101話 事後報告
カッシウスに転換炉の改良策とバーターで、製鉄所の誘致を了承させ、帰途に着いた。そう書くと如何にも俺が悪どそうだが。そうでは無い。
カッシウスにとっても、石炭産地近郷に製鉄所を作るのは、いい話なのだ。鉄鉱石は我が国の南方、つまり産地で採れる。これをミュケーネ川の水運を使って下流にある我が伯爵領の炭鉱近くに持ってくれば良い。
もっともミュケーネ川岸の炭鉱は、伯爵領以外にもあったが、最王手のリプケン社が多くを抑えており、新興のカッシウス社は同川沿いの有力な炭鉱とは協力関係にはない。彼らも進出を望んでいた。要するに渡りに船だったということだ。
俺の目論見が実現すれば、数ヶ月で新しい転換炉ができるだろう。
あとは、吹き込むガスの方も何とかしないとな。
上屋敷には、再び空中を飛んで戻った。
◇◆◇◆◇◆◇
ハイドラ侯爵が開催される宴は、10日先になった。連日人垣が押し寄せるので、王都では身動きが取れない。缶詰になるのは御免なので、一旦セルビエンテに戻ることにした。
王都警察の協力を得て、群衆を捌いて貰えた。俺は馬車に乗ったまま屋敷を出て、転移門まで護送して貰って、王都を脱出した。わざと車窓から手を振って目立ったので、セルビエンテに移動したことが、皆にも分かるだろう。
これで屋敷へ押し掛ける人は減るだろう。家臣の皆さんも助かるに違いない。
セルビエンテの転移門を出ると、城内ではあるが馬車に乗って館に戻る。
「ここも暑いが、王都より湿気が少なくて過ごしやすいな」
「そうですね」
着替えを手伝ってくれているユリも、なんだか嬉しそうだ。まあ、彼女にとっても故郷だからなあ。
帰ってきたらやるべきことがある。まずは、親父さんに会わないとな。
「戻って参りました!」
城主の執務室に入る。
「御曹司、お戻りなさいませ!……お戻りなさいませ」
その声で、親父さんが顔をを上げる。
そして、まだ顔を下げ、地図を見て指で役人に指示を一頻り与えると何か書類にサインしている。30秒程経ってから、こちらに向き直った。
「おお、アレックス。よく戻ったな」
「はっ」
役人が、地図を丸め部屋を辞していった。
「お忙しそうですね」
「そうだ。大船を4隻も鹵獲し、捕虜が1200人も一挙にできてしまったからな。大変だ」
「申し訳ありません」
「何を言う。こんな忙しさなら大歓迎だぞ。あっははは……」
王都の軍が来て、捕虜を連行したそうだが、流石に全員は連れて行けず、500人程に留まった。結局残りの1200人が伯爵領預かりとなって残っている。セルークの人口と変わりない人数が残ったが、捕虜と言えども、喰わせなければならないし、寝るところも必要だし、排泄だってする。そのために必要な補給や事務仕事が多い。
「報告があります。ストラーダ宰相閣下より推挙されました国防評議会の件は、父上のご助言通り引き受ける回答をしました」
「うむ。それでよい。そなたも戦功でいきなり名は売ったが、貴族や官僚に辺境伯を引き継ぐ裁量を見せとな」
「はい。それについて、王都のダイモスとも協議しまして、大貴族からの招きにはできるだけ出席致します」
「うーむ。そうか……」
やや、親父さんの顔が曇った。
「何か?」
「いや、セシリアとも話しているが、お前の婚姻の話だ」
ああ、やはり来たか
「先の戦功に加えて、我が家系だ。それに外見がセシリアに似て居ると来ては、女が放ってはおかぬ」
「いやあ。そんなこともないかと」
お袋さんに似ているのは分かるが、こんな女女した顔のどこが良いか判らん。
「いや。お前がどう思うかは、この際関係ない。重要なのは相手がどう思うかだ。フレイヤに拠れば、学園にお前の女生徒で結成された親衛隊と言うのが有るそうだな」
「はあ……」
チクったな。フレイヤ!
