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24、魔物の襲来2

 鋭い鉤爪が自分に振り下ろされる様を、スローモーションのように見ていたサリーネだったが、ガキーンと金属音が響くと同時に身体が宙に浮く。

 腰を持たれて屋根の上へ移動させられたサリーネが階下を覗けば、今まで彼女がいた所には大鍋が転がっていた。


 サリーネの代わりにオオトカゲの攻撃を(たぶん)まともに食らった大鍋は、見事にひしゃげてしまっている。

 鉄製の鍋でさえグニャリと曲がってしまうのだ。箒で受け止めていたら本当に危なかったと背筋が寒くなったサリーネだったが、見覚えのある大鍋に首を傾げた。


「あれは王都に置いてきたお鍋? なわけないか!」


 驚きつつも即座に否定して、冷静に一人ツッコミをいれたサリーネだったが、横顔に視線を感じてそちらを向いた瞬間、今度こそ腰を抜かさんばかりに驚いた。


「ヨ、ヨシュア?」


 名前を呼ばれたヨシュアは、荷物のように腰を持ったサリーネを見下ろして、ぶっきらぼうな声をあげる。


「おせーんだよ」


 その声と共にドシーンとオオトカゲが倒れる音が響いた。


「お嬢! 無事か!」

「おかん、平気っすよね? 頼むから平気であってくださいっす!」

「若、令嬢にその持ち方はどうなのって思うけど、おかんだからいいか」


 懐かしいトンヌラ、チンクー、カントの声が聞こえて、慌ててサリーネが下を覗くと、裏庭に残っていた二体のオオトカゲを三人が斬り伏せている。

 唖然とするサリーネの青い血塗れの髪を自分の上着で乱暴に拭き取ったヨシュアは、何故か少しだけ目を瞠ったが、次の瞬間射殺すような視線を向けた。


「何で黙って出て行った? 俺が間に合わなきゃ死んでたかもしれないんだぞ」

「えっと……ごめん。でも助けてくれてありがとう」


 脆弱な魔物なら視線だけで気絶させられるヨシュアの眼差しに、サリーネが目を逸らす。

 しかしヨシュアの糾弾はやまない。


「ところで娼館にいるのは何故だ?」

「それはですね……話すと長くなりますが……いわゆる一つのごはんのためといいますか……」


 後ろ暗い想いで一杯のため普段使わない丁寧語で、しどろもどろになりながら説明するサリーネに、ヨシュアの眉間の皺は益々深くなってゆく。


「お前、俺以外とやるつもりだっただろ?」


 直球の問いかけに、サリーネは息を呑んだ。

 ヨシュアの冷たい声音が心に突き刺さり、娼婦になることを覚悟した時よりも、悲しく泣きたい気持ちになる。


 好きな人に、売春しようとしていたことがバレて平気でいられるわけがない。

 しかも娼婦だから相手は不特定多数ときたものだ。

 きっともう呆れて、突き放されてしまう。

 ヨシュアにだけは知られたくなかったのに、と臍を噛むが後の祭りだ。


 零れそうになる涙を堪えてサリーネは、ヨシュアが掴んでいた腰を捩る。

 しかしガッツリ掴んだ手は離れず、ジタバタと藻掻いて逃れようするサリーネに、またしても不機嫌そうな声が聞こえた。


「何で逃げようとする?」

「え? だって……」

「サリーは娼婦になったんだろ? じゃあ客から逃げるな」

「……はい?」


 困惑するサリーネにヨシュアが畳みかけるように言い募る。


「サリーを買ったのは俺だ。当たり前だろ? 他の奴なんかに渡すかよ!」

「一体、何の話をして……」


 言いかけたサリーネの瞳の端が、まだ廊下の隅で気絶している男性の姿を捉える。

 そこで何かに気づいたサリーネが、バッと目の前のヨシュアの服装を見て、また男性へ視線を向ける。


「服が同じ……まさか……」


 紫紺色の瞳を大きく見開いたサリーネに、ヨシュアは盛大に溜息を吐いた。


「やっと気づいたか」

