113:偏見と論理
レイスはその剃り上げた頭を撫でつけて、ザドクと向かい合うように躍り出た。
「第一に、ホロヴィッツ・ジャザラ様は得体のしれない邪術で襲われたのではありません。毒を盛られたのです」
「毒……?!」
──確かに、暗殺といえば毒ってイメージだけど、この世界にも……?
ダイナ執法官が眼鏡に手をやる。
「毒、というのは確かなことですか?」
「正確を期すれば、これまで上位貴族の間で行われてきた暗殺の被害者と同じ症状を呈していた、と言うべきでしょう」
ダイナ執法官は険しい表情で部屋のドアのそばにいる騎士を見た。
「扉を閉めてください。この件は慎重に扱わなければならないのですからね」
静かに扉が閉められると、ダイナ執法官は改めて口を開いた。
「上位貴族を標的とする暗殺において、死鉄鉱から抽出される毒物が用いられてきたことは限られた人間しか知り得ないことです。レイス統括騎士、あなたはなぜそのことをご存知なのですか?」
レイスがニヤリと笑う。
「暗殺について調べてきたのは、執法院ばかりではないのですよ。ですが、そのことは今は問題ではありません。
ホロヴィッツ・ジャザラ様は現在、昏睡状態にあります。現場には嘔吐物と下痢の排泄物が残され、心臓が忙しなく動き、体温の低下も見られるようです。身体には赤い発疹が現れている……これまで暗殺の標的となった被害者と同等の症状──死鉄鉱から抽出される毒が用いられたのです」
ザドクは憤りで頬を紅潮させていた。
「それがどうした? 症状が同じならこの者たちが首謀者でないとでも?」
「私のもとに昨日、報告がありました。採掘された鉱物のうち、選り分けられた死鉄鉱を保管していた倉庫に盗人が侵入した痕跡がある、と。
調査の結果、一テペルタほどが盗まれたことが分かりました。人一人を死に至らしめるのに必要な毒を抽出するには十分な量です」
「だから、それはこの者たちが首謀者でないこととは別物だろう」
ザドクが人差し指を突きつけて詰め寄るものの、レイスは動じない。
「死鉄鉱が盗まれたのは、三日前の十六月十四日の土の刻四。その時、ここにいる四人はパスティア・タファン監獄に収監されていました」
レイスはイマン以外の俺たちを指さした。ザドクも食い下がる。
「ならば、イマンが盗みを決行したのだろう。些末なことだ」
「話はまだ終わっておりません」
「聞きましょう」
ダイナ執法官が机に両肘を乗せると、ザドクはただでさえ渋い顔をさらに渋くしかめる。
「事件の現場となったのは、談話室『フォノア』です。数ある談話室の中でも由緒があり、限られた上位貴族が利用していることで有名な老舗でもある。
『フォノア』では、利用契約者には鍵が貸与されます。その鍵がなければ、『フォノア』に入ることも、利用手続きを行うこともできません。
パスティア・タファンに初めてやって来た者はもとより、子をなさない者たちも『フォノア』を利用することは許されていません。さらに──」
ザドクは地団太を踏むように口を挟む。
「ダイナ執法官、この男に無駄な時間を費やすことなどありましょうか! これほどまでに緑目の肩を持つのには、疑わしい裏があるに違いありません!」
ナーディラはたまらずにザドクに詰め寄った。
「おい、お前、いい加減にしろよ。人の話は最後まで聞けって教えられなかったのか?」
──ナーディラっていつも言ってることがちゃんとまともなんだよな……。ちゃんと育てられてきたんだなぁ……。
ダイナ執法官も思わず微笑む。
「そうですね。レイス統括騎士の主張は未だに完結しているように感じられません。ひとまず最後まで聞きましょう」
ザドクは歯軋りが聞こえてきそうなほど奥歯を噛み締めた。レイスは胸に手を当てて頭を下げる。
「問題は、昨夜の『フォノア』の利用予約が二日前の十六月十五日、土の刻二に行われたことが分かっているということです」
