないから』って」
「“アナタは関係ない”……?」
「ふむ、そのアルミラという人物自身はクトリャマと関係があるかのような物言いだな」
レイスが口を挟むと、イマンはあからさまに狼狽する。
「そんなはずは……。彼女はパスティアのために技術の向上に貢献してきたんだ」
「その技術をクトリャマに横流ししていたとしても不思議ではあるまい」
レイスの冷たい言葉にタリブが叫び声を上げる。
「アルミラさんはそんな人じゃない!! イルディルの研究に身も心も捧げているんです!! 貴族のご機嫌を窺うような他の研究者とは違う!! イマンさんと同じですよ!!」
タリブの声は中庭に響き渡る。研究者たちの表情が曇り始めた。
「ここは目の濁った人間の牢獄だとアルミラさんは言っていました。誰もがパスティア内の平和に甘んじて、研鑽を怠ってきたんだ、と。そして、イマンさんがやって来て、ここの人間たちの興味は、イマンさんを陥れることに傾いていった……。それはボクたちが愛すべき学問の皮を被った利己主義です」
アメナが呼応するように言葉を重ねる。
「アルミラは言っておった。ラナもその現状を憂いていた、と。じゃから、イマンという劇薬が必要じゃと、そう考えてラナはイマンにルルーシュ印を与えたと言うておった」
研究者たちの間にざわめきが広がっていく。その中から一人の女性が進み出る。
「そのことと、あの女──アルミラがクトリャマと繋がっていたこととは関係がない!」
「そうよ!」と助け船の野次が飛ぶ。魔法研究者のほとんど全てが女性だ。それが一人の男性研究者を槍玉に挙げようとしている。そこには、タリブに対する彼女たちの差別意識も少なからずあるのかもしれない。
タリブはそれでも挫けていなかった。
「アルミラさんは物事を分け隔てなく見ることができる人です。そりゃあ、変人に見えることもあるかもしれませんが、それはあくまで表面上のものです。アルミラさんは、クトリャマの掲げるイルディル仮説にも一理あると考え、その仮説についての理解を深めようとしていました。それを執法院の人間が嗅ぎつけてきたのです」
タリブは周囲を取り囲む研究者たちをぐるりと見回した。
「いや、誰かがアルミラさんの功績を妬んで、歪んだ情報を執法院に流した……ボクはそう考えています!!」
案の定、ものすごい罵詈雑言がタリブに投げつけられた。例の女性研究者が怒りを滲ませた目でタリブを睨みつける。
「そんな決めつけ、研究者として恥ずかしくないの?!」
「ボクたちアルミラ研究室員はみんな知っています。彼女は純粋にクトリャマの仮説だけに向き合っていたのだ、と。だからこれは、アルミラさんの真意を知らない者による密告に他なりません!!」
「だからといって、私たちを疑うような言説はいかがなものかと思うわ!」
再び数多くの罵声。タリブは俺が収まってから、静かに口を開いた。
「この問題の本質はそこじゃない。その間違った密告がフェガタト・ラナ様の拘束に繋がった……それこそが本当の問題です」
中庭をざわめきが支配する。
いつの間にか、中庭には多くの研究者たちが肩を並べていた。
「ど、どういうこと?」
深刻な表情で問いかける女性研究者をタリブが真っ直ぐと見つめ返す。
「アルミラさんは執法院が研究室に踏み込んでくる直前、ボクを実験のための隔離室に閉じ込めたんです。初めは新しい実験かと思いました」
──調教されてるな、この人……。
「でも、アルミラさんはボクを逃がすためにそうしたんです。そして、ボクはそこで聞いたんです。フェガタト・ラナ様はホロヴィッツ・ジャザラ様の暗殺未遂の犯人として連行された、と」
ざわめきが最高潮に達する。
タリブはそれでも滝つぼの轟音のようなざわめきの中で先を続ける。
「執法院の人間は言っていました! フェガタト・ラナ様はアルミラさんを通じてクトリャマと繋がり、クトリャマの思惑がフェガタト・ラナ様を操り、今回の事件を引き起こしたのだ、と!!」
「なんだって?」
イマンが卒倒しそうな顔で嘆いた。
「アルミラさんを陥れようと誤った密告をした人間のせいで、フェガタト・ラナ様は犯人として連行されてしまったんです! これでも胸を張ってこの場所でルルーシュ印を掲げられるのか、お前たちは!!」
