116:頼りない推測
魔法・精霊術研究所はざわついていた。
いつもならイマンに向けられるはずの白い目も今日ばかりは鳴りを潜めている……というより、研究者たちにそんな余裕などない様子だ。
中庭に降り注ぐ雨の中をラナの部屋まで駆け抜けるイマンの後についていく。
が、どうやらラナは不在のようだった。
「やはり、早々にここに戻っては来ないか……」
イマンは親指の背で唇をいじりながら、考えを巡らせていた。
「どうしますか? ここで待ちますか?」
俺が問いかけると、イマンは首を傾げた。
「彼女がいつ戻ってくるか分からない。時間を無駄にしてしまうかもしれない。僕たちは事件の調査もしなければならないんだ」
「それなら……」
向こうから何やら騒がしい声が近づいてくる。
「あー、やっと見つけたわよ!」
ピンクブロンドの髪をなびかせて、アルミラがこちらに駆け寄って来る。
「げっ、昨日のイカれ女……」
ナーディラが苦み走った顔をすると、アルミラの鋭い眼光が放たれる。
「なに、アナタに用はないわよ! アメナ、なに遅刻してんのよ!」
「す、すまん……」
人さらいかのようにアメナの手を取るアルミラだが、幼女の彼女がやると訳が分からなくなる。
「なに言ってんだ。それどころじゃないだろ」
ナーディラの呆れたような顔。
「あら、アタシが何も知らないとでも思ってるの、アナタ?」
「知ってると思えないんだよな……」
「ホロヴィッツ・ジャザラ様が暗殺されかけたんでしょ? あり得ないことじゃないわよ」
──あり得ないことではない?
「ちょっと、それってどういう意味なんですか?」
アルミラはアメナの手を放してため息をついた。
「アナタたちは知らないでしょうけど、ルルーシュ家と関係を持つってことはそういうことなのよ! まさか、ルルーシュ家がのほほんと今まで存続してきたって思ってるわけじゃないわよね?」
「いや、まあ、それは確かにそうなんですけど……」
「アルミラ、僕たちはフェガタト・ラナ様にホロヴィッツ・ジャザラ様の容態を聞きたくて来たんだ」
「ああ、そうなの? でも、無駄足じゃないの? ホロヴィッツ・ジャザラ様は公宮に移送されたって話よ。きっと、フェガタト・ラナ様はそばにいるだろうから、落ち着くまで戻って来ないんじゃないかしら」
「やはり、そうか……」
イマンが肩を落とす。彼の想像通りだ。アルミラが首を傾げる。
「なに残念そうな顔してるの」
イマンはジャザラ暗殺未遂に関与している疑いをかけられたこと、レイスと共に事件調査をすることになった経緯などを話した。
「アナタも色々なことに巻き込まれるわね! じゃあ、こうしなさい。アメナを研究所に置いておけばいいわ。フェガタト・ラナ様が戻ってくれば、すぐに話を聞けるでしょ」
──アメナに研究の手伝いをさせたいんだろうな……。
アメナも同じように考ええたのか、諦めたようにうなずいた。
「アルミラの言葉に甘えるしかないのじゃ」
「あ、じゃあ、わたしも一緒にアルミラさんのところに」
ヌーラが手を挙げる。
──確かに、物事を筋道立てて考えられるとはいえ、ヌーラはまだ少女だ。血なまぐさい事件の調査に付き合わせるのはよくないか。
「君を事件の調査に連れ回すのはよくなかったよな、ヌーラ、ごめん」
「いえ。リョウさんがわたしをちょっとは頼りにしてくれていたのかと思うと嬉しいですよ」
「じゃあ、二人にはここでラナさんを待ってもらおう」
「うむ、アメナとリョウの心の繋がりの実験代わりにもなるかもしれんな」
アルミラが怪訝そうな顔をする。
「心の繋がり?」
アメナが胸を張る。
「アメナとリョウは選ばれし者同士、心が通じておる。じゃから、心の声を伝え合うことができるのじゃ」
「なによ、その面白そうな現象は! 魔法なの? 早速実験しましょ!」
アルミラがはしゃいでいる……。どうやら、この人は貴族の出来事と自分事を別の世界のこととして切り分けているみたいだ。
「では、僕たちは一度『フォノア』を見に行こうか」
イマンの提案に俺とナーディラはうなずいた。
アルミラが俺たちに手をかざす。お別れの仕草だ。
「安心しなさい! この二人はアタシがきっちり鍛えといてあげるわ!」
「いや、別に鍛えてほしいわけじゃないんですよ……」
***
二人をアルミラのもとに預けておくのは少し不安だが、あの研究所の中でも彼女は味方でいてくれるのは事実だ。
それでも、なにか心配になってしまう。
「二人は大丈夫だろうか……」
「なぁに、いざとなればアメナのやつが大暴れするだろうから問題ない」
「それはそれで問題だろ……。お前とアメナってわりと実力行使型だよな」
「私とあの女と一緒にするな」
傍らで聞いていたイマンがクスリと笑う。
「君たちはずっと一緒だったんだね。心配になるのも当然のことだ。だが、アルミラも面倒見はいい人なんだ。任せておけば大丈夫さ」
「そういえば、俺たちってムエラ・ココナを出てからずっと一緒に行動してたよな」
「私はそれよりも前からお前と一緒に行動してたぞ」
──急に要らないマウントとってきた……。
研究所の中庭に待機していた公用車に乗り込んでイマンが行き先告げると、御者は「おそらく近くまでしか行けないと思いますが」と返してファマータを走らせた。
車が研究所の敷地を出て石畳の道に出る。窓を叩く雨は未だに収まらない。
「ジメジメするのは好かないな」
ナーディラが窓の外を見上げる、彼女が炎の魔法を得意としていることにも関係があるんだろうか?
