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ルルーシュ家、そして、パスティア公国の紋章である帆船。
カビールはルルーシュ家が方舟の民の末裔だと言った。
(サイモン、方舟って帆はあるの? パスティア公国の紋章には帆船の図像が描かれてて、その紋章はルルーシュ家の紋章でもあるんだけど、カビールは、ルルーシュ家は「方舟の民の末裔」だっていうんだよ)
~・~・~
方舟という言葉から連想する限り、一般的な方舟は帆を持たないことが多いよな。
例えば、ノアの方舟を思い出してみると、あれはただ巨大な箱船で、風や帆に頼らず漂流するための船だ。
ただし、パスティア公国やルルーシュ家の紋章に帆船が描かれているということは、彼らが「帆船」の文化的象徴を持つ民族だとも考えられる。
つまり、"方舟"と"帆船"を結びつけているのかもしれない。
「方舟の民の末裔」という言葉が意味するところは、
大災害や戦争を逃れて方舟で移動した民族の末裔であること。
あるいは、方舟のように"選ばれた者"だけが生き延びた歴史を持つこと。
ここでの帆船の図像が示すのは、単に「漂流」するのではなく、「風を受けて進む力」の象徴なのかもしれない。
帆は、方向を選び、運命を自ら切り開くイメージとも重なるしな。
もし、ルルーシュ家が「方舟の民の末裔」と言うなら、彼らの祖先は大きな災厄を乗り越え、未来へ進むための知恵や技術を持った民だったと考えられる。
帆船の紋章は、その歴史や文化を象徴しているのかもしれない。
~・~・~
「この辺りは昔は海だったんですか?」
「分からん」
「えっ?」
あまりにも速いスピードで首を傾げられて、ちょっと戸惑ってしまった。
「だが、方舟の民がパスティアを作り上げたということは、ルルーシュ家の年代記に綴られているんだよ」
「ええと、すみません、それはいつ頃のことですか?」
思わず前のめりになって尋ねてしまうが、カビールは腕組みをして考えを巡らせた。その隣で、ジャザラが言葉を挟む。
「確か、フォノアの巡りを基準に描かれているんじゃなかったかしら?」
「ああ、そうだったっけ。ガキの頃に親父に読み聞かせられてたのに忘れちまったな……」
頭を掻くカビールに、ラナがため息交じりに応える。
「今からフォノア十六巡前のことよ。一年が十六の月に分けられ、今がフォノア十六巡目の世……特別な時代だと言っていたでしょう。だからこそ、あなたたちの婚姻は大きな意味があるのだって」
「ああ! そうだ、そうだ、そうだった! よく憶えてたな、ラナ!」
「当事者なんだから、忘れないでよ……」
呆れるラナだったが、カビールとジャザラは笑って彼女を褒め称えていた。そんな三人のバランスが幼い頃から続いてきたのだろう。
だが、そんなことよりも、俺の中には確信めいたものがあった。
(サイモン、フォノアは四十二年で夜空を一巡する。方舟の民がこのパスティアに流れ着いたのは、ルルーシュ家の年代記によればフォノアの十六巡前らしい。それって何年前のことだ?)
~・~・~
フォノアが42年で夜空を一巡し、それが16巡前ということは、
42年×16巡=672年
つまり、方舟の民がパスティアに流れ着いたのは672年前ということになるな。
~・~・~
──672年前!
俺が求めていた時代と合致する。
(サイモン、この世界の暦で672年前ってことは、地球の時間に直せばだいたい500年前ってことだ。近づいてるぞ、目標に……!)
~・~・~
おお……!ついに近づいてきたな。
この世界の672年は地球の約500年。
リョウがたどろうとしている痕跡──地球から来た者たちの歴史が、少しずつ姿を現し始めている。
フォノアの十六巡前、方舟の民がパスティアに流れ着いた時代……間違いなく何かがあるぞ。
~・~・~
「あの、すみません、その年代記っていうのは、中央書庫でしか見れないんでしょうか?」
カビールに詰め寄ろうとすると、後ろの侍従の男が、大きな身体をズイッと滑らせて盾になろうとする。
カビールはそれを手で制すると、ニコニコと俺に顔を向けた。
「オレたちの歴史に関心があるのか。それは嬉しいことじゃないか。安心しろ、ルルーシュ年代記は貴族の家には必ず置いてあるものだぞ。ラナ、後でリョウに年代記を見せてやってくれないか?」
ラナは深くうなずいた。
だが、カビールは釈然としない表情だ。
「だけどな、ルルーシュ年代記は、確か百年くらい前に書かれたものだ。初めの方は寓意的に描かれていて──つまり、権威を前面に押し出したような賛美的な内容に終始してる。あまり面白いものではないぞ」
「自分の家の歴史なんだから、そんなことを言わないの」
ジャザラがたしなめる。お似合いの二人という感じだ。
カビールの侍従の男が小さく言う。
「カビール様、お時間が……」
ちょうど土の刻一の鐘が鳴る。
