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私が悪魔に堕とされるまで ※一方、世界には滅びの隕石群が落ちる  作者: 緑名紺


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2 悪魔との面談


 絶望と憎しみに生かされながら、私は決意していました。

 これからは合理的に、利己的に思考して行動しましょう。

 心は捨てます。

 悩んで立ち止まっていたら、あっという間に隕石群が降る日が来てしまいますから。

 目的は生き残ること、それだけです。


 祖父が遺した秘密結社の会員証は、手の平に収まるサイズの白い円形の石でできていました。

 表面に何かコーティングしてあるようで虹色の光沢があります。

 もしかしたら妖精女神の鱗粉なのかもしれません。


 古代の貨幣を模していて、中央には六枚の妖精の翅のエンブレムが彫られています。

 特殊な魔力回路が組み込まれているらしく、祖父に聞いていた通りの手順で魔力を流せば、組織の人間とコンタクトできました。


 私は祖父からの紹介という形で結社の構成員となることを希望しましたが、すんなりと受け入れられるはずもなく、入社試験なるものを課せられました。

 当然と言えば当然です。

 スパイを警戒しているでしょうし、生半可な覚悟の者が組織内部に入っても不利益を生むだけ。いえ、犯罪組織のことなんてよく分かりませんが。


 私は邪神の復活を助ける見返りとして、隕石群から命を守る術を与えてもらいたいと考えています。

 ただ邪神を崇める信者になって尽くすだけでは、保護してもらえないかもしれません。

 きちんと働いて、結社の役に立たなければ!


 〈妖精幻翅〉の組織力はすさまじいものでした。

 隣国に私の住まいと偽物の身分が用意され、あっという間に生活環境が整えられたのです。

 資金とツテと、それから何を持っていれば、このようなことが可能なのでしょう。


 私は怯みつつも、気合を入れて入社試験に臨みました。

 何か一つのことに熱中することで、過去の後悔から目を背けたかったのかもしれません。


 試験の内容は多岐にわたりました。


 送られてきた数冊の分厚い本から、指示書に記された必要な情報を抜粋してまとめる。

 機密文書を誰にも気づかれず指定された場所に置いてくる。

 とある喫茶店に通って従業員の関係性を探る。

 その他にも魔術の解析、暗号文の読解、記憶力テスト、マナーテスト、学力テスト、体力テストなどなど……。


 いろいろな能力を試されたように思います。

 そして忙しなく一か月ほど過ごした今日、最終試験が行われ、私はついに犯罪行為に手を染めました。


「…………っ」


 カバンの中には、この町の美術館に収蔵されていた小さな聖杯が入っています。

 結社の人間の協力のもと、客を装った私が偽物とすり替えて持ってきました。

 歴史的な価値も金銭的な価値もあまりない品とのことですが、私は凄まじい罪悪感に襲われていました。


 どうしよう、私、犯罪に向いてない。

 想像していたよりもずっとつらい……。


 まったくもって情けない話ですが、結局私は良心を捨てられずにいました。

 昨今、大陸全土で争いが起こり、どんどん治安が悪くなっているようですが、この町は平和そのもので明るく親切な人が多い印象です。

 健全な社会に戻り、衣食住が整い、まともな判断力を取り戻した今ならば分かります。


 悪の秘密結社に入って、なんの罪もない人々を傷つけるのは良くないことです。

 元婚約者の彼よりも悪党になってしまうのではないでしょうか。


 どうせ犯罪に手を染めるのなら、完璧な計画を立てて元婚約者の男を殺害したほうがいいのでは?


 そのまともではない発想がマシに思えるほど、秘密結社に入ることに疑問を持ってしまいました。


 今日は窃盗でしたが、明日は?