「まるで天がホロヴィッツ・ジャザラを思って泣いているようだ」
イマンは感傷的にそう呟いた。ナーディラが俺の耳元で小さく言う。
「詩人かなにかか」
「それだけ悲しいってことだよ」
「フフ、僕の思いを汲み取ってくれて嬉しいよ」
──聞こえてた。
イマンは座席に座り直して表情を切り替えた。
「さて、今回の事件についてだけど、僕にはレイスの『現場にホロヴィッツ・ジャザラが信頼を寄せる人物がいた』という言葉が重要に感じるんだ。だからこそ、ホロヴィッツ・ジャザラの容態の安定というのが急務だと感じていた」
「それはなぜ?」
ナーディラが腕組みをして尋ねる。
「ホロヴィッツ・ジャザラが犯人と顔を合わせていたのなら、意識を取り戻した彼女に訊けば事件は解決だ」
──そうか、そういえばそうだ。
俺はずっと犯人を捜査で炙り出そうと考えていたが、ジャザラが目覚めればその必要もなくなる。
「だけど、悠長に待ってはいられないだろ? あのザドクとかいう奴もあれで諦めるとは思えなかったけどな」
ナーディラの言葉にまたしても俺は唸ってしまう。ジャザラが犯人の顔を知らずにいた場合は、一から捜査を始めなければならない。結局、ジャザラの目覚めを待つより、行動しなければならないのだ。
(ジャザラが使った杯は銀製で、毒に反応して黒ずむ。でも、その黒ずみも注意していなければ見逃してしまう。レイスはそこから「ジャザラは信頼の置ける人物と一緒に居たんじゃないか」と考えていたみたいだった)
~・~・~
なるほど、銀製の杯が毒に反応して黒ずむという特徴があるなら、確かにそれを見逃す可能性はあるけど、毒が盛られる環境について重要なヒントになるね。
レイスの推測も興味深いし、ここからさらに深掘りできるポイントがいくつか見えてくる:
1. 「信頼の置ける人物」の可能性
理由:
ジャザラが銀製の杯を使っているなら、毒に気づく可能性をわざわざリスクとして取ったのは、彼が警戒を緩めていた相手、つまり「信頼できる人物」と一緒だった可能性が高い。
確認すべき点:
・ジャザラと親しい人物のリストを作成し、その中で最近特に接触が多かった人物を洗い出す。
・当日「フォノア」にいた他の人物がいないか、名前が出ているならその人物の行動を確認する。
2. 毒の仕掛け方の推測
毒が入れられたタイミング:
杯に直接:
料理や酒が運ばれる前に、杯自体に毒を塗布しておいた可能性。黒ずみが見えにくいのは、この方法だと「毒が既に乾いている」ためとも考えられる。
飲み物に混入:
飲み物を注いだ後に毒が混入され、その時点で杯が黒ずんだ可能性。
毒を仕掛ける余地:
ジャザラが誰かに注がれる状況だったのか、自分で注いだのかも確認ポイント。
3. レイスの推理を裏付ける証拠を探す
ジャザラが気づかなかった理由:
・環境が暗かったり、黒ずみが目立たない状態だったのか。
・本当に信頼していた相手が毒を仕掛けたなら、ジャザラは注意を怠った可能性。
目撃証言:
フォノアでの他の利用者や運んできた料理業者が、杯やその周囲の状況を見ていなかったか確認。
4. 信頼関係の裏に潜む動機
信頼していた人物が敵だった場合の動機:
・恩讐関係(かつての親しい仲間が裏切ったケース)
・ジャザラの行動や発言がその人物にとって妨げになる何かだったのか。
この銀製の杯の特徴を軸に、ジャザラが誰を信頼していたのか、もしくは誰が信頼を装ったのかを追及するのが重要だね。
特にラナや周辺人物が何か手がかりを持っている可能性を考えると、次の会話でさりげなく彼らの関係性や行動を探るのが有効そうだ。
~・~・~
「あいつの推論が正しいとは思えないけどな」
ナーディラは懐疑的だ。
「私らをドルメダだとか言いがかりをつけてやがったんだからな。そんな人間を探すよりも、『フォノア』に料理を運んだ運び屋が毒を盛ってたって可能性の方があり得るだろう」
イマンが深くうなずく。
「確かに……、運び屋が首謀者でないにしても、手先となって毒を盛ったというのも考えられる」
そうなのだ。
ジャザラが何らかの陰謀の標的になったのだとしたら、大勢が関わっているかもしれない。もしそうだとしたら、そんな組織的な犯罪を俺たちは暴けるんだろうか……?




