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29、宰相2

 一瞬だけ浮上した気持ちがまた急降下して、しゅんと項垂れてしまったサリーネを、宰相は漸く自分の立場を弁えたのかと考え満足そうに鼻を鳴らすと、黙ったままのヨシュアに向かってまた媚びを売り始めた。


「実は私には年頃の娘がいましてなぁ。親の私が言うのもなんですが器量よしでして、きっとヨシュア様とつり合いがとれると思うのです。身分的にも侯爵家と辺境伯家ならば申し分ない。娘はダンスと裁縫が得意でしてな、さらにはピアノまで弾ける才女なのですよ」


 娘を嫁がせて、ヨシュアと辺境騎士団に魔物から領地を守ってもらおうと考える輩は多い。

 最初はそんな打算的な理由で近づいてくるものの、整ったヨシュアの見た目は令嬢達を夢中にさせるようで、娼館に売られた件の伯爵令嬢などもその一人だ。


「ヨシュア殿だって嫁にするならば控えめな淑女の方がいいでしょう? 血みどろになって魔物を相手にするような野蛮な女など、辺境伯の相手として相応しくありませんからな。それに何と言っても相応しい身分と教養は貴族の妻として絶対必要な条件ですゆえ」


 笑い含みにチラリとサリーネを見やった宰相の瞳には過分に嘲りの色が灯っている。

 それがチクリとサリーネの胸に刺さったが、拒否も否定もしないヨシュアに、宰相は手ごたえありと感じたのか、どんどん話をヒートアップさせた。


「ああ、別に娼館に通っても問題はありませんよ? やはり魔物との戦闘後は色々とありますからな。儂にも覚えがあります。だが貴族の妻は、そんな些細なことは気にしませんよ。従順になるように躾けていますから。ブハハハハハッ!」


 娘を嫁がせようとしているのに娼館通いOKとか、魔物との戦闘後に色々あるはともかく儂にも覚えがあるとか(覚えがあるのは娼館通いだけだろ! とこの場にいる全員がツッコミを入れた)妻を躾けるとか、聞いていて胸糞悪くなることばかりで、トンヌラ達や侯爵領の騎士達でさえ憮然とした面持ちになっている。


「結婚式の日取りはいつにしましょうか? 半年後? いやもう少し早い方がいいですな。いや~、辺境伯であるヨシュア殿と縁が結べるなんて、魔物のスタンピートも悪いばかりではありませんなぁ」


 周囲の剣呑とした雰囲気には気が付かない宰相から、とうとう結婚式の日取りの話まで出てきても、ヨシュアは何も言わない。

 実はヨシュアは全く宰相の話を聞いておらず、彼の頭の中はサリーネに大嫌いと言われたショックと、それをどうやって打破し囲い込むかで一杯だった。


 だが黙り込むヨシュアに、彼は宰相の娘との結婚を承諾しているのだとサリーネは盛大な勘違いをする。


 三年も捜し続けてくれたから、再び逃げても追いかけてきてくれたから、もしかしたらヨシュアも自分のことが好きなのかもしれないと勘違いしそうになっていた。

 捜していたのは魔物を狩る相棒が欲しかっただけで、恋心を抱いていたのはサリーネだけだった事実に、やっぱりと思う気持ちと落胆が混じる。


「大嫌いって言っちゃったしね……」


 サリーネは乾いた笑みを浮かべると踵を返す。

 ヨシュアの結婚話なんて聞きたくない。

 乾いてようが湿ってようが笑みを浮かべていないと、涙が出てきてしまいそうだった。


 と、その時、倒したと思っていた魔物の瞳が怪しく光った。

 巨大な熊のような魔物は鋭い爪がついた前足を振り上げると、渾身の力を込めて振り下ろす。

 死ぬ直前の最後の力を振り絞った一撃は固い地面を叩き割り、辺り一面に石礫を飛び散らせた。


「ぎゃあああああっ!」


 ヨシュアやサリーネ、騎士達は難なく避けた石礫だったが、破片が直撃した宰相が悲鳴をあげる。

 魔物の方はチンクーとカントに左右から斬りつけられると呆気なく絶命したようだが、宰相は一人悲鳴をあげ続けた。


「痛い! 痛い! 痛いいいいいい! 誰か早く医者を呼んでまいれ!」


 確かに額から血は出ているが、そんなに騒ぐほどの傷ではない。

 魔物と戦っていた騎士達の方が酷い怪我をしているというのに大袈裟に騒ぐ宰相に、周囲が冷たい眼差しを向ける中、不意にヨシュアに目配せされたトンヌラが懐から小さな小瓶を取り出した。


「お怪我をされたようですな? よければ今流行りのこの万能薬をさしあげやしょう」


 ニコニコと笑顔で小瓶を差し出すトンヌラに、宰相はピタリと騒ぐのを止めると引き攣ったような笑みを見せる。


「い、いや、儂は軽傷ゆえ、それは他の者に使ってもらえれば……」

「そんな~、遠慮しないでいいっすよ」


 回れ右をしようとした宰相だったが、いつの間にか彼の隣にはチンクーが陣取っていて、胡散臭いまでの笑みを浮かべていた。


「ほら、早く飲んだ方がいいっす」

「はい! お水! 錠剤タイプだから普通は水分が必要だもんね。ちなみに俺は水なしでも飲めるけど」


 何の自慢なんだかわからないマウントを取りながら、これまた笑顔で水筒を差し出すカントが、まるで逃がさないというように立ち塞がり、三人から迫られた宰相が汗を噴き出す。


「わ、儂は後回しで構わん。高貴なる者、ノブレスオブリージュを忘れてはいかんからな」


 傍から聞いていれば素晴らしいことを言っているようだが、宰相の瞳は完全に泳いでいた。


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