 もしも誰かの生死に直結するような任務を与えられたら……。


 本当に情けない。

 中途半端な覚悟で秘密結社入りを目論んでいた愚か者は私でした。


 ……だけどもう後には引けない。


「合理的に、利己的に……」


 あと数年でほとんどの生命は息絶える。

 私の犯した罪なんて隕石群の前では小さなこと。

 生き残ろうとする行為は生物としての本能で、人類が全滅するのをただ待つよりもずっと合理的。

 これは生存競争。利己を優先するのは当然のこと――。


「いらっしゃいませ」

「えっと、あの……待ち合わせです。“花がよく見える席"をお願いします」


 盗品の入ったカバンを抱え、指定された地下のバーへ。

 指示されていた通りの合言葉を告げると、店主は私を奥の席へと案内してくれました。

 薄いカーテンが降ろされた半個室のような席で、薔薇を活けた花瓶が飾られています。

 入り口の近くには他の客がいましたが、このバーは結社の息がかかっているらしいので会話を聞かれても問題ないのでしょう。


 席に着くや否や、大きく深呼吸して項垂れます。

 とりあえず無事に指定の場所にたどり着けました。

 いえ、気を緩めるのはまだ早いですね。

 ただでさえお酒を扱う店に入るのは初めてだったのに、さらに緊張する予定がありました。


 もうすぐこの場に秘密結社の上役がやってきます。

 聖杯の受け渡しを兼ねて、私の入社試験の結果を伝えに来るとのことでした。


 ……怖い。

 よく考えてみると、不合格になったらどうなるのでしょう。

 邪神信者として組織外部の協力者になるんだと漠然と思っていましたが、こうして犯罪にまでかかわった者を自由に生活させてくれるのでしょうか。

 売られたり、生贄にされたり、あるいは今夜このまま消されるなんてこともあり得るのでは?


「……だいじょうぶ」


 悪い考えを振り切るように、私は必死に首を横に振りました。


 大丈夫!

 絶対に生き残る。そのことだけを考えましょう!


 震える手を押さえつけて待っていると、やがてカーテンが揺れました。


「待たせてごめんね、お嬢さん」

「…………」


 この時の衝撃を表す的確な言葉は生涯思いつかないでしょう。

 現われた男性は、大変美しい顔立ちをしていました。

 柔らかな金髪は毛先に近づくにつれ赤色にグラデーションしていて、澄んだ碧い瞳は不思議な光を宿しているように見えます。

 こういう神秘的な色を持つ方は、強い魔力を持っているとか。


 目が合っただけで全てが止まってしまいそうでした。

 時間も、呼吸も、心臓も……。

 全身に寒気が走ります。


 年齢は二十代前半くらいでしょうか。

 背が高く、均整の取れた体つきをしていて、とても派手な身なりです。

 一目で高級だと分かるスーツやアクセサリーですが、絶対にまともな職業についていないということも分かってしまうコーディネートでした。

 黒を基調とした装いなのに、どうしてこうも華やかで眩しい印象を受けるのでしょう。


 いつも私に指示を出していた組織の上役とは別の方です。

 完全に油断していました。


 え、というか本当に秘密結社の人間ですか?

 こんなに目立つ男性が?

 世界の裏側で暗躍する組織だと聞いていたのに?

 もしかしたら席を間違えて案内されたのではないでしょうか。


「初めまして、フィアンメッタ。ふふ、本名そのままは良くないかな。とりあえず今夜はフィアと呼んでもいい?」


 間違っていませんでした!