今や中庭はしんと静まり返っていた。
「ホロヴィッツ・ジャザラ様は今も死の淵を彷徨っていると執法院の人間は言っていました。毒を盛られたんです。もし、ホロヴィッツ・ジャザラ様が亡くなってしまえば、このパスティアは大きな混乱に陥るでしょう。その首謀者はこの研究所を牽引してきたフェガタト・ラナ様ということになる。ボクたちは裏切り者の仲間として語り継がれていくでしょう」
ナーディラが俺の隣で小さく口を開く。
「あいつがあそこまで熱血な奴だとはな。ただのやられ役だと思っていたぞ」
「そうやって茶化さないの」
だが、タリブの言葉通りなら、この研究所はおしまいだろう。差別の蔓延るこのパスティアで、次期大公妃の暗殺未遂犯が率いる組織の人間だというレッテルを貼られるのは居場所を失うのと同義だ。
タリブはイマンに歩み寄った。
「アルミラさんは常々、あなたの理論について考えていました。デイナトス狂病の治療方法です。まだ不完全な部分がある、と。そして、こうも言っていました。デイナトス狂病と死鉄鉱の毒は似通った性質を持つ可能性がある、と」
「……どういうことだい?」
タリブは懐から一冊の薄汚れた本を取り出した。
「アルミラさんが書き溜めていた覚書です。隔離室に閉じ込められる時に託されました。その中にイマンさんの精霊駆動法の改良案の発想も走り書きした、とアルミラさんは言っていました」
長い年月をアルミラと共にしたのだろう、革張りの表紙などは端がボロボロになっている。イマンはずしりと重そうなそれを受け取って目を落としたままだ。
「あなたの精霊駆動法なら死鉄鉱の毒を治すことができるかもしれません」
研究者たちがどよめいた。
イマン自身も精霊駆動法が死鉄鉱の毒に対抗できるかもしれないと話していた。図らずも、アルミラもそう考えていたのだ。研究者同士どこかで通ずるところがあったのかもしれない。
イマンが俺たちを振り返る。
「すまないが、僕はこの覚書と対峙しなければならないようだ。捜査に関しては──」
「ふん、お前などいなくとも捜査に支障はない」
レイスが吐き捨てるように言う。
──こいつ、ちょくちょくいいところ持って行くんだよなぁ……。
覚書の本を開きながら歩き出すイマンの傍らにタリブがつく。
「ボクもお供しますよ」
アメナとヌーラも後に続いていく。俺たちはその背中を見送ることにした。
「ああ、でも、アルミラさんの研究室が執法院の人間のせいで、もう使えないんでした……」
タリブが頭を抱える。
「仕方ないさ。僕の研究室で、有り合わせのものだけでやってみるしかない」
そう口にするイマンたちの前にさきほどから声を上げていた女性研究者が立ちはだかる。すかさず、アメナが鋭い眼光でイマンの前に身を滑らせる。
「これ以上邪魔立てするなら……」
「違う。……私たちの研究室を──使って。この研究所の中でも最高の設備が整ってる」
「なに言ってるの!」と、他の研究者から反発の声が上がる。
彼女は目をつぶって大きな声を上げ、周囲の雑音を掻き消した。
「私たちは間違い続けてきたのかもしれない。そして、今も間違おうとしている。間違っていると分かっていることをするのはおかしい」
彼女は周囲の研究者たちを見渡した。
「きっと、今が変わるべき時なんだと思う。私はこの瞬間に、私の中の声に従いたい」
水を打ったような静けさの中、イマンの微笑む音がする。
「ありがとう」
真っ直ぐな言葉を投げかけられて、一瞬だけたじろいだ彼女は、
「行きましょう」
とだけ言ってイマンたちを先導していく。
イマンたちをなじっていた人垣が割れる。
その間をイマンたちが悠然と歩いていく。
この国の歴史が変わる……、その瞬間を俺は目撃しているのかもしれない。
「我らも執法院に急ごう」
ライラが口を開く。
「そうですね。さっきの話では、アルミラさんも根拠のない疑いで連行された可能性が高い。となると、ラナさんも……」
ナーディラも気合が入ったようで、手のひらに拳を打ちつけた。
「よし、行くぞ!」




