127:あの夜へ・絶望
ジャザラの華奢な身体を抱え上げ、ライラは立ち上がった。
──ジャザラ様を救わねば。
その強い意志が彼女を突き動かす。
部屋を出て、「フォノア」の外に躍り出る。ライラの心を映し出すかのように雨足が強まっていた。
声を上げても誰かに届く保証はなかった。
だから、ライラは咄嗟に咄嗟に口を動かしていた。
「メギア・ヘルマーヘス・ツデヤ・グネーリ。カクネラーメ・イルディル。メギア・ゼルトナーラ・パモ・タガーテ!!」
夜の闇を振り払うようなオレンジ色の炎の塊がジャザラを抱えるライラの頭上に滾り始める。意思を送り、ライラはめいっぱい膨れ上がった炎の塊を上空に打ち上げた。
轟音を上げて雨の矢を弾き飛ばしながら高く打ち上がった火の塊が爆散する。
──これで……。
ライラがひと息ついたところで、腕の中のジャザラが痙攣を始めた。
「ジャザラ様!」
ライラはすぐに「フォノア」の中に舞い戻って、ジャザラが倒れていた部屋に駆け込んだ。そして、ジャザラの身体を床に横たえて、彼女の口の中に手を突っ込んだ。
ライラはパスティアの歴史の中で何度も毒による暗殺が行われてきたことを学んでいた。もし主人がそのように毒を盛られた時には、身体の中に入れたものを吐き出させるのが先決だといまさらながらに思い出したのだ。
意識を失っている人間に嘔吐させるのは危険な行為だが、この世界の住人であるライラにはそんなことは分からない。だから、彼女はそれが唯一の処置方法だと信じて、ジャザラの食道からせり上がって口の中に溜まる嘔吐物を掻き出していった。
その間もライラは「フォノア」の人間を呼び続けたが、もともと夜間帯に人がいないことは通例だったため、なんの助けも得ることができなかった。
それでも、ライラは自分の命を投げ出してでも守ると決めたジャザラのために汗を垂らしながら応急処置を続けた。
──ジャザラ様、あなたに逝かれては我は……!
しばらくして、騒がしい足音が聞こえてきた。
「こっちだ!!」
ライラは喉が張り裂けるほどに叫んだ。
騎士たちが部屋に殺到してくる。彼らは横たわるのがジャザラだと知るや否や迅速に対応をはじめ、ライラは引き離された。
「待て! ジャザラ様はまだ息がある! なんとして救わなければ!」
ルルーシュ家の人間と鉱物資源管理院、魔法・精霊術研究所の人間たちが群れを成して「フォノア」にやって来た。この頃になると、「フォノア」の管理者であるサイードも招聘されていた。
ルルーシュ家からは使用人の代表、そして、カビールが駆けつけていた。
「ジャザラ!!」
さらなる処置のために運ばれようとしていたジャザラにカビールが駆け寄る。周囲の人間たちも二人が婚姻の儀を控えていることは分かっている。だから、カビールの悲痛な叫びに居たたまれない表情を浮かべていた。
「ライラ」
カビールはジャザラに意識を注ぎながら、冷たくその名前を口にした。
「お前、何をしてた? ジャザラがこんなになるのを見過ごしたって言うのかよ?!」
「……申し開きもございません」
奥歯を噛み締めて、ライラは頭を垂れた。
カビールはライラに顔を向けることもなく、ジャザラと共に「フォノア」を出て行く。去り際に「公宮に運んでくれ」というカビールの声が聞こえた。
続いてやって来たのは、ホロヴィッツ家の人間だった。本邸の使用人代表者がライラに告げる。
「これよりホロヴィッツ邸に出頭してもらう」
***
「私刑はジャザラ様の御父上が直々に執り行われた」
ライラはその時のことを淡々と口にした。それはあまりにも凄惨で、その苦痛を想像するだけで吐き気を催すほどだった。
それでもその内容を話すライラは、自分がその罰を受けるに相応しい人間だと信じて疑っていない様子だった。
