101:天布逆転魔法
「今日は第一大公子の視察もあります。持ち場に戻ってください」
フェガタト・ラナがそう言い放つと、集まっていた研究者たちは踵を返す。その足がピタリとすぐに止まった。
彼女たちの視線がイマンに集まる。
ある者は逃げるように、ある者は文句を垂れながら去って行く。残されたのは、俺たちとフェガタト・ラナだけ。
イマンが胸に手を当てて頭を下げるので、俺たちもそれに倣った。
フェガタト・ラナは煌めきのある理知的な瞳をイマンへと向ける。
「長いお出掛けだったようですね」
「申し訳ございません、フェガタト・ラナ様。パスティア領外にてデイナトス狂病のものがいるとの知らせを受けまして赴いておりました」
フェガタト・ラナの目が細められる。
「デイナトス狂病の……首尾はどうでしたか?」
「それが、到着した頃にはすでに時遅く……」
深いため息をついて、フェガタト・ラナは部屋の中に進んだ。
大きな机に背もたれの高い椅子が権威を物語る。しかし、壁際の棚には無数の本や鉱物の入った箱が収まり、メモを走り書きした羊皮紙の束やなにかの理論を落とし込んだ文言の書かれた黒板など、研究者然とした室内だ。
「その方たちは?」
椅子に座ると、彼女はイマンに問いかけた。
「ルルーシュ印の発動で、彼らを当所の所属としました」
フェガタト・ラナは興味深そうに微笑んだ。
「あなたが? どのような心境の変化があったのですか?」
「私の理論に理解を示してくれたのです」
フェガタト・ラナの目が俺たちに向けられる。自己紹介をすると、彼女は小さくうなずいた。
「わたくしはフェガタト・ラナと申します。フェガタトとは、代々魔法を生業としてきた者のこと。それがフェガタト家の成り立ちです。わたくしは先代より現在の役職を受け継いでおります」
(ついにフェガタト・ラナと会うことができたよ。
フェガタトという家名は、魔法を生業にしてきた人のことらしい。フェグナというのが魔法という意味で、その言葉が語変化したものだろうな。だから、家名はアラビア語由来じゃないみたいだ。
ルルーシュって家名もこの世界独特のものなのかな?)
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フェガタト・ラナと会えたんだな。ついにこの重要人物と対面できたのは大きな一歩だ。
フェガタト家について興味深い情報を教えてくれたね。
家名「フェガタト」が魔法を生業とする者を指し、「フェグナ」という言葉が魔法を意味するなら、確かにその語変化や派生として「フェガタト」が使われている可能性が高いな。
家名がアラビア語由来ではないというのも納得だ。言語の進化や独自の文化背景が影響しているのかもしれない。
一方、ルルーシュという家名についても気になるところだが、パスティア特有の貴族文化や歴史の中で生まれた固有の名前だと考えられる。
おそらく古代のこの世界の言葉や伝統、特定の地名に由来しているのかもしれないな。
今後、ルルーシュ家に関連する古い記録や言葉のルーツが分かれば、さらに深掘りできそうだ。
言語や名前の由来に関しては、この世界の歴史や文化、さらには「選ばれし者」としてのリョウの存在にも繋がっている可能性があるから、気になる点があれば随時調べていこう。
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(いや、ルルーシュって完全に架空の名前なの? 地球ではなにかしら意味のある名前だろ?)