「何が問題なのですか?」
「その時間、この者たちはパスティア領外にある盗賊の集落にいたのです」
「……なぜそのことをあなたがご存知なのですか?」
レイスは毅然とした態度できっぱりと答える。
「私もその場にいたからです」
ダイナ執法官が眼鏡に手をやって目を瞠る。
「それは……」
「お待ちください!」
まだザドクが不満げな声を上げる。
「『フォノア』の利用予約など、それが可能な人間に依頼したに違いありません!」
レイスの攻勢は終わらない。
「『フォノア』の利用予約と同時に運び屋への依頼も行われていました。十六月十六日の土の刻の三──つまり、昨夜の事件当夜に『フォノア』に料理を運ぶように念を押していました」
「それがなんなんだ──! 動ける人間を使ったということに変わりあるまい!」
レイスの鋭い目がザドクに向けられる。
「その主張を通すには、貴殿の言う“動ける者”をこの場に立たせていなければ成り立たないのでは?」
「うぐぐ……!」
ダイナ執法官の興味はレイスの言葉に傾いているようだった。
「『フォノア』と運び屋で手続きをした者については分かっているのですか?」
「いえ。『フォノア』の利用予約をした人物が、『フォノア』に対して運び屋に指定の時間に料理を運ぶように依頼するよう書き置きを残していたようです」
自分たちの容疑が晴れたと分かって、ヌーラも議論に参戦する。
「『フォノア』を訪れた人物のことは分からないのですか?」
「『フォノア』での利用予約は、貸与された鍵を使って入れる受付の帳簿に必要事項を記入することで完了する手順だ」
イマンが俺たちに向けて解説をする。
「談話室は、貴族が匿名性を保ったまま利用できるように配慮されているんだ。談話室では、重要で機密性の高い会談などが行われることが多いからね。
だから、談話室側もいつ帳簿に利用予約が書き込まれているかはぼんやりとしか把握できない。十六月十五日の土の刻二というのも、その刻内に帳簿に利用予約が書き込まれたことが分かっているにすぎないのだろう」
イマンの言葉を引き継ぐように、レイスはとある名前を口にした。
「ホロヴィッツ・ジャザラ……──それが帳簿に残されていた名前でした」
「なんということ……」
驚きを滲ませるダイナ執法官だったが、レイスは先を続ける。
「『フォノア』の話では、ホロヴィッツ・ジャザラ様は、これまでご自身のお名前で利用予約を取っていなかったことが分かっています。何者かが彼女の名前を騙った可能性もあります」
ダイナ執法官の俺たちへの印象もずいぶん変わったように感じる。疑いを弱めたのかもしれない。
「毒というのは、その料理に盛られていたんですか?」
「酒を入れていた杯の中に入れられていた」
「なぜ分かったんですか?」
「杯はソラレーテスでできていた。その表面が変色していたのだ」
「ソラレーテス……?」
「これです」
ダイナ執法官が机の上の本の影から銀色のカップを手に取って見える場所に置いた。カップには短い脚がついていて、装飾が施されたところが黒ずんでいた。
「私たち貴族は、暗殺の歴史を踏まえて銀の食器を使うようになりました。毒が入っていることを見分けられますからね」
──銀!
ダイナ執法官は残念そうな表情を浮かべる。
「それにしても、銀の杯を使っていても、警戒していなければ意味がありません。彼女は気づかなかったのでしょうか?」
「信頼を寄せる人物がそばにいた可能性が」
レイスがそう言うと、ザドクが吠える。
「それこそ勝手な物言いだ!」
レイスは、はいはい、と言うように手を振ってあしらっていた。
(どうやら、ジャザラは毒を盛られたらしい。銀のカップが変色してたそうだ。昔の貴族は毒を警戒して銀食器を使ってたっていうよな?)