「つまり、ホロヴィッツ家はジャザラが今回の被害に遭ったのは、お前に全責任があると言っているわけか」
ナーディラは納得したように耳を傾けていた。俺にはやっぱりそんなことを受け入れることができなかった。
「でも、だからといって、こんなにボロボロになるまで痛めつける必要は……」
それに、ライラの話では、彼女を遠ざけたのはジャザラ自身だ。その辺りの事情聴取も行わずに私刑を与えるなんて、ただ感情に走っているだけだ。
「お前には分からないかもしれないが、忠義を尽くすというのはこういうことなんだ。私も領主に使える騎士だった頃は領主の手足となることを求められたし。それに応えようとした」
そうだ、彼女はそのために助けられたかもしれない命を見捨てる選択を取り続けてきた。でも、それが彼女を苛めてもいた。だから、彼女は騎士という身分を捨てたのだ。
「我も忠義を靴すため、ジャザラ様の御父上からの罰を甘受した。そして、そのことには一抹の憂いもない」
彼女は一点を見つめながらそう言った。そして、先を続ける。
「だが、ジャザラ様をこのような目に遭わせた者を探し出さずにはいられなかった」
俺はナーディラたちと目を見合わせた。
「それでそんなボロボロの状態で動き回っていたんですか……」
俺を見つめ返すライラの目には強い光が宿っていた。
「無論だ」
***
ライラがホロヴィッツ家からぼろきれのように捨てられたころには、すでに陽が昇っていた。相変わらず雨は降りしきっていたが、辺りはすっかり明るくなっていた。
簡単な応急処置だけを施したライラは固めの見えない状態で再び「フォノア」を目指した。
心身ともに満身創痍のライラは身体を引きずるようにして情報を集め始めた。
何刻もの間、貴族街を歩き回ったライラは意識も朦朧とする中、公宮の裏手の路地で、執法院調査官たちがジャザラ暗殺未遂の犯人と考えているリョウたちと出くわす。
──貴様たちが、ジャザラ様を。
気を抜けた気絶してしまうほどの苦痛の中、ライラは剣を抜くことを選んだ。
その時の彼女を突き動かしていたのは、ジャザラを苦しめた者に対する憎しみだけだった。
***
ライラは休憩所にあった貴族街の地図に、彼女が搔き集めた事件当夜の情報を黙々と書き込んでいった。
事件当夜の状況について
A:ホロヴィッツ家
①:都市機能保全局の作業員による街灯改修作業
②:騎士団による夜間警備訓練
③:公宮門前守衛による監視
④:近づいた者に吠えるベカラ
⑤:「ランダール」の開店準備作業
⑥:閉鎖された門
⑦:パスティア・タファン劇団員による劇稽古
一応、サイモンにもこの図を共有してみようと思う。その前に、これまで分かったこともサイモンに伝えなければならない。
(ジャザラの侍従であるライラという女性と会うことができたよ。
彼女は事件の夜、ジャザラの住む家に居たんだけど、ジャザラが勉強したいからひとりにしてほしいと言われていたようだ。だけど、ライラが確認が必要なことを報告しに行った時には、部屋にジャザラの姿はなかった。
窓の下にはジャザラの家の納戸にあった梯子がかけられていて、どうやらジャザラ自身が部屋から抜け出したらしいんだ)
~・~・~
ジャザラ、自分で部屋を抜け出してたのか……となると、事件当夜の行動がかなり怪しくなるな。
・ライラを遠ざけた上でこっそり外出
・戻るときも梯子を使ってる(目立たないように?)
・どこへ行ったのかはまだ不明
これ、事件現場の「フォノア」に行っていた可能性もあるよな?
証拠がないと決めつけられないけど、ライラの証言が事実なら「ジャザラには犯行の機会があった」ってことにはなる。
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(バカ、ジャザラは被害者だろうが! もう一回事件の概要を共有した方がいいか?)