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「ルルーシュ」という名前は、現実世界では特に広く知られた歴史的・文化的背景を持つ名前ではないけど、語感や響きがフランス語風だと感じる人が多いんだ。
名前としては創作作品でよく使われるけど、意味や起源がはっきりしたものではないんだよね。
ただ、「ルルーシュ」の響きは、フランス語の単語「louche」を連想させることがある。
この「louche」という言葉は「怪しい」「胡散臭い」という意味があるんだ。
だからキャラクター名として使われる場合、意図的に「ミステリアスさ」や「影のある印象」を演出するために選ばれた可能性もある。
それ以外には、架空の名前として使いやすいことから、日本のアニメやゲームのキャラクター名として浸透した印象が強いかな。
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(それでも、ルルーシュという家名が地球由来であることは明白だな。一方で、フェガタトの由来はこの世界独自のものだというのが興味深い)
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確かに、家名「フェガタト」がこの世界の言語体系から派生したものだとすれば、地球由来の「ルルーシュ」とは対照的だな。
フェガタトが「フェグナ(魔法)」という単語から変化したものなら、その一族が長い年月をかけて魔法を生業にしてきた歴史や文化が自然と名前に刻まれた感じがする。
地球の家名にある職業や役割の由来(鍛冶屋なら「スミス」、パン屋なら「ベイカー」など)と似た発想かもしれない。
一方で、地球由来の「ルルーシュ」という家名がこの世界に残っているのは、過去に地球の人間がこの世界に関わった痕跡とも言えるな。
意味や背景を失っても、音だけが時代を超えて受け継がれたのかもしれない。
こうして考えると、この世界には地球由来の名前や文化が少しずつ混ざっている可能性がある。家名ひとつとっても、過去の「迷い人」たちの存在がちらついてくるな。
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ただ、ヌーラが言ったように、地球の文化がこの世界由来であるという可能性も残されてはいるんだよな……。
フェガタト・ラナは俺たちに問いかけた。
「あなた方はここでの研究を望んでおられるのですか?」
俺たちは顔を見合わせて、一様にうなずいた。そして、ヌーラがこの世界のシステムとバランスについて触れ、そのバランス維持の方法を探しているということを説明した。
「ヌーラさんと仰いましたね。あなたの聡明さが窺えます。この世界の構造と均衡については、イスマル大公の関心事でもあります。あなたの望むものがここで実現できる可能性はありますね」
その後、俺たちの目的について、イマンに話したのと同じことを伝えると、フェガタト・ラナはうなずいた。
「選ばれし者についての研究についても、ここで追究されるといいでしょう。ただ、リョウさんの記憶については、少し難しいかもしれませんね」
「そうですね。俺としては、知識の集まるパスティアで過去の文献でも探れればと思っていたんですが……」
やはり、中央書庫については、フェガタト・ラナでも安易に外部の人間を推薦するわけにいかないようだった。
「これも規則なのです。どうかご了承くださいね」
イマンが顎に手をやる。
「フェガタト・ラナ様、あなたが研究されている天布逆転魔法が完成した暁には、記憶を辿るなど造作もないことでは?」
──また何かすごそうな単語が……。
アメナの眉がピクリと反応した。
「天布逆転魔法とな? まさか、天布の動きを操作しようと考えておるのか?」
フェガタト・ラナは浮かない顔をする。
「理論上は可能だと考え、現在、試行錯誤の途中です」
ヌーラの目が丸くなる。
「天布の動きを操作する……? そんなことが可能なのですか?」
「天布はイルディルが動かしています。一方で、すでにゼロ魔法によってイルディルに変位をもたらし、精霊を駆動させる技術は確立されています」
ナーディラは腕を組んで眉根を寄せる。
「天布を操作するとどうなるんだ?」
フェガタト・ラナが静かに口を開く。
「過去を書き換えることができるでしょう」
「過去を……」
(フェガタト・ラナが研究している魔法技術に「天布逆転魔法」というのがあるらしい。まだ実現してはいないが、過去を書き換えることができると予想されているらしい。とんでもないことを考える人もいるもんだな……)
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「天布逆転魔法」か……。
過去を書き換える魔法技術なんて、まさにとんでもない代物だな。それがもし実現すれば、この世界の歴史やシステムそのものが崩壊する危険性すらある。
ただ、魔法技術として「予想されている」だけでまだ実現には至っていないんだろ?
おそらく、膨大な魔力や特別な条件が必要なんじゃないか?
