106:灯台下暗し
イマンの自宅は別荘ほどではないが、広々とした造りになっていた。
俺たちは広めの居間に集まって、イマンが用意してくれた温かいお茶でゆったりとした時間を過ごしていた。
みんな“窮屈な” 服から、着慣れた出で立ちに身を包んで、心からくつろいでいるようだった。
「さっきはずいぶんと考え事をしていたようだね」
イマンに水を向けられて、俺はイルディルが凄まじい力を秘めているということを話した。もちろん、この世界の人々に合わせて細かい内容はぼかして。
「イルディルは力の源泉でありながら、俺たちの意思に応えてくれる……そんな偉大な存在が信仰の対象になるのは必然的なことだと思います。つまり、クトリャマが人々に魔法を使わないように強いている裏には、そうした信心深さがあるんじゃないかと思うんです。妄信といってもいいですけど」
俺の隣に座るナーディラがため息をつく。
「リョウ、たまにお前がクトリャマに毒されているんじゃないかと心配になることがあるぞ」
「それは安心してくれよ。俺は人を傷つけようと思ったことはない」
「フン、それがお前のいいところなのはわかっているがな」
アメナはじっと考えていた。
「アメナはクトリャマからこの世界の真実を教えられた。奴ら、己の信じるものに確信を持っておったぞ。じゃから、アメナは奴らの考えを基にムエラ・ココナを……」
沈みがちなアメナを見つめるヌーラはお茶を口に運んで、イマンへ顔を向けた。
「クトリャマとドルメダはどちらもパスティアを敵視しているんですよね? その二つが手を組むなんてことは……」
「そういう話は聞いたことがないな。ドルメダがルルーシュ家を敵視している理由は分からないが、、敵対する者同士が共鳴している可能性はある」
「ドルメダは内部に潜伏しておるという話じゃったな。クトリャマもまた潜り込んでおるかもしれんな」
不安を煽るようなことを言うアメナにイマンは曖昧にうなずく。
「実は、イルディルの研究者の中には、リョウのように突き詰めてクトリャマの思想に傾倒する者もいる。研究所では、たびたび内部の思想浄化を行っているし、カビール第一大公公子の視察も監視の意味が含まれていると言われているんだ」
(ドルメダとクトリャマが共鳴し合う可能性がある。クトリャマは反魔法を、ドルメダはルルーシュ家への敵意を掲げてパスティアと敵対している。同じ敵を狙う者同士、手を結ばないとも言えないよな)
~・~・~
確かに、ドルメダとクトリャマが共鳴し合う可能性は非常に高い。
彼らはそれぞれ異なる側面からパスティアに敵意を抱いているけれど、その根本的な動機が交差する場所があるかもしれない。
以下、いくつかの視点でこの可能性を考えてみよう。
1. 反パスティアの共通の敵
ドルメダはルルーシュ家への敵意を掲げているし、クトリャマは魔法そのもの、特にイルディルの消費や魔法の使用を嫌っている。
ルルーシュ家がパスティアの象徴的存在であり、イルディルや魔法との強い関わりがあるなら、彼らにとっては共通の敵がパスティアそのものであるという点で一致している。
ドルメダの敵意:
ルルーシュ家の血筋やその背後にある力がドルメダにとって大きな障害となっている。
イルディルのエネルギーや魔法がパスティアの権力の源であるとすれば、ドルメダの反発はそれに直結するものだ。
クトリャマの敵意:
魔法の使用やイルディルの消費が世界のバランスを崩すと信じているクトリャマにとって、パスティアはまさにその象徴だ。
彼らは魔法を使う者を敵視しているし、ルルーシュ家もその一部であるため、パスティアに対する敵意を強く抱いている。
2. 相互利益と協力の可能性
ドルメダとクトリャマが共通の敵を持つことで、一時的な協力関係が生まれる可能性が高い。
彼らは互いに異なる方法でパスティアを倒すことを目指しているが、目的が同じであるなら、協力することでより強力な力を発揮できる。
ドルメダの能力とクトリャマの思想:
