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私が悪魔に堕とされるまで ※一方、世界には滅びの隕石群が落ちる  作者: 緑名紺


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5 悪の秘密結社



 三日後、私は迎えに来てくれた方に続いて、秘密結社〈妖精幻翅〉の支部に足を踏み入れました。

 王都の貴族街の郊外にある古い屋敷……私の生家よりもずっと広くて立派です。

 屋敷の持ち主の地方領主が結社の協力者らしく、地下深くに結社の業務部が作られたとのこと。

 本当に恐ろしい組織力……。


 使用人が寝泊まりする部屋を私室として与えられました。

 女性構成員専用のフロアで、男性は出入り禁止。部屋には鍵もかけられるとのこと。

 ……少し安心しました。


 わずかな着替えしか持っておらず、日用品も部屋に揃っていたので荷ほどきや買い物の必要もなく、さっそく仕事場へと挨拶に向かいました。


「ああ、来ましたか。迎えにいけなくてすみません」


 私の指導係として紹介されたのは、顔色の悪い十代半ばの少年でした。

 名前はミケーレさん。

 まさか年下の方が上司になるとは思っていなかったので驚きましたが、相当優秀な方なのでしょう。

 彼の机には資料が整然と山積みにされています。

 というか、この部屋のことを「指令室」と案内されたのですが……。


「フィアンメッタと申します。よ、よろしくお願いします」

「本名は名乗らないでください。まぁ、コードネームをわざわざ考える必要もないので、今後はフィアさんと呼ばせていただきます」

「……はい」

「こちらがあなたの会員証になります。絶対に無くさないように」


 祖父の持っていたものは回収されており、私は久しぶりに不思議な光沢の結社の会員証に触れました。

 それからミケーレさんは表情を少しも変えることなく、淡々と必要なことを説明していきました。


「一応、ここはこの支部の心臓であり脳です。ベルナエル様の指示と判断の下、手足である末端に任務指令を出し、成果をまとめ、発生したイレギュラーに対処していく部署ですね」

「えっと……ものすごく重要度が高い気が」

「そうですよ。ですが、最初からフィアさんに難しい仕事は振りません。少しずつ覚えてくれればいいです」


 その言葉通り、私に任される仕事は難しい判断の必要のない、誰にでもできるようなことばかりでした。

 指令書を封筒に入れたり、他の部署におつかいに行ったり、任務完了報告書をファイリングしたり、お茶を淹れたり……。

 常に重大そうな案件を抱えて忙しくしているミケーレさんに申し訳なってきました。


 数日間働いて、他の部署の方にも話を聞いて分かったことですが、ミケーレさんはベルナエル様の唯一無二の腹心で、悪魔の魂の一部を分け与えられたことによって人ならざる者へ変わった従魔とのことです。

 見た目は十五、六歳の少年でも、実際は百年以上生きている悪魔の手下。

 睡眠も食事もわざわざ取る必要がないそうです。

 ……どうりで休んでいる様子がなかったはずですね。


 謎です。

 ミケーレさんの秘書官のような重要なポジションに、なぜ私のような新入りを?

 重役の彼に時間を割いてもらって指導係をしていただくのは心苦しいです。

 ベルナエル様に配属の意図をお伺いしたいところでしたが、この支部に来てから一度も姿をお見かけしていません。


「ベルナエル様は現在、他の最高幹部様の暴走をフォローするため急遽本部へ召喚されています。もしかしたら一か月近く戻られないかもしれません。その間、新しいプロジェクトの準備を進めるように仰せつかっています」


 現在のこの支部のボスであるベルナエル様は不在で、ミケーレさんが代理を任されているそうです。

 その新しいプロジェクトというのは――内乱の扇動、偽金による市場攪乱、王位継承者の暗殺、国家転覆および国宝の略奪。


 ……やたらと不穏な言葉を指令書に見つけた気がしますが、私は考えることをやめました。

 手を動かしていれば、悩む間もなく時間は過ぎていきます。

 巨悪に加担しているというのに、組織の方々が顔色一つ変えずに働いているのでだんだん心が麻痺してきました。同調効果というやつでしょうか。ひどい話です。


 働き始めて十日を過ぎた頃から、少しずつ書類仕事を任せてもらえるようになりました。

 といっても、時間がかかっても問題ないものばかりです。

 ミケーレさんならあっという間に終わるのでしょうが、四苦八苦しながら資料をまとめて形式通りに任務指令書を作成しました。


「できました。ご確認をお願いいたします」

「…………雨天時の試算が入っていません。別で資料が届いているはずなので、探してください」

「あ、申し訳ありません! 野外での任務では天候も気にするように教えていただいていたのに……」

「いえ。言っておかなければ見落とすだろうと思っていたので大丈夫です」

「…………」


 どうやら私は試されていたようです。


「性格ワルー。じゃあ最初に言ってやればいいのに」

「一度ミスを指摘したほうが、今後気をつけてもらえるので」

「さっすがミケーレ。効率重視で心がねぇわ」


 ミケーレさんを鼻で笑ったのは、魔術部門の責任者のリーチェさんでした。

 この指令室に私とミケーレさん以外で頻繁に出入りしている唯一の方です。


 私より少し年上で、リーチェさんも普段からかなり顔色が悪いのですが、彼は純然たる人間。

 かつて有名な魔術塔で働いていたのを、ベルナエル様直々にスカウトされた逸材とのこと。

 結社の活動に必要な魔術をたくさん開発している天才です。


 私はリーチェさんにもたまに仕事を教えてもらっていました。

 一応、貴族令嬢として育ち、簡単な魔術の心得はあります。祖父が学者だったこともあって魔術構築の計算式もある程度は読めました。

 緻密な計算が必要な星の観測――望遠魔術に一時期のめり込んでいた経験が活かせそうです。


「おい。なんで全部理論値を使って計算してるんだよ。普通、こういう時は実測値でやるだろ。特にこことここは、使用者にとって大幅に魔力コストが変わるんだからさぁ! 分からなきゃ聞けよ。あーあ、最初からやり直しだ!」

