34、幼馴染は最強魔王
「ん……」
目覚めたサリーネは、寝返りを打とうとして顔を顰めた。
理由は言いたくないが、昨晩ベッドの足がとれてしまって随分視線が低い位置に寝ている。だがサリーネが顔を顰めた理由は別だ。
「こ、腰が……」
掠れた声は音にはならず、尋常じゃなく痛む腰を摩ろうにも、全身が気怠く油のささっていないネジのように動かない。
こうなった原因である、隣で寝息を立てているヨシュアのあどけない顔を、恨みがましい目で見上げながら溜息を零し、サリーネは今日までの出来事を思い返した。
◇◇◇
サリーネ達が去った後、すぐさま万能薬は国から毒物認定され侯爵家は取り潰しとなった。
宰相はその地位を追われたが、その決定がされる前に夫人から三行半を叩きつけられたらしい。
日頃から男尊女卑のきらいがある夫を、夫人も娘も当に見切りをつけていたため、切り捨てるのは早かった。
夫人は領地でのスタンピート騒動の後片付けが済むや否や娘を連れて実家へ戻り、宰相は幸いまだ万能薬を服薬した者の中から死人が出ていなかったことで死刑は免れたが、健康を害した人達の救護施設で下働きをさせられている。
トンヌラ達も味わったノモマ草の解毒薬は強烈な臭さと苦みがあり、依存症が出ている患者は解毒のため毎日悶絶させられる。
そのため自分達を騙した張本人に当然ながらあたりは厳しく、こき使われる日々の宰相は長年結果が出なかったダイエットには成功したそうだが、痩せたというよりやつれたという方が正しいだろう。
勿論、解毒薬を患者が服用する際は宰相も一緒の部屋で過ごすのが義務化されている。
逃亡防止機能がある重罪人の焼き印を額に付けられているので、逃げ出すこともできずに悶絶と絶望の日々を送っているらしい。
焼き印といえば、サリーネ達の結婚式へ参列しにきた国王に、轟々と燃え盛る篝火を持ったヨシュアが「手をだせぇ」と言った時には命が縮んだ。
「ヤキ入れるってのは、タバコの火を押し付けるんじゃねぇんですかい?」
「篝火なんて押し付けたら火傷するっすよ。あれ? 根性焼きでも火傷するっすね? なら一緒っすか」
「わぁ~、さすが若。国王相手にやることが破天荒。俺、一生ついて行く!」
ヤキ入れ=根性焼きだと勘違いし懐からタバコを取り出そうとするトンヌラ、一見心配そうにしながらも問題ないかと頷くチンクー、そして満面の笑みで主を讃えるカントに、ヨシュアの父親である元辺境伯と元騎士団長が泡を食う。
「トンヌラ! タバコも篝火も人に押し付けたらいかんじゃろ! しかも相手国王陛下! よったん、ちょっと深呼吸して落ち着こう、はいスーハースーハー」
「チンクー! 篝火じゃ火傷では済まない! 全然一緒じゃない! 若ぁ、国王は国王なんですぞ! ここはどうか穏便に! はいスーハースーハー」
「カント! ヨシュアを褒めてどうすんの! ヨシュア、国王陛下にヤキ入れとか、それダメ絶対! えっと深呼吸? はいスーハースーハー」
元辺境伯と元騎士団長と一緒に深呼吸をし始めたサリーネに、ヨシュアは胡乱気な眼差しを向けたが、やがて舌打ちすると、恐怖でへたりこんでいた国王のすぐ隣に持っていた篝火を深々と突き刺した。
「次はねぇからな」
「はいぃ!」
涙ながらに返事をした国王は、次の宰相は吟味に吟味を重ね決定することを誓う。
もう、どちらが偉いのかわからない。さすが魔王と呼ばれるだけはある。
ちなみに王妃とヨシュアの母親は姉妹であり、甥に脅される夫と必死に息子を宥める夫の光景を見るのは日常茶飯事なのか、ニコニコと笑顔で見守っているだけであった。
「やっぱり男の子は少しワンパクなくらいがいいわね。でも片腕程度なら燃やしちゃえばよかったのに」
「待ちに待った結婚式ですもの。可愛いお嫁さんの前だから照れてるのよ、きっと」