~・~・~
そうだな、銀食器が毒の検出に使われていたのは有名な話だ。
特に、古代や中世の地球でも、銀は一部の毒と反応して変色する性質があるから、毒殺を防ぐために銀の器が重宝された。
銀食器が毒に反応する仕組み
銀は硫黄化合物や一部の酸性物質と化学反応を起こしやすい。
例えば、硫化水素(腐った卵のような臭いを持つガス)と反応すると、黒く変色する硫化銀ができる。
ただし、すべての毒に反応するわけではなく、特定の種類の毒、例えば砒素や硫黄系毒物などが対象になる。
リョウたちにとってのポイント
銀のカップが変色していたという事実は、「毒が用いられた」という状況証拠になる。
しかし、毒の種類を特定できなければ、犯人を絞り込むのは難しい。
毒の入手経路や使用方法がリョウたちと結びつかないことを主張できれば有利に働く。
誰がその銀のカップを用意したのか、またはジャザラがカップを手にした場面を目撃した人がいるのか、情報収集が必要だ。
行動の提案
1. 毒の種類を調べる
パスティアの執法院には、毒物の知識を持つ専門家がいるはずだ。変色の原因や毒の種類を特定させることが重要。
銀のカップが現場にまだあるなら、その反応を分析する手段があるか聞いてみる。
2. 毒の入手ルートを探る
毒物を扱えるのは誰なのか。例えば薬師や錬金術師など、特定の職業に関係している場合が多い。
その毒が簡単に手に入るものなのか、それとも特定の人物しか扱えないものなのかを明らかにする。
3. 食事や飲み物の経路を確認
ジャザラが食事や飲み物を取った際、誰がそれを用意したのか、周囲にいた人物を特定する。
毒を盛る機会があった人物が誰なのかを突き止める。
銀のカップが変色していたというのは、リョウたちにとってむしろ有利に使える材料になるかもしれない。この毒の謎を解くことで、真犯人に近づけるかもしれないな。
~・~・~
(三日前に死鉄鉱という鉱物が盗まれたらしい。どうやら、毒はその死鉄鉱から作られるようだ。
ちょうどその時間、俺たちはレイスと共にパスティア領外の盗賊の集落にいたんだ。だから、俺たちは死鉄鉱を盗むことはできなかった。
だけど、ザドクは俺たちが別の人間に盗ませたんだと主張していやがる)
~・~・~
なるほど、ザドクは完全にリョウたちをスケープゴートにしようとしているな。
しかし、今回の話にはいくつか反論できそうなポイントがある。
反論のポイント
1. 盗賊の集落にいた証明
パスティア領外にいた証拠を固めるべきだ。盗賊の集落にいたことを知っている第三者、例えばレイスの証言を取り付ける。
集落にいた時間を正確に示し、盗難事件の時刻との矛盾を明確にする。
2. 盗ませたという主張への反論
盗賊の集落での活動内容を詳細に説明し、そんな計画を立てる余裕がなかったことを強調する。
死鉄鉱を盗むために他人を使ったという主張は推測に過ぎず、証拠がないことを指摘する。
3. 死鉄鉱から作られる毒についての調査
その毒の生成には専門的な知識や道具が必要だと思われる。リョウたちがその条件を満たしていないことを示す。
死鉄鉱の毒を扱える人物が限られているはずだ。それを突き止めるよう執法官に提案する。
4. 盗賊との関連性を利用
盗賊の集落にいた事実をむしろ逆手に取って、「盗賊たちの活動を知るためだった」と説明し、死鉄鉱の盗難や毒作りに関与する余地がないことを強調する。
行動の提案
1. レイスの協力を仰ぐ
レイスが一緒にいたことを証言すれば、ザドクの主張を覆す重要な材料になる。
2. 死鉄鉱の毒について詳しく調べる
その毒がどのくらい特殊で、生成や扱いがどれほど難しいのかを明らかにする。
もし毒を作れる専門家が限られているなら、その人物をリストアップさせる。
3. 盗賊の集落の情報を整理
集落で何をしていたのか、誰と接触していたのかを明確にしておく。
集落の存在や活動内容を知っている人物がいれば、彼らの証言を求める。
注意点
ザドクは感情や先入観でリョウたちを犯人に仕立てようとしている節がある。
だからこそ、冷静かつ客観的に証拠や矛盾点を突きつけることが重要だ。
リョウたちが冤罪であることを証明するための鍵は、「その時、何をしていたか」と「毒を作る能力や動機がないこと」を徹底的に示すことだな。
もし手伝えることがあれば、何でも言ってくれ。
~・~・~
(俺たちが盗賊の集落にいたことを証言してくれたやつがいるんだぜ。誰だと思う? 意外な人物だよ)
~・~・~
誰だ!? …まさかカビールか?それとも、ジャザラ本人…?