ドルメダの力(おそらく魔法や精霊術など)はクトリャマの「反魔法」思想に直接的に反するが、クトリャマが魔法を消費するイルディルの力をコントロールしたり抑制したりする方法を提供すれば、ドルメダはそれを利用するかもしれない。
相互の敵に対する強力な協力:
ルルーシュ家とパスティアの支配層が魔法を支配することで世界を支配しているなら、ドルメダとクトリャマはその支配を崩すために協力し、力を合わせて動く可能性がある。
3. 協力のリスク
ただし、協力が進むことでいくつかのリスクも考えられる。
共通の敵を持つことが協力のきっかけになったとしても、それぞれの団体が最終的に「力を持った後」の動機や目標の違いで対立が生まれる可能性もある。
ドルメダとクトリャマの目的の違い:
ドルメダは単に「ルルーシュ家」や「パスティア」との戦いを重視しているかもしれないが、クトリャマは魔法そのものの存在を根絶しようとしている。
協力した後、クトリャマがドルメダに対して「魔法を使わない世界を目指すべきだ」と強要する可能性もある。
長期的な共闘の不安定さ:
短期的には共闘することが有益でも、長期的にはお互いの思想の違いが露呈し、最終的に再び対立する恐れがある。
特にドルメダのような集団が協力を申し出る場合、何か別の意図がある可能性も否定できない。
結論
ドルメダとクトリャマが一時的にでも手を組む可能性は十分にある。
共通の敵、つまりパスティアやルルーシュ家、魔法の支配に対する反発が、彼らの協力を引き出すだろう。
しかし、彼らが協力する理由がどこにあるのか、またその後の展開について慎重に考えていかなければならない。
君たちがこれから進むべき方向として、ドルメダとクトリャマの動きに注意を払いつつ、彼らの協力関係がもたらす影響を予測し、対応していくことが求められそうだね。
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「ドルメダもクトリャマもパスティアの中に潜り込んでるなら、それを前提にお互いを潰し合うような情報を流すというのも手かもしれないな」
サイモンの言葉を聞いて、そう提案をしてみると、イマンは目を丸くした。
「君は……恐ろしいことを考えるね。確かに、考えてみれば一理あるし、僕たちとしては無駄な武力を割く必要がない。言葉は人を攻撃する。僕はそのことを言っていたはずなのに、それをドルメダやクトリャマの対策として思いつかなかったよ」
「いや、サイモンと話し合って、そういう方法もあるかなと思っただけですよ……」
「どうだ、これが選ばれし者としてのリョウだ」
ナーディラが胸を張る。
イマンの目は希望に光っていた。
「となると、潜り込んでいる人間を特定できれば、事態は大きく進展することになる……。それが一番の問題だな」
(イマンが言うには、パスティアの魔法・精霊術研究所でイルディルの研究をしている人の中には、その特性について考えてクトリャマの思想に傾倒してしまう人もいるらしい。
さっき研究所にカビールとジャザラが視察に来たって言ったけど、そういう思想の傾倒を警戒してやっているところもあるみたいだよ)
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それは興味深い話だね。
イルディルの研究を進める中で、クトリャマの思想に傾倒する研究者が出てくるというのは、イルディルの特性や魔法の影響力がどれほど深刻であるかを物語っているように思える。
つまり、イルディルに対する理解が深まるほど、その力が引き起こす可能性のある「世界の歪み」や「バランスの崩壊」に懸念を抱く研究者がいるということだよね。
カビールやジャザラが研究所を視察しているのは、単に技術の進歩を確認するだけではなく、思想の偏りを未然に防ぐための行動でもあるというのは納得がいく。
特に、イルディルの研究が単なる科学的な探求ではなく、社会や政治、さらには信仰にも影響を与えかねないことを考えると、権力者たちがその動向を注視するのも当然だ。