「ご、ごめんなさい。そういうものなのですね」

「……それこそ最初に教えておくべきことでは? あなたの説明不足です。どうせ女性と長く話せなくて、途中で会話を打ち切ったんでしょう?」

「う、うるさい!」


 ミケーレさんにミスを指摘されればリーチェさんにフォローされ、リーチェさんに怒られればミケーレさんに助けられ。

 遠慮のない間柄と言えば聞こえはいいですが、この二人、あまり仲が良くないようです。

 日に日に指令室がギスギスしていって、口論の原因になっている私は重圧に押しつぶされそうでした。






「ただいま。あー、疲れた。ねぇ、聞いてよミケーレ。あいつ本当に頭がおかしいよ。『敵兵はあまり殺さず、負傷者を増やして消耗させろ』って散々言っといたのに、全部殺しやがった。伝令すら逃がさずだよ? 人外が関与してるってバレバレだ。おまけに目的の遺跡も半壊させていて……こんなのもうフォローできなくない?」


 私がこの支部にやってきてから一か月が過ぎた頃、ベルナエル様が帰還されました。


「それは……お疲れ様でした。おかえりなさいませ、我が主」


 ミケーレさんが安堵したように小さく笑みを浮かべ、恭しく礼をしています。

 彼が笑っているところを初めて見ました。なかなかに衝撃的な光景です。


「苦労をかけたようだね、ミケーレ。首尾は?」

「全てつつがなく。報告書はこちらに」

「ああ、ありがとう。さすが、特に問題なさそうだね。あとでじっくり目を通すよ」


 たまたま指令室に来ていたリーチェ様も日頃の不機嫌さが嘘のように、溌溂とベルナエル様を出迎えました。


「おかえりっす、ベルナエル様! 災難でしたね」

「本当にね」

「ちなみにそれ、どうやって収拾つけたんすか?」

「んー、簡単にまとめるとドラゴンを召喚してもらってうやむやにして、その混乱に乗じて王墓を盗掘して最低限の捧げものを確保した。予想外の連続で王族もほとんど死んじゃったし、もうめちゃくちゃ」

「怒涛の展開っすね」

「あの国からはもっと搾り取れたのにな。これだから戦闘狂は……」


 リーチェさんは悪い笑みを浮かべました。


「ベルナエル様だって、何百年か前に似たようなことしたじゃないっすか。記録を読みましたよ。当時一番大きかった帝国相手に大暴れして、地形を変えるくらい――」

「ストップ。若気の至りを暴露しないでくれ。可憐なお嬢さんの前なんだから」


 物騒な話を聞いていられなくてこっそり退室しようとしていた私を、ベルナエル様の視線が捕らえました。


「やぁ、フィア。久しぶり。会いたかったよ」

「あ……はい。えっと、おかえりなさいませ。お、お世話になっています」

「ふふ、お世話になっていたんだ。そんな壁際にいないで、こちらにおいで」


 おずおずと歩み寄ると、ベルナエル様は相変わらず眩いほどの微笑みで私を見下ろしました。


「顔色が悪いな。それでもかわいいけど。入りたての不安な時期にそばにいてあげられなくてごめんね。ミケーレとリーチェにいじめられなかった?」

「いじめてません」

「いじめてねぇっす」


 二人から圧を感じて、私はすぐに頷きました。


「お二人ともとても良くしてくださりました」

「そう、よかった。……はい、これ。お菓子とお茶のお土産。俺も疲れてるし、みんなの報告を聞きたいし、休憩にしよう」


 私に手渡された紙袋をすぐさまミケーレさんが取り上げました。


「かしこまりました。すぐに準備してまいります」

「え、わ、私がやりますっ」

「ベルナエル様にお茶の用意をするのは本来僕の仕事……フィアさんには手伝いをお願いします」

「じゃあ準備が整うまでオレの成果を見てくださいよ。例の魔術式の問題点を三通りの方法で解決したんすけど――」


 ミケーレさんもリーチェさんも、ベルナエル様に心の底から心酔しているようです。

 ここしばらくギスギスしていた指令室の空気がすっかり柔らかくなっていました。


「ベルナエル様は僕にとって命の恩人――神に等しい存在ですから。魂が壊れるまでお仕えするつもりです」


 これはミケーレさんの言。


「だってベルナエル様は完璧っつーか、究極の生命体じゃん。自分より劣ってる奴の命令を聞くのは死んでもご免だけど、勝てるところ一つもねぇもん。おとなしく従うよ」


 これはリーチェさんの言。


 お二人にとってベルナエル様は至高の存在なのでしょう。

 そのカリスマ性は私にも理解できる気がします。


 でも、私にとっては――。


「二人がよく喋るものだから、全然フィアの話が聞けなくて残念だった。……どうかな? 今夜俺の部屋でゆっくり話さない?」


 危険な存在でしかありません。


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