「隊員が何人居るか、知っているか?」
「ああ、いえ。10人くらいでしょうか?」
あっ、1年生とかもいたから、もう少し多いか。
「70人以上居るそうだぞ」
はっ! そんなに居るの?
70人と言えば、ざっくり女生徒の半分ぐらいのはず。んな、馬鹿な。
「ふーむ。驚いているようだが。お前は様々なことを知っているようで、自分のことには疎いな。あとでセシリアのところに行くのだ。そうすれば、もっと驚くことになるぞ」
「はあ……」
はあとしか言えん。しかも、嫌な予感しかしない。行きたくない。
「まあ、その件は、セシリアに任したから置いておくとして。まだ何か有りそうだが」
ああ、そうだった。
「少し父上や、事務方の皆に謝らないといけないんですが」
「ほう、なんだ」
「ああ。この前仰った製鉄業の件です」
「そうか、では副家宰も居た方が良いな。呼んで参れ」
はっと答えた従者が、部屋を辞していった。
「そうか、アレックスが謝るのか」
えーと。なぜ、ニヤニヤしているんでしょうか? 親父さん。
間もなく、痩せて、眼鏡を掛けたイヴォンがやって来た。
「ああ、イヴォン。忙しいところ、悪いな」
「いえ。ああ、御曹司。お帰りなさいませ」
「うむ」
「して、ご用は、何でしょう」
「うむ。アレックスが製鉄の件で、話があるそうだ。一緒に聞いてやろう」
ああ。何か緊張するね。
「実は、昨日のことなので、まだ報告を上げておりませんが、製鉄業のカッシウスと会いました」
親父さんとイヴォンを互いを見合った。
「ほう、よく会えたな」
「しかし、上屋敷に、そのような来客があったとは、伝令から報告がありませんでしたが」
「ああ、いや。私の方から彼の研究所、王都の郊外にありますが、そちらに参りました」
「なんと!」
ん? イヴォンが驚いている。
後から聞いた話では、貴族、それも大貴族に連なる者が、下々のところに行くことは異例だそうだ。
「お出でになったのはともかく、よく会えましたな。ダイモスによれば、彼はとても気難しくて、貴族を内心では忌避しているのだろうとのことでしたが」
ああ、彼が汚れた作業服で出迎えたのは、その一端だったのかもな。
さて早めに謝ろう。
「それで、事後報告で申し訳ありませんが。ミュケーネ川沿岸のラトバタ村にカッシウス製鉄の工場を誘致することで同意しました。無論正式な契約ではありませんが。この段階でも、やはり父上の御裁可を頂くべきだったと存じます。申し訳ありません」
素早く頭の上で、掌を組む謝罪ポーズを取る。
叱責が…………ん? 来ないな。
恐る恐る掌を外し、向き直る。再び親父さんと副家宰が顔を見合わせている。
「あのう。お叱りのお言葉は?」
「叱る? なぜだ? なあ、イヴァン。いや、少し驚いて、褒めるのを忘れて居た。よくやったぞ。アレックス」
親父さんが、笑っている。
「はい。御曹司、大手柄です……と、申し上げたいところですが、その……」
「覚書です」
親父さんに、カッシウスと作った羊皮紙を差し出す。
イヴァンが、頷いている。問題は誘致の条件だよな。
親父さんは、受け取った巻紙を開き、目を通している。下を向いているので、よく表情が分からないが。今度こそ叱られるな……彼の会社を優遇するための譲歩を結構したので。
読み終わったのか、親父さんは無言で、イヴァンに渡した。
読んでる読んでる。
「……これは……まさか」
「御曹司、この条件は真ですか?」
「ああ、譲歩し過ぎたか?」
「はあ? 何を仰いますか? 借地料5年免除など、譲歩の内に入りません」
は? そうなの?
「元々、あの地は石炭の出荷集積場として使おうと確保していた、ただの荒れ地ですから」
「うむ、確かにこちらにとっては、破格の条件だぞ。それは」
「いっ、いえ、勝手なことをやりまして」
「何を申す。前にも言ったが、お前は、我が名代だ。何を躊躇うことがある」
そっ、そうですか?
貴族は、面子が大事かと思ってましたが。相変わらず大きい人物だわ。
爺さんと言い、親父さんと言い。尊敬するね。
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