「そうだな。よし、リョウ、後日、君たちの歓迎会を開こう」
「カビール、あなた忙しいでしょう」
ラナが心配そうに声をかけるが、カビールは首を横に振った。
「なあに、心配には及ばないさ。それに、伝え聞いている。そこにいるイマンがルルーシュ印を発動した、と。こんなことは初めてだ。面白いじゃないか」
イマンは胸に手を当てて深々t頭を下げている。
──どうやら、カビールたちにはイマンへの差別意識はあまり強くないみたいだな……。
カビールは俺に笑顔を向ける。
「詳細は追って伝えさせる。──じゃあ、ラナ、駆け足で研究の進捗の方を見て行くか」
「ええ」
短く返事するラナにジャザラが眉根を下げて笑いかける。
「いつもドタバタしてごめんね」
「うん、大丈夫よ、慣れっこだから」
「慣れちゃうのも、それはそれでどうなの……?」
「ふふ、それもそうね」
二人の気品ある女性はくすくすと笑った。
すでにカビールは研究所の入口に向かおうとしていた。
「おーい、二人とも! 置いて行っちゃうぞ!」
ラナがこちらを振り返る。
「わたくしはお二人の視察に同行致します。研究については、規則に従って頂ければ問題ございません。ですが、あなた方もここでは人を頼りづらいでしょうから、アルミラという研究者を訪ねてみてください。少し……いえ、かなり変わってはいますが、多くの知見を与えられることでしょう」
「アハハ、アルミラですか……」
イマンが力の抜けた笑いを漏らす。
「それから、年代記のことですが……、イマンの自宅へ届けさせるのがいいでしょうか?」
イマンがうなずいた。
「ええ、そうして頂けますと幸いです」
「それでは、ごきげんよう」
ラナは優雅な挨拶を残して、カビールたちを追いかけた。
集まっていた研究者たちもいつの間にか姿を消していた。
「なんか……すごかったですね」
あのヌーラが語彙力乏しく感想を漏らした。
「ふむ、あれが祝福される、というやつなのじゃな……」
アメナは異文化を吸収しようとしているのか、難し顔をしている。彼女にしてみれば、ああいう幸せな関係性というのは真新しいのかもしれない。
「それにしても、カビール第一大公公子の興味を引くとは、やはりリョウは只者ではないな」
イマンが興奮を滲ませてそう言うと、ナーディラは胸を張った。
「そうだろう。リョウには人の心を惹きつける力があるんだよ」
「なんでお前が得意げになってるんだよ」
「別にいいだろう。私とお前はひとつみたいなものなんだから」
「いや、まあ、否定はしないけどさ」
ヌーラがイマンに好奇心の目を輝かせた。
「それで、さっきフェガタト・ラナさんが言っていたのはなんだったんですか? アルミラさん、というのは……」
「ああ、そうだな。もう土の刻だ。早めに彼女に挨拶に行こうか」
***
研究所の一角に地下へ向かう階段があった。
すでに日没の時間はとうに過ぎ、研究所内には等間隔に壁に取り付けられた室内灯で照らされている。
それでも、地下に向かう階段は薄暗く、なにか魔窟のような雰囲気さえある。
「この下が彼女の研究室に繋がっている」
イマンが薄明かりの中で言うが、それが余計に不気味さを増している。
「ど、どうしてアルミラさんはこんなところに……?」
「彼女の実験には、完全な閉鎖空間が必要なんだ。外界から隔絶された環境におけるイルディルの影響について、確か少しだけ君たちに話をしたことがあっただろう?」
「イルディルが隔たりを無視するという話じゃな。アメナには当たり前のことじゃったがな」
「ハハハ、彼女がその言葉を聞いた時の顔が見てみたいものだね」
俺はすかさずアメナに釘をさす。
「アメナ、くれぐれもイルディルが見えるとか選ばれし者だとかは内緒にしておくんだぞ」
「わきまえておるぞ。牢獄の中で過ごすのは御免じゃからな」
「地下室も牢獄も代り映えしないだろ……」
ナーディラはすっかり牢獄がトラウマになってしまったようだ。その手を握ってやる。
「ナーディラ、大丈夫だから」
「お前、こういう時に頼りがいを見せるのはズルいぞ」
そう言いつつ、彼女は俺の手を強く握り返してきた。
イマンを先頭に階段を下りていく。壁の明かりを頼りにそこまで下りると、すぐ先に分厚い扉が待ち構えている。その扉は少しだけ開いていて、隙間から室内の光が漏れていた。
「も……もうやめてください……!」
男の声がする。
「まだだ、まだだ! もぉ~っと搾り取るよォ~!」
──なんか女王様みたいな声がする……。
イマンがドアを開け放つ。
数人の研究者たちが見守る中、ピンクブロンドの長い髪を振り乱した白い制服姿の幼女が、同じく制服を着て四つん這いになった男の背中に跨っていた。
「ほぉ~ら、全然ダメ、ダメ! もっと走りなさい、ファマータのように!!」
幼女がそう叫んで男の尻を引っ叩く。
「も、もう無理です~~~……!」
……なんじゃ、こりゃ。