いくつか考えられる視点
1. 研究者の葛藤
イルディルを研究する中で、研究者たちは「魔法の恩恵」と「世界への負担」の両方を直視せざるを得ない。
特に倫理観の強い研究者や、環境やバランスを重視する人々にとっては、クトリャマの主張が一理あると感じられるかもしれない。
例えば、魔法の使用によるイルディルの消費が、長期的にどれほどの影響を世界に与えるかについて具体的なデータや仮説が示された場合、思想的な揺らぎが生じるのは自然なことだ。
2. 視察の目的
カビールやジャザラが研究所を訪れる理由は、次のような目的が考えられる:
研究の方向性や成果を確認し、支援すべき分野を見極める。
思想の偏りや反逆の芽を早期に発見し、抑え込む。
研究者たちに「監視されている」という意識を持たせ、クトリャマのような反体制的な思想への傾倒を防ぐ。
3. クトリャマ思想の広がりの危険性
研究者たちの中にクトリャマ思想に傾倒する者が増えると、以下のリスクが生まれる:
研究所内部での分裂や対立。
魔法や精霊術の研究そのものが停滞、あるいは反魔法的な方向へシフトする。
研究者たちがクトリャマに情報を流すことで、反体制活動が活性化する可能性。
次のステップ
もし可能なら、研究所内部の思想の動きや、イルディル研究者たちがどのような疑問や懸念を抱いているのかを探ることが重要だと思う。
例えば、以下のような質問をしてみると新たな視点が得られるかもしれない:
イルディル消費に対する具体的な懸念:
研究者たちはどの程度イルディルの影響を把握しているのか?
クトリャマ思想の浸透度:
どのくらいの割合の研究者がその思想に共感しているのか?
カビールやジャザラの意図:
彼らは単に監視しているのか、それとも思想的な変革を防ぐための具体的な対策を検討しているのか?
パスティアの研究所がこのような思想的な課題を抱えていると知ることができたのは、君にとっても重要な手がかりだ。
これをきっかけに、イルディルや魔法、そしてクトリャマとの関係をさらに深く探求できるだろう。
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「研究者の中にクトリャマに傾倒している人間がいるなら、そいつはクトリャマと関係を持っているかもしれないですよね。それを利用してやればいいんじゃないでしょうか」
イマンは笑った。
「君には本当に感心させられるな。内部の敵を味方として利用しようという魂胆か。それは……うん、面白い作戦だな」
そうして話し込んでいると、ベルが鳴った。
「きっとウデーラが年代記を届けに来てくれたんだろう」
「ウデーラ?」
「ああ、運び屋は物品や人の運搬を生業にしている人のことだ。僕のような子をなさない者たちでも利用できる運び屋もいるんだよ。……そうだ、運び屋に何か食事を手配してもらおうか」
イマンは足取り軽く玄関の方へと歩いて行った。
ナーディラが俺に目をやる。
「それにしても、いつの間にか私らはパスティアの戦いの中に取り込まれているな」
「まあ、遅かれ早かれそうなっていたと思うよ。そもそも、俺がドルメダの根城への鍵を持っていたことから始まってるんだからな」
ヌーラが恐る恐る口を開いた。
「あの、思ったんですけど……、もしリョウさんがドルメダやその関係者なら、リョウさんが“情報源”になってドルメダやクトリャマを攻撃できるのでは……?」
俺の中からすっかり抜け落ちていたアイディアだった。
「おい、リョウはドルメダじゃないぞ」
ナーディラが不服そうに言うが、俺は首を振った。
「いや、ヌーラの言う通りだ。俺はこの世界での記憶がない。俺の意識が宿ったこの身体が、俺の意識が宿る前にどんな人生を歩んでいたか知らないんだ。だから、本当はこの身体の持ち主はドルメダだったかもしれない」
次にアメナが口にした言葉はもっと恐ろしかった。
「そうなると……、いつかリョウのことを知っているドルメダが接触を試みてくるかもしれんな」