アオハルよね~と微笑み合いながら山のように盛られたスペアリブを、上品かつ優雅に、しかし東洋のわんこそば並みの速さで食べる貴婦人二人が、かつて辺境領の殺戮姉妹と呼ばれる程の剛の者だとサリーネが知るのは、もう暫く後のこと。
◇◇◇
「お父様からよったん呼びされてるのは可愛かったけど、国王を脅すってどんだけよ?」
やっぱり掠れてしまって音にはならなかったが、呆れたようにサリーネは隣で眠るヨシュアを窺う。
スウスウと気持ちよさそうな寝息を立てているヨシュアは、確かによったん呼びされても仕方ない位可愛いくて、とても魔王には見えない。
だがサリーネはまた遠い目になった。
◇◇◇
平民になったサリーネと辺境伯であるヨシュアの結婚がこんなに早く執り行われたのは、何もヨシュアが準備万端だったからだけではない。
結論から言えばサリーネは平民になっていなかったのだ。
義姉が国王主催の夜会で婚約破棄騒動を起こしたとはいえ、法外過ぎる慰謝料を吹っ掛けたライト伯爵家は、慰謝料から適正料金を差し引いた金額をフォルミア子爵家へ返金の上、子爵家へ慰謝料を支払うことが決定された。
その際に子爵家の爵位返上も白紙に戻されたので、サリーネは子爵令嬢のままであり、逃亡生活を送る必要もなかったわけである。
慰謝料に対して慰謝料を取るなど聞いたこともないが、伯爵が文官を買収したことも問題視され、この他にも手数料、迷惑料、更には意味不明な教育費なんてのも上乗せされており、支払った額よりも数倍に膨れ上がった返金額を見せられたサリーネは、無意味に逃げ続けた三年間の苦い思い出も相まってぶっ倒れそうになった。
「私の逃亡生活は何だったの……それに、こんなにお金があると逆に怖い! 大体何で私に支払われるの? 父と義姉が受け取るお金でしょ?」
涙目になったサリーネが、慰謝料の数字の書かれた小切手を裏返す。
見えないようにしても金額は変わらないのだが、見えていると精神衛生上よろしくない。
だがヨシュアは怯えるサリーネの二色の髪を自分の指に絡めると鼻で笑った。
「サリーの父親と義姉? んなもんとっくに子爵家の使用人達と一緒に鉱山送りにしたに決まってんだろ? そこで腐った性根を再教育してる所だ。そのために奴らの親戚であるライト伯爵家から教育費という名の手数料を分捕ったんだからな」
「え? 教育費ってそれのことだったの?」
驚いて振り返るサリーネに、ヨシュアは金色の瞳を仄黒く光らせる。
「サリーをずっと虐めていた慰謝料もしっかり鉱山で働いて返してもらわねぇとな。魔物狩りと違って生かさず殺さずってのが難しいが、一思いに楽にしてなんかやらねぇよ。フォルミア子爵家は俺とサリーの子供が継ぐから何も問題ねぇし」
背中がゾワリとする位に黒い笑顔を見せたヨシュアが手を伸ばす。
抱き寄せられたサリーネだったが、幼馴染の魔王っぷりを改めて思い知って、この人からは絶対に逃げられないと悟ったのだった。
◇◇◇
隣に眠るヨシュアは、まだ起きない。
初夜だというのに宣言通りにベッドを壊したから疲れたのだろう。
明け方まで抱きつぶされたサリーネは寝返りすら打てないが。
「やっぱり魔王なのかも。でも大好き……」
規則正しい寝息を聞いているうちに自分もまどろんできて、サリーネは二度寝をきめる。
程なくして安らかな寝息をたてはじめた彼女を、目を瞑ったままのヨシュアが、がっちりと抱えなおした。
「俺も大好き。もう絶対逃がさない」
サリーネの柔らかな肢体を抱きしめてヨシュアが囁く。
どうせまた壊すだろうしベッドの足はこのままでいいなと考えている間に、二人の寝息が混ざり合った。
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