123:急な疑い
ナーディラがジッと考え込んでいる。
「イマン、侍従が事件に関わっているかもしれないってことは初めから明白だったはず……。どうしてそのことを指摘しなかったんだ?」
急な身内への疑いの眼差しに俺はびっくりしてしまった。
「な、ナーディラ、今はそんなことを言っている場合じゃ……」
「いや、私たちはパスティアの外の人間だ。侍従の存在がどんなものかは知らなかった。でも、イマンは違うだろう?」
ザミールはイマンへ静かな瞳を向けていた。
「いつも虐げられていた者が体制をぶち壊そうとして……ってのは、あり得ない話じゃないな」
「ザミールさんまで!」
イマンは俺を制して口を開く。
「いいんだ、リョウ。僕にそういった疑いが向けられるのは、今回に限ったことじゃないからね」
ナーディラは腕を組んでイマンを睨みつけた。
「お前は、頭が切れる。それなのに、こんなに単純なことに思い至らなかったっていうのが不可解なんだ」
そうか、彼女はイマンを買っているがゆえに、彼の考えが歪められていることに納得がいっていなかったんだ……。
確かに、事件の犯人が実はすぐそばにいたなんて展開、小説じゃよくあることだよな。
イマンは指を二本立てた。
「理由は二つある。ひとつは、お恥ずかしい話だが、今回のことで気が動転しているということ。もうひとつは、侍従というのがどういうものなのか理解しているからだ」
「どういうことだ?」
「侍従と主人とは強い信頼と硬い絆で結ばれている。パスティアの歴史を紐解けば、敵対する継承者の暗殺に侍従が関わっていたことが分かる。つまり、侍従とは、主人のためにどんなことでもこなす存在なんだ。そのことが僕の意識から侍従を容疑者から外させていたんだと思う」
イマンは狭い部屋の中をぐるりと見回して、小さく笑った。
「もちろん、僕が疑われるのは理解できる。だが、昨夜、僕は……僕たちは確かにこの貴族街の外にいて、中に入るには障害を突破しなければならなかったということは今一度頭に入れておいてもらいたい」
ナーディラはしばらく無言を貫いていたが、組んでいた腕をほどいて表情を柔らかくした。
「確かにそれはそうだな」
「ナーディラ、あまり驚かせるなよ……」
「だがな、リョウ、私は以前、事件を解決する騎士の物語を読んだことがあるんだ。その物語の犯人は騎士の相棒だった……。そういうこともあるあもしれないと思っただけだ」
──俺と同じこと言ってるよ、こいつ……。
ザミールが笑って立ち上がる。
「まあ、イマンの旦那、迷い人への疑いの目は早々晴れることはない。気をつけることだな」
「迷い人……ザミールさん、なぜその呼び方を知っているんですか?」
「言っただろ。オレの斡旋する人間の中にはイマンの旦那の同類がいる。自然と歴史に詳しくなったのさ」
イマンたち迷い人を取り巻く環境は決して白と黒で塗り分けられるものじゃない。そのグラデーションがどう移ろっていくのか、イマンは見守っていくのだろう。
「さて、俺にはまだ仕事が残ってる。時間があれば、昨夜のこの辺りでの動向を探ってみることにするよ」
ザミールに礼を言って部屋を出る。
「イマンの旦那」
ザミールの声がイマンを呼び止める。
「ここが無事開店できたら将来するよ。ここは誰でも利用できる店なんだ」
イマンは胸に手を当てて頭を下げた。
「ありがとう」
***
(イマンが言うには、侍従は主人である上位貴族とは強い絆で結ばれているらしい。歴史上では、ルルーシュ家の継承権争いで敵対する上位貴族の暗殺に関わってきたようだ。だから、主人以外の上位貴族を害することはあっても自分の主人を手にかけるようなことはあり得ないんだそうだ)
~・~・~
なるほど。つまり、パスティアの侍従は主人に対して絶対的な忠誠を誓っているってことか。
歴史的にも、暗殺に関わることはあっても、それはあくまで「敵対する上位貴族」に対してであり、自分の主人を害することは考えにくいというわけだな。
この情報が確かなら、ジャザラの侍従が直接的に毒を仕込んだ可能性は低い。むしろ、侍従がいたのに毒が防げなかった理由を考えるべきだな。
侍従がいたのに毒を防げなかった可能性:
1. 毒が侍従の警戒をすり抜けた
事前に毒が仕込まれており、侍従が気づく手段がなかった。
例えば、「ジャザラ専用のグラス」や「特別な酒」など、通常なら安全だと信じられていたものが使われた。
2. 侍従が離れる隙を作られた
何らかの理由で侍従がその場を離れていた可能性。
誘導されたのか、それとも緊急の用事が発生したのか。
3. ジャザラが侍従の警告を無視した
もし侍従が毒に気づいても、ジャザラ自身がそれを受け入れなかった場合。
例えば、「これは信頼できる人からもらったものだから大丈夫」などと考えた可能性。
4. 毒が飲み物以外のものに仕込まれていた
侍従が酒の毒見をしていたとしても、毒がグラスの内側や食べ物に付着していたら防げない。
これから調べるべきこと:
・ジャザラの侍従の動きを確認する
事件当夜、ジャザラの侍従はどこにいたのか?