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悪い、勘違いしてた! ジャザラは被害者だったな。改めて事件の流れを整理した方がいいかもしれない。
もし余裕があれば、事件の概要をもう一度共有してくれると助かる。
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──ったく、こいつは……。
だが、我慢だ。今はサイモンを育てるつもりで根気よく付き合うしかない。
(事件の概要をまとめたものだ。
・事件の発生は、十六月十六日土の刻三
・事件現場は談話室「フォノア」
・被害者はホロヴィッツ・ジャザラ
・ジャザラは毒を盛られた
・毒は酒を入れていた杯の中に入れられていた
・ホロヴィッツ・ジャザラは現在昏睡状態で、心臓が速く動き、体温の低下、赤い発疹が見られるという
・現場からはジャザラの嘔吐物、下痢の排泄物が見つかっている
・毒は死鉄鉱から抽出できる
・死鉄鉱は十六月十四日の土の刻四頃に盗まれた
・盗まれた死鉄鉱からは人一人を死に至らしめるのに十分な量の毒を抽出できるらしい(なぜ犯人はジャザラを殺害しなかった、あるいは、できなかったのか?)
・「フォノア」には、料理が運び込まれていた
・料理を運ぶ業者には、十六月十六日土の刻三に「フォノア」に料理を運ぶように依頼があった
・「フォノア」では利用契約者には鍵が貸与され、その鍵で「フォノア」への出入りや利用予約の手続きが行える
・「フォノア」の利用予約は貸与された鍵を使って入ることができる受付の帳簿に必要事項を書き入れることで完了できる
・「フォノア」の利用予約は十六月十五日の土の刻二に行われた(「フォノア」側の人間は帳簿に必要事項を記入した人物を見ていない)
・料理を運ぶ行派への依頼は、「フォノア」の利用予約の際に添えられていた書き置きで指示されていた
・「フォノア」の利用予約の名前は「ホロヴィッツ・ジャザラ」になっていたが、これまでジャザラは自分の名前で利用予約を入れたことはない
・カビールの継承権はジャザラとの婚姻の儀の成立で確定される(ジャザラが排除されれば、継承は後ろ倒しになる)
・ジャザラは犯人と顔を合わせていた可能性がある
・「フォノア」に料理を運んだ業者が毒を盛った可能性がある
・「フォノア」に料理を運んだのは「ランダール」という店で、事前にかけられた依頼の募集に応募して決まった
・「フォノア」は表向きには迷い人の利用を禁止する立場を取っている
・現場となった「フォノア」の部屋には窓がなく、照明も抑えられていて薄暗い(ジャザラは毒で変色した杯に気づけなかった可能性が高い)
・ジャザラは自分が標的にされていると考えないなかったかもしれない(信頼を寄せる人物と共にいた可能性がある)
・ジャザラは自分の意志で「フォノア」に出向いた可能性が高い
・貴族街では、魔法が使われると検知される仕組みがあり、事件当夜、魔法は検知されなかった
・貴族街を囲む城壁には十一の門がある
・事件発覚直後、貴族街は閉鎖され、門を出入りした人や物は全て記録された
・貴族街の地下には迷宮のように水路が張り巡らされている
・事件当夜、土の刻三に「フォノア」に走って向かう人影が目撃されている(女性の可能性))
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助かる。こうやって整理すると、かなり情報が集まってきてるな。
ジャザラが「自分の意志でフォノアに向かった可能性が高い」ってのがポイントになりそうだ。
犯人がどうやってジャザラをそこに向かわせたのか、何のために呼び出したのかを考えると、犯人の正体や動機が見えてくるかもしれない。
それと、毒が「死に至らしめるのに十分な量」だったのに、ジャザラが昏睡状態で済んでるってのも気になる。
犯人の意図的なミスか、それとも別の要因があったのか……。
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サイモンの指摘に俺の心の中でうなずいた。
なぜ毒の量とジャザラの容態は合致しないのか、ということだ。