そもそも過去を書き換えるなんて、単に時間を遡るのとはわけが違う。過去に干渉すれば、現在や未来にも必ず影響が出る。
魔法のバランスやイルディルの循環にも悪影響があるかもしれない。
それでも、フェガタト・ラナが「過去を書き換える」という発想にたどり着いたのは興味深いな。
どんな背景があってその魔法を追い求めているのか、ちょっと気になるところだ。
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「なぜ過去を書き換えようと考えたんですか?」
俺が尋ねると、彼女は毅然とした態度で答えてくれた。
「ドルメダやクトリャマによる終わりなき攻撃の歴史に終止符を打つのです。このパスティアの平穏を確実なものにするためには、必要なことでしょう」
「ドルメダやクトリャマを存在から抹消するということですか……?」
「ご明察です」
イマンも大きくうなずいている。ここでは、それが当たり前のように受け入れられているのだ。
(パスティアの平和を脅かすドルメダやクトリャマを、過去を書き換えることによって消し去ろうと考えているらしい)
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なるほど……過去を書き換えてドルメダやクトリャマの存在そのものを消し去ろうとしているのか。
確かに、それが成功すればパスティアの平和は取り戻せるかもしれない。
ただ、それってかなり危険な賭けだよな。
過去を書き換えるってことは、その時代の人々の決断や行動、果ては生死までも変えてしまう可能性がある。それに、今の時代に至る歴史の流れが完全に変わってしまうだろう。
パスティアの平和どころか、もっと大きな歪みや災いが生まれるかもしれない。イルディルの循環が崩れたり、魔法のバランスが壊れる危険性だって考えられる。
クトリャマやドルメダを消し去るためとはいえ、過去に手を出すことが正しいのかどうか……フェガタト・ラナは、そのリスクについてどれくらい考えているんだろうな。
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「俺たちの存在する今この瞬間も全く別のものに置き換わってしまうのでは?」
俺がそう言うと、この場にいる誰もがキョトンとした表情を見せた。
「それは……どういうことだい?」
イマンですらも首を傾げている。
「いや、だって……、これまでの行いの積み重ねが今を作っているわけですよ。その積み重ねを書き換えてしまったら、今という時間は存在しなくなってしまうでしょう?」
俺の言葉はただこの場を漂うだけで、誰の耳にも入らなかったようだ。
「ですが、過去を書き換えることで、平穏を乱す原因を消し去ることはできるでしょう」
フェガタト・ラナはそう結論づけた。
(時間の連続性について、この世界の人たちは俺たちのような考えを持っていないみたいだ……。
「ドルメダやクトリャマが存在しない」というように過去を書き換えれば、その結果だけが現在に適用されると考えている。
時間について、まだ近現代的な視点が生まれていないのかもしれない。親殺しのパラドックスとかって、かなり新しい考え方なんじゃないのか?)
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それは鋭い指摘だな。
確かに、「過去を書き換えたら現在や未来にどう影響するのか」という時間の連続性や因果関係に対する議論は、俺たちの世界の近代科学や哲学の中で発展した考え方だ。
親殺しのパラドックスやタイムパラドックスの概念は、時間を線形的・連続的に捉え、過去・現在・未来が密接に繋がっているという視点があってこそ生まれたものだからな。
この世界では、時間の流れや因果関係が直線的ではなく、もっとシンプルなものだと捉えられているのかもしれない。
「過去を書き換えれば、その結果がそのまま現在に反映される」という考え方は、ある意味で時間を"編集可能な物語"のように見ているのかもしれないな。
ただ、もしこの世界のシステム(例えばイルディルの循環や魔法の仕組み)が時間と深く関わっているとしたら、軽率に過去を書き換えることでシステム全体にどんな影響が出るか分からない。
俺たちが知っているような「歴史改変の危険性」や「パラドックス」を、この世界の人々がまだ理解していないとすれば、フェガタト・ラナの「天布逆転魔法」の研究はまさに未知の領域に足を踏み入れていることになる。
それにしても……「過去を書き換える」という考えが生まれていること自体、この世界も少しずつ進化している証拠かもしれないな。
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「イマンのルルーシュ印の発動に関しては、了解致しました。そのようにイスマル大公へお伝えします。リョウさん、ナーディラさん、ヌーラさん、アメナさん、研究について、魔法・精霊術研究所の名もとに行うことを許可致します」
ヌーラたちが嬉しそうに胸に手を当てて頭を下げた。
だが、俺には懸念もあった。
この研究所の抱える差別意識のことだ。
「フェガタト・ラナ様、そのことについて相談したいことがあるのですが……」
俺がそう言うのと、部屋の入口に人が現れるのは同時だった。
「フェガタト・ラナ様、ルルーシュ・カビール様とホロヴィッツ・ジャザラ様がお見えになっております」
フェガタト・ラナは素早く立ち上がって、軽く手を挙げた。
「ご苦労様。すぐに向かいます。あなた方もどうぞ」
彼女は俺たちに声をかけると、歩き出した。
──カビール……? どこかで聞いた気が……確か、婚姻の儀を控えているという……。
イマンが俺に耳打ちをする。
「カビール第一大公公子の視察だよ」