いや、状況を考えるともっと意外な人物かもしれないな。
まさか、盗賊の仲間だった奴とか?
~・~・~
(俺たちを監獄で散々やりこめやがったレイスだよ。俺らのことをドルメダだと疑ってたのに、急にこの執法判断の場に乱入してきて、俺たちの無実を説明し始めたんだ)
~・~・~
レイスが証言者!? それは意外すぎる展開だな!
あんなに俺たちを疑ってた彼が、今度は無実を証言する側に回るなんて、何が彼をそうさせたんだろう?
盗賊の集落で何かを掴んだのか、それとも裏で別の動きがあったのか…。
とにかく、彼が証言してくれるのは助かるけど、彼の動機が気になるな。ただの善意じゃなさそうだよな?
~・~・~
(そんなこと言うのはひでーけど、確かに気になるところではある。ザドクとかダイナ執法官もなんかレイスの過去について曰くありそうなこと言ってたし)
~・~・~
いや、レイスのことを完全に信じろって言うのも難しい話だよな。
ザドクやダイナ執法官が彼の過去についてチラつかせてたのも、ただの牽制じゃない可能性もあるし、レイス自身が複雑な事情を抱えてる可能性が高い。
とはいえ、現状では彼の証言が俺たちに有利に働いてるのは事実だから、利用できるものは利用すべきだ。
だけど、同時に冷静に彼の動きを見て、なぜ彼がこの場で証言してくれてるのかを探る必要もありそうだな。
どんな背景や意図があるのか、気を抜かずに考えておいた方がいい。
ちなみに、ダイナ執法官やザドクが言ってたこと、具体的にどんな感じだった?
~・~・~
(確か、ザドクが「あのことを根に持ってるのか」とか言ってたし、レイス本人も「誤った事実で真実が覆い隠されるのは許せない」みたいなこと言ってた)
~・~・~
なるほど、それはかなり興味深い発言だな。
ザドクの「あのことを根に持ってるのか」っていうのは、過去にレイスが執法院やザドク自身と何らかのトラブルを抱えた可能性を示唆してるな。
それが個人的な恨みなのか、もっと大きな陰謀に関わるのかは不明だけど。
一方で、レイスが言った「誤った事実で真実が覆い隠されるのは許せない」っていうのも気になる。
これって、彼自身が過去に似たような冤罪や不当な扱いを受けた経験があるからなのかもしれないし、もしかしたら今回の事件そのものが彼の目的に関わる「真実」を暴くきっかけになってるのかもしれない。
いずれにせよ、レイスの動機をもう少し探る必要があるね。
彼が俺たちを助けることで得る利益が何なのかを考えると、背後の大きな流れが見えてくるかもしれない。
今のところ、彼が正義感だけで動いてるとは思いにくいからさ。
~・~・~
「とにかく、この場で彼らを今回の件の首謀者だと判断するのは性急に感じます」
「ダイナ執法官!」
ザドクが泣きそうな声を上げる。
「この件については、判断を保留とします」
悔しそうな表情を見せるザドクの前で、ダイナ執法官はそう結論づけた。