 彼は私の向かいの席に座ると、テーブルに片手で頬杖をついてにこやかに微笑みました。

 仕草や表情の一つ一つに見惚れてしまいます。

 まるで神が生み出した至高の芸術作品のよう。

 オーデコロンでしょうか、ほのかにシトラス系の良い香りが……。


「フィア?」

「はいっ」

「緊張しているみたいだね。それとも驚いているだけかな?」


 両方です、と私はもごもごと答えて目を逸らしました。

 恥ずかしい。

 ただでさえ家族や親族、元婚約者の彼以外、まともに異性と接してこなかったのに……。

 こんなの耐えられません。自意識が暴走してしまいそう。


 私が五百年生きたとしても、これほど麗しい男性に出会うことは二度とないでしょう。

 ものすごく色っぽくてミステリアスな雰囲気がありながら、笑顔はチャーミングで破壊力があります。

 彼の微笑み一つで人が死んでもおかしくない……。


 心臓が生き急いで嫌な音を立てる中、店主がワインボトルと二つのグラス、サイドディッシュを運んできました。

 ごゆっくりどうぞ、と恭しく礼をして去っていきましたが、気のせいでなければ店主の手も震えていたような……。


「さぁ、フィア。試験お疲れ様。まずはきみの頑張りを称えて乾杯しようか」

「え、えっと、そんな……」

「はい、乾杯」


 私が硬直している間に、グラスが音を立てて離れていきました。

 薄暗いせいかやけにワインが赤黒く見えます。


「美味しいよ?」

「あ、はい。いただきますっ」


 震えを全く隠せていない手つきで、私はなんとかワインをこぼさずに一口飲むことができました。


「…………」


 一応故郷の国では成人しているものの、ほとんどお酒を飲む機会はありませんでした。

 父のこともあって苦手意識が強く、正直に申し上げてアルコールの類には抵抗があります。

 しかしこの赤ワインは口当たりがよくて飲みやすく、芳醇な香りが少しだけ私を落ち着けてくれました。

 勇気が欲しくてさらにもう一口飲み干します。

 美味しい、けど……飲酒に慣れていない私には度数が……。


「ごめんね。普通の女の子には刺激が強いだろうから、もしかしたらつらい思いをさせているかもしれない」

「え? えっと……」

「ワインのことじゃないよ。俺の魔力というか、性質? これでも抑えているんだけど、たまに正気を保っていられなくなる人間もいるから」


 彼は耳心地の良い声でおどけるように述べました。


「改めて自己紹介をしよう。俺の名前はベルナエル。〈妖精幻翅〉の六枚翅の一枚。自分で言うのは恥ずかしいんだけど、人間たちには“夜明けの悪魔”と呼ばれている……聞いたことあるかな?」


 全部聞いたことがあります。

 六枚翅というのは妖精女神の象徴であり、秘密結社の最高幹部六名を差す言葉です。

 そして“夜明けの悪魔・ベルナエル”は、歴史的大罪人として国際指名手配されている悪魔の名前……。

 数百年前から存在する伝説の悪魔です。


「フィアが緊張しているのは俺の魔力のせいだと思うよ。慣れれば落ち着くと思うから、安心してね」


 呆然とする私ににこりと笑いかけてから、彼――ベルナエル様は美しい指でサイドディッシュのクラッカーを口に運びました。


「…………」


 初対面の男性にいきなり有名な悪魔だと名乗られたら普通は信じられないでしょうが、ベルナエル様が結社に所属しているという噂はありましたし、目の前にある圧倒的な存在感や浮世離れした美貌から真実なのだとすんなりと受け入れらました。

 今となっては普通の人間だと名乗られた方が違和感を覚えるでしょう。


 本物の悪魔……!

 私は急激に喉の渇きを覚え、また一口ワインを飲みました。


「びっくりした?」

「はい……」

「じゃあ驚かせてしまったお詫びに、きみの疑問に答えてあげよう。なんでもどうぞ」


 まるで何度も顔を合わせたことのある親しい間柄のような距離感に、私は混乱しつつも率直な疑問を述べました。


「どうして今夜、こちらに……? いつもこうなのですか?」

「んー? 最終面談に毎回最高幹部が来るわけじゃないよ。フィアの場合は少し珍しかったから。貴族出身のお嬢様が単身でってなかなかないよ。おじいさんの紹介らしいけど、普通は先祖代々とか、父親が代表者として窓口になっていたりする。……それにきみは“星が落ちる”ことを知っているから特別対応になった」


 これは最終面談だったのか、とさらに肝を冷やしつつも、私は“星”のことを聞いて納得しました。

 かつて祖父も所属していたので、結社が隕石群の到来を知っているのは分かっていましたが、もしかしたら構成員全員が人類滅亡の危機について知っているわけではないのかもしれません。

 最初から隕石群のことを知っている私は、少し珍しいのでしょうか……。


「あとはタイミング。最近このエリアを新しく担当することになって移動してきた関係で、今は部下たちがバタバタしていてね。一番暇なのが俺だったんだ。ほら、ボスは引っ越しの荷ほどきなんてしないでしょ?」

「えっと、そうなのですね……?」


 さりげなくベルナエル様は私のグラスにワインを注ぎ足してくれました。


「本当にタイミングが良かった。フィアがかわいくて聡明な女の子だと聞いて、会えるのを楽しみにしていたんだ。試験結果も予想よりずっと良くて驚いた。途中でリタイアする人間も多いんだよ? 知らない土地で慣れない暮らしをしながら、面倒で辛いことも多かったろうに、よく最後まで頑張ったね。えらいよ」

「…………」


 突然怒涛の勢いで褒められて、私はうまく返答ができませんでした。

 ああ、やっぱり恥ずかしい!

 男性にも賞賛にも慣れていないことが丸分かりではありませんか。

 決して! 決してベルナエル様の言葉を額面通りに受け取っているわけではありません!

 どう反応したらいいか分からないだけです。


「さぁ、好きなだけ飲んで食べて。フィアはたくさん頑張ったんだから、今夜はいい思いをしないといけない」


 薦められるまま再びグラスに口をつけ、お酒の力を借りて己の自意識を封じ込めようと私は必死になりました。


「いえ、そんな、私なんて全然です……」

「この場では謙遜しなくていいんだよ」

「ですが――」

「フィアのこれまでのこと、改めて教えてくれるかな? きみに興味があるんだ。ね?」


 なんだか頭がふわふわしてきました……。

 お酒と彼の言葉に酔わされて、もう正常な判断ができません。


 こうして私は彼に問われるままに、自分の身に起こったことを語り始めました。



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