「でも体型も顔も全然違うのに……」

「お前と同じ真似をしただけだ。眼鏡と顔には油ギトギト肉厚シートを貼って、服には綿を詰め込んだ。髪は変えてないけどな」


 そう言って自分の黒髪を軽く叩いたヨシュアに、サリーネが脱力する。

 荷物みたいに腰を持たれているせいで、力を入れていないと死体のように手足がだら~んと垂れてしまうのだが、何だかもうどうでもいいような気がした。


「どうりで廊下にやたら滑るシートや綿の塊が落ちていて、同じ人のはずなのに動きが違うと思った」

「戦闘の邪魔になるから走りながら外した。あいつは娼館の常連で新物が入ると必ず自分が買うらしいから、布団部屋に監禁しておいて成り済ました」

「言ってくれたらよかったのに……」


 ヨシュア以外に抱かれることが嫌で泣き叫んだことや、覚悟を決めた時の焦燥を思い出してサリーネが恨めしそうに零せば、ヨシュアの眉がピクリと上がった。


「その言葉そっくりそのまま返す。三年前も今も、何で俺を頼らなかった?」

「あ……」


 サリーネが言葉に詰まる。

 自分の保身ばかりを考えて、ヨシュアの気持ちを考えていなかった。

 幼馴染なのだ。心配しないわけがない。

 自分だって、もしヨシュアが突然いなくなったら世界中探し回ったはずだ。


「ごめんなさい」


 しゅんっと項垂れたサリーネの膝裏に手を入れて、ヨシュアが体勢を変える。

 荷物からお姫様に変更された持ち方に、サリーネの心臓がバクバクと変な音を立てるが、ふとヨシュアの背後を見て、息を止めた。


「ヨ、ヨシュア……後ろに……」


 声が掠れてしまうほどの衝撃を受けサリーネがヨシュアの肩を掴む。


「ああ、とりあえず街の付近にいた奴らだけ倒してきたんだが、増援か」


 事も無げに笑ったヨシュアだが、どう考えても笑っている場合ではない。

 サリーネが裏庭でオオトカゲと対峙している間に、空に浮いていた数十体はヨシュア達が倒してくれていたようだが、現在空中にはその三倍近くの魔物が湧いていた。


「若、これってスタンピートじゃないですか?」

「たぶんな」


 魔物の種類もオオトカゲだけではなく、翼の生えた大蛇や、巨大な怪鳥らしきものなど多種多様な光景に、トンヌラの顔が強張りチンクーが絶望の表情を浮かべる。


「マジっすか! うっわ、短い人生だったっす」

「行け、街の外で食い止めろ。ただし死んだら殺す」

「若の言葉は相変わらず意味不明。でも了~解!」


 ヨシュアの言葉に笑ったカントが駆け出すのを見て、トンヌラとチンクーが顔を引き攣らせながらも後に続く。


「お嬢は隠れていてくだせぇ! 必ず死守しやすんで!」

「そうっす! おかんに何かあったらマジでヤバいっすから!」


 去り際に二人に言われたが、サリーネはキョトンと首を傾げた。


 先程は魔物のあまりの数の多さにびっくりしてしまったが、考えてみればここにはヨシュアがいるのだ。

 確かに新たに出現したオオトカゲは緑色ではなく黄色の大型版になっているし、大蛇も怪鳥もやっかいな魔物ではある。

 けれど、どれも辺境でヨシュアと共に倒したことがあるサリーネは、トンヌラとチンクーが何故あんなにも悲壮な顔になるのか不思議であった。


「ヨシュア、弱くなったなんてことないよね?」


 そういえばピンチの所を救助はしてもらったが、オオトカゲを倒したのはトンチンカンの三人だった。

 不安に思い訊ねたサリーネにヨシュアが不敵に笑う。


「確かめてみるか? お前こそなまってないだろうな?」


 綿を取ってしまったせいでブカブカになった服の懐から二振りの短剣を取り出し、それをサリーネに放りながらニヤリと笑ったヨシュアは、大好きな人のはずなのに魔王に見えた。


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