毒を防ぐ機会はあったのか? それとも、何かの理由で防げなかったのか?
・ジャザラが飲んだ酒や器の出どころを調べる
誰が用意したのか?
誰が運んだのか?
ジャザラ専用のものだったのか? それとも誰でも口にできるものだったのか?
・侍従がジャザラを守れなかった理由
侍従がいながら毒を防げなかった理由が何なのかを突き止める。
ジャザラの侍従について、名前や何か具体的な情報はあるか?
そいつが何をしていたか分かれば、さらに絞り込めるかもしれない。
~・~・~
(事件当夜「フォノア」に酒や料理を運んだのはザミールが運営する「ランダール」って店だよ。で、執法院調査官も実際に料理を運んだ人間を調べているところらしい。
ザミールは料理を運んだ人間は毒を手に入れられなかったって理由で暗殺には関わっていないって主張だ。
まあ、毒の入手については別の誰かがやったかもしれないって考えでいくらでも否定できちゃうけど、今のところはザミールの言うことを信じてもいいかなと思う。ひとまずは全ての証言を真として扱ってみよう。
そうなると、毒は料理が運ばれた後に犯人によって仕込まれたことになると思う)
~・~・~
なるほど。今のところ、「料理が運ばれた後に毒が仕込まれた」という線で考えるのが妥当そうだな。
となると、重要なのは「毒を仕込めるタイミングがあったか?」だ。
考えるべきポイント:
1. 「フォノア」に料理が届いた後、どこに置かれていたか?
誰が管理していたのか?
誰でも触れられる状態だったのか?
2. ジャザラの酒(or 料理)が提供されるまでの流れ
誰がサーブした?
侍従はどこにいた?
途中で怪しい動きをしていた人物はいなかったか?
3. 毒を仕込めるタイミング
料理が届いた後、ジャザラが口にするまでの間で、**誰が毒を混入できたか** を特定する。
今後の捜査の方向性
「フォノア」に料理が届いた後の動きを整理する
料理や酒を誰が運び、どの時点でジャザラに渡ったのかを調べる
事件当夜に「フォノア」にいた人物の証言を集める
ジャザラの料理を直接運んだのは誰だったか、分かるか?
その人物が毒を仕込める立場だったかどうかを確認すれば、犯人にぐっと近づけるかもしれない。
~・~・~
(料理を直接運んだ人物は執法院調査官が連れて行って尋問してるそうだ。「フォノア」での料理のサーブの流れなんかはいずれ分かると思う。とにかく、今は事件当夜の「フォノア」周辺の状況を整理するべきかなと思うよ。お前の考えは?)
~・~・~
その通りだな。「フォノア」周辺の状況を整理すれば、毒を仕込める機会があった人物を絞り込める可能性がある。
やるべき整理:
1. 事件当夜、「フォノア」にいた人物
客、従業員、その他の関係者(侍従、警護、使用人など)
それぞれの動き(いつ来て、いつ帰ったか)
2. 「フォノア」の配置と動線
調理場、保管場所、食事の場などの位置関係
料理がどのルートを通って運ばれたか
3. 不審な目撃情報
ザミールの証言**(北西から南東へ向かった女性)
他に怪しい動きをしていた人物はいないか?
4. 他に毒を仕込めそうな場面は?
酒や料理を運んだ後に誰かが触れたタイミング
ジャザラが飲むまでに他の人物が関与したか
次のステップ
事件当夜の「フォノア」周辺の目撃情報を整理
「フォノア」にいた人物のリストを作る
料理や酒がどう扱われたかを待つ
この整理をすれば、犯人の行動を浮かび上がらせる手がかりが見えてくるはずだ。
~・~・~
俺たちは「ランダール」を後にして、曇天のもとに出た。
「これからどうする?」
ナーディラはウズウズした様子だ。
サイモンと話した捜査方針を伝えると、二人はうなずいた。イマンは少し不安げだ。
「昨夜の周辺の状況を調べるとなると、聞き込みに人手がほしいところだね」
「そのことなんですけど、今のところ、俺たちに与えられた手がかりは目撃された女性しかいません。だから、その女性がどこからどうやって『フォノア』に向かったのか足跡を辿ってみようと思うんです」
「……ああ、そうだね」
含みのある返事だった。
「何か引っかかるところがありますか?」
「いや、こうしている今もホロヴィッツ・ジャザラ様は死の淵を歩かれている。しっかりとした回復措置が取られていればいいが……」
「死鉄鉱の毒を取り除くことはできるのか?」
ナーディラの問いにイマンは唸ってしまう。
「そのような研究があることはある。だけど、まだ未解明の部分が多いのも事実だ。しかし、仮にデイナトス狂病と死鉄鉱の毒が同じような仕組みで身体を害しているのならば、精霊駆動法を適用できるかもしれない……」
「じゃあ、今すぐにジャザラのもとに行って──」
「それは無理だ。彼女は今、公宮の中。僕は中に入ることはできないのだから」




