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31、万能薬2

 サリーネはものすごく怒っていた。


 スタンピートを誘発させたのも許せないし、毒草入りの万能薬を広めたのも許せない。

 たまたまヨシュア達がいたから魔物は撃退できたものの被害は出ているし、万能薬は民に広く出回ってしまっている。

 きっと常習性が出ている人もいるはずだ。


「こんのバカちんがぁ!」


 気づいた時にはサリーネは宰相に平手打ちを炸裂させてしまっていた。

 行き場をなくした己の手を見てパチクリと瞳を瞬かせるヨシュアの隣で、サリーネは肩で息をしながら宰相を睨みつける。


 権力を持った暴君程性質の悪いものはない。

 しかもそれが私利私欲のためだというのだから我慢ならない。

 そう思ったら止まらなかった。


「まっとうに働いて必死で今を生きてる人達に、なんて仕打ちをしてくれるのよ!」


 吐き捨てるようにサリーネが言い放つ。

 だが(グーではなくてパーだったのだが)一発だけで伸びてしまった宰相に、トンヌラとチンクーが顔を見合わせた。


「あ~、やっちまいましたね……いや、気持ちは解りますぜ、お嬢」

「おかん、今更っすけど、おかんの一発って一般人にはかなりの威力っすよ。今更っすけどね……」

「つーか、おかん。暴力は最低って自分で言ってなかったっけ?」


 いい笑顔で首を傾げてつっこんできたカントに、サリーネは怒っていた気持ちが急速に萎むと同時に、冷や汗が湧き出てきた。

 目の前に倒れた宰相は既に白目を剥いている。

 宰相は侯爵、侯爵は上位貴族、それを殴ったら……。


(あ、これ不敬罪で捕まるパターンだわ。うん、逃げよう! そうしよう! そうだ、政情不安な隣国へ行こう!)


 国が乱れていても捕まるよりマシだと一人納得して、サリーネはゆっくりと後退る。

 ここで慌ててはいけない。

 逃げようとすれば捕まえたくなるのが人間の心理なのだから。

 にこやかに、かつ、さりげなく退場するのが上策である。


「じゃ、私はこれで……」


 しかし、笑みを浮かべて立ち去る予定だったサリーネの目の前に、最も困難で厄介な壁が立ちはだかった。


「サリー、どこへ行く?」


 見下ろすヨシュアの金色の瞳から視線を逸らすように、サリーネは見逃してくれないかな、と一縷の望みをかけ言い訳を始める。


「どこって……えーっと、隣国?」

「へえ~、隣国」

「うん。幾ら頭にきていたとはいえ宰相を殴ったのはダメだったと思うの。これでも反省はしているので、情状酌量して見逃してくれると有難いな~なんて……」

「そいつは無理な相談だな」

「……ですよね」


 ヨシュアには大嫌いなんてひどいことを言ったし頼れないのは解っていた。

 けれど面と向かって拒絶されるとやっぱり堪える。

 結局、権力には逆らえないのにバカなことをしたなと思うが、宰相を殴ったことは後悔していないから、仕方がないかと顔をあげた。


 サリーネの長かった逃亡生活は地下牢行きで終止符を打つようだ。

 ひもじいのは嫌だな、でも食事が出るだけマシかな、拷問とかされちゃうのかな、まさか死刑とかになったり? などとサリーネがグルグルと思考を掻きまわしている中、ヨシュアはチンクーを振り返ると、顎をしゃくった。


「あれ(宰相)簀巻きにして川に捨ててこい」

「え? さすがに殺したらまずいっすよ。一応まだ宰相っすから」


 ダメダメと顔の前で手を振るチンクーに、ヨシュアはふむと顎に手を当てる。


「んじゃ、目障りだからその辺に放っておけ」

「了解っす! えいっ」


 チンクーによって魔物の死骸の山に放り投げられた宰相を助ける者はいない。

 元々、選民意識が強く大柄な領主のことをみんな毛嫌いしていたし、万能薬という名の毒物を広めたことにも憤っていたからだ。


 騎士も、その家族も既に何度か服用している者がいたし、その中で確かに常習性が出ている人間がいた覚えがある。

 今までは有難い薬だと敬っていたが、毒薬だと聞いてしまっては恨みしか出てこない。

 だから宰相をサリーネが殴ってくれてスカッとしていた。


「え? あの人あの扱いでいいの? 一応宰相でしょ?」


 目を丸くするサリーネに、誰もが無言で頷く。

 えええ? とサリーネが困惑する中、がっちりと腕が掴まれた。


「鬼畜の話なんぞ、どうでもいい。それより二度と俺から逃げられると思うなよ? 今度は油断しない。逃げようとしたら即束縛、監禁だ」

「束縛はともかく監禁は犯罪だから」


 冗談めかしてツッコミを入れたサリーネだったがヨシュアは真顔だ。


「だから?」

「だからって……」

「サリーネはずっとそうやって逃げ続ける気か?」

「う……だって逃げるしかできなかったし……」


 言い澱んだサリーネにヨシュアの眉間の皺が深くなる。


「俺はどこまでも追い続けるからな? それが嫌なら今ここで俺に掴まっておけ。つーかいい加減、掴まえられてくれ。サリー」


 怖い顔とは対照的に甘い声で名前を呼ばれて、サリーネの心臓が跳ねる。


(期待してもいいの? ヨシュアと一緒にいてもいいの? 狩りの相棒じゃない私を必要としてくれるの? もしかしてヨシュアも私のこと……)


 甘い期待が胸いっぱいに広がって、サリーネがヨシュアの真意を確かめようと口を開こうとした時、また冷たい声が響いた。


「だがさっき言ったのは訂正しろ」

「さっき?」


 甘い雰囲気はどこ行った? 私のトキメキを返せ! と心の中で悪態を吐きながら、サリーネは怪訝な顔になる。

 するとヨシュアが怖ろしいほどの眼光でもってサリーネを睨みつけた。


「大嫌いって訂正しろ」


 弱い魔物ならば目力だけで撃退可能なヨシュアの眼力は、凶器といっても過言ではない。

 周囲の騎士の中には直視できずに目を逸らす者や、失神する者まで出たが、ヨシュアに慣れているサリーネは少し怯んだものの睨み返した。


「それはヨシュアが部下に暴力を振るおうとしたからでしょう? 権力を笠に着た暴力なんて最低だもの」


 正義は自分にあるのだと胸を張ったサリーネに、ヨシュアが片方の眉をあげる。


「暴力が最低? では、そこに転がってる宰相は何故そうなった?」


 ヨシュアに指差された方を見れば、魔物の屍山の上に気絶した宰相が横たわっていた。


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